最近の日記

もう1冊ありました

『最驚!ガッツ伝説』

これは笑いの迷言集。ガシシ右松、じゃなかった、ガッツ石松氏もある意味で言語の天才ですね。

・映画『ベイブ』の試写会の感想を聞かれて、「あんなにブタが利口だとは思わなかった。」

・北斗七星の位置をたずねられて、「オレはこの辺の者じゃあねえから、わらんねえなあ〜」

・「太陽は右から昇るんだろ」

・鎌倉幕府のできた年を聞かれて、「ヨイクニだから、4192年!」

・ディズニー・シーに行って、「デズニーAとBはどこにあんの?」

・世界タイトルマッチに出る選手の心境は?と聞かれて、「いやあ〜、怖いのが半分、恐ろしいのが半分でしょうね」

・ボクシングの実況で、「いやあ〜、この選手の気合はものすごいですね。体中からオーロラが出ていますね」

・運転手に道を指図して、「そこ、右に左折して」

などなど・・・。一服の清涼剤としてお薦めします。

人の心の不思議(4)

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               MRIによる脳の断層像

養老先生は無神論的ニッポン人インテリ層の典型ですが、書き物は実に面白い。「壁」シリーズもさることながら、今日は『記憶がウソをつく!』(扶桑社)を紹介したい。これは例の絶叫型言語魔術師的実況アナウンサーの古舘氏との対談であるが、実に面白い。

人の心が脳の活動と表裏一体をなしていることは前に少し書いたが、その脳はしばしば騙されることがよくある。私たちが見ている"物"はすでに視覚系で情報処理された結果である。素のままの物ではない。

かつて寿町にいた頃、裸足のオッチャンがえらく喜びながら、「先生、オレ、東大から博士号をもらいました!」と"報告"してきた。「えっ!、何の研究で?」と聞くと、「江戸時代の研究です!」・・・小生はどう答えてよいか分からず、とりあえず「それはよかったね、苦労したかいがあったね」と言うと、真に喜ばしい表情を見せるのであった。・・・後日彼は「文学博士 ○○○」と書いた名刺をくれた。(→http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing15.html

ソレは彼の大脳が作り出した幻想であるが、彼にとってはリアリティなのである。私をカルト教祖と訴えている人も、私が妄想の世界に生きていると主張しているが、ソレは彼にとってはリアリティなのである。前に書いたが、まさにジャック・ニコルソンの『カッコーの巣の上で』の世界となる。

黒沢明の『羅生門』においてもひとつの事件の3人の当事者の証言が微妙に食い違っている人の心の闇を描いているが、このようなわけの分からない事態が生じるのは多分にこの脳の性質による。「記憶の錯誤」というが、脳が認知した"事実"を感情が歪めてしまう。つまりこの認知された"事実"はすでに事実ではない。

かくして人の話を聴くときには、その人の思い(mind)と感情の関わり方を十分に注意して聴く必要がある。その証言はしばしばバイアス(偏向)されているからだ。白い紙を赤いめがねをかけている人と青いめがねをかけている人の証言は自ずと異なる。よって証言内容そのものだけではなく、証言者を観察する必要がある。

今、あるカリスマ系の教会がカルト化しているとのことで、ネットやメディアで叩かれているが、このような場合の告発は、する際も、聞く際も、よほど注意する必要がある。しばしば火の元は個人的因縁がらみの場合が多いし、よってその告発や証言も相当にバイアスされている可能性が高い。

BBSでも質問を受けたが、告発する雑誌が、かつてはその教会の機関紙的なものであり、ある事件で袂を分かってから犬猿の関係になったようである。その雑誌側もその教会を「ぶっ壊す」と言った動機で告発しているようであり、よってその告発は相当に色がついているだろう。事実、記事の内容も医学的に不正確である。

