啓示録の構造
T. あなたが見た事柄(1章) U. 私たちの状況(2,3章) (1)現在はない教会:エペソ、スミルナ、ペルガモ(2・1−17) (2)現在もある教会:テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキア(2・18−3・ 22) −当時の断面的記述であると同時に歴史予言的記述 V. これからおきる事柄(4−22章) (1)起きる事柄のアウトライン(4−11章) (A)御座における幻(4−5章) (B) 7つの封印 (6−8・5) (a)第1−6の封印(第5の封印の後、第6の封印から最後の7年の後半の大艱難 に入る:6章) (b)挿入的幻(7章)−地:144000人のイスラエル・レムナント/天:あらゆ る民族からの大群衆 (c)第7の封印と天の情景(8・1−5) (C) 7つのラッパ (8・6−11・19: これは第7の封印の内容である ) (a)第1−6のラッパ(この第5、6のラッパは第1、2の災いと呼ばれる)(8章6 節−9章) (b)挿入的幻−強い天使、巻物、神殿と祭壇、二人の証人、大きな地震(10−11 ・14) (D) 第7のラッパ (第3の災い)と天の情景(11・15-19) (2)これから起きる事柄の詳細(12−22・5) (A)三位一体的サタン(12,13章) (a)大いなるしるし(12・1−5) (b)逃げる女(12・6節) (c)天の戦い(12・1−9) (d)大きな声(12・10−12) (e)女を迫害する竜(12・13−17) (f)海から上がる獣(13・1−10) (g)地から出る獣(13・11−18) (B)三種の収穫(14章) (a)144,000人の初穂(1−5節) (b)最初の天使(6,7節) (c)第二の天使(8節) (d)第三の天使(9−11節) (e)幸いな死者(12,13節) (f)刈り取り(14−16節) (g)酒ぶみ(17−20節) (C) 7つの鉢 (15,16章: これは第7のラッパの内容である ) (a)最後の7つの災い(15・1) (b)賛歌(15・2−4) (c)7つの災いの前の天の情景(15・5−8) (d)第1−6の鉢(16・1−16・12) (e)挿入的幻−ハルマゲドン(16・12−16・16) (f)第7の鉢(16・17−16・21) (D)バビロンの崩壊(17章ー19・4) (a)宗教的側面(17・1−18) (b)物質的側面(18・1−24) (c)天における賛美(19・1−4) (E)王とその御国の出現(19・5−20・6) (a)小羊の婚姻(19・5−10) (b)キリストの再臨(19・11−16) (c)ハルマゲドンの戦い(19・17−21) (d)サタンの捕縛(20・1−4) (e) 第1の復活 と千年王国(20・5,6) (F)千年期の後(20・7−22・5) (a)最後の反逆(20・7−9) (b)サタンの最終運命(20・10) (c)大きな白い御座の裁き(20・11−15) (d)新天新地(21・1−8) (e)新エルサレム(21・9−27) (f)いのちの流れといのちの木(22・1,2) (g)贖われた者の栄光(22・3−5) W. 結語−最後の警告と使徒の祈り(22・6−21)
|
@
過去主義:
黙示録の内容は1世紀の状況に適用すべきことで、すでに終わっているとする立場。
A
歴史主義:
パトモスから世の終わりまでの長い時間の流れを記述したものとする立場。
B
未来主義:
黙示録の記事は主に終わりの時代に起こることを記述したものとする立場。
C
理想主義:
黙示録は時間を超えた善の悪に対する勝利を描いているとする立場。
次に問題となるのは、啓示録の中に出てくる大群衆、女、144,000人などのキャラクターのアイデンティティと、時系列における各事件の位置と地政学的な場所、また数字や各シンボルに秘められた霊的意義、旧約聖書・福音書・他の書簡における内容との照合が問題となります。
特にここで問題となるのが、
キリストの再臨
の時期と
教会の携挙
の時期です。これらの二つの事件は上のタイムテーブルのどこに入るものでしょうか。まずキリストの再臨の時期は大きく分けて、
前千年期説
と、
後千年期説
がありますが、
私の立場は
前千年期再臨説
です。
また次の問題はキリストの再臨は見えない形で
花嫁なる教会
を迎えるための
空中再臨と、聖徒とともに地上に来る地上再臨の二段階を取る説と、空中再臨と地上再臨をあえて区別しない、あるいはほぼ同時とする説
があります。前説では教会の携挙は
艱難前(第1の封印の前)
に一度に起きるとし、後説では
大艱難後期(第7のラッパの前)
に一度であるとします。
キリストの再臨と教会の携挙については聖書の中にジグソーパズルのピースのように、あちこちにちりばめられていますので、いくとおりかの解釈が可能です。上の黙示録のトピックの中でこれらに関連するものをどのように解釈するか、それぞれの説の根拠をまとめてみます。
