最近の日記

現代宗教改革!?

BBSにも書きましたが、ピーター・ワーグナーなどが進めている現代の<回復された使徒>による宗教改革。こんな運動がいつの間にか進められているとは!?私は積極的情報遮断をしていますので、ちっとも知りませんでした。驚いています。

ちょっとメモっておきます:
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バプテスマは新鮮です

本日またおひとりのご婦人がバプテスマされた。ある姉妹が犬の散歩でお知り合いになり、福音を伝えておられたが、明確にイエスを信じ、受け入れる決意をされた。職場でも問題があって、人からなじられたりしても、平安が崩れなかったと証ししてくださった。バプテスマの時はなぜか空気がきよく澄んで、新鮮な主の愛が満ちる。先週も書いたがややこしい宗教にはまることなく、単純な信仰を保たれるよう、また豊かな祝福がありますように。

ヒューマニズムとニューエイジ

今日のメッセージで触れたが、このふたつは現代における敵の狡猾な罠である。

ヒューマニズムは神を排除して人間が人間を統治する試み、愛・平等・平和などのスローガンが好きである。

ニューエイジは人が潜在能力を発揮して、自らが神(god)となる試み。人はこのような試みが実に好きである。そしてすでに教会の中にメーソンなどの形でこれらが侵入している。

これらは、究極的には自分を自分で助ける、魂を自分で救う試みであり、十字架を客観化して、主観的なそれを嫌う。

キリスト教はこれらのふたつの魅力的な思想に導かれて、幸福な人生の追求を求めつつ、今後背教の道に入っていく。

崩壊寸前の北朝鮮?

本日の朝のTVで桝添要一氏が、北朝鮮の崩壊の兆候がいくつも見られると述べていた。こういった独裁制社会では情報の統制が鍵であるが、ネットなどを通して情報がオープンになることにより、内部から壊れていく。しかし問題はその後である。彼らが自立した国家を樹立できるかどうか、これはイラクでも同じであるが。

心にかかること

最近の打ち続く悲惨な事件についてはコメントする気力も失せてしまった・・・。

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わが家では12月の温泉が当面のニンジンであるが、その前にひとつの山を越える必要がある。

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リバイバルとは何だろう?ベニー・ヒンみたいな油注ぎの器が大々的に聖会を開いて、そこでしるし・不思議がなされて、人々が絶叫することだろうか?私は、ニッポンにはそのような現象が現れることはないと思っている。もっとしっとりした、見えない何かを共有すること。アフリカやアメリカのあの様をイメージし、マネしようとするならば、必ず本質を見失うであろう。

人事でない北朝鮮社会

企業で社員の仕事振りやパソコンの使い方などをモニターするシステムが広まっているとのこと(@NHK「クローズアップ現代」)。ネットの接続ページやメールの内容はもちろんのこと、PC上でどんなソフトを使っているか、どんなキー入力をしたか、仕事はどこまで終わったか、すべてがモニターされる。

こうして誰と何分しゃべったかも含めて、社員の一挙手一投足が監視される。さらにその監視をしている人を監視するシステムもあって、さらに上位の監視がなされるとのこと。皮下に植え込むタイプのICチップなどもすでに出現して、ペットにはすでに使われているらしい。

かくして合理化を徹底して、役に立たない者は切り捨てる社会が当たり前となる。人間性疎外の極致である。昨今ニッポンキリスト教ではカルト問題で巷間騒がしいが、すでにこのニッポン社会自体がカルトなのだ。

生産性と利潤を最大化することがすべての価値基準とされた組織。合理性の追求と称して一切の遊びを排する組織。これはすでに立派なマモンに仕える宗教である。さてそれで、結局のところ誰が得をするのか考えてみると、よく分からなくなる。北朝鮮ではあの方であるが。何のことはない、北朝鮮は密告社会だそうだが、こちらもさほど変わりはない。

神の声

キャンパスを歩いていると、私の学生で聖研のSさんと出会いました。彼女は3年ほど前に私の精神保健学の講義を一番前で聴講していたので、講義中に声をかけたら、クリスチャンであると分かりました。私のレクチャーテープも聴いて下さっています。

で、今回、彼女があることで主に祈ると、とつぜん「見ないで信じる者は幸いである」という声が聞こえたそうです。それは頭の中の観念ではなく、心の中に直接に語られたそうです。そんな経験は初めてで、とてもうれしかったそうで、涙が溢れてしまいました。

まさに霊の中に語り込まれた神の言葉です。私もその証を伺って、うれしかったですね。ますます御言葉がいのちとして語り込まれる経験が開かれることでしょう。

Blessings!