またこれは神学論争もしかり。人が選択する神学の立場はその人の精神病理と密接に関係している。イスラエルに入れ込む人も、反イスラエルの人も、私はその人たちの発言内容よりも、その人たちの動機あるいは霊の状態の方に関心がある。私はイスラエルは好きであるが、イスラエルに入れ込む人たちの一種のヒステリー的反応には辟易する。かつてガンジーが「わしはイエスは好きじゃが、キリスト教徒は嫌いじゃ」と言ったとか言わないとか。

エレミヤは「人の心ははなはだしく病んでいて、癒しがたい」と言っているが、これは私たちの大脳の性質による以上、この古い幕屋(体)に閉じ込められている限り、クリスチャンにとっても真理である。否、むしろ、クリスチャンの方が嫉妬や妬みや競争心などを互いにむき出しにする傾向が強い。そして議論ではなく、相手の人格否定に至る。

かくして教界の中で偉いセンセイ方の間での競合や足の引っ張り合いなど、見かけは神学論争の形をとっても、実は感情論の粉飾であったりする。いわゆる○○派なるものも、しばしばその人たちの精神病理が絡む。同じような病理をもつ人たちは自然と共鳴現象を起こす。よっていわゆるエキュメニカル運動で教義や信条で一致することなどは決してできない。根本にはそれぞれの病理があるからだ。

私には、メインラインはそれなりの、福音派もそれなりの、聖霊派もそれなりの、ある一定の傾向を帯びた人たちの集合に見える。そして最近気がついたのは、メインラインは福音派を、福音派は聖霊派を、順次見下している事実だ。メインラインからすると福音派はカルト、福音派からすると聖霊派はカルト。これでは江戸時代の士農工商、ひいてはエタヒニンと同じ構図である。このような状況で聖なる霊が働かれるであろうか?

思想・政治をはじめ、経済も、社会も、人の心が生み出すものである。そしてその心の働きは大脳と言うまことに歪んだ認知や記憶を作り上げるモノと表裏一体である。私がいわゆる論理的整合性のある思想や主義に不信感を覚えるのはその辺りに理由がある。自然科学を知っている者からすると、神学や政治思想などはきわめて曖昧な体系としか映らない。

ヴィッドゲンシュタインはその著『論理哲学論考』において、「言語は世界の映像である」と言っている。その映像はしばしば個人のバイアスや恣意が入る。かくしてクリスチャンたちの神学論争や、政治論争、預言解釈論争などがいかに個人的な性質のものであるか分かる。かくしてある種の病理を共有する人々がある一定の神学なり解釈を共有し、○○派や○○運動が生まれては消え、消えては生まれで、この2,000年に渡る教会歴史が刻まれてきた。

対してスポーツが爽快なのは、この恣意的要素を排して、きわめて明確に白黒がつくからである。オリムピックもそういう人工的な閉鎖空間で、人工的なルールの下、できるだけ心のバイアスや恣意性を排して、ある一定の能力だけを測ることができるわけである。オリムピックの開会式の様を見て、全世界の選手がひとつにまとまり、素晴らしい光景が展開しているとアナウンサーは絶叫しても、私はある意味で白けていた。「主はこの光景をどのようにご覧になっているのか」。

主を排除したきわめて人工的なひとつ。ある一定のフレームに押し込まれたひとつ。この光景はどこかと共通している。そう、「自由と平等」のアメリカの人工的な国づくり、そしてキリスト教界のエキュメニカル運動である。それと今放映している「24時間テレビ・愛は地球を救う」。それらは所詮人の作為によるものである。いずれ暴かれるであろうし、その時に人の心の歪みに気がついて主に立ち返る人は幸いである。

キリストを排除したものはすべてフェイクである。キリストこそすべてのすべて、ありとある物の実体(リアリティ)、すべてをひとつへともたらす究極存在である。ここにこそ私たちの心の歪みからの救いがある。

