最近の日記

李登輝と中国

彼はクリスチャンですね。かつてウイットネス・リーが自分の教会のメンバーにしようと働きかけたことがあります。しかしビザの発給でこれほどに神経質に反応する中国もいかがなものでしょう。何か事あるごとに因縁つけてくるような感じです。

ちなみに先ほどの文春の記事によると、ジェンキンス氏と曾我さんが北京で会っていれば、中国政府の協力によって間違いなく北に連れ戻されていたであろうとのことです。中国は何とも懐が深いというか、狡猾と言うべきか。

ちなみのちなみに、「文春」の12/23号について増元さんが興味深い記事を書いています。北とどうも国交回復の裏取引が約束されていたようです。もしこれが本当であれば、小泉氏も拉致被害者をダシに、せこいことをしますね。

http://www.interq.or.jp/power/masumoto/ms.html

小泉氏vs安倍氏

「週刊文春12/23号」に、小泉氏が川口補佐官を米政府に遣わして、北に対する経済制裁をしない(!)口実を作る工作をしていたことが暴露されている。これにはブッシュも驚き、小泉氏に対する疑問を呈したようだ。個人的にもブッシュに「したくない」ともらしている。

要するに小泉氏は拉致問題に終止符を打ち、北との国交回復を目論んでおり、そのお墨付きを米政府に依頼したのだ(なんと姑息な)。裏がいろいろあるようだが、小泉氏の本心は拉致被害者と共にはない。

対して、安倍氏は北に対する制裁措置を首相にも進言し、かなり強硬な態度を貫いている。そのため事務所にも脅迫の電話や手紙が殺到しているようだ。しかし彼は「私の口をふさぐことはできない」と同誌のインタビューに明確に答えている。

この国のトップが国民を守れない、否、守りたくないわけ。数日前に小泉氏の深慮か、弱腰か、すぐにわかると書いたが、どうも後者のようだ。去勢された国家の去勢された首相。私的には安倍さんに十分身辺警護をした上で、その活躍に期待したい。

老害?

西武の堤さん、ダイエーの中内さん、そしてNHKのエビ・ジョンイルではなくて、海老沢さん。ニッポンの高度成長期を担ってきた人々で、それなりの実績があるのですが、晩節を汚してしまいました。あと、橋本さん。みなさん、なぜか、顔がコワイ。

彼らが残したものは800兆に及ぶ借金です。一方で東京の特殊合計出生数はついに1.0を割りました。で、教界はおめでたくも、「リバイバル」の空回りです。

今後どんなニッポンのビジョンが描けるでしょうか?私は一度ポシャル必要があると、ガラガラポンの必要があると、前々から言っているのですが。

日本国の貸借対照表(B/S)

凄いですね:

平成14年度(試案)

資産     負債
814.58    1067.20

        資本(純資産)
        △252.61
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米軍の正体とニッポンの関係

昨日のNHKスペシャルでイラクに派遣されている米軍の真実をレポートしていた。連邦政府の管轄にある正規陸軍と共に、田舎の州兵が貧しい装備で参加していることを知って驚いた。

州兵はまったく普通のオジサンたち。腹が出て、なまった体を持て余している。あるいは学費を免除されて大学に行こうとする若者たち。州兵に登録すると月に3万円支給されるそうで、その代わり登録した以上、召集されたらイラクにでも派兵され、拒否すると軍法会議にかけられる!?驚きますね。

実際戦闘場面では、牧師で州兵の黒人は顔が引きつって、目が涙目になっていました。で、結局1年半の滞在で死亡が20名以上、負傷が100名を超えると。正規の陸軍ですら、ラムズフェルドに文句を言っているくらいです。

そして着々と戦費はかさみ、それを穴埋めしているのはわが日本です。税収が40兆ちょっとにもかかわらず、米国債権を30兆買い越しです。個人資産は1,400兆あるとは言っても帳簿の数字。すでにそのうちの相当部分は食い尽くされています。

しかし経済はゼロサム・ゲームですから、その金はいずこかに着実に蓄えられているのです。お目出度ニッポンもそろそろ目を覚ます時でしょう。

社会制御工学vs真理

一昨日の日記に対して、「自由・平等・博愛は悪いことなのか。これらは人類が長い歴史を通して獲得したものである。」とのご質問をいただきました。

おっしゃるとおりです。これらの価値観とそれに基づく社会システムによって私たちは今の恩恵を得ています。北朝鮮に住むことよりはニッポンに住むことのほうがはるかに恵まれています。

