最近の日記

今年の北海道は暑かった(^ ^;A

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いいです、北海道は。飛行機ではいると1.5時間ですから、日常の生活がスッと切れ、北海道にいる時間はたった4日間ですが、時間の流れが遅くなり、エラク長くいた感じがしています。で、また1.5時間で日常に戻ると。前はフェリーでしたから、行きと帰りが1日あり、日常からの脱出と帰還がゆっくりだったのですが、今回は何か変な感じでした。

旅の魅力は日常性を離れることにあります。北海道の人はそこで生活があるわけですが、私たちにとってはある意味でヴァーチャルな世界です。映画とも通じますね。精神を人工的に受動状態にして休ませることができるわけです。また冬にカニを食べに行きたいところです。

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サーバーをようやく固定IPにしましたので、ダウンすることがなくなると思います。これからLinuxサーバに移転を開始します。

北海道4日目

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               五郎の石の家

4日目は富良野の市街を周り、ファーム富田で遅咲きのラベンダーを見て、トリックアート美術館、「北の国から」の撮影地六郷の森でアノ掘っ立て小屋と燃えたログハウス、そして黒板五郎の石の家を見物。ドラマでもひとつの人生を共有させてくれるものが名作と言える。

食事を軽く取って夕張へ抜け、例の黄色いハンカチの広場へ。ここも山田洋二氏の世界が広がる。倉本氏も山田氏も東大文学部出身であることは面白い。人の真実に触れる部分が彼らのポイント。かくして千歳に戻り、何となくカレーが食べたくなって夕食は激辛のソレ。

ラベンダー畑→
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夜12時前、無事横浜着。

北海道3日目

                 富田ファーム

3日目は摩周湖に出かける。ここはもう7回ほど来ているが、なぜか私たちが見る時はいつも晴れで、霧の摩周湖を見たことがない。案の定、今回も見事に晴れ。

摩周湖→
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その足で層雲峡を経て、富良野に入る。ホテルは洒落た洋風。食事はフランスコース料理。これもうまかった。富良野ワインのロゼが甘口でグッド。温泉はラベンダー風呂でゆっくりと。

北海道2日目

2日目は襟裳岬へ。娘が運転する。私は助手席で、つい右足に力が入るが、けっこう慎重運転でまずまず。

襟裳は風の町であり、映画で紹介されていたが、冬は相当に厳しそう。都会では肌感覚が忘れられ、すべてがヴァーチャル化しているが、ここでは生きることを肌で実感できる。

襟裳岬→
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その後、帯広に出て、川湯温泉に5時ころ着。大鵬の生まれ故郷で、彼のお兄さんが記念館を経営している。温泉も食事もまずまず。

北海道1日目

今年は一体何なんでしょう?北海道で35度(@北見)!北海道はもう15,6回来ていますが、こんなのは初めてです。はちこさんのご主人の地球物理学者ぼぼるさんに伺ったのですが、まだ地球は大丈夫でしょうとのことでした。

1日目は千歳空港から支笏湖へ。次に襟裳岬を目指しますが、時間的にムリで明日に回すことにして、日高ケンタッキーファームにチェックイン。洒落たログハウス。生まれて初めて馬に乗りました。正直言ってあまり乗り心地はよくないですね。近くの町営の温泉(300円)がけっこうよかった。

夜はバーベキュー。ちょっとしたキャンプ気分。で、サッカーの対バーレーンの準決勝を見てしまいました。心臓によくなかったですね(汗)。今中国との決勝戦ですが、私は遠慮しています。サッカーはどうも心臓血管系によくないです。

中村ファミリーとの再会

         (私はどう見てもヤクザですね・・・汗)

シカゴの通称はちこさんのご一家(http://nakamurafamily.net/)と2年ぶりで再会しました。KFCの仲尾さんご一家も加わって中華街で夕食を共にしました。現在のアメリカの政治や霊的雰囲気などについても伺うことができました。

一昨年英国KFCの夏のFaithキャンプでご一緒して以来です(http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing41.html)。当時私はケンちゃんに「ノーノー」と逃げられてしまいましたが、今回は3歳になった彼をつかまえて(?)、抱っこさせてもらいました。でも「ノーノー」でしたが^^彼はBig Peopleは嫌いなんだそうです。Big Peopleという表現がユニークですね。

