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精神保健学の講義

毎年7-800名の学生に教えている。精神医学のごく基本、精神分析理論による精神病理を話すのであるが、自分でもよく飽きずに話しているものと・・・。と言うのもネタが尽きないからだ。毎年犯罪は増える一方であり、しかも質も年々悪化する。コワイことはそのような事件が起きてもあまり驚かなくなってしまっていること。感受性の磨耗が起きている。これはその度に敏感に反応しているならば神経が参ってしまうために、感性の閾値を上げることによって防御するメカニズムがあるため。要するに、たとえると、「面の皮が厚くなる」わけ。

最近『脳内汚染』と言う本が出た。パソコンゲームやインターネットに曝されているうちに脳の中にある種の「汚染」が生じ、人を殺すことなどに感受性を覚えなくなるメカニズムを説いている。アメリカの軍隊では実際にゲームで殺人場面に何度も曝して、実際場面でも殺人に対して抵抗を覚えなくする訓練が行われている。大脳は刺激に対して慣れるのだ。

クリスチャンも同じで、徴だ、不思議だと、その刺激になれるうちに、真の主の声に対しては感受性を失う。かくして聖会だの、油注ぎの器だの、預言者や使徒だのをおっかける一種の依存症に陥る。私もニッポンキリスト教界と触れる中で、クリスチャンと称する人たちの実態や、病的な人々による種々の出来事に否応なく巻き込まれるときに、目が点になることを味わってきたが、元々気の小さい私が、徐々に慣れてきていることに気がつく。これはちょっとやばいかも知れない。無益な情報や刺激からは意識的に離れる必要がある。

かくして講義で毎年、これからますますわけの分からない事件が起きるよ、と「予言」しているのであるが、ニッポンキリスト教も今後ますますわけの分からない世界になるだろう。クリスチャン・メディアで取り扱う記事や売れ線の本を見てみれば、現状がどうであるかは明らか。どなたがBBSでも言われたように、このような偏向した刺激に慣らされていくわけで、その結果にこわさを覚える次第。リバイバルどころではなく、サバイバルの問題なのだ。