最近の日記

暴露されて来ました

イラクの大量破壊兵器に関する報告書は結局いい加減であったことをアメリカもイギリスも認めました。このような形で「予防的措置」としてイラクに戦争を仕掛けたわけです。

またこのことを一部の親イスラエル主義のクリスチャンたちは、イラク市民は警察である国連に助けを求めたが何もしてくれなかったが、ヤクザであるアメリカは非合法かもしれないが助けてくれたと弁明します。かくしてイスラエルの脅威は去ったと。

ある意味で完全に逝っていますね。このようなことがまかり通れば、神の立てた権威の流れや公義が損なわれます。イスラエル中心の聖書預言解釈システムによってヴァーチャルリアリティに生きているかのようです。怖いのはその自分たちの解釈システムを神と等価に置いていることです。

アメリカのイスラエル化、すなわちパラノイドの病理の共有はすでに私が論じたところであり、その予測どおりになってきています。さて、ブッシュはこの落とし前をどうつけるつもりでしょうか?

http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/Jews&Japas2.html

白くない白骨温泉

いやあ、これは面白い。草津温泉の入浴剤とは!よくもまあ、姑息なことをと・・・、が、これは愛嬌があります。

真実の隠蔽と言っても、ウイルスやプリオンに感染した肉や火を吹く車よりは実害がありません。(温泉好きの私は憤慨してますが・・・)

で、さらには、もっと重大な政治のレベルでは、くれぐれも白くないものを白にすることのないように頼みます。

そのサンプル:小泉純一郎氏

彼は見事に自分の言葉で自分を語っています。ここまで開き直って、相変わらずの様は、ある意味で見事ですね。実に言葉が軽く、しかし巧妙な人だ。こういった指導者を選んだニッポンは末永くその実を刈り取ることになろう。

自分を語る言葉

面白いですね、人の心は。そしてキリスト教界というところはその病理がモロに表出するようです。実に人間の病理標本には事欠きません。

同じ聖書を読んでも、神学的に真っ向から対立し、相手の人格までも云々となります。ひとつの事件に対しても証言が見事に食い違ってきます。

しかし、ひとつ言えることは、必ず自分にとって益または有利となるように語ること。特に心を病んでいる人は、巧妙に人の同情を買い、ウソと脚色を交えて、自分に有利な方向へ誘導する術策に長けています。実に黒沢明は天才でした。

こういう話があります。ある極みまで完成された絵を人に見せます。それに対して批評をするその言葉を聞けば、その人の内面が分かると。

あるいは「線形システム理論」という分野があります。ブラックボックスに、ホワイトノイズ(すべての周波数の音を均等に含む雑音)を入れて、そのアウトプットを見ると、その内部の構造(伝達関数)が分かるのです。

医師が胸をトントン(インパルス刺激)と叩いて、反射音から胸腔内部を診ることも同じです。

そして人の心も同じです。私たちが「何か」について語るとき、その語る対象を批判しまた暴露しているのではなく、実は自分の内面を暴露しています。

私たちは人と関わる時、その人の発言の内容の真偽よりも、そこに出るトーンやニュアンス、そして霊を観察します。言葉には必ず霊が乗ります(人格を持った霊ではないですよ)。そして必ずその人の心の動機が見えてきます。人はその言葉によって自分自身を雄弁に語っているのです。

KFCのスタンス

昨日の内容に早速ご質問というか、クレームをいただいた。ニッポンキリスト教と関わらないとはいったいどういうことか、と。やれやれ。

人間の組織においてはしばしば個人の信条や良心よりも、その組織の決定や存続を優先し、個人が疎外されることが起きる。教団の理事会や、役員会の意志が主の御心よりも優先されることは極めてよく起こる(でしょ?)。しかもその役員会などの力学はきわめて人間的であり、「白い巨塔」的である。特に資金的な繋がりがあれば致命的である。

私たちはこのような圧力からは一切自由でいることを願っている。主と御言葉と個人の良心に忠実でありたいだけである。これを損なうリスクのある関わりは一切避けたい。しかし、もちろん個人レベルでの交わりに対してはオープンである。一対一での神との関係、また一対一での個人との関係。これはキリストを共有し得る限り、大いにウエルカム。

実はこのようなスタンスを取ることには、結構リスクがある。いわゆる伝統を重んじるニッポンキリスト教界からはあまり芳しい評価はいただけないであろうし、また出入りが自由なので、変な人がまぎれることがある。これらの人々がまた自分の歪んだ目を通して見た"KFC"をあちこちで喧伝して回る。

しかし私たちは人の目とか人の評価はほとんど信頼していない。これがいかに危ういものであるかは、私は心の専門家として、また経験的にも熟知している。朝と夕でころころと変わるのが人間である。「人を恐れるならば罠に落ちる」、とあるとおり、神の教会を立て上げることでの最大の障害はクリスチャン自身の心にある。

まことの自由を享受する道は、人を見ないこと、神の前で経済的にも精神的も霊的にも自立すること。そして捨てること。私はただキリストの愛以外には縛られたくないだけであり、自由をエンジョイしていたいのである。メル・ギブソンの「パッション」はあまり・・・だが、むしろ「ブレイブハート」を評価したいDr.ルークである。