7章にある144,000人のイスラエルの12部族のレムナントとあらゆる国民・部族からの大群衆を同一視し、これらは贖われたクリスチャンたちであるとします。
144,000の数字は12×12×1,000と分解し、12は永遠の完成を表し、1,000は神の統治期間を表すから、完成数であるとします。
つまり「12部族」とこの数字は象徴的意味に過ぎないとします。
第6の封印の幻はその後の本編の予告編的意味を持っており、
彼らは「大きな患難から抜け出て来た者たち」(14節)であるから、
大艱難を経ている
と判断します。
そして携挙の時期は第1テサロニケ4・16,17に「主は・・・
神のラッパ
の響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず
初めによみがえり
、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに
雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会う
のです。」とあり、黙示録20・4,5に「彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが
第一の復活
である。」とあることから、
それ以前に復活はない、ゆえに
キリストの再臨と死者の第一の復活は同時であり
、その復活の後「たちまち」携挙されるのであるから、
キリストの再臨の直後である
とします。
そして第1コリント15・52に「
終わりのラッパ
とともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものに
よみがえり
、私たちは変えられるのです。」とあり、「
最後のラッパ
」は黙示録の
第7のラッパ
であり、それは
大艱難後期に鳴るものであるから、
キリストの再臨と携挙はほぼ同時に大艱難の終わりに起きる
と結論します。
黙示録3・10にある「全世界に来ようとしている試練の時
には
、あなたを守ろう。」という約束は、
大艱難から取り出して守る意味ではなく、その
只中
にあっても守るの意味であるとします。
A前艱難携挙・段階再臨説:
まず7章の144,000の12部族の者たちを文字通りに解釈します。
彼らは
ユダヤ人
であり、数字も文字通りです。したがって
大群衆は144,000人とは違う者たちである
とします。そこでこの大群衆のアイデンティティについては、現在の教会としての
携え挙げられたクリスチャンたち
とする節と、
教会ではない
とする説があります。
前説ですと、大艱難に入る前のこの時点ですでに携え挙げられているとします。
後説では解釈が少し複雑です。
第1テサロニケのラッパは「
神のラッパ
」であり、黙示録の第7のラッパは
御使いが鳴らすラッパ
であるから(11・15)、
両者は異なるラッパであり、
よってこれは第1コリント15・52の
「
終わりのラッパ
」では
ない
とします。
また黙示録20・4,5の「
第一の復活
」は
その前にまったく復活がなかったことを言っているわけではないから、第1テサロニケ4・16,17の復活は「第一の復活」とは異なるものとします。
よって携挙は「第7のラッパ」や「第1の復活」の時ではなく、
したがって
大艱難後期ではない
とします。
黙示録4章1節において、「先に
ラッパのような声で
私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。『
ここに上れ
。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。』」とあり、
このラッパこそが「終わりのラッパ」であり、
3章までは教会時代を描いており、
この時点で「
上れ
」と言われるから、これが
携挙である
と解釈します。
こうして黙示録3・10の約束は
大艱難を経ることがないという意味での守りである
とします。
教会は
大艱難以前
に携挙され、空中に再臨していた主とお会いして婚姻が行われ、
大艱難の終わり
になってキリストは彼らを従えて
地上再臨
する
とします。空中再臨と地上再臨の二段階説。
これが現在提出されている再臨の時期と携挙の時期に関する説です。これらのどちらを支持するのかと問われると、私はまだしばらく沈黙を守りたいと思います。ある
青写真
をもってはいますが、たぶんに論争を引き起こす可能性を持っていますので、
時期を待ちたい
と思います。
人は必ず死ぬ(大前提)という論理を追ってある一定の推理によって解釈を提出しているのですが、しばしば大前提の選択に恣意的要素が入っているのです。
ソクラテスは人である(事実)
--------------------------------
よって、ソクラテスは必ず死ぬ(結論)