最近の日記

台風模様

大学に出勤すると、玄関でガードマン氏がやけに明るく「ご苦労様ですっ。本日の講義は休講になりました。交通機関が動いているうちにお帰り下さい。」と・・・。小生、「えっ!?」。一瞬頭が白くなり、どういうことかを懸命に考えると、「講義は4時限目にあるから、これが休講ということは、出勤した意味はまったくない」というわけ。

自分の部屋にこもり、ぼーっとして、さてどうするか・・・。思案してもしょうもないのですが、とりあえず家内の愛妻弁当を食べて、そそくさと帰ってきました。結局湾岸高速を雨の中ドライブしただけか・・・。

しかしすでに何人もの人々が死んでいるとのこと。台風が過ぎればカラっと晴れ上がるが、数日前まで生きていた人が、今はいない、この虚無感を思うと、私の虚無感は限りなくゼロに近い。

栄光の霊

昨日中国を批判しましたが、中国の霊的な懐は実は深い。ウォッチマン・二ーを生む国である:

ウォッチマン・ニーは若い頃完全に主に召され、フルタイムの奉仕に入った。しかも一切教団などの人間的組織に頼ることなく、ただ主に頼る生活を送った。

ある日、かつて学生時代に目をかけてくれていた教授と出会った。その頃のニーは病弱もあり、ボロボロの姿で杖に頼って歩いている状態だった。教授は言った、「私は君に期待していたが、それは間違っていたようだ。今の君の有様は何なのだ。」と。

ニーは深い惨めさを覚えて打ちのめされた。自分が失った世の栄達、富、健康を思った。が、その惨めさの極致で彼の上に栄光の霊が臨んだ。彼は突如天に引き上げられるような感覚と共に、「これでいいんだ!」という深い確信と喜び、そして安息が彼の心を包んだ。

それから50年後、彼はトラクターの上でボロ雑巾のように召された。http://www.kingdomfellowship.com/Encourage/encourageinf.html

中国の身勝手

今回、大変に素晴らしい経験をさせてもらいました。その分析と考察(理屈っぽいですね^^)はまたいつか紹介できるでしょう。

 * * *

中国は日本に被害者の立場で謝罪を迫る一方、日本の領域スレスレで海洋地下資源を掘り出しました。表は向こう側ですが、地下はこちらにあるのです。さらに日本内で採掘する権利を企業に与えています。

その主張が面白い:「日本には日本の領域の定義があろうが、中国には中国の領域の定義がある。双方の重なったところについては話し合いで進める」とか。おいおい、ならば地下資源の採掘はチョット待てよって。日本の主権も地に落ちています。「被害者」の立場って、実は最強なんですね^^

北朝鮮と中国と、この「被害者」を遇することは並大抵ではありません(大汗;−知恵が要ります。

十字架の甘さ

マダム・ガイオンは言った:「わたしはわたしの十字架に口づけする」と。十字架は甘い、とにかく甘い。何と言う甘美さ。

・十字架を負うべき時に
http://www.kingdomfellowship.com/Encourage/encourage28.html

主に感謝します

主に感謝します、ただ、主を崇めます。
詳細はいつか。

鎖骨骨折

といっても私ではありません。息子です。視力検査でボクシングのプロテストの道がふさがれて、レスリングに転向したのですね。あと少しで試合があるのですが、本日見事に骨折です。どうもこちらの道は塞がれてしまうのでしょうか?

次女は大学入試に向けて、志望校選びと勉強に邁進しています。これもなかなか悩みが多いのです。あとしばらくこのような生活が続きます。

ネット仲間7人の自殺

ネットの自殺掲示板で知り合った7人が車の中で練炭を炊いて自殺。これに対してその手の掲示板の常連は「これは当たった。うらやましい。」とコメント。

私も一応心の専門家として、この種の現象を予測していますが、現実の方がはるかにまさる。凄い事が起きています。
http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/jiken-byori.html
http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/shonen_byori.html

この種の現象のキーワードは「共鳴」である。同一の精神病理を抱えている人々は容易に互いの病理に対して共鳴を起こす。特に自己憐憫や被害者意識に固まった人々は互いにそれに共感し合い、妄想的世界を共有する。これをネットが助長する。

ネットではおよそ考えられることが何でも、否、考えることを超えて何でも起こり得る。出会い系サイトから自殺系サイトまで、人間関係の病理の種類だけサイトは構築し得る。言えることはリアルの世界での人間関係の不毛さとネットに入れ込む度合いは比例している。

大脳では現実に何もなくても、ある種の電気刺激や電磁波の刺激でイメージなどを作り出すことができる。本人にとってはそれはリアルとなる。逆に一切の刺激を取り去っても(センソリ・デプリベーション)、正常な人でも幻覚や幻聴を経験する。オウムで狭い部屋でビデオを見せるうちに解脱体験をすることもこれの一種。

