* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
大リーグボール第2号(注)と解く。そのココロは・・・。
昨日紹介した本を読了しての感想です。養老先生も宗久禅師もよく知っています、キリスト教のことを。そしてよく見極めています。私もまったく同感してしまいます。彼らを打ち取れるほどにニッポンキリスト教も成熟する必要があるでしょうね。
(注)ヒントです:青い葉っぱに青虫が止まると・・・。
『脳と魂』―方やすべては脳の作り出したものとする『唯脳論』の解剖学者養老孟司氏。方や脳科学と量子論を用いて悟りを説明する臨済宗の禅僧。両者の対談は絶妙なバランスで進む。
一般的には、かつては「身心問題」と言われ、最近では「心脳問題」と言われている。神経生理のノーベル賞学者エックルズは晩年、心は大脳の機能のみによるのではなく、サイコン(psychon)が大脳と相互作用をすると唱えてサイエンスを逸脱してしまった。
しかし、現代においても、脳機能が心なのか、さらに+αがあるのか、実は解けていない。果たして「わたし」の意識とはどこから生じるのか。まあ、こういった取り合わせは話題になるし、本の企画としては実に面白い。
高校生が母親を殺して、頭部切断。その模様を2ちゃんねるに書き込みした可能性が浮上(→記事)。
赤ちゃんポストに3歳児が捨てられていた!?
海に妊婦の死体。夫が逮捕されたとのこと。
東大教授が痴漢で逮捕!?
どうなっているのでしょう、今のニッポン。われわれは専門用語でイロイロ解説はできますが、しかし本音は・・・、いわく不可解。藤村操の気分です(汗)
リック・ジョイナーが天国に行ってきたとか、シンディ・ジェイコブズのリバイバル預言がどうのとか、死人がよみがえるとか、見えない剣を振り回して悪霊を神社仏閣から追い出すとか、そのうち神社仏閣を破壊するわけで・・・。う〜ん、私は何か霊的ディズニーランドにでもいるのだろうか?それとも何かのファンタジー漫画でも見ているのだろうか?
マジックならばマリックさんか、セロさんにまかせておいて・・・。面白おかしい牧師の説教を聴くくらいならば、吉本でも行った方がよろしいでしょう。金を稼ぎたいならば、株の神様邱永漢に弟子入りして、派手なパフォーマンスがしたいなら宝塚歌劇団か叶姉妹に教えてもらって、ベンツに乗りたいボクシ先生は代ゼミの講師にでもなればいい・・・。
普通であること―単なる無力なおじさんとおばさんでいいではないですか。日々是好日在基督。感謝主在基督。我的満足在基督。キーワードはエヴリシングIN CHRIST。
先日癌で亡くなった方は、患部が腐り、悪臭を放つようになっても、なお医学を拒否していたようです。最後にモルフィネを打ってもらうために病院に行っただけだと伺いました。モルフィネを扱うには医師もその資格が必要なのです。立派と言えば、立派なのかもしれませんが・・・。
しかも、驚くことに、周囲の人が"よみがえりの信仰"を持っていたとのこと!?先にベニー・ヒンの元に死者を運んでくると書きましたが、ニッポンでもすでに、と目が点になった次第。
ペンテコステ・カリスマはまとめて聖霊派と呼ぶそうですが、どうも私どもの信仰とは違うものになっていませんか?金歯が生えたとか、金粉が舞ったとか・・・。それとも私どもの信仰がヘンテコステなわけでしょうか?いやはや、この業界、ますます倒錯現象が激しくなっているようです。
はColin Urquhartの「神から受けること」の同時通訳です。40年間のミニストリーを通じて、神と人々に絶えず自分を注ぎ出し、時にはもう何も注ぐものがないところまで追い詰められることもありました。が、自分の何かが尽きてしまう時、神の新しい霊的次元が開かれ、いのちのリフレッシュを得て、新鮮なアノインティング(油塗り)を得て、また前進することができるわけです。こうして私たちのキャパが広げられていきます。
昨今の、自己(Self)をすべての基準とし、自己を大切にし、自己の利益を求める、煌びやかないわゆる「繁栄神学」などが、特にアメリカで流行していますが、その風潮に対して警鐘を鳴らしています。私たちはすでにキリストにあってすべてを得ていますが、それを経験するためには、私たちが自分の十字架を取り、自分を否むことが必要です。自己に仕える人からみれば、立派なカルト思考となるでしょう。しかし主イエスご自身が
わたしに従いたい者は、自分の十字架を負って、自分を否みつつ、わたしに従ってきなさい
と言われるのです。問題は間違った十字架を負っていることです。信仰の究極はキリストを選ぶか、自己を選ぶかになります。バプテスマのヨハネが言うとおり、「私は小さくなり、あの方が大きくなる」こと。
今後、この世はいわずもがな、キリスト教会でも牧師たちが自己をすべてとする人々の肉を喜ばせ、人間を喜ばせるメッセージを語り、自己をすべてとするようになるでしょう。いや、すでにそうなりつつあります。かくして自分の何かや自己の達成を誇る自己栄光化の霊が広く蔓延することでしょう。
実際、私がニッポンキリスト教においてどうしても理解できないことがあります。それは「すべての栄光を主にお返しします」と言う台詞です。とてももっともらしく聞こえますが、ここには巧妙に自己が忍び込んでおり、自己の臭いがするのです。なぜ、「お返しする」のでしょう?自分が持っていたからでしょう?栄光は元より神のものです!