しかしこれらの価値観は真理そのものではありません。またこれらの社会システムの実現を目指すことが神の国の拡大でもありません。これらの価値観は「社会制御工学」として現在もっとも優れていると言えるでしょうが、それ自体は真理ではないのです。

神の国はキリストのいのちとキリストの統治です。まず私たちの心の中から生まれ、育ちます。しかも神の国がもっとも純粋に拡大するのはしばしば迫害の中においてです。そのひとつの証拠が中国のウォッチマン・ニーらの働きでした。

ウォッチマン・ニーは<自由・平等・博愛>の恩恵を、あえて神の国のゆえに放棄したのです。不自由の中に自ら幽閉され、自分自身の壷を割り、自分をナルドの香油として注ぎ出したのです。<自由・平等・博愛>にまさって、クリスチャンが大事にすべき何か―これが真理です。

「キリストは神の御子であられる。彼は人々の罪を贖うため死なれた。そして3日後によみがえられた。これは、宇宙における最も大切な真理である。私は、キリストを信じながら、召されて行く」−ウォッチマン・ニー

自由・平等・博愛のルーツ

ちょっと不思議な・・・。車の中で平井堅の歌「瞳を閉じて・・・それだけでい〜い〜」を聞いていて、「はて、瞳って、確か瞳孔のことだよな。瞳孔は自律神経支配だから、どうやって閉じるんだろ?」と、ふと考えてしまいました。「まぶたを閉じて・・・」ならば分かるんだが・・・?(ムードのないヤツと言われそう、汗)

  *  *  *

「自由・平等・博愛」―アメリカ独立宣言、フランス革命での権利の章典、そしてマッカーサーに押し付けられたニッポン国憲法の根底思想である。さて、この思想は何に由来するのだろうか?聖書?・・・答えはノーです。

聖書ではむしろ「召された状態のままでいなさい。奴隷は奴隷のまま。自由人は自由人のまま。奴隷は主人に対して主に仕えるように仕え、主人は奴隷に慈しみを施しなさい」とあるとおり、いわゆる奴隷解放宣言をしていない。

また「持っている者はますます豊かに、持っていない者は持っているものも取り上げられる」とあるとおり、ある意味で「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」を説いている。

自由の意味が我々のイメージする次元と完全に異なる。聖書の説く自由は、自分を制限することのできる自由である。自由をあえて行使しない自由である。自分を低くすることの出来る自由であり、神の目にNon-VIPとなることのできる自由である。いわゆる「自由・平等・博愛」はフリーメーソンの思想―人間の魂由来の思想なのである!

そしてメーソンの拝する神は、受肉された神ではなく、理神論的神であり、人格化されない神である。「すべてイエスが肉体を取られたことを告白しない霊は偽りの霊である」とあるとおり、メーソンはこの世の神サタンを礼拝している。喩えて言えば、検事に化けた悪人が「自由・平等・博愛」のプラカードを持っているようなものである。

敵はきわめて狡猾に真理に挑戦している。しかもクリスチャンが自分の幸福を求めて盲目にされている結果、真理が挑戦されていること自体に気がついていない。サタンは光の天使に化けることができるのだ!

今後この種の人間の目にアピールするスローガンが流行ることであろう。そしてそれによって真理から落ちるクリスチャンや教会が増えることであろう。しかも自分が真理から逸脱していることに気がついておらず、むしろ真理に立つ者たちを狭量であるとか、反人権的であるとか、異端だ、カルトだとか告発することであろう。

あらゆる宗教を統一し、政治を統一し、キリスト抜きの「自由・平等・博愛」の追求こそ、終わりの時代の敵の策略である。目が見える者は幸いである。

盧武鉉(ノムヒョン)氏への注文

彼は小泉氏との会談において、拉致問題について「ニッポン国民の感情は分かるが、リーダーはその感情によって行動することは出来ない。冷静な対応が必要であって、今の政府はとてもよい対応をしている」とミエミエのヨイショをしていた。私は彼に注文したいが、そのような「自重せよ」との進言はまず第一にブッシュにしてもらいたいものだ。小泉氏の対応が深慮の結果のものか、去勢によるものかは、そろそろ明白にされる。

アメリカを理解するヒント

アメリカはキリスト教国と言われています。確かに<キリスト教文化>の国でしょうが、霊的に見たとき、純粋なクリスチャンの国ではありません。

例えば、きわめて中立的かつジャーナリスティックな立場から書かれた、ケビン・コリンズ著:フリーメーソンの真実―世界史を変えてきた巨大組織の正体―、ごま書房、を紹介しておきます。

