最近の日記

まことの推薦状と資格

ニッポンキリスト教で「素性」や「系列」を問題とするのは、実はニッポンキリスト教の霊性を証している。もっと言えばアイデンティティの確立のし方が間違っているから。センセイやケイレツやキョーダンの上に建てている者はその領域内でしか判断ができない。よってそこから外れることを恐れる。しかるに、パウロは明確にこう言っている:

2コリント3:1-6
私たちはまたもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた推薦状とか、あなたがたの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

私たちは人ではなく、神に仕えるのであり、その資格は神に由来する。それは霊が証する。

米国球界に学ぶ

アメリカでは3A、2A、A、ルーキーと階層構造をなし、しかも200ある各球団は独立採算制だそうです。自己責任でファンをもてなし、ファンと共に盛り上がるシステム。そして選手も実績さえあれば、数百万の年俸から数十億にまで登れる。

日本でも日ハムが地元密着型で北海道にて成功し、新潟の何とか言うサッカーチームが盛り上がって、この数年で3,000人の客が30,000人となっているとのこと。(以上、田原さんの番組より)

鍵は自己責任と独立採算制。寄らば大樹の陰ならぬ、立派なセンセイ/教団の陰的体質から抜ける必要がありましょう。(正直、牧師が教団から給料をもらうって、理解できないことです。)

ニッポン野球界とニッポンキリスト教界

野球連盟は結局は新規参入を認めたくないのが本音。「最善を尽くして審議するが、来年からとは保証できない」と言うが、本音は「やりたくない」。これはよくある言い訳で、私は「・・・だから、○○できない」と言う人は、「要するに、やりたくないないんだな」と理解する。

人は本当にやりたければ、徹夜しようと、無理をしようとやるもの。競馬やパチンコに入れ込む人々を見ればよい。球界の長老さんたちも、真に野球の未来を思っているならば、新規参入をまず来年の目標とし、それに向かって邁進し、できなかったら、残念だ、となるはず。

かくして新参者のTシャツの若造などは、金を持っているだけじゃ仲間に入れないよ、俺が知らんヤツは話にならん、と言うわけ。私などもメッセージはGパンとTシャツかポロシャツですからね(笑)。ネクタイなどは年に1,2回と言ったところ。

球界と教界―実に良く似ている。一説によると午前10時以外の礼拝などは「正規の礼拝」ではないとのこと。「正規の礼拝」は午前10時を旨とすべし。教団に属していないものは胡散臭く、私などもある神学校では「素性が分からん」と言われているようだ。○○センセイ系列が問題になるらしい。ちなみに医学界の医局制によるジッツも同じ。企業では系列を廃止し、医学界も医局廃止を検討し始めたが、教界は何も変わらない、否、変える意図がないようだ。あらゆる面でこの世よりも10年以上遅れている。

ニッポン野球界とニッポンキリスト教界―ニッポン的にして、あまりにニッポン的な二つの業界である。

PS.古田会長は老獪な御老体たちを相手によく検討している。私は野球はあまり関心もないが、今回は彼らを応援したい。

行き着く先は?

私がマイコンに手を出したのが、78年。大学の生協にあったシャープのMZ-80Cがスタート(当時28万円!)。8ビットのCPU・Z80で、クリンコンピュータとあるとおり、中身は空で、言語をその度に読み込ませては使った。メディアはオーディオテープ。メモリは最大64KB。今ならちょっとした絵のサイズ。それでもこのメモリ上でBasicでFFTのプログラムを書いて、スペクトル分析をしたものだ。

次の機種はEpsonのハンドヘルド。CUPは同じだが、CP/MというMS-DOSの原型となったOSが走り、その上でBasicとZ-80のアセンブラで株価分析ソフトを作った。CP/MのBiosをCallしてメモリ上にグラフィックの仮想空間を作って、ドット・グラフィックを描いた。これでかなり使える株価分析ソフトとなり、バブル真っ盛りでもあり、今のマンションの頭金を作った。なにしろ32KBのユーザーメモリ空間のため(感覚的には1畳の部屋)、プログラムにかなりの工夫が要った。その代わり中身はみな分かっている。

次がEpsonのPC98互換機。すでに16ビット+MS-DOSの世界。この辺りからメモリ空間も640KBとなり、すべてを把握することができなくなった。この中身が見えないのが何とも不安なのだ。今でもWindowsに穴を開けて、中身を見ながら使っている。で、32ビットの世界となり、メモリ空間は一挙に1GBとかになった。"1畳の部屋"にいる頃はそんなメモリ空間はほとんど無限大で、一体何に使うんだよ、と思ったものだが、実はこれがすでに狭い。