もうずっと前に書いてきていますが、今、クリスチャンがふるわれる時代に入っているのです。何を第一とするか、それぞれの心が明らかにされる時代です。
・自己愛の病理を脱する十字架の道
やや生臭い話が続きましたので、ちょっとリフレッシュを。英国Kingdom FaithのColin Urquhartの新しいCDセットが出ました。題して"The Gospel of John"。ヨハネの福音書からのメッセージです。紹介を紹介しておきましょう:
FOR MANY YEARS PASTOR COLIN HAS STUDIED THE DETAIL OF JOHN'S GOSPEL AND HAS AN INTIMATE KNOWLEDGE OF EVERY WORD AND PHRASE. IN READING THIS GOSPEL ACCOUNT FROM THE NIV, HE BRINGS IT ALIVE FOR THE LISTENER AND OPENS UP THE OPPOTUNITY FOR FRESH REVELATION OF THE WORD OF GOD.
と再建主義の富井さんがおっしゃっていますね。
いつものことだが、私と議論すると、その人の信仰の内容が明確化される。
それまでキリスト教であると思っていたものが、私と議論を戦わせるにつれて、実質的にはサタン教であるということが明らかになってくる。
意固地になって、自説を主張し続けることによって、ますます「サタンが王であり逆らえない」という敗北主義を強く主張することになる。
う〜ん、すると私なども立派な「サタン教徒」になるのでしょうか!?
やれやれ。ローカル・チャーチでも人の体にはサタンが内住すると言うのですが。私などはサタンに唆された反逆者となるわけですね。加えてクリスチャン・トゥデイに、再建主義にと・・・。何ゆえか、絡まれてしまうのですが、この業界、カナリ疲れることが多いようであります(汗)。
午前中から4時過ぎまで四谷にて仕事。帰ってからプールとサウナ。やはりこれでスッキリと・・・。すでに一種の中毒かも知れません。
さて、韓国系カルトの摂理の教祖チョン・ミョンスクが中国で逮捕された模様。韓国では10,000人の女性に対して性的暴行を働き、日本でも100人の被害者がいるようだ。脱カルト協会でも情報が回ってきているが、一昨年の聖神教会を初めとして、この手の隠された話題は多い。
で、件のウイットネス・リーのローカルチャーチ(主の回復、地方召会)でも、かつてリーの息子が10数年に渡って姉妹たちに対して性的陵辱を行っていた。ところが父親であるリーはそれを見て見ぬ振り。エリの末期と同じだった。かえってそのことを糾弾した長老たちを検疫した。その息子フィリップも最近死んだそうだ。彼らもすべてを時の流れに封印してしまいたいのだろう。
前から懸案であったウイットネス・リーに関わる真実を集めた情報サイトが、まだ8割方ですが、とりあえず見切り発車いたしました。私の手元にはこの倍以上の情報があるのですが、何分体力と時間が追いつきません。最近はやたらと"反逆者たち"の検疫が次々に行われております。
それについて彼らの側の声明も出ておりますが、これを読むとまさにどこぞの国の粛清を髣髴とさせるような雰囲気。日本語での糾弾集会も公開されていますが、「個人的な意見を持ってはならない」として体制維持に汲々としている様が分かります。こんなものを堂々と出してしまうわけですから、彼らは閉鎖社会のカプセル化現象で私たちとは感受性がずれている証左なのですね。
というわけで、今後皆様におかれましても、「福音主義の中の福音主義」を自称する彼らとの接点も増えると思いますので、情報を得て備えておく必要があろうかと思います。それにしてもクリスチャン・トゥデイがウイットネス・リーの主張に基づいて自分たちの正統性を訴えるとは、思いもかけない展開でありましたが・・・。
