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手放すこと

フィギュアを見ていて感じたのは、スルツカヤなどは荒川のことを意識して練習していたが、荒川はひたすら自分のものを出し切ることだけに集中していた。自分と対峙していた。彼女自身、天才少女と言われて、人に流されていた自分から一歩を踏み出したと言っている。あの練習風景を見ていても、荒川が勝っていたことが分かる。

本番でも他人のスコアを聞かないようにヘッドフォンをしていたが、これで彼女は心を騒がせることがなかった。人を一切寄せ付けない中で、ただ演技に没頭した。結局勝負は人ではないこと、自分と対峙し、自分の何かを十分に注ぎ出せるかどうか、これがすべて。自分に対して自分がどう関わるか。相手は自分なのだ。

クリスチャンも同じ。人と比べ、自分の不遇を嘆き、人の責任を問い、神と人からただ受けようとし、自分の満足だけを求め、自分は決して損をしたくない、傷を受けたくない。これが現今のキリスト者の貧しさ。物や人や神を消費するだけのキリスト者。前に花見酒の経済の話をしたが、互いに互いの資産を食い潰すだけになっている。

その中心にあるのは、強烈なエネルギーを蓄積した自己(Self)。「明け渡し」も自己責任を負いたくないところは「あなた任せ」、自分のものとしていたいところはけっして手放さない。かくして問題を抱え、あくまでも神と人の責任を問い続け、消耗する。自分を省みて、自分を手放せば、よほど楽になれるのにと思うのだが。

表情台の荒川はただ金を取っただけの輝きではなく、自分から解かれた解放感を漂わせており、ほんとうに美しかった。