最近の日記

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【新"iDLEUTTERANCE"のURL】
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なお、ここは「過去ログ」として、そのまま維持保存致します。

その後のヒデキ君

昨日、先週の女子学生がふたり、また訪れてきて、「センセイ、ダメだよぅ〜。やっぱり、ヒデキ、マザコンだぁ〜。もう言っちゃおうかな、お前、マザコンだろってぇ」。小生「あ、それ言っちゃあおしまいだから。相手の足りない部分が見えても、見えないフリで、フォローしてあげて」。A子「でも、マザコン男なんてやだよぉ〜」。小生「・・・」。果たしてヒデキ君の運命は今後どうなるのでありましょうか・・・。

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アップロードファイル 19KB樹木の黄色がますます目立ってきた。それぞれの時期にそれぞれの楽しみがあるわけで・・・。私の好きな忠臣蔵の大石内蔵助が若いお軽を傍に置いて山科に篭り、撞木町で遊び呆けた時期、彼は死へ向かって生きる事を愛でていたといいます。私もこの地上の幕屋を離れる日を待ち望みたいわけで・・・。それまでは生を楽しみます。

彼の辞世の句と言われています:

あら楽し、思いははるる、身は捨つる、浮世の月にかかる雲なし(注)

(注)本当はコチラとも・・・:

極楽の道はひとすぢ君ともに阿弥陀をそへて四十八人

私的には「君=イエス」なわけですが。

本当の亀田家

40分ほどジョッギング。早朝の刺すような空気が気持ちイイ。樹木も黄色が深まってきた。空の色が何とも言えない。

亀田一家はあたかもコロセウムの中の剣闘士のように大衆サディズムに曝されているが、彼らについては次のような証言がある(→記事)。私は彼らを切り捨てることができないのは、その純粋さを感じているからだ。私は、こうやってゴツゴツして、尖がって、ボロ出して、叩かれる人物の方が、ソツなく、おすましして、要領よくこなす、化粧の上手い連中よりもはるかに好きなのだ。

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向こうが巡航モードに入るまで、今しばらくはこちらと新しいスクリプトを行き来します。

パンとサーカス

40分ほどジョッギング。この時期、刺すような冷たい空気が実に爽快。冬桜がチラホラと咲いているのも、またおかし。

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亀田事件などから分かることは、大衆はヒーローを求めると同時に、自己の歪んだ欲求を満足させる犠牲の供え物も求めるということ。それはローマの末期症状であった、「パンとサーカス」と同じ。

いわゆる"国民"が政治屋に求めるのはパンであり、また大衆がネットやテレビなどのメディアで求めるのは、ローマ時代の剣闘士たちの見世物、サーカスである。彼らの特徴は匿名。決して名を名乗っては騒がない。これが当たり前になりつつあり、それに不感症になりつつある今のニッポンはほとんどローマ末期と同じ。

キリスト教界も同じ。一方で派手なパフォーマンスで人々に媚びた"福音"を語り、一方で聞きたくない真理を排除する。この"血"に飢えた大衆の欲求を上手に満たす者が時代に沿う。ニッポンキリスト教はすでに地の塩たるを得ていないまま、"リバイバル"音頭を踊っているが、その命運は明らか。また世も一度神の裁きをくぐる必要があろう。

考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。

あわれみは裁きに打ち勝つ

私たちがキリストの御座(ベマ)において裁かれる時(2コリント5:10;白い御座ではない!)、各自のしたことはすべて露にされる。木、草、藁は焼かれ、しかし本人は火の中をくぐるかのようにして救われる(1コリント3:12-15)。

神は峻厳なる方であり、私たちの今の地上の生活がその裁きにおいて耐えられるかどうか、仮に主の名によって華々しいパファーマンスをしたとしても、それが法則によらないものであれば、主ご自身から、あなたを知らないと拒否される(マタイ7:24)。コレは永遠の滅びの宣告ではないが、千年期の王国からは排除される。