HDDでは120GB、否、テラ(T)の時代。97年にそれまでのMS-DOSからようやくWindows95に変えた時にはHDDは1.2G(私は世の流れには逆らう方)。隔世の感があるが、これがDVDビデオの編集をするとなると、すでに小さい!おそるべし。大体ネットで自分のPCをサーバにして中身を公開することなどは誰が予想したろう。ウイルスやスパイウエアなどはSFの話だったが。Epsonが300ボーの音声モデムで通信実験を開始した時、私も参加したが、ピポピポと文字が現れたときは感動した。あの時代はほとんど亀の歩みののどかさだった。

IPv6の時代になると、すべての機器(クレジットカードなども)にIPをふって、個人の行動を追跡できるようにもなる。サンドラ・ブロックの映画そのもの。同時にPCやネットの発展と同時に人間の病理性もモロに出てくるようになった。さあ、人類はどこへ行き着くのでしょう?

アニマル浜口と星一徹に学ぶ

息子がボクシングのプロテストを受けるつもりでいたのですが、視力で引っかかりアウト。この夏、しばし落ち込み気味でしたが、ここへ来て、東大を目指したいと少しづつ口の端に上るようになりました。実はひそかにボクサーへの道がふさがれることを祈っていたのですが・・・(ちょと複雑な気持ち)。

まあ、近所の幼馴染が、一人は開成、一人は慶應ですから、ちょっと差をつけられたけど、自分も・・・と思い始めたようです。私は動機付けがすべてと思っていますので、「夢を見ろ」と励ましつつ、とりあえず、微分積分を教え出しました。アニマル浜口親子は立派ですよ。昔で言えば、「巨人の星」ですね^^

ブッシュvsアナン事務総長

国連のアナン事務総長はイラク戦を国際法違反であると宣言。対して、ブッシュは正当性を主張。ニッポンの女外務大臣はブッシュを支持。ブッシュには何を言ってもダメでしょうね、ジャイアンと同じオツムの論理ですから。

大統領選はケリーがまた追い上げて接戦を呈しているそうです。しかしブッシュも親のコネとは言え、エール大学出身、ケリーもその後輩。しかも共に秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバー。極私的にはブッシュを下ろしたいが、しかし、その後も見えない。

パラノとスキゾ

北朝鮮ではワケのわからない爆発。「ゲージュツはバクハツだあ〜」と言う名言を残したオジサンもいましたが、金オジサンはどうも分からん。しかしアメリカも北も実は同じなのです。パラノイド。

一方でニッポン人のように自己欺瞞を抱えている者は人を信じることができず、絶えず不安を抱えます。実はなぜ人信じることができないかと言えば、自分の心が二つに分裂しているからです。二心の者は安定感がないとヤコブも言っている。かくして二つに分裂した人をスキゾ系(分裂病的)と呼ぶ。人が真に安息し、平安の中で歩めるのは、周りがどうのこうのではなく、自分の心がひとつであることによる。

ニッポンキリスト教でも、イスラエルに感情的に入れ込むタイプはパラノ系―この人たちは自分独自の聖書預言解釈や教条が強固に確立していて、人の話をあまり聞かないタイプ―、一方、教会をあちこちさ迷って人間関係で傷ついたあ〜と叫ぶタイプはスキゾ系―この人たちは聖書を学ばず、人の顔色ばかりが気になるタイプ―が多い。もちろんパラノとスキゾは相互作用する。

パラノとスキゾ―この世でも教界でもどうも今後の重要なキーワードになりそうな予感。

先制攻撃論―パラノイド世界―

ロシアを初め、各国がこれをアメリカの専売特許ではないとして採用し始めたようです。当の言いだしっぺアメリカは、ついにパウエル長官が大量破壊兵器はないことを明言しましたが、ブッシュはイラク戦の大義を「フセインがフセインだから攻撃した」と議会で発言したそうです。おいおい、これではドラえもんのジャイアンの言いがかり、「のび太のくせにぃ〜」と変わりない。ブッシュはほとんどビョウキ。

かくして世界はパラノイドが蔓延し、戦々恐々、言いがかりを付けられたらやられる不安に満ちます。誰が信頼でき、誰が敵か。カルティック・シンドロームではこれが起こる。互いの交わりが戦々恐々。「羹に懲りて膾を吹く」心理状態。私はすでに2年前からアメリカのカルト化を指摘してきたが、イスラエル→アメリカと伝染したパラノイドの拡散により、全世界がカルト化し始めたと言える。

さあ、みなさん、誰を頼って、どこへ逃げますか?