うちは3人、仲尾家も3人、中村家は4人というわけで、ほぼ保育所の感もありましたが、子供たちが群れて遊んでいる様は独特の喜びがあります。なぜ今のニッポンは子供を産まないのでしょう?沢山いればいるほど苦労もしますが、人生は豊かになります。遊びにもお金がかかりますが、"その時"はその時しかないのですから、思いっきり"その時"をエンジョイして、写真やビデオに"その時"の子供たちの姿を残しておくことですね。これはお金に勝る家族の財産です。

夕食後、山下公園をひとしきり散歩して、夏の夜のひと時を過ごしました。感謝でした。

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あすより6日まで北海道を回ってきます。メールやオンライン注文に対するレスポンスはしばらくお待ちくださいませ。では、皆様も楽しいヴェイケイションをエンジョイしてください。

あと一息・・・・

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                 ストーンヘンジ
              
昨日は70名ほどの参加者で、例によって寿司ずめ状態でしたが、窓付けクーラーと大きな扇風機を入れたので、何とか許容範囲だった。しかし、やはり限界か・・・。

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セレブレーションの様子を25分ほどのビデオクリップにまとめてみた。今(09:36)アップロードしている最中ですので、あと1時間ほどでご覧いただけます。

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成績報告書を書かねば・・・。700人分(汗)あと一息です。で、あすは朝4:00起きです。

Dr.ルークの一言映画評―キング・アーサー―

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              ヘイドリアン・ウォール跡
           (スコットランドとイングランドを分ける)

レイトショーを観て来た。アーサー王伝説は15世紀の騎士サー・トーマス・マロニーによって書かれた小説「アーサー王の死」によって、中世騎士の模範として描かれ、円卓の騎士や聖杯追及で有名である。

しかしこの映画はソレではなく、ブリテン島の原住民とも言えるケルト人の伝説に基づき、時は紀元415年、ローマの支配下にある同島において傭兵としてローマに仕えたアーサーがハドリアヌスの壁の向こうからローマ人を救い出せと言う命令を受ける。北からローマ兵も恐れたサクソン人が、南にはブリントン人(ケルト人)のウォードと呼ばれる軍隊が割拠する中を進軍する過酷な任務であった。

アーサーは当初ローマおよび国教であるキリスト教を理想としていたが、自分たちが助け出したローマの司教による異教徒ブリトン人に対する拷問や虐待を見て、ローマに疑問を覚える。その時に救い出したブリドン人グウィネヴィアと結ばれて、自分の母親を殺したブリトン人と和解し、ブリテン島を捨てたローマから離れて自由のために共に残虐なサクソン人と戦い、かくしてブリテンの王アーサーが誕生するという物語。(プロによる紹介はこちらを→http://www.eiga-kawaraban.com/04/04071301.html

モチーフはメル・ギブソンの「ブレイブハート」と似ている。というか、西洋古典の「指輪物語」も、近代の「スターウォーズ」も、みなアーサー王の影響を受けているとらしいほどに、その伝説は西欧人の心の中に深く刻まれている。日本で言えば、「忠臣蔵」的だろうか(ちょっとスケールが違うが)。ところが彼らアングロサクソンが理想とするアーサー王伝説は、元々自分たちと戦ったケルト人の英雄伝説なのである!かくして歴史にはいつも裏があり、はなはだトリッキーである。

壮大な戦闘シーンもよくできており、かなり楽しめた。アーサー役が役所広司に似ているのが気になったが。一昨年の夏、わが家はブリテン島を車で一周してきたが、ハドリアヌスの壁の跡や、映画でも出て来たストーンヘンジを見ていたので、とても実感を伴って観る事ができた。(英国の名所はこちらをどうぞ→http://www.kingdomfellowship.com/Column/Camp02.html

前に「HERO」でも書いたが、人を治める、あるいは人の上に立つためには、ある種の「徳」が求められる。今回も円卓の騎士たちが己を虚しくして、命を賭して戦うのは、自由という大義のためというメッセージがあった。ひるがえって安全なところから掛け声だけの現代のブッシュも、「イラクの自由」という大義を叫んでいるが、なぜか高貴さが欠如しており、彼の物語は本映画よりははるかに安っぽく感じられてしまう。次なるムーア氏の「華氏911」が楽しみである。