華氏911

家内とレイトショーを観て来ました。いや、面白かったですね。ちょっと茶化し系ではありますが、アメリカの構図が分かり易く描かれていました。

ブッシュをイスラエルのために神が立てた格別な器とかのたまう原理主義クリからすると小泉氏と同じコメントになるかも知れませんが。ただ新しい情報はありませんでした。

一度見ておいて損はありません。

人類はどこまで・・・

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ニッポンはオリンピックでメダルラッシュのようです。で、私と言いますと、私が関心があるのは、たとえば100mで人間はどこまで記録を伸ばせるか、です。どうみたって5秒はムリ。まあ9秒台の後半でしょうが、必ず壁があります。すると後は計測技術の問題となります。9.9だったのが、9.89、9.889、9.8889・・・と。有効数字が限りなく増えるわけです。こうなると果たして人類の記録は有理数の世界に収まるのか、無理数の世界まで入るのか、みたいな話になります。極限値はどこなのでしょうね。

 * * *

素粒子がまたまた増えそうです。何でも未知の粒子が99.99%の確率で発見されたとかで、「超対象性の破れ」とかの理論によると素粒子は今の17種類の倍になってしまうらしい。分子→原子→素粒子→・・・と、これもまたどこに収束していくのでしょうか。私は量子力学(ヒルベルト空間における線形作用素の固有値問題)まではついていけますが、素粒子になるとアウトです。「匂い」とか「チャーム」とかワケのわからない物理量が出てきて、イメージすらできません。この世界でも人類はどこまでいけるのか。

 * * *

私は生命を物理化学的現象に還元する主義では、もちろんありません。いのちは物理化学現象と表裏一体ですが、後者だけの現象ではありません。聖書によれば、肉体から霊が離れる時に、いわゆる死となります。霊が肉体と言う容器の中で生きている状態が生です。

そこで興味があるのが、物理化学現象と霊との相互作用とは一体どんな原理によるのか、ということです。例えば、大脳は約100億のニューロン(神経細胞)の複雑なネットワークと、そのつなぎ目(シナプス)における神経伝達物質の分泌によって作動しているが、神経伝達物質はニューロンの中の微細構造である微細管の上をキャリアが運ぶことが知られてきている。

つまり私が今コレを書いている間も、そのようなミクロの物理化学的現象が生じているわけで、その現象は物理化学の原理に即していると同時に、私の自由意志に服しているわけです。私が書きたいと思ったから、書き出したわけで、それに伴ってミクロな物理化学現象が生じている。

しかし大ベストセラー『馬鹿の壁』や『唯脳論』の養老先生に言わせれば、「いや、逆だよ、物理化学現象だけが精神活動の実体であるから、あなたの自由意志は単なる物理化学現象の法則によってたまたま生じただけ」、となるかもしれない。この場合は単にその物理化学の原理を探ればいいわけで、上の素粒子理論で生命も解明されることになる。自由意志も単なる物理の法則のある面に過ぎないわけ。

対して私は物理化学の領域にはない霊と物質が相互作用を起こして精神活動が行われると見ているので、では、物質は霊の支配を受けることになり、よってその相互作用の法則に関心があるわけです。霊の領域と物質の領域はどのように相互に関わっているのか、これはきわめて興味深いテーマです。もし霊の領域が物質の領域に影響を及ぼすことができるならば、いわゆる超自然的な現象ももちろんアリとなります。

私は「聖霊派」の霊能力志向には浅薄さを禁じ得ないが、そのような現象や奇跡を否定するものではありません。ただキチンと体系付けた上で、そのような賜物も用いたいと思っているわけです。現在のようなパフォーマンス志向のあり方には少々ウンザリしています。

猛暑の夏、Linuxに苦しめられつつ、そろそろあきらめてやっぱりWindowsに戻ろうかとも思い出していますが、ニュースを聞いて、特製ドリンクを飲みながら、つらつらとこんなことを思い巡らしております。

夏バテ防止特効飲料

まだまだ暑さが続くようですが、牛乳100ccに酢を大さじ1杯、砂糖をお好みでよ〜く混ぜて下さい。自家製の酸味のスッキリしたヨーグルトができます。暑さには酸が効きます。酢の代わりにクエン酸でもOKです。あと一息・・・です。

ナベツネ氏の引退(院政?)

