* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
昨日のようなことを語ると、また質問が来るのですね、「私は自分が本当に信じているかどうか、分からないのです。どうしたらわかるのですか?」。嗚呼、もうアカン・・・涙。
使徒信条を「一、われは・・・を信ず・・・;二、・・・」とやったところで、それは信仰ではない。それは教義だから。実際、正教からすれば、プロテスタントも異端であって、プロテスタントの使徒信条は認めていないわけですから。再建主義からすると私はクリスチャンではないわけで・・・。
では、クリスチャンって何なの?信仰は頭で一連の体系化された神学や○○信条を信じることではありません。その「方」とひとつになることです。英語では"believe"と"believe into"とありますが、前者は対象を客観的に信じること。後者は対象とひとつになってしまうこと(into)。
「私は何をすべきか」とか「私は信じているのだろうか」と問いを発したときに、すでにその「方」を対象化(客観化)している。森の中に入ったら、その森自体は見えません。見えるのは1本1本の木々です。森の中にいて、果たして自分は森の中にいるのだろうか、と誰も問いませんよね。そのようなオツムのグルグル回りに客観的な回答を得ようとして、不毛な努力に陥る人があまりにも多い。
主は私たちのうちにおられ、私たちは主のうちにおり、こうして父と子がひとつであるように、私たちもひとつになること。これが信仰。そして信じた者は自らのわざをやめて安息に入る、ピリオド。アーメン。
はい、以上で質問は打ち切りです!