最近の日記

木といのちの温もり

今日の夕食は家族と一緒に近くのステーキハウス「あさくま」で。みんなが揃うのも最近は中々難しくなっているので、とても貴重な時間。

ここはログハウス的な雰囲気で、味も中々いい。自家製のワインとモロミが旨い。板張りの和室でステーキをいただくのも趣がある。木の雰囲気がたまらない。つい目は構造を追ってしまう。私はますます山に篭りたくなってきているわけ。

* * *

ベニー・ヒンとか、何とかかんとか、イロイロな色物が跋扈している昨今、静かに、静かに主と交わる場と時間が欲しい。まひるパパさんの言われるとおり、数とパフォーマンスで計るなよって、リバイバルを。それはいのちの問題なんですから、残念!

そう、罪(ハマルティア)とは「見当外れ」という意味なんです。

なお、関連して、Salt氏の落語「紅貧」は傑作です:
http://sakura.sarasou.com/cgi-bin/diary04/cdiary.cgi?room=ikemoto7

映画評(続き)-真の勇気-

主人公はイスラムのサラディンとの戦いでエルサレムを放棄するわけだが、その理由はただひとつ:民衆のいのちを守るため。これを条件に降伏するわけ。指導者が何をその決断のプライオリティーにするか、メンツを保つためにエルサレムを死守するのか・・・。

「華氏911」は少々ノーブルさに欠けていたが、Kingdom of Heavenは14万の一般民衆をイスラエルの利益と「自由と正義」の名の下に殺したブッシュに対する高貴なメッセージがあるように思えたが、私の読み過ぎか・・・。

"The Kingdom without conscience is nothing."という台詞も中々よかった。

映画評"Kingom of Heaven"

予備校での仕事の後、車修理にディーラーに行き、取って返して家内と次女といっしょに表題のレイトショーを観てきました。疲れているとは言え、映画はひとつの活力源です。

十字軍とイスラムの聖地エルサレムを巡ってのむなしい戦いを描くと同時に、主人公に「神の国は心の中にあるのだ。決して敗北することのないキングダムが・・・」と言わせるリドリー・スコットは信仰を持っているのだろうか?

世界の重石エルサレム。地上天国は統一協会も実現させようとしているが、クリスチャンも同じ過ちを犯しそう。このBBSのベニーヒン批判を見て反撃メールを送られた某クリスチャン団体の長の方がおられるとか?このサイトがそんな影響力があるとは思えませんが、驚きました。

現代の預言者集団による"宗教改革"やブッシュによる"十字軍"的イラク侵攻において、「フセインよ、神がお前を裁く!!!」と叫んだ福音派の牧師たち。ちょっと何かが狂い始めている感じがして、kamekameさんの言われるとおり、ちょっとというか、かなりコワイですね。普通が普通でなくなって、病識を失うことは重症の証拠。

ああ、気の小さい私は益々山に引き篭もりたくなってきました・・・。ちなみに映画の最後で、故郷に帰った主人公がエルサレムを守った英雄扱いされる場面で、「私は単なる鍛冶屋だ」と言う部分、いいですね。普通の人であることは幸いです。

小学14年生のお世話

ふう〜。今日も疲れました。今学生にVisual Basicを教えているのですが、いわゆるObject指向言語なんですね。ところがこの概念を理解するが中々大変でして、プログラムを組んでも走らない。理由が分からないと、小学生的に「センセー、うまくゆきません〜っ!」となるわけ。このような子達をひとりひとり面倒見て、バグを見つけて直してやるわけですが、これがこれが・・・。

でも、これでうまく行くと、「やった〜!」と無邪気に喜ぶわけで(おいおい、僕が直してやったんだろと思いつつも)、こちらもそれなりにうれしくなるわけです。昨今の大学生は小学13年生から始まるわけです。ふぅ〜。

なお、オブジェクト指向言語はかなり霊的な要素があるのです。こちらをどうぞ:

・「JAVAと信仰」
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing49.html

で、明日のお世話の相手は駿台の浪人生。予備校の方がはるかにレベルの高い数学を教えているんですね、実は。しかし、あと3週間、休みがない・・・(汗)

