コロラド州の事件に思う
-盗み・殺し・滅ぼす者とは-
■米国コロラド・リトルトン郊外の高校において二人の高校生が校内で武装し、何の抵抗もしない生徒を十数人も射殺するというショッキングな事件が起きた。殺し方も異様であって、一種のなぶり殺し的な様相を呈している。ある場合には机の下に隠れる女性とに対して「いないいないバー」などと声をかけて首を打ち抜いたり、あるいは黒人の生徒の顔に向けて発砲するなどの残虐な行為を行っている。また校内に何発もの爆弾をしかけてあったりと、その行為は常軌を逸している。最終的には犯人も自殺を遂げるのであるが、なぜこのような事態を引き起こしたのであろうか?まったく彼ら自身にとっても何のメリットもない行動であり、常人にはほとんど理解不可能である。まさに「滅ぼすための滅ぼす行為」としか言いようがない。
■この犯人たちは普段から他の生徒たちから孤立しており、黒いトレンチコートをつねに着用していることから、「トレンチコート・マフィア」と呼ばれており、ネオ・ナチズムとかヘビメタ・ロック歌手マリリン・マンソンに傾倒していたとのことである。これらの若者文化を「ゴシック・カルチャー」と呼ぶ。マリリン・マンソンについては本HPにてもすでにその危険性を指摘している(→「
(2)安室の母の事件に思う
」)。彼は、その名を生前悪魔教会の会員であったと言われるマリリン・モンローと、猟奇的殺人事件として有名なシャロン・テート事件の主犯チャールズ・マンソンから取っており、ステージの上で聖書を破り捨てたり、イエスやクリスチャンを露骨に罵倒したり、あえて涜神的行為を行ったりして、反逆的な若者の熱烈な支持を受けている。その歌詞の内容もまさにあらゆる邪悪さを礼賛する内容であって、麻薬、レイプ、暴力、そして殺人を煽り立てるような内容である。メイクアップもまさにサタンの化身とも言うべき異様さを呈している。日本のグループ「聖飢魔U」などは一種のジョーク的なものであるが、マリリン・マンソンはまさに
本物
であってサタンの本質の表現と言える。
■人はある種の言葉や刺激を絶えず受け続けているとその影響を無意識レベルでも受けるようになり、その大脳の中にはある種の神経回路のパターンが組み込まれていく。いわゆる心理学で言う「条件付け」である。聖書的にはこの言葉とか刺激の背後には必ず何らかの霊的存在があって、それらに曝されるならば人はその言葉とか刺激を通してその霊の影響を被ることになると言える。日本でも例のオウム事件のとき、麻原氏の音楽的には陳腐な単純な繰り返しの内容の歌が、それをテレビなどを通して聞いた私たちの頭にこびりついて困惑した人々も多いと思う。民衆をコントロールすることにかけては名人であったヒットラーなどのアジ演説も説得力に富み、同様の効果を有している。このような言葉のリズムに繰り返し暴露されているならば、自然とその中に織り込まれている霊の影響が私たちの内面に及ぶのである。心理学的にはマインド・コントロールとか洗脳とか表現されているが、あくまでも霊的影響を無視してはその本質には迫れないのである。神に対する信仰も逆の意味で同様の性質を持っている。すなわち「信仰は神の言葉を聞くことによる」とある通り、絶えず神の言葉に曝されているならば、神の霊の影響下に自らを置くことになり、愛、平安、安息、喜び、柔和、自制、そして命などの神の言葉の積極的影響に与れるのである。イエスが「私の話した言葉は霊であり、また命である」と言われた通り、言葉には私たちが予想する以上の力があるのである。
■イエスが言われた通り、サタンの本質は「偽り者」、「盗人」、「殺人者」であって、彼は神に反逆して天を追放されて以来、神の最高傑作である人を嫉妬し、憎悪しているのである。サタンは隙あらば人を滅ぼすことを願っているのである。時には金を用いて、時にはこの世での栄華を用いて、時には戦争を用いて、時には嫉妬や妬みを用いて、時には貧困と病を用いて、というように彼はありとあらゆる手段を弄してこの世を掻き回し、人々の平安と安息を奪い、絶えず恐れと不安へと煽り、人々を追い詰めて行くのである。近年になって日本のオウムやアメリカのヘブンズ・ゲイトなどのカルト集団による事件や今回のような事件が頻発しているが、サタンの仕業がいよいよ露骨になっているという印象を受ける。したがって以前の古典的捜査手段や単なる精神病理学的説明が有効性を失っている。この世の医学では近年になってようやく精神
(Pshyche
)と肉体
(Soma)
の関連性において病気を把握する「精神身体医学
(Psycho-Somatic Medicine)
」が発達したが、残念なことに霊
(Pneuma)
までは考慮に入れていないのである。クリスチャンである私は「霊精神身体医学
(Pneuma-Psycho-Somatic Medicine)
」を提唱したいと考えている。人の在り方を決め、人を動かすものはまさにこの霊なのである。終りの日が近づいて、サタンもその仕業を露骨にしている印象がある。今後おそらくこの種の事件はますます多発し、ますます了解不能のものになると予想される。(1999.04.24)