バプテスマ

お一人のご婦人がバプテスマされた。ある家庭集会(私たちはローカルフェロシップと呼んでいるが)で導かれた方でした。バプテスマは、不思議なことに、いつも新鮮です。天が開ける感覚がするのですね。豊かな祝福と恵みの内に歩まれることを祈ります。

ビデオのDVD化を

現在進めておりますが、問題はサイズが大きくてDVD2枚に収まらないこと。1巻当たり2.5時間、合計5時間ですので、4枚になりそうなのですね。片面2層(8.5G)でやればいけるのですが、まだメディアが高いようで、コストが高くつきそうです。う〜ん、と。

とりあえず、サンプルをアップしてみました。
http://www.kingdomfellowship.com/Av/TRUTH.wmv

宅間氏の死刑執行に思う

彼については私も記事を書いている:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Osakajiken.html

死刑を思うとき、虚しさを禁じ得ない。私は死刑廃止論者ではないが、死刑は虚しい。犯罪の抑止効果がどうのこうのという議論もあろうが、被害者の心の救済に果たしてなるのかどうか。

むしろ彼らは憎しみの対象を喪失することにより、ますます虚無感を深めることになるであろう。愛する対象を失った喪失感と、憎しみの対象を失った喪失感の二重の喪失感である。喪失感と言う虚無。この心の空洞を埋める作業が延々と続く。気が遠くなる。

生きることの不条理―主イエスをうちに招き入れることしか解決はないのだが・・・

自由をエンジョイしたいなら

捨てなさいって―

つまらないガラクタを、自分の達成を、自分の実績を、自分の聖書の知識を、自分の満足を、自分の喜びを・・・

霊的演歌や霊的耳年増をやめればよろしい。簡単です!

しかし捨てて、捨てて、捨てても、決して捨てられない者があります。

内なる御子イエス・キリスト―栄光の望み!

ヨン様と牧師様

彼らは実に似ている。共にある種の無色さが要求され、生活臭とか思想や信条あるいは評論家的色彩がない方がよい。没個性の無味性が求められる。つまり人々の投影を受け易い"キャンバス"である。人々は自分の無意識的願望をそれぞれに勝手に投影して、代償満足を得る。

考えてみて下さい。北野武が「冬のソナタ」を演じたり、"牧師"として講壇から説教する場面。私はかなり面白いと思うし、一度やらせたいと思っているが、果たしてニッポンキリスト教の信徒の皆様(いや、センセイたちかな)はどうだろう。武が救われるようになれば、ニッポンキリスト教もオトナと言える。

安息の欠如

どうも安息が欠如している人が多い。このような人々の特徴は、前から書いている通り、パラノイド。誰が信頼できて、誰についていれば安心か、これが気になるらしい。私なども"検事"の前で根掘り葉掘り"取調べ"を受けることが度々あるが、その判決は「主文:Dr.ルークを愛の欠如症候群と断ずる」。やれやれ、だったら愛の豊かなセンセイのところに行ったらよろしい。簡単な話なのですが、私にまとわりつくのはなぜ?

これらの人々は結局自分を守りたい、自分の得ているものを失いたくない。前から何度も繰り返しているが、自分で自分を救おうとしている。ここではっきりと言っておきましょう:人を当てにし、人を見ているならば、永遠に安息は得られないでしょう。また人に裏切られ続けるでしょう。自分の魂を自分で救おうとする者は失う―これは法則である。

彼らは自分の思い通りになるように人をパタンにはめ込もうする。これをマニュピレーションと言うことは前にも書いた。精神病理の専門家として言うが、ニッポンキリスト教は病んでいる。学生の物語でも書いたが、彼らは自分のミスを省みることをせず、私の説明責任を問うてくる。同じことがこの業界でも起きている。私はそのような人には「あなたと私に何の関わりがありますか。あなたはあなたで主に従えばよろしい」と申し上げる。霊的世界でも自己責任でお願いする次第。

(この手の話に関わるとほんとエネルギーを吸い取られ疲れを覚えます、はい)