さてと、川崎チネチッタの沖縄物産展で買った10年物泡盛をチビチビ飲ってちょっと抜くことにしよう(これが実に口にまろやかで旨いのだ)。

神の宇宙的ビジネス(オイコノミア)

デリヴァティヴ−これは中々面白い。オプション取り引きもよくもまあこんな仕組みを考え出す人がいるもの。ちなみに昨日のブラック&ショールズ方程式はノーベル賞経済学賞の仕事である。

神のご計画はオイコノミア(エコノミー)である。主は言われた、「タラントを増やせ」と。もし自分で運用できなかったら、土の中に埋めとくのではなく、銀行に預けよ、そうすれば金利が付く、とも。この発想はまさに金融のそのもの。もし主がトレーダーだったら相当に成績がいいことだろう。

私たちは宇宙的な神の経済あるいはビジネスに参加しているのであり、「清く・貧しく・美しく」のニッポンキリスト教的宗教に与っているのではない。金融の原則は金が金を生むこと。つまり「持っている者は益々豊かに、持っていない者は持っている物までも取り上げられる」。

私たちはキリストにあってあらゆる面で富んでいるべきなのだ。タクワン飯の裸一貫からの伝道などはまったく魅力がない。なぜ八ヶ岳の柳生氏の元に人が集まるのか、楽しいからである。豊かだからである。

結局地上における生活はエンジョイした者が勝ち。楽しいからする、楽しくないことはしない−単純である。つまらない神学論争や教派論争をしている間に、人は「キリスト教徒はご苦労様なこと」と、教会を遠巻きにするだけ。霊的「武士はくわねど」はもうやめるべきだろう。

量子力学とデリヴァティヴ

先週の相場の動きは私の読みどおりだったので、少々ゲインを得ることができた。で、今勉強しているのはオプション取り引き。これらはデリヴァティヴと呼ばれ、金融工学の研究の対象ともなっている。

面白いのは基礎になる数学は日本の確率論の大家伊藤清氏の確率微分方程式であり、実はこれはサイバネティクスのウィナーの理論の発展でもある。そしてネルソンは古典力学の運動方程式にこのウィナーのホワイトノイズを遥動項として入れ、伊藤の定理を適用するとシュレーディンガーの波動方程式が導けることを示した。古典力学から量子力学の基礎方程式が導ける!これは実に面白いことである。

で、デリヴァティヴの基礎方程式も伊藤型の確率微分方程式であり、これを導いたのがブラック&ショールズである。量子力学と株式相場の共通性−これが数学の醍醐味である。趣味と実益を兼ねて、しばらくエンジョイすることができそうだ(もちろんログハウスの資金にするのだ・・・)。

凍りついた時間

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050509-00000034-san-soci

遺族の気持ちです。「実感が湧かない」−これは分離という心理的メカニズムで、感情と観念を分離してしまうのです。感情がモロにこみ上げれば、自我は崩壊する危険に晒されるときに起こります。

私自身も親父の死を受け入れるのに足掛け5年かかっています。今回も田舎に帰って感じたことは、アレから時間が止まっていたことです。

その時間が溶け出すまで、何度も何度も自分の感情に直面しなくてはなりません。つらく、苦しいことですが、事実を直視すると共に、感情が伴わなうようになれば癒しが始まります。

ふう〜ツ

今日は午後から駿台の特別講義を4コマ。「バックアップ講義」と「フォローアップ講義」。最近は駿台も学生のレベルに応じて塾的な手当てが要るのです。そう風俗業的サービスですね。なにしろ予備校のセンセは「チョーク芸者」ですから、残念(※)。で、あと3回あります。

以前はバイブルカレッジで休み無しでやっていたが、さすがにシンドクなって、土曜日はオフにしていたのだが・・・。やっぱり疲れたぁ・・・。


※私の義兄は開業医なのだが、最近では自分は丸椅子に座り、患者さんを革張りの椅子に座らせるのだそうだ。患者は診察室に入るなり、オタオタするようだが、これで評判が違うわけ。で、彼は鶴見区の高額納税者です。医療も予備校も客あってナンボですから、あまり変わりません。教会はこうならないことを願いますが・・・。

