* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
英国のノーウィッチからPennyさんが来られましたので、私のメッセージはショートです。彼女がノーウィッチの状況をシェアして下さっています。ワーシップとメッセージが一緒になっております(→コチラ)。
ノーウィッチでは、いわゆる主日礼拝をしていません。またいわゆる集会所あるいは礼拝堂もありません。それぞれの家々、あるいはパブで相互に交わり、また未信者の方にアウトリーチしています。このビジョンは私のものと非常に似ておりまして、不思議な導きを覚えています。そういった主の名における交わりがあちこちに生まれる事を夢見ております。この交わりは誰のカバリングにもなく(主だけです)、教団などの組織も作らず、まったく自律的に、それぞれが主に直結して歩む群れです。ニッポンキリスト教の公認は不要です^^ただ主の約束の言葉:
二人または三人がわたしの名へと(eis)集まる時、わたしもまたそこにいるのである。
に信頼すること−条件はこれだけです。そして新約の奉仕者に必要なものは の御言葉によります。世界に目を向ければ、とても面白い事が起きているのです。狭い世界にいると何かと視野狭窄を起こして先鋭化してしまいます。この1ヶ月間は私たちも主によって攪拌していただきたいと思います。独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
地の塩ミニストリーのSalt氏の作詞作曲になる「おはよう・ボンジュール・ハロー」のボサノバ調ができました。何ともイイ雰囲気ですので、こちらでも紹介します:
・おはボン@ボサノバ
やっとしばらく振りの休日の土曜日。午前中は『ぶらり途中下車の旅』を観て(この番組は人の営みの温かさが伝わってきて、いつもながら何かホッとする・・・)、プールとサウナ。午前中はしばらく振りなので、「どうしてたんですか?」と、いつものメンツに声をかけられる。「ええ、仕事が・・・」とお茶を濁して、タップリと汗を流し、冷たい水でキューンとしめる。食後はバルコニーで裸にて体を太陽にさらす。プールも太陽も、それぞれのクオリアを感じる事ができ、生きてるなあ〜、と実感する瞬間。
午後は映画。1ヶ月ご無沙汰だったので、やや禁断症状が出ていた。チネチッタはイタリアン・フェスティヴァルだそうで、野外ステージではカンツォーネの外人歌手が歌っている。これがギター一本だが本格的で、しばし聴き入ってしまった。その名はルイジ・デ・シモーネ。で、映画は『ザ・シューター―極大射程―』。2,000bの射撃が可能なゴルゴ13的腕を持つ兵士が、ある政府の陰謀に関する真実を掴んだため、闇から闇へと葬られそうになりつつ、その腕でサバイバルすると言うアクション物。ストーリー的にはけっこう好きであるが、最後の終わり方がやや・・・だった。しかし昨今ではFBIなども真実のハードエヴィデンスを提示しても、政府の意向で闇に葬られる傾向があるのだろう。モチーフに9/11やイラク戦があるようだ。昔のサンドラ・ブロックの『インターネット』などではFBIに情報を提供してハッピエンドだったのだが。映画の中でも言っていたが、今日「誰が敵で誰が味方かわからないのだ」。まあ、楽しめたか?
これからしばらくかなり面白い物が続く。さあて、明日は英国からゲストを迎え、6月は彼女から大いに霊的な刺激を受ける予定。そして7月と。実に早いが、そろそろ夏の過ごし方を考えなくては・・・。で、またディスコのCD"DISCO CHAMPION"(最近この世もけっこうディスコが流行っているような・・・)とDVDセット『プリズンブレイク』を買って帰る。これもしばらく楽しめる。
が出た模様。娘が買ってきたようです。いやあ、この漫画は実に見事にマインドコントールされたカルト集団のあり方を描いております。ニッポンキリスト教ベッタリのクリスチャンよりも、世の人の方がはるかに正常であると私は感じております。
今のニッポンキリスト教も、このような雰囲気に段々となりつつある予感がしております。とにかく「リバイバル」が水戸黄門の印籠になりまして、それに異議を唱える者、あるいは油注ぎの器などを批判し、従わない者はただちに"ケンヂ"のような反逆者となるわけです。これが西洋版になりますと『キングダムロスト』の世界になるわけです。トランスフォーメションだの、パーパスドリブンだの、どうも私は怖い。
私などもすでに"ケンヂ"的レッテルを一部では貼られているようでありますが、徴や不思議を追っかけ、人を奉り、器を崇め、ヒン様などに群がる自分で考える事を止めた規格化されたクリスチャンのあり方は実に怖いものがあります。
やっと金曜日の午後を迎えんとしています。明日は久しぶりに休み。いつながらiTunesのネットラジオで、今はクラシックを聴いております。
それにしても今回のクリスチョン・トゥデイは、どうも三文ジョークのようですが、安倍さんの方は顔を引きつってきているようです。立花隆氏による日経BPネットの記事をご紹介します。彼の顔つき、ますますよくないですね。果たして真相はどこに・・・。
何だか週刊誌の広告みたいですが、今山谷さんのBlogを見て驚いている次第。ダビデ張氏の指導の下、日本で高柳氏が興した新聞は、正確には何と『クリスチョン・トゥデイ』だと!?彼らは一体何者?
