* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
高校時代、ギターを鳴らしつつ、井上陽水の『心模様』にはまった時期があった。鈴香さんの供述の様を見ているとまさにエレミヤ書の言葉どおり:
人の心ははなはなだしく病んでいて癒し難く、よろずのものよりも偽る。
病んでいる心に映ることばは、その心の凹凸を繁栄して、歪曲されている。人がペラペラと語ることばには真実はまずないと見るべき(村上君も同じ)。人は自分の真実を突かれると必ず怒り出すもの。それほどに真実には触れられたくないわけ。主はサマリアの女や律法学者に対する際、あえてそこに触れた。女は渇きを癒されたが、律法学者は主を十字架につけた。現代の教界の十字架を回避した人を気持ちよくするカウンセリングなどは互いに偽りのロールプレイング・ゲームをしているだけ。すでに商売だから。教会が商売になったらまさに絶望だけ。商売をする先生たち、それはぜひこの世で大いにやってもらいたい。
Commented by サクライ 2006年06月11日(日)22:12こんばんわ、お邪魔します
話の方向がズレてしまいますが、ひとつ、質問させてください。
人の心の真実とは、どんなところで分かってしまうのですか?また、ごく一般的なフツーの会話の中で、相手のホンネを引き出すポイントがあったら、教えてください。
あ、でも、『ホンネを引き出す』って、ちょっとキケンですね。
Commented by Luke 2006年06月12日(月)19:08こんばんわ。その後いかがですか?
そうですね、人の心の真実に直面することは、ある意味でコワイことです。見たくないものを見てしまうこともありますし、こちらも少なからず傷を受けることもあるわけです。
視線の動きとか態度で分かることもありますが、私は人の心の実際はあまり知りたくないのが本音です。
温かいお気遣い、どうもありがとうございます。^^
卒業目前まで国家試験があり、なんだかお礼にも伺えず、悔しく思っております。お陰さまで無事合格し、現在某病院にて勤務しております。
もっと賢くありたい、大人になりたいと思いながら過ごしています。
患者、仕事の同僚と接する中で、心の真実に直面せざるを得ない時があります。イエスという希望があるから、なんとか毎日生きてるようなモノです。
今度、教会にもお邪魔したいです。
そうですか、よかった、よかった。現場はキツイところもあると思います。距離感を失わないように、仕事に励んでください。おっしゃるとおり、希望は内なるキリスト、道もキリスト、知恵もキリストです。私たちが真実を見抜けなくても、あるいは直面せざるを得ない時も、主はご存知ですし、主が防波堤として受けてくださいますから、その主に信頼しましょう。傷ついても主の慰めに与れます。いつでもどうぞ^^
Commented by サクライ 2006年06月13日(火)20:42ありがとうございます。それを聞いて、元気が出てきました。^^ 疲れているとついつい聖書を読む元気も無くしてしまいますが、このようにキリストに呼び戻される感覚を味わえることは、幸せな体験ですね。
追記:病院の隣が教会です(日基の聖霊派っぽいですが)。主は用意周到です・・・!!