イラク戦-その後-



先にイラク戦の行き先についてわたしの預言を書いた手前、その検証をする必要がありますので、掲示板に書いたことをまとめておきます。

Dr.ルークは「いのちの道」によるのであり「善悪知識の道」によるのではないことをよく言われますが、善悪の判断はしてはいけないのか、と問われます。ヘブル書5章14節に「善悪を見分ける感覚を訓練された大人」という表現があります。この「見分け」はいのちの感覚によるのです。私たちの生まれつきの善悪や、この世の価値観、道徳、倫理、思想による善悪ではありません。それは感覚による判断です。そして感覚はいのちのものです。霊の人はすべてを判断するのです(Tコリント1:15)。


◇イラク戦の評価

今回のイラク戦でフセインの圧制から民衆を解放したから、この戦争は善であるとすべきか、あるいはアメリカの一方的な正義の押し付けであると評価すべきか、私の意見を聞かれました。

私は支持するか、と聞かれたら、支持しないと答えるでしょう(平安がない=感覚的側面)。この戦争は善であるかと聞かれたら、分からないと答えるでしょう(知性的側面)。そしてこの戦争を善悪の路線上で捕らえるならば、果てしない議論の連鎖を生み、キリストのからだに損害を与えるでしょう(霊的側面)。

善悪の路線上の主張は結局のところ自己主張です。仮にそれが見かけは聖書的であっても、御言葉を用いての自己主張です。「クリスチャンかくあるべし」はチョットご遠慮です。対していのちの路線の主張はキリスト主張です。

しかしこのような事件は今後ますます多発するであろう事は聖書の語るところであり、人類の罪はきわみまで証しされるのです。「徒然」にも書きましたが、自己判断はあえて放棄しつつ、主の主権に服するのみです。

(本音:このような議論や主張の張り合いは疲れを覚えるし、正直言って人里離れた所に退きたいですね。うめくのみです。)


◇イラク戦の病理

私はいわゆる「反戦論の平和主義者」ではありません。私は心の専門家です。心の病理(もちろん霊的側面も)からみて、今のアメリカ、そしてイスラエルを価値観の中心において、この戦争を正当化するクリスチャンの心は病んでいますね。

そして自分はあくまでも"正しい"と言い張るところに、病識の欠如を見ます。精神の病において、病識の欠如は重症です。彼らはユダヤ人の欺瞞の病理を共有してしまっています(「ユダヤ人と日本人」をご参照ください)。多分アメリカの欺瞞性とも霊的に共鳴しています。少し論考で分析してみようと思います。政治的思想とか立場からの分析は表層的なものに過ぎません。すべては人の心に由来するのです。

しかし、これも聖書の預言のとおりであることは事実です。これからますますの悲劇と荒廃が満ちることでしょう。聖書的な正当性を論じ合うのではなく、うめきを共有し、祈りを共有することを願います。

クリスチャンにとって、自分は聖書的、相手は外れている、この誘惑はきわめて大きいものがあります。罪は善と悪を知ることでしたから。リバ新の記事ご覧になりました?「イスラエルゆえに、ブッシュは神が立て、神の戦争である」そうです。十字軍的霊的状態で、幻惑されおり、カルトがかっています。

> 聖書全体を鳥瞰することができなくなると、自分が読みたいようにしか読めなくなり、新聞を切り抜いて脅迫状を作るようなメッセージがなされるようになるようです。

そのとおりですね。「アブラハムを祝福するものを神は祝福し、呪うものを呪う」のだから、イスラエルに異議を唱えると呪われる、ということのようですが・・・。預言のところで書きましたが、私はこれから「イスラエル」をめぐって、教会が傷つく場面が増えると思います。「クリスチャンはイスラエルのゆえに祝福される」などと言っている人々がけっこうおりますが、キリストの十字架の贖いを無効にします。パウロのガラテヤ書での格闘が再現されるでしょう。


◇カルト化するアメリカ

アメリカは大量破壊兵器も発見できず、フセインの消息も確認できず、また地下にもぐった抵抗も抑えられずのようです。私の「預言」のとおりです。アフガンもそうですが、アメリカの一方的独善的正義はあの地では通りません。

最近ネオコンの真実を暴く本が立て続けに出版されていますが、アメリカのカルト性が暴露されてきています。今後ますます「みっともないアメリカ」を露呈することでしょう。アメリカの裏も多くの人が気づき出しています。

地下テロ活動によりイラクの国連の施設が爆破され、デメロ代表が死亡した模様です。すでに復興は絶望的になりました。新たな政権を立てることもできなくなり、米兵もいつまで続く泥沼状態によって疲弊してきています。ブッシュの愚かさが露になるばかりです。アメリカは今後、今回の取り繕いのために自己欺瞞に陥り、ますますカルト化することでしょう。

一部の人がアメリカは聖書の予言には登場しないから、アメリカのしていることを判断し得ないと言っているようですが、愚かな発言です。ヘブル5:14「善悪を見分ける感覚を訓練された大人」とあります。この「見分け」は感覚により、感覚はいのちから生まれます。この世の価値観、道徳、倫理、思想による善悪ではありません。いのちの熟した霊の人はすべてを判断するのです(1コリント2:15)。私たちは御使いをすら裁くのです!

以前リバイバル新聞に在アメリカ日本女性によるブッシュ礼賛イラク戦大賛成的記事が出ていました(私は異議を唱えておきましたが)。その中で日米の名のある先生方がブッシュは聖書をよく理解しているとこれまた褒めておりましたが、ステレオタイプな聖書予言解釈のフィルターを通して色のついた世界しか見てない証拠です。この典型的主張はこちらを(このような論調に対して霊の平安を覚えますか?これらの主張をする人々にはある種の同じ霊が働いていることを感知します。)。

これらの人々の特徴は先にも書きましたが、人の心を見抜くことができないのです。よって語ることがきわめて浅薄で、彼らの予言解釈システムが分かっていれば、何を語るかは先が読めてしまいます。かたくなに自己の世界観でしか物を見ませんから(というより自分の「聖書的世界観」を誇っている)、議論は延々と平行線になります(これ自体が病理的です)。

その世界観の中心にあるのはイスラエルです。私はイラク戦の預言でも書きましたが、教会(エクレシア)とイスラエルは次元が異なる平面上にあるにも関わらず、これを教会に持ち込むことにより、今後このトゲがキリストの体を傷つけることでしょう。歴史はパズルではありません。生身の人間の汗と血によるいのちの叫びなのです。私たちにできることは、とりなしをしつつも、神意は図りがたいところにあることを認め、神の主権に信頼し服するのみです。(03.08.20)



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