自然と生きる

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               霧ケ峰から望む八ヶ岳

私の知り合いに明石庄作という陶芸家がいる。最近どこかの保険会社のCMに出ていたので驚いた。前に彼から湯飲みをもらったことがあるが、もしかすると彼が無名時代のこの湯飲み、けっこうな値段がつくかも知れない(取らぬ狸の何とやら・・・)。

で、彼はひたすら土に塗れて、練っては壊し、壊しては練り、焼いては壊し、壊しては焼くの繰り返しの日々を送っている。私の義兄も土にまみれて野菜を作りつつ、野鳥観察と夜空の星の観測に夢中になっている。同時に体を鍛え、最近もボストンフルマラソンや、アイアンレース(3.8キロの水泳+180キロの自転車+フルマラソン)を完走している。

思い起せば子供時代、自然にまみれての夢中に生きた時代には何の悩みもなく、日々是好日であった。田舎に帰る度にその泥や藁の匂いがプーンと甦る。臭覚は大脳の古い部分(辺縁系)辺りに神経が入るため、匂いの思い出は視覚的な思い出よりもはるかに深い記憶をビビッドに想起させる。田舎の匂いは私を少年時代に戻してくれるのだ。

義兄も言っていたが、歳を取ると自然が恋しくなる。人間は大脳皮質を発達させて知性で生きているが、インターネットやゲームで象徴されるその生き方はきわめて表層的なもの。いのちを忘れた虚しい神学論争も同じ。決して満足はない。否、むしろ人を狂わせる。自然は多分生命の根幹をコントロールする辺縁系や脳幹部に訴える生き方を提示するのだろう。それはズッシリとした生きる実感と満足感を与える。

そう、人は元々土(アダマ)なのだから。

八ヶ岳探訪B

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               雑木林−何ともいいです

八ヶ岳倶楽部は柳生氏の息子さんの真吾さんが運営している。詳細はこちら→http://www.yatsugatake-club.com/

若い頃、田舎はキライだった。諏訪盆地の中で一生を過ごすことを考えるとゾッとした。で、とにかく東京に逃げてきた。室生犀星の

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや、うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
 帰るところにあるまじや
 
の心境だった。
 
しかし今50を目前にして、何かが変わりつつある。まだ言葉では表現できないのだが、信州に対する抑圧していた愛情が芽生えつつあると言うか・・・。父親が亡くなってから、田舎に帰ることがこわかったが、今回ようやく私の心も父の死を受け入れつつあるようだ。その心の雪解けと共に、田舎に対する気持ちが変化している。実にいいのだ、田舎は・・・。

娘二人は順調に大学に進み、あと一人、息子をこの数年間で鍛えれば、ある意味で私の役目は終わる。そろそろ私と家内の、また二人だけの(いや、主を入れて3人の)人生を考えるべき時期に来ているかも知れない。この10年でじっくりと腰をすえて新しい人生の結末に向かう準備をしよう。

・霧ケ峰グライダー
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/2005spring/DSCF0352.JPG

・別荘での語らいの時
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・柳生氏のハウス
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・柳生氏子息真吾氏と
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・八ヶ岳の渓谷
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八ヶ岳探訪A

                 柳生博氏と共に

義兄の別荘のすぐ傍(と言っても都会のセンスとはスケールが違うが)に俳優の柳生博氏のログハウスがある。で、今回彼と会って来た。かなり広大な敷地にレストランやガラス工房や木工工房なども構えて、「八ヶ岳倶楽部」と称して、この辺りの名所になっている。

柳生氏は39歳で俳優として突如売れ出した時、すでに家族を持っていた。で、一躍有名になったが、彼は舞い上がるどころか、人からの評価の上に人生を建てるならば、家族崩壊の危機感を覚えたそうだ。いいですね、なんと鋭い感性!