さてさて、これは面白くなってきましたよ(笑)。アメリカの正式な『クリスチャン・トゥデイ』(ちなみに雑誌の『クリスチャニティ・トゥデイ』ではないですから、念のため。しかしヤヤコシイ・・・汗)はダビデ張の"クリスチャン・トゥデイ"に抗議している模様。山谷さんもさぞかしこのパズルを解くことを楽しまれている事でしょう。
確かにロゴマークが違っている・・・。
驚きましたね。ダビデ張氏の履歴。
大韓イエス教長老会合同福音総会長、SCC組織神学教授、クリスチャントゥデイ創設者、オリヴェット大学総長、フラー神学校インターネット宣教学会理事、そしていまや世界福音同盟(WEA)北米理事となった張在亨氏。
しかし山谷さんは このフラー神学校は最近ウイットネス・リーを正統であると宣言しているらしいのです。彼らもそれを盛んに喧伝しています。キリスト・李とキリスト・張と、何とも錚々たる顔ぶれですね(笑)。その張在亨氏が、自分を「来臨のキリスト」として若い学生に教え込んでいるという異端カルト疑惑を、小生はこれまで諸種の資料と証言に基づいて追及してきた。―少佐Blogより
そしてこのクリスチャン・トィデイの取締役に、現在教文館ビルでCTに間借りさせてあげている、万代栄嗣氏が就任されたとのこと。と言っても、私はニッポンキリスト教はほとんど知らないので、どういう方であるのかはサッパリだが、Mr.ドントウォーリーことVIPクラブの広告塔である国際弁護士佐々木満男氏が、「万代牧師が間借りさせてあげているのだからCTは白である」と仰っているほどの人物なのだ。ちなみに日本脱カルト協会理事の平岡師によると、張氏の教えは統一協会の教えの影響が大であり、異端であることは明白とのこと。
これらの教えの問題点に触れる事はココでは無理ですが、ここで一言、皆さんに簡単な質問をさせていただきましょう。上の煌びやかな肩書きや地位、これらの雰囲気って、まことに私たちの主イエスご自身の人となりに相応しいことでしょうか。今後、いやすでに日本でも国会議員を集めて派手に人目を惹いたり、地位や立場をひけらかしての"伝道"がなされることでしょう。これらの働きは、枕するところもないと言われ、大衆から捨てられた私たちの主イエスのご性質にふさわしいことでしょうか?
