聖霊とは



聖霊神の第三格位である人格(Person)を持つ存在です。この点「エホバの証人」による聖霊は単なる超自然的力という見解は聖書から逸脱しています。

聖霊は創造の時にもおられましたし、イエスがマリアの胎に宿られたのは彼によりました。そしてイエスご自身もその上に聖霊が鳩のように下られて、聖霊の内住と聖霊の満たしによって地上における務めをまっとうされました。イエスはまったく聖霊により頼んで地上における生をまっとうされたのです。そして復活して天に上られた後、御父の元から聖霊を地上に遣わしてくださいました。

現在イエスは天におられるのですから、私たちと神との関わりは何かを媒介しなければ成立しません。そのために遣わされているお方が聖霊なのです。ですからイエスは「私が去っていった後に、別の助け主(注)である聖霊をあなたがたに遣わす。その方は私自身と私のわざについて信者に証しする」と約束されました(ヨハネ14:16,18;16:14,15)。イエスは御霊のうちで父と共に信者のうちに住まいます(ヨハネ14:23)。
(注)「別の」というギリシャ語の意味は「他の同質の」という意味です。

現在の私たちとの関係で言いますと、聖霊はイエスが地上で完成された十字架による救いのみ業の効力を、信じる者の内側において実際上の経験としてくださる機能をもったお方と言えます。2000年前の歴史的事実を時空を超えて現在において私たちの霊的な経験としてくださるのです。ですから聖霊はご自身から語られることは無く、イエスの人格と言葉を私たちに証しし、イエスの死と復活へと私たちを入れてくださるのです。この聖霊がいて下さるからこそ、2000年前の事実が時と空間を超えて現在の私たちの経験となるのです。

旧約時代には王とか預言者などの特定の役割をもった人々にのみ聖霊は臨みましたが、新約においては、聖霊は信じる者であれば誰でもその内に永久に住んで下さいます(注)。そして必要な時に御言葉を私たちに語りかけてくださり、私たちを支え、励ましてくださるのです。要するにイエスがどのようなお方であり、何を成してくださったかを、私たちに教え、導き、証しし、そしてその実際の中におらせて下さるお方なのです。

(注)旧約においては聖霊はある目的のために特定の人に臨みましたが、それはあくまでも一時的であり、目的を果たした時、あるいはその人の罪のために彼から離れ去ることもありましたが、新約においては信者の内に永遠に内住してくださいます。もはや離れ去ったり取り去られることはありません。

私たちの主観的経験としては、聖霊が内側で働かれるとき、私たちの心は神の愛で潤され、甘く、安らかで、リラックスし、伸びやかな感覚に満たされます。ちょうどかさついた皮膚にクリームを塗るように、私たちの心の「ささくれ」も癒されていきます。このような聖霊の内的働きを聖書では「聖霊の油塗り」と言います。このようにして私たちの頑な心は柔らかくされ、神の言葉が種として播かれても健やかに発育できるような土壌を整えてくださいます。

また聖霊はこの世において大胆にイエスを証ししたり、福音の宣教のための働きや、時には霊的な暗闇の諸勢力との戦いのために私たちを備えて下さいます。このような聖霊の特別な臨在を「聖霊のバプテスマ」と言います。クリスチャンであれば誰でも信じて祈り求めるならば、この賜物に与ることができます。

(C)唐沢治


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