この経験をした人は決してオウムの過ちを認められなくなる。ちなみに聖霊派の「聖霊経験」などもかなり怪しいものが多いように思う。私たちは経験によって歩むのではなく、感じようと感じまいと真理によって歩むのである。

かくしてリアルとヴァーチャルの境界線が曖昧となる。一方で、リアルかバヴァーチャルかは問わず、とにかく同一種類の「経験」を共有する人々が群れることになる。教界の「派」などもこうしてできてくる。これは一種の霊的要塞となるが、この中に霊的存在が「声」や「幻」を投影する時、何でもアリとなる。

人の大脳と霊的世界との関わり、および精神病理と霊的世界との関係のメカニズムをもっと精緻に研究することが必要である。「悪霊退散」の牧師先生たちがまずは迷信から解かれて、聖書に基づいたサイエンスを知る必要がある。

卵と鶏-拡大経済の原理-

この二つどっちが最初かと、よく言われる。「満足」と「必要の満たし」も同じかもしれない。ふつう、この世の価値観では、何か自分の願っているものを得れば満足すると考える。しかしこれは罠である。この罠にかかるとニンジンを鼻の先にぶる下げられた馬みたいなもの。走れど、走れど、得られない。

霊的真理は「満足するから得られる」のだ。満足は結果ではなく、原因である。よりよく満足した人はより多くを得るもの。そして満足するとまた与えられる。かくして「持っている者はますます豊かになる」。これが神の国の法則である。その鍵は何か?

よくクリスチャンが選択で迷うと言うが、そのような時には実は自分を失っていない。得をしたい、失敗したくない、金を得たい、地位を得たい、これが迷いを生む。分かりますか?自分を自分で救おうとしていることが。アテネでアーチェリーで銀を取った中年の星の山本先生が今日の日経夕刊で言っていた:

「アテネ五輪は本当に無欲の境地で決めました。欲にとらわれると、一度決断しても迷いが出ることがよくあるんですよ。でも欲がないのでイメージどおり、的にねらいを定めると、ぱっと射ることができました。」

多くの悩んでいると称するクルシちゃんたちを見ていると、「捨てていないなあ〜」とつねに感じる。捨てないから苦しい、苦しいからますます捨てられない。主は「自分の魂を救おうとするな」と言われた。私はある人が自由を得て豊かになるか否か、大体予測ができる。会社の発展性や転機も経営者の心を見れば分かる。

ポイントは、クリスチャンはすでにすべてを得ていることである。あなたはこれを信じますか?

・コロサイ2:10−そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。

・2ペテロ1:3−いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。

この豊満を経験する鍵は、「キリストにあって」である。キリスト御自身を堪能し、満足すること。満足する人はますます満ち溢れ、さらに満足する。かくして神の国は縮小均衡ではなく、拡大経済路線となる。「花見酒の経済」は神の国ではない!なぜなら、神の経綸は、神のエコノミーであり、神は宇宙的な経営者だから。しかもリッチな方なのである。

・神のエコノミー
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Economy.html

「タクアンと白飯の開拓伝道」といった宗教の霊から解放されよ。そして父の資産の豊かさを享受すべし!

誘惑と人のなり

休日は明るいうちに風呂に入り、ビールを飲んでゆっくりしています。

今回のブッシュの疑惑は面白いですね。背中に不自然なふくらみがあり、これが受信機で、耳に小さなイヤフォンを入れて、ケリーとの対決でこっそりアンチョコをしていたのではないかと・・・。いかにもブッシュらしいさもしい疑惑のかけられ方です。

同じように、誘惑を受けるときに、その内容によってその人の内面性が見えてくる。サタンは実によく人を知っているのである。例えば酒の誘惑、飽食の誘惑、色気の誘惑、地位名誉の誘惑・・・それぞれに応じた誘惑のメニュがある。

イエスは、パンを石に変えてみよと誘惑された。これは私には誘惑にはならない。なぜなら絶対に不可能だから。誘惑は一歩手を伸ばせば届くような範囲で、しかもその人に応じた種類の内容である。

今回自民党の武部氏がめでたくも幹事長になられた。彼の喜びようはちとガキっぽいと感じるが、私には自民党幹事長のポストは何らの誘惑ともならない。しかし美味しい料理の温泉はかなりの誘惑となる^^V

しかし、思えば若い頃はイロイロと欲しいモノが山ほどあって、祈りにも熱心に励んでいたが、だんだんと欲しいモノがなくなってきている。パウロは食べ物と着る者があればそれで十分、あらゆる境遇で満ち足りることを学んだと言っているが、そんな感じ。あえて欲しい欲しいと求めてもいない。

ところが必用なものは豊かに満たされるし、表向きは求めてないのに、時に応じて豊かな備えがある。不思議なものです:自分で得ようとすれば失うが、得ようとしなければ与えられる。かくしていつも満足しておれる。正直言って、クリスチャンたちがアチコチさ迷う様を見ていて、彼らは一体何を求めているだろうと不思議である。今回のメッセージでも語ったが、モチベーションを間違えると決して真の満足は得られない。なぜなら私たちのあらゆる必要の本質はキリストだからである。

You are more than enough, JESUS!