・ウイットネス・リーの地方教会(召会)・主の回復情報サイト
と言うわけで、やや重いかなあ〜。
それに今ウイットネス・リーのローカル・チャーチのサイトをまとめているのですが、これが資料が多く、中々・・・。現在8割方できています。
前のサイトは売られたケンカを買う形でして(→コチラ)、一度はもう用なしと判断したので、geocitiesのシステム改変に伴って降ろしたのです。ところが昨年2ちゃんねるあたりでの粘着的工作があったり、クリスチャン・トゥデイとの絡みとか、これも予想外だったのですが、むしろこれから必要であろうと感じ出した次第。
欧米には相当に多数の情報サイトがあるのですが、日本にはまったくありません。と言うわけで、広く情報を網羅したサイトにしようと考えています。また私は憎まれ役を引き受けることになりそうですが、どうもやらねばならない雰囲気になってきました。この手の仕事はかなり疲れるものなのです。
救世軍の山谷さんも今事態が佳境に入っているわけです、が、どちらに転んでも彼は心を決めていますし、体制も整っていますから、磐石の構えで臨めることでありましょう。むしろCTがいかなる次の一手を打ってくるか、少佐、23様と共々、楽しみにしているところです。
加藤周一著『日本文化における時間と空間』。日本文化は「今-ココ」に生きる文化であることを氏の博識によってあらゆる分野の素材から論証している。日本人の時間論は、「今」に集中し、空間論は村社会で象徴されるとおり、「ココ」に集中する。よって内と外が分けられるわけ。さらに氏は「今-ココ」からの脱出の道を探るが、物理的には亡命すること、もっと精神的には禅などの二分論を超える生き方を志向すること。
氏は東大医学部卒、医学博士で、確か血液学で学位を取得されたと記憶している。『日本文学史序説』などの著作があるほどに、文学に傾倒する。大学時代も医学部の講義はほどほどにして、もっぱら文学部の講義にもぐっておられたとか。私も若い頃、氏の『羊の歌上下』を読んで憧れたもの。またわが読書術は氏の『読書術』に負うところが大なのだ。
現代日本の知性であり、聖書に基づいたキリスト教的西欧文化から、道元の『正法眼蔵』による禅文化まで網羅する。しかし多分信仰はお持ちでないようで、出エジプトに代表されるように、西洋文化に影響を与えたユダヤ文化は、始めと終わりを持つ時間論で、「今-ココ」的な時間論ではないと主張されるが、私的には神は「ありてある方」、永遠の現在形の「ある」であり、永遠の「今の方」である。この方と、まさに「今-ココ」で交わりを持つことが私たちの永遠のいのちである。この「今-ココ」は永遠と直結しているのであり、この集積が人生を構成するが、そこには神の御手による摂理が働いているわけだ。キリスト教文化は確かに氏が言われるとおりであるが、キリスト信仰は、まさに「今-ココ」であり、この姿勢は道元の時間論である「前後裁断」である。『フラット化する世界―上』―現代の特徴がネットの普及により個人の情報発信が可能となり、このため世界がフラット化することを指摘し、未来の世界のあり方を予測する。
これは私的に言えば、ネット上では個人が勝手なことを語ることができ、いわば「神」になれることであり、これによって専門家も素人も同じ土俵で語ることができるわけ。と言うよりは、声のデカイ者が勝つ、あるいは壊れた人物が勝つという現象が起きるわけ。かくして常に低い方へとフラット化されるリスクがある。
昨日のNHK『クローズアップ現代』では、カリスマBlogライターが大きな影響力を持ち、企業も彼らを利用して商品を普及させることに力を入れているらしい。かくして流通、広報、販売、維持管理など、これまでとは違うパラダイムが求められている。いずれネットもPCからケータイにシフトし、テレビもいわゆるワンセグ化していくだろう。