生きることの重さ

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              スコットランドの夕日

NHKで「阿波丸」のドキュメンタリーがあった。

戦時中アメリカの捕虜のために食料などを運ぶために特別に安全航行を保証されていた同船は、実は日本の軍事物資や人材を密かに運搬すると言う特殊任務を帯びていた。

それを知ったアメリカは世論に応えるために捕虜を大切にする目的で同船を見逃す決断をする。ところがある潜水艦がその通達を見逃し、しかも同船を駆逐艦と判断して4発の魚雷を打ち込み、同船に乗っていた2,500名が海の藻屑と化した。かのタイタニック以上の悲劇であった。

駆逐艦と判断した潜水艦のソナー担当者は現在も生存されており、90を超えていた。彼は言う、「確かに私は判断ミスを犯しました。阿波丸は1分30秒でレーダーから消えました。しかしもし再度同じ場面に出会うとしたら、自分は同じ判断をするでしょう・・・」。

ここで私は思わず「う〜ん」とうなってしまった。自分の判断ミスで2500名が死んだことをこの老人は60年以上も背負ってきたのだと。どのような心の遍歴を辿ってきたのだろう・・・。

原爆を落としたエラノゲイの乗組員たちはみな原爆投下に関しては触れたがらず、神経質な反応を見せていた。彼らも自分たちは絶対に正しいと主張していたが、"何か"を負っていることは明白であった。常に自分の良心に自分の正しさを訴えていないと生きてはいけない彼らの心の真実。

もしイエスの血がなかったならば、私は地上に長居はしたくない。歳を重ねることは自分の垢を溜め込むことに他ならないからだ。絶えず自分の良心を自分で宥め続けなくてはならない人生は過酷である。イエスの血がなかったら私はとっくに発狂していたであろう。

まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。・・・そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。―ヘブル9:14;10:22

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採点はかろうじてリーダーを騙し騙しで終わりました。最終成績もExcelで処理し終えて、あとはあす報告書に転記するだけ、と。これが一仕事であるが、ニンジンがぶらさがっている、あと一息だ。

生きてる実感!

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                  三ッ池公園

う〜ん、苦しんでいます。これまで私はCP/MからはじめてMS-DOS時代を経てWindows一筋でしたから、Unixの世界に本格的に飛び込むのは今回がはじめて。(というか、前にFree BSDのレンタルサーバを借りて挫折している。)

最新のLinuxはWindowsと同じようにほとんどGUIでいけるようだ。サーバもWeb,Mail,Ftp,DNSなどすでについており、設定も軽くいけそう(?)・・・が、具体的にはかなりイロイロとクリアしなくてはならないことがあって、さてさて、無事に移転ができますか・・・。

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マニュアルとにらめっこではストレスも溜まるので、目の前の三ッ池公園を毎日ジョギングしている。大きな池が三つあるのでその名がついているが、緑豊かで実に良い公園だ。(上の写真は桜の時期)

まあ無理はしないで、軽く流している。途中両手を上げて、祈りつつ、汗をジットリかいて、風呂にドプーンとつかり、ビールを飲むのが最近の楽しみの一つ。(アルコールは弱いので、小カンですが^^)「生きてるなあ〜」と実感できる瞬間である。

若いころは何か焦って、生き急いで、空回りをしていたような感じだったが、ようやく最近足が地面についてきたよいうな・・・。

8月2日は中村ファミリーと食事をして、3日は早朝に北海道に経つ。羽田空港そばのパーキングに予約を入れたりと、指折り数えてこんな準備をしている時が一番楽しいのかも知れない。

さあ、明日は試験の最後。マークシートリーダーが正常に働くか、ちょっと心配だが、あと一息だ。

「カバリング」について

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前にDr.ルークは「カバリング」にはあまり賛成していなかったが、権威に服することと「カバリング」についてもっと聞きたいとの声がありました。

私が現在言われている「カバリング」から受ける印象は、ある特定の教役者(自称、使徒・預言者・牧師など)の元で、その霊的保護と指導に与るというものです。さらにはある系列に入ることを意味するように感じています。枝教会とか系列教会とか・・・。

私がいわゆる「カバリング」に対して批判的なのは、主イエスと個人または教会の間に、この「カバー」が入ってしまうからです。

BBSでも少し触れていますが、聖書の原則は次の通りです:

1)地上の各地に現れたローカルな教会は、それぞれが自立して、直接に頭なる主につながり、直接の油塗りによる導きと、主に対する責任を負う。諸教会の間に、本部教会や枝教会なる関係はなく、それぞれが対等に自立する。

2)ローカルな教会はどのようなミニストリーを受け入れるか(=服するか)、自己責任で選択することができる。ミニストリーとは個人または教会が主イエスとの関係を深めるために奉仕するものであり、彼らをキリストに根ざし、キリストの中で建て上げることである。つまりミニストリー依存にしてはならず、むしろキリスト依存に導く必要がある。

ここで権威の混乱が見られる理由は、ニッポン人の甘えの病理が根っこにある。「カバリングを受ける」と称してその人あるいはミニストリーに依存したり、自己責任を放棄して、あなた任せになる傾向が強いのである。また一方ではこのような人々が自分に依存していることに自分の価値観を見出すミニストリー提供者も出る。主のひつじではなく、自分のひつじを囲うのである。

お分かりでしょうか?すでに「カバリング」というニッポン・キリスト教語の定義が確立しており、しかも真の意味での権威に服すること(一般名詞としてのcovering)からかなり逸脱しているのです。これは「カリスマ」についても同じです。すでにニッポンキリスト教聖霊派的「カリスマ」の定義が確立してしまっています。私は英語でcharismaticといわれても抵抗ありませんが、ニッポンキリスト教語で「カリスマ派」とは言われたくはありません。

日本語は聖書の真理を理解するためにはもっとも不適切な言語であると感じていますが、日本語の世界は日本人の精神病理によってひとつの閉じた世界ができており、その中で聖書の言葉をいじくるとき、ニッポンキリスト教の「教え」が生まれます。それはニッポン人の病理によって相当にバイアスされているのです。

鍵は言語を超えた霊的リアリティに直接に触れること。「重力は距離に反比例し、質量の積に比例とする」とか「f=G・mM/r^2」と書いてもその意味が分からない人は多い。が、食べ過ぎれば容易に重力そのものは体験し得る。霊的世界も同じ。理解できなくても、経験し得る。だれもが直接イエスに触れ、イエスを知ることができるのが新契約である。

「カバリング」を求めたり、押し付けたりする人々は次の聖句によって霊と魂が切り分けられる必要があろう:

 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟
 に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から
 大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるから
 である。(ヘブル8:11) 

正しい権威に服すること

本日のぼやき:500枚の試験マークシートの採点をしているのですが、わが大学の私の上にいます権威はこういったところにあまり金を使いたくないらしく、シート・リーダーが古くて読み取りミスの続出。やれやれ。金曜日にあと200枚あるのだが・・・汗 しかも成績報告書はすべて手書き!夏休みはいつ来るのかなぁ・・・・

* * *

さてさて、私をカルト教祖として訴えていた御仁によると、Dr.ルークは妄想の世界に住み、権威を否定しているくせに、自分は権威風を吹かせているというものであった。実際にも、一部の教会のカルト化が話題となっており、この権威の問題が槍玉に上がっているようである。

ここに神の教会に対する二面からの敵のアタックを見ることができる。一面、一部の牧師が真の権威ではなく、権威主義を強要することにより、その下にある人々がある種の霊的搾取を受け、いわゆる「権威嫌い」に陥る。私が批難しているのは権威ではなく、権威主義である。
 
かくしてもう一面では真の権威に対してすら「羹に懲りて膾を吹く」状態となり、下手をするとあえて権威を否定し、あえて逆らう者も出る。彼らは自由を放縦とはき違えている。彼らは糸の切れたタコのように風に吹きまわされる。

しかるに聖書は明確に権威の系列を語っている。夫婦関係におけるそれ、親子関係におけるそれ、職場の人間関係におけるそれ、国家との関係におけるそれ、そして教会の中におけるそれ・・・。

実は正統な権威に服することは安息と平安を生み出す。安心して任せておれる権威を自分の上に得ることは大きな霊的祝福である。私はすでに90年から英国のColin Urquhartの権威に服しているが、毎年平安が増し加わっていることは明確に証しできる。彼自身が平安の中にあるから、私にもその平安が伝染してくる。かくして権威に服することは安息と平安に留まること、このとき自然と頭(=キリスト)に注がれた油が垂れてくる(詩篇133篇)。あちこちの"油注ぎの器"を追っかける必要もない。