番長清原、心労でダウン

アノ清原が巨人残留か否かの心労でダウン。点滴治療を受けているそうだ。強い人は、実は弱い。タフガイ裕次郎も繰り返し病で苦しんだ。弱さになり切ることは幸いである。

http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20041123&a=20041123-00000011-dal-spo

クリスチャンって何だろう

さて、クリスチャンって一体何なのでしょう。キリスト教の信者?いえ、私たちは「キリスト教」を信じているわけではありません。キリストを信じているのです。

教会とは何でしょうか?鉄筋コンクリートの立派な建物、あるいは宗教組織でしょうか?いえ、私たちが教会です。そもそも「教会」という訳語がよろしくない。「エクレシア=召し出された者たち」です。

私たちは何かの宗教の会員でもないですし、集会もお勤めではありません。主を賛美し、礼拝することは喜びであり、義務ではありません。すべてのことをなるべく単純にすること。これがエンジョイ・クライストの鍵です。

今日2人の方々がバプテスマされた。ややこしい宗教にはまることなく、単純に主を愛するだけであってほしい。彼女たちに大いなる祝福がありますように。

石原裕次郎というドラマ

この男は役者ではなく、人生自体が映画と言うかドラマを演じた感じ。どこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションか分からない。若い頃のハチャメチャぶりが体を蝕むわけだが、今生きていれば70歳。70歳の裕次郎は考えられない。

彼が亡くなった時、私はまだ小さな子供たちの家族と一緒に箱根の温泉宿にいた。ニュース速報が流れて彼の死が告げられ、緊急特番で映画『錆びたナイフ』を流したことを今でもはっきり覚えている。ひとつの時代が終わったことを感じたものだ。

模範的クリスチャン生活を送っている人は、こんな感慨には耽らないのかもしれないが、私はこの世との接触はかなり濃密に持っている。キリスト教界だけの人生などはまったく考えられない。それは病んだ人工栽培の何かを産み出すだけであろう。

裕次郎もあえてそのような枠を壊したかったのだろうと推察する。私もいわゆる牧師ではないし、ニッポンキリスト教徒にもなりたくはない。ただ素でいたいと願う。

ふう〜

今日も大学のAO入試でした。午前中2時間の試験監督と、午後は面接。面接はけっこう面白いのですが、困るのは、鬱っぽくてしゃべるのが重たそうな生徒。こちらが突っ込むと何やらうつむいてしまう始末。おいおい、ダイジョウブかよと、こちらが自責感を覚える次第。

反対にやたらと明るい女子学生。面接会場中に響く声で朗々と用意してきた回答をまくし立てる。あのね、面接はね、ただ普通の人としての会話ができるかどうか、アブなくないかを確認するだけなんですね。中でも大切なのは視線の動き。

驚いたのは私の高校の後輩が受けていて、もちろん先輩とは言えませんから、とぼけて地元の景気を聞いたりして、ついローカルな話になりました。彼の話によると不景気で、精密機械の工場などもつぶれているところが続出の模様。私の中学の友人もアパレル関係の会社をやっているのですが、綱渡り状態のようです。

ニッポンはこの手の中小企業でもっているのですが、政治家は分かっているのだろうか?

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裕次郎はあすでおしまいか、楽しみがひとつ減るなあ。

主のなさることは・・・

不思議なことですが、うれしいメールをいただきました。先月私もある方と和解ができたのですが、きょうは数年間交わりが途絶えていた別の方からのメールでした。感謝です。主のなさることは時にかなっています。

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一方でまた幼女殺人事件。殺害の仕方もその後の家族に対する対応も常軌を逸している。奈良県の田舎のようであるが、都会だけではなく、田舎もすでにコミュニティが崩壊して、隣にワケの分からない人がいる不気味さを味わっているのだろうか。

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めぐみちゃんの"遺骨"は案の定DNA鑑定が困難とのこと。あえて困難にして送りつける北の苦境を証明しているとも考えられ、彼らが死亡を訴えれば訴えるほどに生存の可能性が出てきている感じ。それにしてもジョンイル氏の写真が取り外されたのはなぜ?

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裕次郎ドラマが面白い。人気絶頂の時に自分を喪失しそうなアイデンティティ・クライシスを経験している。私も予備校で人気講師、カリスマ講師となった人の顛末を見聞きしているが、一様に悲惨なものである。人の評価や人気の上に人生を建てるなど、恐ろしいことである。私たちの人生の土台はキリスト・イエスただおひとり。

アメリカの獣性の証明

穏健派のスタッフは退いた。次の選挙のことは考えなくてよい。ライスはブッシュの愛人とも一部で言われているが、オツムだけは抜群の感情の欠如した才女。さぞかし冷徹に突っ走ることであろう。

イラクをコントロールしようとすればするほど抵抗は大きくなる。発信回路でも安定性を保とうとしてフィードバックを大きくすると、ついには発振して制御不能となってしまうが、人の心も同じ。相手に対してキツク出れば出るほど相手は頑なになるもの。

アメリカはかくして消耗戦に入る。すでにファルージャの残虐行為も報告されているが、今後ますます焦るブッシュの獣性が証明されることになるだろう。

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慎太郎・裕次郎のドラマが面白い。あと3日楽しめる。

慎太郎と裕次郎の物語。なかなか面白い。「太陽にほえろ」で裕次郎のファンになってから、彼の死はかなりの喪失感があった。キザに徹しており、いわゆるタレントではなく、確かにスターであった。

13回忌の時は私の家のそばの総持寺が人で溢れた。小樽の記念館も訪ねたが、スターは大衆に夢を与える生活をしている。

今生きていれば70歳だそうだが、70歳の裕次郎は考えられない。52歳で逝ったことにより、その瞬間で凍結している。ある種山口百恵と通じるものがある(ちなみに私の青春は彼女の引退と同時に終わり、そのためクリスチャンになったのだが・・・)。

人は散り際、引き際。あまり生にこだわるべきではないと常々思う。