で、ニッポンキリスト教の牧師先生たちを見ていると、まあ、色気で落ちる方もおられるようであるが、どうもこの武部氏タイプの先生方が多いような感じがするのであるが、みなさまはいかがでしょう?

天幕作りの必要性

昨日の日記で少々つぶやきましたところ、BBSでもメールでも励ましのお言葉をいただきまして、恐縮ですm(_ _)m 私的には適度な距離を置きつつ、マイペースで行こうと思っております、はい。

 * * *

セレブレーションで大声をあげてますので、今の時間は声が枯れているのですね(ここでは関係ありませんが)。今日もゲストの方々が来て下さって感謝でした。ベトナムからもこのサイトにアクセスしてMSGを聞いて下さっているとのことで、励ましを受けております。ネットの功罪はいろいろありますが、時間と空間を超えることができるのはいいですね。

最近思っているのは、ニッポンキリスト教界の中にもっと金が流れる必要があることです。前にも書きましたが、「花見酒の経済」では先細りです。そのためにはこの世と真っ向勝負できるアイテムが必要です。もちろんキリストが本質ですが、キリストの豊かさを証しする商品としてのアイテムですね。例えば養老先生の『馬鹿の壁』みたいな本が100万部売れるのですから。

その意味でも、私たちはこの世の者ではないが、この世にいる者です。この世との接触を絶って、「クリスチャン的出家」をして献金頼りになってはなりません。パウロのようにあえてその権利を行使せず、天幕作りに励みながら奉仕すること。自分の食い扶持は世に何かを提供してギヴ&テイク的に自分で稼ぐと。この基本をはずしたくないのですね、私的には。献金頼りになったら言いたいことが言えなくなります。その時はDr.ルークの店じまいの時です。

 語り続けるために、働き続ける。

キリスト教界の不思議

隠しページでニッポンキリスト教の7+1不思議をリストしてありますが(http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/7wonders.html)、ますます不思議さがつのります。

例えば911テロに対する対応。ある人々はテロリストに愛を持って花束を持っていけば世界平和が実現すると。ほとんど妄想です。ある人はフセインを殺せばイスラエルの平和が実現し、イエスの再臨を早めることができると。ほとんどパラノイアです。また911の疑問を呈することに対しては、そんなのは陰謀論であり、論じるまでもないと。ほとんど思考停止です。

また誰でも悪霊憑きにする人。地蔵さんを見て、悪霊じゃと言って泡を吹いて倒れる人。神社の前で悪霊退散と叫び回る人。創価学会のビルの周りを聖書をかざして歩き回る人。悪霊追い出しに奔走する牧師先生。一方でこの世のカウンセリングの真似事をする先生たち。表向きはご立派な説教をしつつ、実は家庭がほとんど崩壊寸前の先生。カウンセリングと称して女性に不埒な行為をする先生。一方で自我を十字架につけて、自我を砕きぃ〜と叫ぶかと思うと、あなたは神のVIP、そのままのあなたが高価で尊い・・・と。いったいどっちなんだよと伺いたくなりますが、不思議な世界ですよ、ニッポンキリスト教界は。

私は神学者でもなく、いわゆる教団所属の牧師先生でもありません。私はサイエンティストです。サイエンティストはできる限り少ない原理からすべての現象を説明することを目指します。よってその基本的な原理を把握することがすべてとなります。アインシュタインなどの天才は、常人が見過ごしてしまうようなきわめて単純な現象の中に美しい法則や原理を見出すことができるのです。

私たちは原理を把握すれば、後は演繹的思考によって推論を進めます。「A=BかつB=CならばA=C」という具合にです。ところがニッポンキリスト教では、これが成立しない。「A=BかつB=C」でも「A=C」とならないのです!?理由を聞くと、「それが私の信仰ですっ!」、やれやれ。話が通じません。