その座において耐えられるものは何か−ただ各自の十字架による死と復活を経たものだけだ。今回の亀田親子の姿を見て、まさにその裁きの場面を思った。果たして私はその場面に立ち得るであろうか?自信はまったくない。が、だからこそ自分を否んで主に頼るのみ。しかもヤコブは素晴らしいアドバイスをしてくれている。

 「あわれみは裁きに打ち勝つ」。
 
もし私が地上においてあわれみを示すのであれば、例えば私に欠けがあったとしても、その分に応じてあわれみを受ける。朝青龍、安倍総理、そして亀田一家と、時代によって求められ、仕立てられ、踊らされたヒーローたちが落ちていく時、大衆はそのサディズム傾向を露骨に露にする。一方で少年法で残虐な犯罪を犯した者が保護されるが、18歳の少年(単なる虚勢を張った子供だよ)が今回のような場面に曝される。かくして

人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります和解しない者、あわれみを忘れた者

となる。これは世に対する言葉ではなく、クリスチャンに対する警鐘であると受け取るべきであろう。

げに恐ろしきは人間のココロである−特にキリスト教を信奉する者たちのそれは、自分が神の側に立っていると思い込んでいる分、不気味ですらある。

亀田一家離散の危機

だそうだ。彼らもある意味で、昨日書いた大衆サディズムのターゲットになった。悪でも勝てばよろしいと言う風潮がひっくり返ると大変なことになるわけ。かつて私も彼らは負けたときがコワイと指摘したが、そのとおりになったようだ。しかしガッツや輪島も言っていたが、未成年者に対して、ややマジになり過ぎている感もある。彼が反則した時の表情を見て、哀れさを覚えたのだが・・・。オヤジはもっと厳罰でよい。あの動物的なオッサン、ちょいとカナリお灸を据えて、躾けた方がよい(→参考記事)。

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私がよく使う「ビョウキ」の定義を書いておきましょう:

ビョウキ(英:Sicko)】可算・非加算名詞、形容詞、時に副詞;自分の髪を自分で引っ張って空を飛ぼうとして苦節何十年、ひたすら神学だの教理だのを蓄えて、プライドだけ膨らませて、信仰に励むといつかは飛べると信じて、周りの忠告に耳を貸さない人々またはその病状のこと。ニッポンキリスト教に多様な様式をもって観察される。

要するに自分を相対化し客観的に見れなくなっているおめでたい人々またはその状態。

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表と裏の乖離

今朝も1時間ほどジョッギングとラジオ体操、そしてシャワーが爽快。

昨日書いたように、時代の流れは「新自由主義」、弱肉強食、格差はますます開く。これは御言葉どおりでもあるのだが、自己責任が求められるわけ。今後社会でも教界でもこういった人々が増え、そのフラストレーションを解消するために、健全な資産を食い潰す現象が起きてくる。事実、ネットではすでに「2ちゃんねる」や「学校裏サイト」などでそれが生じている。病んだ者、ニートだ、引き篭もりだの人々にとってはきわめて手軽に「破壊」を行うことができる。彼らは健全なもの、健やかなもの対する生理的な嫌悪感を有しているようだ。かくしてネット上には怪物のようなキャラが跋扈するようになり、そういった場面から普通の人々は遠ざかる。これがソーシャルな「グレシャムの法則」、すなわち「悪貨は良貨を駆逐する」わけ。

一方で、表では煌びやかなもの、人の目に訴えるもの、人を喜ばせるものが歓迎されるようになる。エレミヤはユダ王国の滅亡を預言したが、人々の士気をくじくとして、泥の井戸の中に放り込まれた。現代でも同じ:

だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。

大衆は一方でそのサディズム的「破壊」を行う獲物を求め、他方では表向きの「栄光」を求めるものなのだ。京大の中西教授が指摘するとおり、今回の安倍さんに対する大衆の対応を見ればよく分かる。