この真の意味で権威に服することは、実は自立していないとできない。自立しないでただ「あなた任せ」にして、自分の期待が裏切られて傷ついた〜とわめく御仁がいるが、何のことはない甘えの病理に過ぎない。幼稚である。従順と盲従はまったく異なる。まず神の前での単独者として自立しているゆえに、誰が真の霊的権威を帯びているかを自ら判断して、自らその権威に服すことができる。この関係は国家と国民も同じである。現代のニッポン人はあまりにも国家に甘えている。

ニッポンキリスト教界を見て、あまりにも幼い者たちが勝手気ままな主張を繰り返しているのを見ると、60年代の学生運動を彷彿とする。彼らは青臭い主張を持って既成の社会(=権威)を否定し壊したが、何のことはない何も生み出すことはできなかった。現在の教界も同じ。確かに権威主義を振り回す牧師もいることは事実。しかしもっと大人として対応できませんか。どうも社会より40年は遅れている、ニッポンキリスト教界は。子供過ぎる。いわゆるリバイバルが起こるはずもない。

成長しましょう。神の前にまず単独者として立つことによって。そして互いの関係を、ひとりひとりが自立することによって、建て上げていきましょう。政治家は国民のレベルを超えることはないし、牧師も信徒のレベルを超えることはない。逆に言えば、政治家を見れば国民の質が分かるし、牧師を見れば信徒の質が分かる。サルは鏡を見て、その中に写った自分に攻撃を仕掛けると言う(ヤコブ1:23参照)。

互いの関係において油が塗られる時、真に服することができる。真に服した者は権威を帯びる。これは別に職制によらない。その権威はその人の醸す安息と平安の雰囲気によって証明される。

それにしても・・・

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ヨン様ズラやメガネって誰がするんでしょうね。不思議です。男が自らそんなものをつけるんでしょうか?女性にセーラー服を着せてしまう植草教授みたいなアブなおじさんもいましたが、逆コスプレ趣味で自分の恋人やダンナにつけさせる女性がいるんでしょうかね。そいで、ふたりでエクスプローラーに乗るわけ?ちょっとアブナイ光景ですよ(^^;A

ヨン様現象の経済効果

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         フォード:エスケープV6 3リッター
         (うちのはシルバーメタですが・・・)

これって一体何なのでしょう?どうも解せない。うちの家族は私以外はみな見てたのですが、それでも娘たちは「うっそ〜、ありえな〜い!」と半分冗談でしたが・・・。

昔、堀ちえみの「スチュワーデス物語」が人気を博した時期がありました。実は私もアレは好きでして、「教官んっ!ドジでのろまな亀みたいな松本ちあきは、試験をクリアして立派なスチュワーデスになれるんでしょうかっ!」(私:知るかよ、人に聞くなって!)、「松本おっ!お前は、ドジでのろまな亀じゃない!(そりゃそうだ)お前を必ず立派なスチュワーデスにしてみせるっ!」(私:疲れるだろうな・・・)といったノリが何とも楽しかったことを覚えています。

ヨン様はこれに比べるとどうもかったるくて、気合が抜けてしまうのですね。やたらとマフラーやハイネックが多いのも、ちょっと不自然と思ってしまう私であります。何でもテレビの女性キャスターが「かったるい」とコメントしたら、批難ゴウゴウだったそうです。何だかコワイですが・・・。加えてヨン様カツラに、ヨン様メガネとか・・・。(私:誰がするんだよ)

で、今ヨン様の乗っていた車、フォードのエクスプローラーがこれまでの3倍の売り上げで、大人気だそうです。30から40台の女性がダンナの手を引っ張って買いに来るんだそうです。自分も何だかヨン様に包まれる夢見心地ちになるんでしょうかね(笑)

実は私はフォード一筋でして、5台のフォードを乗り換えてきています。前回、トーラスを買い換える時、実はエクスプローラー(7人乗りです)を買いたかったんですが、でかすぎるのと高すぎるので、その次のランクの四駆エスケープにしておいたんです。う〜ん、エクスプローラーにしておけば、もっともてたかもしれない!