これは例えばイスラエルに入れ込む人たちと会話するとこうなります:現代のイスラエルの帰還法によるユダヤ人の定義は「母親がユダヤ人であるか、またはユダヤ教に改宗した者」となっています。すると私はこう考えます:「ユダヤ教に改宗する人たちは血統的にアブラハムの子孫でなくてもいいわけだ。つまり現代のイスラエルにはアブラハムの子孫以外の人々が混ざっている」と。すると彼らはこう言います:「血統などの詮索は聖書が戒めているからしてはならない。現代のイスラエルはアブラハムの子孫たちからなっていると私は信じている」と。やれやれ。話が通じません。

こういった議論はサイエンスの世界ではまず起こりません。あまりにも幼稚なレベルです。この数年いろいろ見聞きしてきましたが、1%の理由が明らかとなりました。そろそろニッポンキリスト教界との関わりから身を引きたいとマジで感じています(汗)

今回のブッシュとケリーの対決はブッシュの人徳の欠如をうまくケリーサイドがつきました。ブッシュは相変わらず、世界は平和になったの一点張り。理屈が通らない世界を狂信あるいは妄想と言います。パラノイアとは妄想がきわめて論理的にかつ強固に構築されているために、一見すると分裂病の意味不明の妄想とは違って、マトモに見えるのでかえって困るのです。今後の世界はますますパラノ的世界に入り込むことでしょう。

アッパレ・イチロー

国民栄誉賞をモチベーションが落ちるからと辞退。うーん、好きですね、このタイプ。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/ichiro/?1097204195

アメリカかどこかの何とか賞をもらって喜んでいるニッポンキリスト教の牧師たちとは大違い。このサムライ・スピリッツ、はるかに牧師の霊性を超えています。

私たちはイエスからもらう勲章を目指すのです。あなたのモチベーションはどこにありますか?

蛇のように聡く・・・

歴史の証拠を記録しておきます:

・ブッシュ―もし今行動したとしても、2003年と同じ行動を取るであろう。・・・フセインはテロ組織に情報や物資を流していてきわめて危険であった。

・コイズミ―フセインは自分にかけられた疑いを晴らすことができなかったからいけないんだ。

この人たちのオツムはすでに破綻しています。

トム・クルーズの『マイノリティレポート』という映画があります。これは将来の予言ができる超能力者のお告げに基づいて、犯罪を意図したり、考えている人たちをあらかじめ摘発する警察の物語です。つまり犯罪を実行していなくても、考えただけで逮捕されるわけ。どうもブッシュはこれを地で行ってますね。

 * * *

推薦図書:
石の扉―フリーメーソンで読み解く歴史、 加治将一著、新潮社

昨今のキリスト教界ではこの手の話をするとたちまち「陰謀論者」のレッテルを貼られてしまうようですが(これ自体がカルトがよく使う「思考停止」です)、事実に目を閉ざすことはできません。メーソンが欧米のキリスト教界をいかに侵食しているかは、私自身英国の状況を見てきています。

ノンクリの本ですので、聖書とメーソンを一部混同している部分もありますが、それだけキリスト教会が影響を受けていることの証明です。英国のKFCのコリン・アーカートは明確にメーソンをイエスの名によって断罪しています:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/camp03.html

911でのヤラセ・レッツロールで簡単に"感動する"オメデタ・クリスチャンを卒業しましょう。

あなたがたは蛇のように聡く、鳩のように素直であれ―ジーザス

注意:鳩のように素直であれ、蛇のように聡くあれ、ではありません。順序が大切!

米国選挙の行方

原油が高値更新中。誰かが確実に儲けているのです。

BBSにも書きましたが、イラクでは大量破壊兵器もなく、核開発も頓挫していたと議会で報告されています。アメリカでも原理主義クリたちが当時盛んにイラクとアルカイダの関係を叫び、「フセインを殺せ、神の御心である」とほとんど狂気でした。ウイルカーソンなどもその典型的ヒステリーですが、ニッポンでも聖書預言解釈を得意とする人たちが同じような論調で叫んでいました。「イラクはイスラエルの敵だ、フセインを抹殺することは神の御心である!」と。

当時から私は懸念を表明しておきましたが、私の予想通りの展開になっています。BBSでどうして初期の段階でそのようなことが分かるのかとご質問がありましたが、私は神学も知りませんし、政治も知りませんし、イラクとアルカイダの関係も知りません。ただ私は人の心を読むことができます。当時、聖書原理主義クリたちの心の状態がまともではないと、リバイバル新聞の記事にもクレームをつけました。心が読めれば、政治も読めますし、どこに真実があるかも分かります。そして予測もできてしまうのです。

私としてはこれらの親イスラエル原理主義的先生たちの自己批判の声を伺いたいと思っています。まずしないことも分かっていますが。

さあ、そこで選挙の趨勢です。私はブッシュを下ろしたいですが、かと言ってケリーも「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバー。米国の闇は深いのです。