1.人物像
カインはアダムとエバの長男、その名前の意味は「わたしは得た」、またアベルは次男であり、その名前の意味は「気息」あるいは「空虚」です。アダムとエバはその罪のゆえに楽園から追放されましたが、その時神は彼らに救い主として「女のすえ」を与えると約束されました。アダムとエバはその言葉に期待をかけていたのです。そこで長男が生まれた時、彼らは「得た」と思ったのでした。しかしながらそれが間違っていたことが分かると、彼らは「空しさ」を感じたのでした。カインは農耕に、アベルは牧畜に従事しました。ここで描かれる事件は兄弟間の葛藤としてよく観察されることであり、精神分析を創始したフロイドはここからヒントを得て、兄弟姉妹間の無意識的葛藤を「カイン・コンプレックス」と名づけました。
2.主要なエピソードとその霊的意義
物 語
カインとアベルは神の前に捧げ物を持ってきました。カインは農耕従事者として地の作物を、アベルは牧畜従事者として羊の初子の中から最上のものを捧げました。神はアベルの捧げ物に目を留められ、カインの物は無視されました。するとカインは顔を伏せて怒り、弟アベルを野に連れ出して殺しました。人類最初の殺人です。神が彼を追及すると「自分は知らない、自分は弟の番人ではない」と開き直りました。神は「いったいあなたは何ということをしたのか。あなたの弟の血が地の中からわたしに叫んでいる・・・あなたが土地を耕しても、土地はもはやあなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ」といわれ、カインを呪われました。カインは「わたしは罪の重さを担い切れなません・・・わたしに会う者はみなわたしを殺すでしょう」と神に懇願すると、神は彼を守るためのしるしを与えられました。そしてカインは「主の前から去って」、エデンの東のノデに住みました(注)。カインの子孫たちは神から離れて都市建築者、家畜飼い、音楽家、鍛冶屋などになりました。
(注)スタインベック原作の有名な映画「エデンの東」はここにその名のルーツがあります。厳格な父に受け入れてもらえないジェームス・ディーン扮する主人公が、父に受け入れてもらうことを願いつつもかえって背を向けて葛藤する様を描いております。
霊的意義
カインとアベルはアダムとエバの子供として、神の言葉を聞いておりました。神に捧げる物はどのようなものであるべきか、彼らは知っていたはずです。事実、神はカインに「あなたが正しく行ったならば受け入れられる」と言われました。神が受け入れられる捧げ物とは、すなわち罪を贖うべきものであり、それには動物の血が流される必要があったのです。なぜなら、「罪の支払うべき報酬は死であり、命は血の中にある」からです。エデンの園においても神はアダムとエバに毛皮を着せることでそのことを示唆されました。
カインはこの神のルールを無視したのです。そこで自分も神に無視されました。アベルは子羊のうちの最良のものを捧げたのです。この子羊はもちろん新約における真の神の子羊イエスを予表していることは明確です。カインは自己流の捧げ物を捧げて神に否まれ、アベルは神に従って捧げ物を捧げて神に受け入れられました。その結果カインはアベルを嫉妬しました。人は言います、「救いはイエスを信じることによると言うが、自分はこれほど努力してまじめに生きているのだ。どうして救われないはずがあろうか。このような自分を受け入れない神など偏狭である。神は心が広く、愛に満ちているのだろう!」と。この人の高ぶりこそカインを特徴づけるものでした。
神に否まれ、弟を殺したカインは「主の前から去って」、自分の都市を建て、その子孫も神から離れて生きるための術である、家畜飼い、音楽家、鍛冶屋などになりました。これが神から離れた人が生み出した文明の発祥です。その中で様々な宗教も生まれ、それぞれの神観を創り上げ、それぞれの「礼拝」形態を発達させますが、聖書の啓示によらない自己流の「礼拝」はすべてこのカインの「礼拝」と同様です。新約聖書ではアベルは「信仰によってよりすぐれた捧げ物を捧げた」とあり(へブル11:4)、また彼は「義人」と呼ばれています(マタイ23:35)。すなわちここでも神に受け入れられるポイントは信仰にあります。アベルは神の言葉を聞いて、信じて、それに従ったのです!
3.神の全計画における意義
アダムとエバが神から受けた救いの約束はアベルによって正しく継承されましたが、彼はカインによって絶たれました。義人アベルの血は地の中から叫びますが、これはよりすぐれたことを語るイエスの血を予表します。罪の贖いはただ血によってなされるべきこと、なぜなら罪の報酬は死であり、命は血の中にこそあることを確証する事件でした。その後カインは神から離れた人類の文明の発祥の祖とされ、神の救いの路線からは外されます。
神はこの後、ご自身の意志を継ぐ者としてアダムとエバにセツ(備えの意)を授けます。セツの子供はエノシュであり、彼の時から人々は主の御名によって祈ることを始めました。神の人類の贖いのご計画はアベルの死のために改めて神が備えられたセツの系統によって延々と実現されていくのです。カインとアベルの物語はまさに神の福音を拒絶する者と信仰によって受ける者の分岐点を象徴する事件であり、カインが「わたしの罪は大きすぎて担いきれません」と叫んだように、その違いはあまりも大きいのです。そして神に拒否された者と受け入れられた者の間には永遠の溝が生じ、深刻な葛藤が存在するようになるのです。このゆえにアベルは最初の殉教者と呼ばれています。