極論すれば、これらのメディアによって、個人と個人の脳がダイレクトに繋がっていくわけで、岸田秀的には人間は本能が壊れており、社会などもすべては幻想であるとする唯幻論と、養老先生の唯脳論が結び合わさった世界とも言える。ある意味、脳内妄想がそのまま共有されて現実となりかねないコワサも覚える。
このような中でクリスチャンにとってもどのように信仰を保つのか、ひとつの大いなる課題であろう。オジサンにとっては、これからの10年はこのような社会にどう適応すべきか、それとも一切を捨て去り、山に篭って自給自足すべきか、そんなことを考えさせる一冊。下巻はこれから・・・。
下にも書きましたが、ニッポンキリスト教にあっては献金が大きな躓きになっているようですね。特にいわゆる1/10献金を強制されて、それで相当にまいっている人や、神に呪われるのが恐ろしいとか、さらには恨みを抱いている人などが多いようです。
実は、自分の何かを捧げること、さらには自分自身を注ぎ出すことあるいは自分を無にすること―これはもっとも大いなる祝福なのですが、キリスト教と言うシステムの中ではあまり味わえない経験のようです。私も献金では主を試みたことがありますが、御言葉どおりでした。
どうもニッポンキリスト教で躓きますと、「自分を注ぎ出す」などに対しては、「Dr.Lukeはカルトだ」とか言いたくなる人もいるようですが、そのような心の状態は貧しく哀れなものです。自己をすべて("神")とする人の兆候です。
英国のKingdom FaithのColin Urquhartが最近のメッセージで、自分を注ぎ出すことの祝福をシェアしています。よろしかったら、お聴きください。またウォッチマン・ニーの言葉も紹介しておきます。
・"Receiving from God" by Colin Urquhart
・働きに倦む時に by ウォッチマン・ニー
かつて私のところに来られていた方が、最近癌で亡くなったと伺った。どうもバリバリの聖霊派出身の方のようで、私の聖霊派批判でつまづかれたようで、このところ見えなかったようなのだ。
伺うところによると、癌に罹ったが、医学的治療を拒み、"信仰"によって癒しを受けようとされていたようだ。私はこの手の話を聞くと、何とも言えない憤りを覚え、さらに躓く人が出ることも恐れずに、聖霊派を批判したくなる。悔しいのだ。
私はリバイバル新聞に記事を書き、本やヴィデオも出したが、ニッポンキリスト教のペンテコステ/カリスマ派、あるいは聖霊派とはまったく関係がないことを改めて表明しておく。ましてや「霊能者」でもなければ、「預言者」や「使徒」でもない。ニッポンキリスト教的「牧師」でもないし、私は単なる普通のオジサンにして、サイエンティストなのだ。ただ霊的要因を考慮に入れる「霊精神身体医学」を提唱している。
昨年亡くなった友人もヨガにはまっており、彼特有の「癒し論」を聞いてもいたが、私からすれば単なる迷信。彼も霊験あらたかな水を飲んで医学を拒んだ。欧米ではベニー・ヒンあたりに頼る人々もいて、死んだ人を彼の元に運んでくるケースもあるようだ。ほとんどビョウキの世界である。
現代でも神の直接介入による癒しはある。が、現代では人間の裁量権が及ぶ領域が広げられており、医学を通して神は癒しをなさる(まあ、神学的には「一般恩恵」とか言うのだろう)。私たちは神の宮である肉体を適切に管理する必要があるのだ。これは自己責任の問題である。歯を磨かないで虫歯になって、ヒン様の聖会に行って金歯をもらうとか実に愚かしい。毎日歯を磨きなさい。その意味で、癌は早期発見、早期治療である。
クリスチャンにとって肉体の死は滅びではないが、この種の迷信によってあたら大切な肉体の命(bios)を損なう人々がこれ以上出ないことを切に願う。
昨晩11時ごろからサーバーが不調で、バックアップで運用しておりましたが、現在復旧いたしました。その間に書き込みをされた場合、それが反映されておりません。よろしくご了承くださいませ。
どうも先にウイルス攻撃を受けてから、サーバーの調子がよくありません。