日記を朝書くのも一興です。

某所からリモートでチャペルのサーバにアクセスして、相変わらずLinux FedoraCore2上でApacheの設定をしています。しかしどうも一筋縄でいかないようです。コンテンツの移転はできたのですが、cgiの動作でワケのわからない現象が次々に・・・です(汗)。

 * * *

巨人の渡辺オーナーはえらくあっさりと道義的責任を取ってその座を退きましたが、何だか胡散臭いですね、この時期に。彼は現在のニッポンを創ってきた世代ですが、その結実がコレです。団塊の世代以上の人々の実です。

ニッポンキリスト教も同じ。今エラクなっている先生方の汗と涙の結晶が現在の教界の様。明治学院の鹿島春平太氏は「ニッポンキリスト教は最初から暗闇である」と喝破していますが、まさにそのとおり。彼らはものすごい見当ハズレの道を邁進してきている。

前にも書いたが、この世もナベツネ現象、教界もナベツネ現象。彼らが蓋となって御霊の自由な働きを阻害していることに気がついていない。それどころかご自分たちの流してきた臭い汗と涙を誇っている始末。そこにはその人の体臭だけで、キリストのすがすがしい新鮮な香りがない。

球界はナベツネ氏の退陣でどう動くか?教界はいつ"ナベツネ氏(複数形)"が退陣して、御霊にその座を明け渡すのか?口先の「リバイバル」などはとうにメッキが剥げているが、そのリバイバル(=いのちの躍動)を阻害しているは誰か。彼らががんばらなくなるとき、リバイバルは訪れる。再度愛ちゃんの言葉を思い起こすべし。コレに気がつくのはいつの日のことだろう・・・。

 私は栄え、彼は衰える(@センセイたち) 
 私は衰え、彼は栄える(@バプテスマのヨハネ)

愛ちゃんの名台詞

朝の予想通り、愛ちゃんはいけています。ストレート勝ちの後のインタビューが光っていました:

 インタビュアー:「緊張しなかった?」

 愛ちゃん:「ううん、もう一度死んでいるから・・・」

クリスチャンのすべては、「死」から始まる。昨今の「人生はやり直せる」とか「そのままのあなたが高価で尊い」といった"砂糖まぶし福音"を語る教界には、この愛ちゃんの台詞を味わって欲しいものだ。

勝つと思うな・・・の続き

軽いジョッギングをして、シャワーを浴びたところです。某所から書いています。

オリンピックの結果は面白いですね。私の予測どおりです。柔ちゃんや北島は別格として、前評判が高く、マスコミの露出度も高かった女子バレーや男子サッカーが悲惨です。それに対してあまり期待もされなかった種目で良い結果が出ています。ただし、愛ちゃんは「自信もないけどプレッシャーもない」と無欲のコメントしていますから、結構いいところまでいくことでしょう。

スポーツばかりではなく、一般に大衆から良い評価を受けることは、ある種の精神力を損なうようです。大衆の受けが良くなると、たいてい腐食が始まっている。これは霊的にも同じ。ニッポンキリスト教界で一流の牧師などという評判を得ている人ほどその霊性は低い。その一言で底の浅さが見えてしまう。人からの評価と神からの評価は互いにトレードオフ(反比例)の関係にある。

いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。―ガラテヤ1:10

勝つと思うな、思えば負けよ

温泉が危ないっ!と、情けない話ですね。次から次へと暴露されています。温泉好きの私としては、どうやって対応するか、少々困惑していると同時に、いささか寂しい気持ちです。牛肉に、鶏肉に、野菜に、車に、政治に、加えて巨人まで裏金工作。どこもかしこも偽りのラベル。右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。金ですべてを計る戦後のニッポンの哀れな顛末です。

http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing1.html

「地の塩ミニストリー」のSalt氏(→http://www.memorize.ne.jp/diary/24/57910/)が何とモンゴルへ旅立たれた。彼はこう言っている:

「モンゴルの草原に住む人たちには住所がない。ゲルの中にはトイレがない。老人たちにはヘルパーもいない。カウンセラーもろくにいなければ、病院も警察も簡単に連絡のつかぬところで、そんなに不自由なく暮らしている。私たち日本人がどうしても必要と思いこんでいるものなんて、本当はいらないもののほうが多いのかも知れない。」

物事はややこしい話にはたいてい偽りがあると見た方がよい。やけに論理だっている話や、見かけは整合性のある話など、どこかにヤラセがある。官僚の作文などはその典型。聖書預言解釈や神学も同じ。言語明瞭にして意味不明。人を忘れている。人間という存在は矛盾に満ちたものだからだ。その矛盾をそのままに受け入れる、それにはいわゆる知性のフィルターをはずす必要がある。

禅の大家鈴木大拙は「AがAであり、Aでない」という「即非の論理」を唱えた。彼の盟友の西田幾多郎は「他即一」の「絶対矛盾的自己同一」と提唱した。いずれも人間というこの不可解な存在に対する取り繕いのない心の状態を言ったものである。

「処女が子供を生む」とか「父、子、聖霊のひとりの神」とか、聖書が提示する真理はまさに善悪の木の実を食べて異常に肥大化した人間の知性に対する挑戦でもある。私たちが取るべき態度は、自分の知性のフレームに矛盾なくはめ込むことではなく、その事実の前に服すること。服した者は安息を得る、安息した者は取り繕いの必要はない。

今のニッポン、そんなに急いでどこへ行く。結局、行き先を失った不透明な中で、目先の利益を追っかけた挙句の姿であるが、聖書は言っている、「得ようとすれば、失う」と。男子サッカーも得ようとして堅くなり、凡ミスで4点も失ったようであるが、ゲット・ゲット・ゲットの姿勢は必ず自分の身を滅ぼす。美空ひばりも唄っていたであろう:

 勝つと思うな、思えば、負けよ@柔

今のニッポンの世知辛さは、みんなが勝ち組に入りたがるため。この世はサドンデスの椅子取りゲーム。しかし神の国は失った者が得る。このゲームの中でニッポンは人としての当たり前を失った。モンゴルはどうか。Saltさんのモンゴル紀行が楽しみである。

 * * *

さて、Dr.ルークもそろそろトある所に姿を隠します。この日記も空白が多くなると思います。では、しばしのご無沙汰です。

本日仕入れた本

本をなるべく買わないように抑えているのですが、いざ書店に入るとダメですね。今日購入した本:

・岸田秀:古希の雑考(文藝春秋)
 ご存知「ものぐさ精神分析」の著者。すでに70歳を迎えられたとのこと。アメリカの本質を「被害妄想(=パラノイド)」と喝破している。これは私と同じ見解。なぜかこの人の文章は面白い。

・土居健郎+斉藤孝:「甘え」と日本人(朝日出版社)
 土居先生は学生時代に講義を受けたが、ぼそぼそと何を話しているか分からなかった。現代日本の病理が「不健全な甘え」を助長していることによると論じている。ニッポンキリスト教界などはまさにその典型的病理標本に事欠かない。これもわたしが論じている通り。

・ノーマン・マクレオド+久保有正:日本固有文明の謎はユダヤで解ける(徳間出版)
 いわゆる日ユ同祖論の古典。日本語とヘブル語、習俗や文化の共通点を、マクレオドの原典を紹介しながら論じる。アマテラスがイエスであるなどの話にはちょっと距離を置きつつ・・・。

・鈴木哲也:自宅サーバーfor Linux―Fedora2で作る―(ラトルズ)
 最新のFedora2によるサーバーの構成のマニュアル本。すでにFedora2のマニュアル本は別に持っているが、1冊だけではどうも情報が漏れる。早速チャペルサーバーがうまく走らない原因を見出す。