閉鎖空間ニッポンキリスト教は、閉鎖社会ニッポンの縮図であり、その病理を凝縮していると前から指摘しているが、今後、この表と裏の乖離はますます激しくなるであろう。表が煌びやかであればあるほど、実は裏が病んでいることを知るべきである。小泉さんはこの表を実に巧みに演出し、泳ぐ事ができる人物であり、安倍さんは裏の病理に囚われた人だった。ニッポンキリスト教界でも同様のことが起きている。表の現れによって騙されることがない者は幸いである。

今朝のトピック2題

亀田家が今日処分を受けるようだ。東日本ボクシング協会会長の大橋氏が、「自分は亀田家を買っていた。今日、こういった親子の絆は貴重だし、練習も良くしていた。とても残念だ」とコメントしていたが、私もまったく同意。ここでもかつて二度ほど亀田を擁護した。彼らの態度はあくまでもパフォーマンスであり、悪役レスラーと同じものと思っていたからだ(であってほしかった、かも知れない)。今回の件もアンチ亀田のガッツ石松すらも、まだ18歳の子供である彼を擁護しているが、しかし、その年齢を考慮に入れたとしても、今回の処分は当然だろう。

 * * * 

小泉氏が気力体力ともに回復したので、「まさか」のキーワードで再び始動しているらしい。この人、いつも思わせぶりで、それが楽しみなのだが、「まさか」を演出する下準備かも。『文芸春秋』今月号で京大の中西氏が、安倍さんは小泉氏の余波をくらって、国民のサディズムによってつぶされた。もし福田氏が小泉氏の敷いた路線を壊すような方向へ向かえば、小泉氏自ら再登板すると予言しているが、なんだかそれもアリかもと思えてきた。外来種によって日本の繊細な種が食いつぶされつつあるが、人間も同じ運命を味わうことになるのだろう。時代のキーワードは、「富んでいる者はますます豊かに、持っていない者は持っているものもまでも取り上げられる」。ずっと前にも予想しているが、ニッポンキリスト教には落ちた人々や病んだ人々が難民のように流れ込むだろう。リバイバルどころではなく、サイバイバルの時代なのだ。

朝がサイコウ♪

本日はゆっくりと朝寝をしようと思っていたのだが、最近は5時半には目が覚めてしまい、目が覚めると体が疼く。・・・と言うわけで、ジョッギングとウォーキング。この時期のキューンと来る空気の冷たさが何とも気持ちがイイ。BGMは小野リサのボサノヴァ。体重も66.5`まで落ちた。

で、昨日はUNIQLOでストレートの細身のジーンズを一本新調したが、これは足の長さが強調されてなかなかよろしい^^ボディはほぼ30台に復帰したと言えるかも知れない。公衆浴場に行くとけっこう人目を引いているようだ(それにしてもみんな腹がダボついているなあ〜)。

体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心(霊的訓練)は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。

とあるとおりなのだ・・・。

10月14日セレブ・ライヴ
アウトライン
ワーシップ
メッセージ

Dr.Lukeの一言映画評

朝6時起床。40分ほどジョギング。午前はプールとサウナ。また1,000bをノンストップで。

アップロードファイル 48KB午後は映画。ジェレミー・フォックスの『キングダム』。それは誰のキングダム?イスラムとアメリカの対立を巡る人間ドラマ。テロリストにも守るべき家族があり、アメリカも同じ。互いに愛する者が殺された時、親しい友人や家族は何を語りかけるのか。この両者の側の言葉が同じであり、しかも怖い。

実はイスラム教も、キリスト教も共に本質は同じ宗教である。神の目的はただひとつ、ご自身のいのちを私たちにインプラントすることだけ。そこに+αを人間が付加えるところに、人を狂わせる要素が混入する。これが宗教である。いのちと宗教との間には、大いなる致命的な溝が横たわるのだ。そしてこれが流血の原因となる。カルヴァンも殺人者であったし、ウェスレールターも30万もの民衆を殺した。主イエスはご自身の血によって血の宗教を終わらせたのだが、人間はそれを終わらせたくないかのようだ。そこに働いている霊は次のように記述されている:

わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は、全身至るところ神を冒涜する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった。女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。

私的には現在のニッポンキリスト教において期待される"リバイバル"などは恐ろしくてたまらない。私はそれが起きないように祈るわけ・・・。

で、帰宅後、SPA LIBURにて温泉とサウナ。この地上の幕屋にある間に、神の供えて下さった一般恩恵も十分にエンジョイしたい。

コンピュータ・テロの悪寒

本日の都内の大規模改札機のマヒ。これはコワイ。『ダイハードIV』でもあったが、コンピュータがマヒすれば、ニッポンの機能はすべてストップする。小規模核爆弾をニッポンの上空でバクハツさせるだけで、電磁波による電子機器の破壊が生じる。その可能性を思わせる事故だった(まさかテロじゃないよな・・・)。

音楽と数学

私が高校時代までバカにしていた科目は、実は、音楽と体育。つまり受験と何ら関係なかったから。・・・それから幾星霜、何と現在はまっているのが、JAZZ&BOSSAボディビル&ジョッギング

トレーニングの基礎理論は医学的要素が多いため、まあ自分の領域なのであまり困難を感じないのだが、音楽理論は、むかし四畳半フォークのギターのコードをボロボロやった程度。そこで「51歳にして立つ」とばかり、音楽理論を学び始めた。

アップロードファイル 6KB職場の同僚でJAZZの専門家がいるのだが(古文の教師)、彼は何と千枚以上のLPレコードを収集し(一千数百万円!)、自らドラムを叩き、なかなか薀蓄がある。その彼からのアドヴァイスとして、ひとりのアーチストを歴史的に聴けば、ひとつの芯ができて、他のアーチストも理解できるようになると。そこで買ったのが、左の一冊『ジャズCDの名盤』。JAZZの名盤を歴史を追ってアーチスト毎に詳解してある。

そしてこちらのA to Zジャズ入門講座。これは中々便利。そして音楽理論なのだが、いや、これははまりそうな予感。つまり数学なのだ!いわゆるコード理論、音階理論、ダイアトニックだの、セブンスコードだの、まさに数学だ。アルキメデスだったか、音楽は数学だと言ったのは・・・。

で、さらに聴くだけではなく、ピアノをやってみようかと。わが奥さんと長女はクラシックピアノができて、譜面が読めるのだが、私は何も芸がない。そこで見つけたのが、JAZZピアノ-ゼロからの独学。うちにピアノがあっても、これまでは私はアンタッチャブル。しかしやってみよう!・・・と言うわけで、とりあえず。まあ、いつまで続く分からないのだが、これが・・・。

キヨメ追求の罠

Mr.Sugarが鋭い指摘をされています。ホーリネスあたりの人に読んでいただきたいですね。楽になりましょう。

ある提言by Mr.Sugar

当世恋愛模様

女子学生がふたり私の部屋を訪れて、恋愛に関する相談を・・・。まあ、シリアスではなく、笑いの連続でしたが、こんな次第:

A子「あたしカレシと付き合ってるんだけど、トキメキがないの。センセイ、これって変ですかぁ?」
小生「いや、君は割りと冷静に客観的に周囲を見るタイプじゃないの?」
B子「そうよ、A子はいっつもしらけてんじゃん!」
A子「でも、あたし、幼稚だってカレシから言われるけど」
小生「あのね、君たちの年代は女性の方がオトナなんだよ。多分、その彼の方がまだ子供なんだな」
A子「そうそう、だって、単純だし、すぐやらせろって言うしぃ。その割りに元カノのことをぐずぐずと考えているしぃ。男って、何だか女々しいんだよ」
B子「そうそう、女々しい」
小生「そうだね、女は現実的な部分があるけど、男は頭の中で空回りする傾向があるからね、特に恋愛では。それにけっこう引きずるから」
A子「センセイもそんなんですか?」
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