それで現金はまだ300万しかなかったが八ヶ岳に土地を買い、二人の息子さんも共に家屋の廃材やレールの枕木などを集めて汗水を流してログハウスを建て出し、家族がひとつにまとまったのだそうだ。今回NHKの園芸番組に良く出ている息子さんの真吾さんとも会えた。

いいですね、こういう生き方。都会にいて、無機質なインターネットやゲームにのめり込んで心を病み、引き篭もりだとかニートとか言っている若者は自然に戻るべきだ。ニッポンキリスト教界などに身を置けば、たちまち病んでしまいそう。自然の中に引き篭もること、主の御翼の影に潜り込む生活。私も原始生活に戻るモチベーションがますます高まり、「その日」を夢見ている。

夢を食べる

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家内とログハウスの展示場を見物に出かける。旅行もそうであるが、実際の旅行の行程はいわずもがな、計画を練って、その日が来るのを指折り待っている時も大いなる楽しみである。前に北海道の洞爺湖畔でログハウスを借りてキャンプをしたことがあるが、木の温もりは中々味わいがある。カタログをドッサリもらって、今、夢を食べさせてもらっている。

ちなみに主が来られるのを待ち望むことも同じ。毎日の内住の主との交わりの中で、主をエンジョイするほどに、肉体を持って復活し天に昇られた主と面と面でお会いする日を待ち望む気持ちは強くなる。その意味でクリスチャンこそ天への旅立ちの日に備えて、大いなる夢を食べて生きる幸いな人種なのだ。

マラナタ!

迷い

N兄弟に対してどのようにアプローチするか、このところ迷いに落ちている。気になっていても、関わることにある種の恐れを感じているのが正直なところ。情報が一切入ってこないのもつらいものがある。何か手がかりがないものか・・・。結局のところ、彼が自分の真実に、逃げることなく対峙するしかないのだが・・・。

 * * *

このところ株式相場が軟調。中国の反日デモや、北朝鮮の核問題などでNYダウもアップダウンしているため。買いポジションにある信用保有株にも含み損が25万ほど出ている。ひとつ仕手株にそろそろ押し目と見て、ギャンブル的に空売りをかけているが、来週の月曜日の動きに注目。株とかギャンブルの面白さは、ゲインを得ることもさることながら、"自分の読み"が当たるところにある。実は自分を高揚することは十字架の逆であるが、主に見逃してもらっている^^

私は元々理系バカで、世事や経済はまったく知らなかったが、株式投資をするようになって、かなり勉強した。財務諸表を読むために簿記の勉強もしたが、この複式簿記の知恵には感嘆した。わが家では家計簿は複式簿記で私がつけているが、毎年の貸借対照表と損益計算書ができる度に、自分の経済状況の真実を確認することができると同時に、主の真実を確認することができる。人は自分の真実からも、そして幸いなことに主の真実からも逃げられないのだ。

聖書にはこう書いてある:

 主よ、どうしてあなたの御霊から逃れることができるでしょう。・・・罪の増し加わったところには、恵もさらに増し加わった。

国って何だろう

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            山荘のバルコニー(最高の景観)

私は外国に行くと食物や風呂の件でフラストレーションを覚え、ある種の渇きを覚える。刺身や温泉の豊かな日本はやはり私の国である。

ところがJohnは日本に来て、I'm home!と感じたそうである。日本がしっくりし、日本に骨を埋めたいとのこと。不思議だ。

また私とS兄弟の友人にMarkさんというアメリカ人がいる。彼も実は日本が大好き。ハーヴァードでPh.D.(博士号)を取得して来て、今はICUの教員をしている。

で、面白いのはJohnの高校での英語の教え子がICUに入学し、Markさんに教えてもらったとのこと。このようなネットワークは実に楽しい。

彼らは二人とも日本人の奥様を持って、日本人以上に繊細なのだ。一体、国とは何なのだろう?私たちの国籍は霊的には天にあるが、旧創造に属するこの体を持つ以上、私は日本でないと生きられないと感じている。しかし日本人以上に日本人らしいアメリカ人がいるのだ!?