Q.5 携挙の時期について 



Dr.ルークは携挙の時期について、どのように考えていますか。


 A.5 Dr.Lukeによる回答 



これはトピックバイブルカレッジの記事をご参照いただきたいと思いますが、これまであえて触れてきませんでした。記事の中で用いたなども前艱難携挙説のハル・リンゼイの本などのものを少し手を加えて用いてきました。しかしながら、世界情勢を見るときにそろそろ私の立場を明らかにしてもよいかなと判断します。

この携挙の時期についてはユダヤ人問題と同様に、一部の人々のプライドを刺激して、感情的な要素が強く出てきてしまい、冷静な議論や意見のすり合わせがやりにくいテーマです。なぜか彼らのプライドが疼くようであり、客観的な対話ができないことはまことに残念なことです。しばしば自分の意見の主張に終始し、自分の意見を認めてくれないのであれば、もう話はしたくない、といった反応が見られます。



ここでは結論的に述べておきたいと思います。

1.私は前艱難携挙説(ダニエルの最後の70週に入る前の携挙)は採りません。つまり黙示録4章にある「ラッパのような声がここに上れ」と言われてヨハネが天に上ったことを携挙であるとは考えません。これはあくまでもヨハネ個人の経験であると考えます。

2.携挙の時には主にある死者の復活があるはずですが(1テサロニケ4:16)、前艱難の時点で復活があるとなれば、終わりのラッパ(the last trumpet)が鳴るはずであり(1コリント15:52)、よってこの後にさらに7つのラッパが続くことは不自然となります(黙示録8:6)。ある人はこの終わりのラッパは神のラッパであり(1テサロニケ4:16)、7つのラッパは天使が吹くラッパであるから異なるとしますが、不自然な解釈です。私は終わりのラッパは第七のラッパであるとするのが自然と考えます。

3.主の日は、まず背教が起こり、不法の子が現れなくては訪れません(2テサロニケ2:3)。ある人はここの「背教」の原単語"αποστασια"の意味を「取り去られること」と解釈し、これが携挙のことを意味するとしますが、ほとんどの聖書はみな「真理から外れること」の意味で訳しています。これを携挙とするのは無理があります。

4.前艱難携挙の人々の主張の根拠は、ダニエルの70週目は教会に対するディスペンセーションではなく、「ヤコブの苦難」であるゆえに、イスラエルに対するものであるから、教会は地上にいるべきではないとするものです。また携挙はいつ起きてもおかしくないと書いてあるから、艱難の諸々の徴が現れる前に起きるとします。しかし現在は恵みのディスペンセーションにありながら、地上には教会もイスラエルも同時に置かれているわけですし、7年間だけは教会が地上にあるべきでないとは言えません。

5.ここで問題となるのが、7つの封印の開始時期ですが、私は最後の7年に開かれるとは考えません。すでに1世紀以降少なくとも第1から第4の封印は解かれています。前者の人は第一の封印で出現する白い馬の主を反キリストであるとしますが、第2以降の馬に乗るものは特定の個人ではありません。すなわち私は第一は福音、第二は戦争、第三は飢饉、第四は死であるとします。これはすでに世界歴史において成就してきています。

注:白い馬については偽の福音の可能性もあります。あるいは変質した福音です。
6.よって携挙の時期は最後のラッパ(=第7のラッパ)の鳴る時期であり、最後の7年の後半になると考えます。最後の7つの鉢の災害は免れるでしょうが、第6のラッパの試練(第2の災い)までは通過するでしょう(マタイ24:29-31)。

7.ただし、すでに黙示録7章にはあらゆる国民の中から出た大群衆が天の御座の前におります。この人々は大きな艱難を経てきたとありますが、この「艱難」のギリシャ語は"θλιψι"であり、一般的な意味合いを持っています(7年の後半の"大艱難"に限らないということ)。大艱難は第6の封印の開封で始まりますから、この前に天の御座に引き上げられている群集があることになります。私はこれを初穂と考えます。教会は神の裁きである大患難は避けられても、前半の艱難期は人間の罪の刈り取りですから、それは経るであろうと考えます。

8.旧約のユダヤ人の祭りの暦と照らしますと、(1)イエスは仮庵の祭の時にこっそりとエルサレムにのぼり、後半以降でご自分を公に表しています(ヨハネ7章)。これは主の顕現の仕方の予表と考えられます。イエスは盗人のように来られる面と(マタイ25:13、1テサロニケ5:2)、公に来られる面があります(マタイ25:31)。(2)仮庵の祭は一面秋の収穫の祭りでもあり、携挙は刈入れであることに符合します(黙示録14:15)。(3)これは「その日には屋上にいる者は下におりるな」(マタイ24:17)とある言葉からも、仮庵の祭りの最中と考えられます。この祭りの時にはとにかく人々をどこにでも泊めていたのです。この後にイエスは公に再臨されます。

9.また収穫は初穂の収穫祭が春にもあります。これはニサンの15日(3−4月)から3日目に行なわれる大麦の初穂を捧げる祭りですが、主イエス自身が初穂であると同時に、神の畑である教会において先に成熟した人々も初穂として捧げられると考えます(1コリント3:9、ヤコブ1:18)。仮庵の祭りの少し前のティシェリの第1日(9−10月)に新年にラッパを吹き鳴らし、ラッパの音で民を集めるのですが、同様に第7のラッパが秋に鳴ってクリスチャンが集められて携挙があるとすれば(マタイ24:31)、そこから3年半前の7年の中間地点(=反キリストが契約を破棄し、神殿に立つ時期)は春頃になり、ちょうど初穂の祭りの時期と重なります。

10.以上のような理由で、私は「携挙=収穫」であり、よっていのちの成熟というバロメーターに従って、初穂の収穫とその他の収穫の二面性を持つものと考えます。ディスペンセーション神学のフレームで理解するのではなく、神の定めたタイムテーブル(=律法の規定)の霊的意義から見るべきでしょう。

moji_b01.gif