(影の声:若いころはマニュアルを読むのが楽しかったが、最近はちょいとシンドイ。特にケータイのそれの分厚さは何とかなりませんかね。要するに通話とメールができれば良いのですから。何でカメラがついているのだ。間違っていじっててカシャっとかなると盗撮を疑われそうで、うかつに電車でいじれない。)

・DTMマガジン―音楽フリー&シェアウェア120本(寺島情報企画)
 無料のシンセや音楽処理ソフトが収録されていたのでつい・・・。ビデオや音楽の編集はかなり面白いことに最近気がつき始めている。楽器は何一つまともにできないが、デジタル化されれば何とかなるか?

しめて8,909円也!(後でクレッジの請求書が溜まって青くなるのですが・・・)

 * * *

いよいよオリンピックであるが、私はあまりのめりこまないようにしている。子供たちはなぜかスポーツ好きで、TVの前で阿鼻叫喚状態であるが、私は「結果だけ分かればよい」とか言うと、「パパは面白みがない」と口をそろえて言われる始末。次女は国体選手、長男はボクシングのプロテストを受けるとか。どうしてこの私と家内(共に運動神経ゼロ)から彼らが・・・?

文藝春秋九月特別号

この日記でも取り上げてきたような興味深いトピックが満載だった。

・特攻と日本人:反米主義の石原氏による、特攻と自爆テロの精神の本質的違いに関する発言記録。天皇が靖国に参拝すれば日本は根底から変わるとのこと。

・橋田伸介さん殺害の瞬間:イラクの武装勢力によるこの二人のジャーナリストの殺害は、CIAの車と同じ車に乗っていたための誤攻撃であったこと。犯人たちのインタビューでは謝罪がなされている。

・年金問題・小泉氏の本質:年金システムはすでにねずみ講化しているとのこと。小泉氏の人気取り場当たり政治への批判。彼の軽薄な人格はブッシュと共通するものがある。

・ムーア氏の華氏911:命の危険まで感じているらしいですね、ムーア氏は。告発する人のリスクです。

・皇統断絶の危機に:雅子さま問題であぶりだされた皇室の問題。

・日本プロ野球改造計画:アンチジャイアンツの星野氏による、諸悪の根源が巨人一極集中にあることの暴露。

クリスチャンはこの世の俗事に関わらないヒトも多いらしいが、私は大いにこの種の話題に関心を持っている。クリスチャンはこの世の者ではないが、この世に生きる者であることを忘れると、思考や感受性がバーチャル化し、聖書原理主義カルトに陥るであろう。人であることを忘れてはならない。

厳戒オリンピック

ギリシャは実に面白い。プールの屋根がついに完成に至らず屋外プールと化したとのこと。地中海周辺で生きたら、とても「納期」などという概念は育ちようもないらしい。

一方でテロに対しては1300億円の予算で、そのマニュアルも膨大なものらしい。パトリオットミサイルまで配備して、空からの攻撃にも備えるとのこと。誰がこのような事態を招いたか。私はオリンピックの厳戒態勢に気をとられているうちに、不意をつかれる形で、どこぞでまた大規模なテロが起こるような感じがしている。

ブッシュはフセイン政権の崩壊によって世界は安全になったと宣言しているが、妄想に近いものがある。で、石油は予想通り45ドルで高値更新中。投機筋も入り込んで、誰かが確実に儲けている。

聖書原理主義者たちは、このような事実を見ることなく、自らの預言解釈の世界に閉じ篭っている。彼らの聖書預言解釈が正しいかどうかよりも、根本に彼らは精神病理的問題を抱えている。イスラエルのパラノイドの病理に共鳴現象を起こしている。病者による、病者にための、病者の「自由と平等」。病識が欠如しているからよけいにコワイ。

米国型民主主義が「ヤラセ」であることにそろそろ気がつくべきではないだろうか?