私は前から何度も申し上げておりますが、人の目に煌びやかなもの、人が喜ぶもの、人を高くするもの、人が願い求めるもの、これらのルーツはどこにあるでしょうか?霊的識別力を得るための条件はただ一つ。低いところにいること、人から歓迎されないことを求めること、人の目に魅力のない歩みをすること、神の願いを求めること。簡単に言えば、今日のニッポンキリスト教で歓迎されることと逆の道を選べば良いのです。
今日の格言:色気のある人は騙され易い
亡くなる前の最後の晩餐を共にした鈴木宗男氏が、松岡氏が、すべてを語りたかったのに、"上"から止められていたと語っていたことを証言している(→記事)。果たして"上"とはどのようなスジでしょうか?大臣をコントロールできるお方ですね。ちなみに安倍氏はなぜかやたらと松岡氏をかばっていたわけで、これだけ見ると、何ともすばらしい上司のように見えるのですが・・・。前にも書いたが、この安倍氏の裏はどうもけっこう黒いような悪寒予感がします。すでに自殺者が二人も出ているわけですが、ぜひとも真相を暴いて解明して欲しいものです。
クリスチャン新聞とリバイバル新聞が再度記事を書いた模様。ところが、CTはクリスチャン新聞に対しては抗議を入れ、要求を呑まない場合は法的手段を取ると威嚇しているが、他紙には何のお咎めもなし。山谷氏は実に不可解と言っておられる。これが下にも書いたエディプス葛藤のなせる業なのです。
つまりCTは事実に即して動いていません。彼らの内的世界(内部表現)に基づいて動いているだけなのです。これが世間との齟齬を生み出しているわけですね。私がこれだけ彼らの"名誉毀損"をしていても、私に対しても何のお咎めもなし。ここでのポイントは、彼らの葛藤を炙り出すキーワードは「クリスチャン新聞」と「OCCビル」にあります。
フロイトは患者が幼児期の性的虐待の経験などを報告しても、それが患者の記憶が作り上げた幻想である事を見出しました。しかしそれが現在の病理のルーツになることも。つまり人は客観事実によって生きるのではなく、内的事実(客観的事実とは異なっていても)に従って、それに対して反応するものなのです。現在CTにおいてはこれが展開しているわけです。
それにしても一連の経過においてクリスチャン新聞の根田氏が「これまでも当社に対する事実無根の疑惑を主導してきたとされ、今回の報道に関しても、その延長線上にある行為と言わざるを得ません」とし、同氏が裏で糸を引いているとする彼らの主張を診る時、相当に彼らの内的状態が重篤であろうと推測できる次第。まあ、一言。報道機関の体をなしていません。これはぜひ裁判して欲しいものです。きっと東京地裁の歴史に残る裁判となることでしょう。
(陰の声:それにしてもCTは読み通りの動きをしてくれますし、自縛路線を歩んでいますね。)
Saltさんも書いているが、何も同じ日に自殺が重ならなくてもと思う。ZARDは病院関係者の間ではやはり自殺の可能性が大であると(→記事)。下にも書きましたが、同じ自殺と言っても、男の脆さは去勢不安によります。松岡さんはまさにその適例。対して女の場合は去勢不安がないわけで、よってもっと情念が関係するのです。あるいは男の自殺原因はある意味で単純にして幼稚。女性の場合は深いのです。・・・と言うわけですが、これ以上死者を分析するのはやめて置きましょう。
RSSで流れてきたのですが、いやあ、ビックリです。この人顔がどう見てもそれ系でしたが、案外気が小さかった!?
前に安倍氏については、周囲がそれ系が多いから案外脆いかもと書いたが、その周囲がこんなに脆いとは。
・<松岡農相>首つって自殺図る 安否不明 赤坂議員宿舎で (毎日新聞)
この後、講義で学生に質問してみました。「君たちぃ、今日大事件あったの知ってる?」。女子学生「知ってるぅ〜、ザードが自殺したあ〜」。小生「はあ〜、ザードって何ぃ?」。「ええ、センセイ、知らないの〜」。小生「知らないよ。あのなあ、松岡大臣が自殺したんだけど、松岡大臣って知ってる」。学生「知らない〜」。彼らの世界とわが世界のギャップ。これが今日の大学生でして・・・。
ZARDって、初めて聞きましたが、癌だったそうですね、この女性ヴォーカリスト。転落死となっていますが、自殺のようです。昔あのX-Japanのヒデが自殺しましたが、私の娘たちの女学校の女性教師が彼の従兄弟でして、あれは私も知っているのですが・・・。
某所に書いた内容ですが、機密事項は除いて(笑)、こちらにも転載しておきましょう:
CTをプロファイリングしますと、かなりエディプス葛藤が強い人物と診ています。つまり父親に対する男児のようなもので、既成の権威に対して対立する要素と、受け入れてもらいたいと感じる要素の、ふたつのアンビヴァレンツな要素が同居しているわけです。これが彼の動きの支離滅裂性の原因です。特に「クリスチャン新聞」と「OCCビル」が彼の葛藤を疼かせるトリガーとなるキーワードのようですね。