本書はいわゆる<ユダヤ=メーソンの陰謀説>などを批判しつつ、メーソンの霊的な反キリスト的性質を暴いています(著者はノンクリだから、彼にはその意識はないが)。アメリカの独立過程やノート(1ドル紙幣)などの意味を詳しく説いています。

ちなみにこちらを見てください、ワシントンの街路配置です:

http://www.davidicke.net/symbolism/jclicker2/images/Washington-Layout.jpg

オカルトのシンボルが埋め込まれているわけ。私の友人のアメリカ人(メーソンの下位メンバー)に見せたところ、"It's just coincident!(単なる偶然さ!)"でした。彼は"The Christian is silly.(クリスチャンなんてアホだよ)"と言っていますが。

私の友人たち

私は一応学歴もあるし、社会的立場もあるかもしれません(お金はありませんが^^)。周りは博士号を持っている人たちばかりです。が、私が一緒にいて楽しい人たちは実はホームレスのオッチャンたちです。

寿町から離れてすでに4年が経ちましたが、未だにこちらに来てくださるオッチャンがいます。彼が来るとなぜか場がほっと和むのですね。ああ、また寿町に戻りたい。なぜかあの臭いとあの雰囲気が無性に懐かしく感じられる昨今です。

寿町小話3話
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing15.html

土方歳三の最後に思う

NHK『その時歴史が動いた』で新撰組土方の最後を特集。親友近藤勇亡き後,函館五稜郭に榎本武明らと共に自身の政府を作り,戊辰戦争で官軍に抵抗するも,36歳にして1発の銃弾に倒れる。自身はいち早く着物袴と髷を捨てるも,時流に乗ることを潔しとせず,あくまでも武士道を貫く愚かさ。

今日のニッポンキリスト教を見るにつけ,アメリカ産の"油注ぎの器"だ,"使徒"だ,"預言者"だのオッカケに,誰々先生のカバリングにあずかって系列教会として,ニッポンの華々しいリバイバルの際はその先頭に立ちたい人々が多い。はっきり言います,前にも書いた「現代の使徒的宗教改革」や,その類のムーヴメント(運動)はリバイバルでも何でもなく,単なるフェイク(やらせ)に過ぎません。

ニッポンのクリスチャンたちが,小奇麗な振る舞いやオツにすました有様を捨て,愚かな道,泥臭い道,自分を無駄に注ぎ出す道に立ち返るときこそ,まことのリバイバルでありましょう。

http://www.kingdomfellowship.com/Encourage/encourageinf.html

弁護士の選び方

私たちが起こした8年越しの裁判では、最終的に1,000人を超える原告団に育ち、長銀、三菱信託銀行、興銀、日商岩井、三菱商事、住友商事を相手にほぼ全面勝利的な和解を勝ち取った。その過程で、有能な弁護士とは、もちろん民事においてであるが、判決に持ち込まないものであることを知った。つまり和解率が高い弁護士は有能なのだ!

クリスチャンも掲示板などでケンケンガクガク、神学論争を繰り広げ、互いに相手の人格までも貶め合う場面がよく見られる。彼らはそれぞれ聖書を用いて、自分の論を武装し、<勝とう>としている。実はここですでに敗北している。真理は私たちが弁護する必要はないし、真理は真理自らが自らを証明する。だから私が<勝とう>とする必要はない。<勝とう>とするのは、自分のものだからだ。

真に有能な弁護士であるイエスは十字架で、午前の3時間は人から裁かれ(もちろん不当に)、午後の3時間は神によって裁かれた。それは敗北であるように見えたが、彼はそれによって宇宙的な和解を勝ち取ったのである!真の勝利は<勝とう>とすることによるのではなく、和解にある。

前に弁護士を選ぶなら共産党系と書いたが、改めて、まことに有能な弁護士は、神と被造物の和解を勝ち取ったイエスである、と言っておきたい。

大石蔵之介の最後

昨日は近藤勇でしたが、今日は「忠臣蔵」の大石の最後でした。極私的には両者ともかなり好きですね。

キーワードは共に「愚かさ」です。武士は食わねどですが、やはりスジが通っていました:

 あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる
          浮世の月にかかる雲なし

私はいつ浮世狂言を止めることができるでしょうか。

近藤勇の最後

ついに終わってしまいました。反幕府方の恨みを一身に負う役目に甘んじ、しかも自分が命を賭して仕えた幕府にすら見捨てられて斬首された。風見鶏よろしく時々の風に乗り変えることなく、愚かな生き方に徹した彼には多分に共感できる。