苦しんでおります

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              屈斜路湖(from美幌峠)

チャペルのLinuxサーバの設定に苦しんでおります。なぜかApacheのGUIによる設定ができないのですね。FTPサーバとVNCサーバは無事稼動しましたので、自宅から遠隔操作をしています。新しいものを学ぶのは苦しい面もありますが、未知の領域に踏み込むという意味で楽しくもあります。LinuxもかなりWindowsに近づいているとはいえ、設定ファイルの項目が多く、なかなか一発ではうまくいきません(汗)ビデオ配信やカレッジのオンライン化など、挑戦すべきことは山ほどあるのですが、一歩一歩です。

 * * *

今週のセレブレーションのビデオはクロスワークスの今井さんに撮影していただいたので、動きのあるダイナミックな画面になりました。今井さんは私のビデオを編集してくださった方で、テクはもちろん、丁寧にしてセンスの良い造り込みです。音楽を通した真の礼拝者を育てるミニストリーです。結婚式などのビデオ録画や音響設定、さらにはバンド演奏などのニーズがありましたら、こちらをご覧下さい:

クロスワークス→http://www5c.biglobe.ne.jp/~cross-w/

聖書原理主義者の愚かさ

米軍がサドル師のゲリラ部隊を掃討作戦で300名を殺したとのこと。これでシーア派も完全に敵に回した。何なのでしょう、反抗する敵を殺せば平和が来るだろうというこの幼稚な思考パタンは。

私はブッシュを見ているとますます聖書原理主義者に対して嫌悪感を覚えるようになっている。聖書を良く知っていると言う彼らのプライド。ある意味で純粋性を伴っている分、余計に醜悪である。

今日の日経の書評欄に京大教授の大嶽秀夫氏が5冊の本を紹介している。

・リチャードクラーク:爆弾証言―これは前に私も紹介しました。

・ロン・サスキンド:忠誠の代償(日本経済新聞社)―ポール・オニール元財務長官による告発。政権内部の暗闇について極めて生々しい記述が全編を貫く。ブッシュの政策判断能力や指導者としての資質に重大な疑問を呈する。

・ボブ・ウッドワード:攻撃計画(日本経済新聞社)―予防的先制攻撃が闇の中で計画されたことを淡々と暴く。

・ピーター・シンガー:「正義」の倫理-ジョージ・W・ブッシュの善と悪(昭和堂)―ブッシュは強い信仰心を持ち、アメリカの道徳性を主張しているが、自身には何らの倫理道徳性はないことを暴く。彼は自省的思考を欠き、単純な善悪二元論、黙示録的キリスト教信仰に基づく好戦的態度を示す。彼のこの性癖は今や全政権を覆っている。ブッシュは発言と政策が乖離している。

・マイケル・リンド:アメリカの内戦(アスコム)―ブッシュの信仰の背景、思想的系譜、政治的つながりを、特にキリスト教原理主義や石油業界との関連性で暴く。

私は前々からアメリカのカルト化を指摘しているが

http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity13.html
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity16.html
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing56.html

これらの5書はそれを証明している。「聖書原理主義」というカルト。「聖書預言解釈」と言うヴァーチャルな世界と現実を混同している恐るべきカルトである。彼らにとっては<自分の聖書解釈=真理>であり、<地的イスラエルに味方する者=善>となる。しかしすでに指摘したとおり、彼らもそのナイーブさを利用されているだけである。

ブッシュがどのような霊を持っている人物であるかはすでに明白であり、それは聖霊ではない。今回の選挙は神のタイムテーブルを進展させるために大きなエポックメイキングな事件となろう。もちろん神はすべての事態をご計画に組み込まれるが、御心がなることを祈りたい。

 * * *

さてさて、Dr.ルークはしばらく充電期間をいただきます。15,22日の私のセレブレーションはお休みです。ある時からいずこかへ私は姿を消しますので、この日記もある期間空白となり、HPの更新もストップします。