ですから、裁判は、エディプス葛藤を抱えるCT自身は本音はしたくないでしょうね。それはある意味で"父親殺し"になるし、同時に受け入れられたい権威を殺すことにより、"自分をも殺す"からです。現実的には、何とか鱗太郎弁護士が、「勝って失うものと、負けて得るもの」を比較考量できる真に優秀な弁護士であって、本当にCTのことを考える人であれば、裁判はしませんね。しかし昨今の乱訴で金儲けを考えたり、勝つ事を野心としている人ならば、やるかもしれません。でもこの場合、実質的にCTはジ・エンドです。
というわけで、CTの動きは今後も安定しないでしょう。今回のような恫喝と、(Sola Blogをそのままにしての)和解の申し入れといった、相矛盾した行動を取ります。こちらとしてはむしろそのような行動を取ってもらった方がいいわけで、それを炙り出して、その病理性を広く知らしめることが一つの鍵でしょう。
またダビデをキリストとするかどうかについては、先にも書きましたが、彼らの心の防衛機制により、意識の上ではもしかするとキリストとは思っていないかも知れません。しかし深層心理的実質的にはその位置づけがあるわけです。よって、普通はエディプス葛藤を回避するために、父親と言うひとつの権威の価値観の取り込みと同一視によって、安定化するのですが、CTはすでにダビデと言う「父=権威」がいますので、他の通常の信仰の権威と競合するわけです。これで彼は葛藤しています。これが私たちが覚える違和感のルーツです。だからクリスチャン新聞や救世軍の山谷さんに対しても、一面受けられる事を願いつつ、一面攻撃的に出ると言うアンビヴァレンツな行動を取ります。強く出たり、下手に出たりの繰り返しですね。
まあ、こういった解離(乖離)性が彼らの病理の本質ですから、それを炙り出すことで、彼らの異常性を世間に知らしめることができます。表向きの議論に勝つ必要はありません。議論の中で病理性を表出してもらえばよいわけです。
大体カルトでは理想的「父」像の投影を受ける事ができる人物がリッパな教祖となり得るわけです。いや、牧師なども同じですね。日本人の場合、エディプス葛藤を抱えたままと言うか、むしろ回避したままの生煮え状態の人々が多いわけです。
そこで包容力のありそうな、太腹に見える人物はエディプス葛藤を刺激しないために快いわけです。この意味で投影のスクリーンですから、何でも受容し、許して、愛して、と言う形ですね。教師とか医師などもこういった投影を受けますし、VIPの佐々木さんなどもこのタイプでしょう。しかしこれが裏切られたと感じると、やや病的傾向のある人々は、一転、凄いことになるわけです。
どうも一方で調停の圧力、一方で懐柔策と言う、ヤクザ屋さんの二人組みのような感じですね。ひとりは強面で迫り、ひとりはなだめ役の役割分担で落とそうとするやり方です。二枚舌は主の最も嫌うところでしょうね。
あとひとつ、エディプス葛藤のルーツは、父親からの処罰、つまり去勢を恐れる去勢不安にあります。この不安を解消するために、父親の価値観を取り込み、父との同一視によって男性性の確立、さらに権威を適切に畏れる社会化へと成長するのが正常です。ところがこれが病理的な現在の高柳氏は日本のキリスト教界から去勢される恐れと、同時に日本の教界の要求を飲めばダビデ氏から去勢されるわけで、この二律背反な去勢不安を抱えているわけです。
再三指摘しているとおり、CTの支離滅裂製の根拠はここにありますが、彼のやたらと理知な文章とやたらと幼稚な振る舞いの乖離性も、この葛藤によるわけです。つまりただでさえエディプス葛藤を相対化することによって解決していないのに、父親(権威)を二人持ってしまって、その狭間で葛藤しゆれている状態を知性によって回避しようとする試み(合理化)の反映ですね。だから言ってる事とやってる事が、漫画的に見事に相反しています(笑)
6月は3日に英国からThe Way of the SpiritのディレクターをされているPennyさんが来日します。何と1ヶ月の滞在。日本語を学ぶためです。
10日はKFC7周年と韓国の天声教会2周年と、Pennyさんのウェルカムパーティです。ワーシップと愛餐とフェロ−シップを楽しみます。
17日はTOWSを学んでおられる皆さんとPennyさんのフェローシップとします。カンファレンス形式でいきましょう。日本の各地におられる兄弟姉妹とPennyさんがぜひお会いしたいとのことです。詳細はまだつめていません。
23-24日は福島のMr.Sugarの山小屋。彼もドイツから帰ってきますので、お土産話を伺えます。都路牛と温泉を楽しむ予定。
というわけで、通常の形は3日のみ。場所は天声教会です。私たちも時々に攪拌される必要があるのですね。こうやって主が刺激を下さるので、常に新鮮におれるわけです。