* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ようやく夏っぽくなってきた。この月曜日で前期講義はすべて終わり、後は試験のみ。ややホッとしているところ。
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我が家の女性はみなバプテスト系のS女学院卒で、同窓会のニュースレターが3通も来るわけ。カミさんは小学校からで、面白いところでは、三雲孝江アナと幼馴染なのだとか。女史のお姉さんと同級で、いつも遊んでいたらしい。私も一度女史が独身のみぎり、菊名駅からバスで一緒になったことがあるが、かなり疲れた雰囲気。表の華やかさと裏腹なんでしょう。
そのS女学院の学院長が90歳を超えた女性だった。ちょうど聖路加の日野原先生の女性判みたいな方で、矍鑠とされ、しかもキレイに歳を取っておられた。何年か前に階段から転落され、腰を折って寝込まれ、そのまま召された。とても魅力的な人であった。その先生の意向かどうか、とにかく信仰を前面に打ち出し、ミッションスクールとしての使命を果たすことを第一としており、やや時代遅れな雰囲気もあり、人気という点からする一歩出遅れていた。
ところが最近のニュースレターを読んでいると、ここへ来て東大や早稲田など一流どころにかなり入るようになって来ているようだ。今の中高一貫校でのモノサシはどうしてもその実績にあるわけで、学校経営と言う観点からは避けて通れない課題なわけ。「規格化」はある面で喜ばしく感じと共に、ある面でさみしい部分もある。かたくなに時代の流れに棹差して、自分のスタンスを守ってくれることも、やや期待している部分もあるからだ。
対して長男は県立なのだが、公立校はほとんどその存在意義を見出せなくなっている。立ち位置と言う点からすると、どの大学に何人入れたかがすべての価値観とならざるを得ないからだ。私も高校(県立)はほとんど生活の場ではなかったし、田舎からエクソダスすることだけを考えていたので、当時の連中との付き合いはほとんどない。それに対して中学は生活の場であったし、実にイロイロな人生を歩んでいる連中がいて、毎年夏の同級会を楽しみにしている(今年は8月12日)。県立高校の教師をしているヤツもいるが、やはり自分の立ち位置が見えないとこぼしている。そして本人がうつ病になってしまった・・・。
社会もここへ来て大きな時代の流れの転換点を迎えている感じがしている。小泉さんがかき回したこのニッポンははたしてどっちへ流れるのだろうか。私とほぼ同世代の安倍氏が総理になるようだが、一本の筋が見えない。やはりこの国は大御心がないと自分を見失ってしまうのだろうか。
時代の流れに棹差すこと。『北の国から98−時代−』のテーマでもある。これからビデオを見るつもり。