野中氏のコメント

いいですね、彼のコメント。

まず小泉氏が言葉のマジックで、自衛隊の多国籍軍参加をへらへらとしたことを憲政史上の最大の汚点と。しかし民主党の政権担当能力には疑義を呈しています。

こういった渋い政治家が引退してしまったことは何とも残念です。どうも黒幕的イメージがありましたが、筋の通った肝が据わった人物と再評価しています。

小泉氏に引導を渡したい、きっぱりと腹を切るべし。

民主の健闘

予想の通り、民主が延びているようです。青臭く、政権が担当できるかは一抹の懸念はありますが、とりあえず小泉氏には降りてもらいたい。

さて、これで民主が窓口調査のとおりの議席を取ったとして、小沢氏の処遇が気になります。彼は用済みとなるのか、それとも起死回生、機会をとらえて前面に出てくるのか、少々楽しみです。

 * * *

昨日も書きましたが、Dr.ルークは一体何者?と最近よくたずねられるのです。はてさて、何とお答えしてよいやら。いわゆるひとりの主にある兄弟なんですが・・・。

これまで私はニッポンキリスト教には関わることを避けてきましたが、これからもますます避けるでしょう。この業界はどうも一筋縄ではいかない、一種の要塞と化しているようです。自閉症的村社会、当たり前が当たり前でない社会。どうも精神医学を専門にしている私から見て、病んでいますよ。

この高々2%に多くのエライ先生方が押し合いへし合い、教団や教派も数知れず。一度関わるならば、河童によって泥沼の中に足を引っ張られそうです・・・(^^;A

むしろこの世に積極的に出て行って、この世と積極的に関わること。私たちはこの世の者ではないが、この世にいる者であり、主もそう祈ってくださった(ヨハネ16:33;17:15)。クリスチャン的「出家」は危ないのです。




 

KFCはエリート主義?

あるところで、KFCは異端ではないがエリート主義である、との評判があるらしい。まあ、いつのまにか私もイロイロ言われているようですね^^ニッポンキリスト教とはかなり距離を置いているつもりですが、「評判」というものは私本人とは関係なく一人歩きするもののようです。

「ゴルゴ13」というお行儀の良いキリスト教徒はまず読まないであろう劇画の作者である「さいとうたかを」氏が、「ゴルゴ13のさいとうたかを」と呼ばれるのがショックだったと言っています。作品が勝手に一人歩きした結果です。同様に「Dr.ルーク」というブランドには本人と無関係に色が着くのです。

その一因はどうも私が掴みどころがないせいでもあるようです。私はニッポンキリスト教のどの派とも関係ありませんし、師と仰ぐ人もひとりもおりません。系列もなく、派閥もなく、教団所属でもなく、○○連合や××連盟にも関わってもいません。リバイバル新聞社から本やビデオを出しましたが聖霊派でもなく、福音派とも関係なく、もちろん社会派でもありません。

よってコイツはいったい何者だ・・・?というわけです^^カルトの教祖にされたり、エリート主義者にされたりと、やれやれ、私の関係のないところで「私」も忙しいことです(笑)。

まあ、ポツポツと「エルサレム」の偉い先生方のおられるところからは離れて、「ガリラヤ」のド田舎でマイペースで行きますよ。人におもねることなく、人の顔色を見ることなく、ただ主の御心を畏れ、主のみ顔を見つめつつ、人に仕えることなく、神に仕えるだけです。

曾我さんの再会

車で帰宅途中、車内のTVで見ていました。ある意味感動ですね。ただこれからを考えると、またこれが政治利用されることを考えると、素直に喜べないことに少々憤りを覚えます。それにしても国家と個人の関係って一体何なのだろうと、社会科学を学んでこなかったことを悔やんでいます。

ニッポンプロ野球の終焉

できる選手はみな大リーグへ流出。で、渡辺さんの台詞に呆れた。プロ野球選手会がオーナーとの対話を求めているという話に、「無礼なことを言うな。分をわきまえないといかんよ。たかが選手がオーナーと対等に話をする野球協約上の根拠は一つもない」と語り、古田会長がスト権の行使についても言及すると「どうぞ。やったらいい」と述べた、そうだ。

この人何勘違いしているのかね。ファンと選手を置き忘れて、自分が野球するつもり?典型的な老害です。まさに人間大成して醜悪を曝す。

でもね、これは野球界だけはないでしょう。ニッポンの隅々にまで浸透している感じがしますが。官曰く:「国民よ、分をわきまえよ」。役所曰く:「住民よ、分をわきまえよ」。そして牧師先生曰く:「信徒よ、分をわきまえよ」・・・。渡辺氏は戦後のニッポンの象徴的人物像ですね。

長さんではないが、だめだ、コリャっ!

注:私は野球にはトンと関心がありませんが、こればかりはどうも。実際巨人が金積んでいいとこ取りしているようでは・・・。大リーグを見ている方が気持ちがいい。

アーレフの証し!?

先に紹介したサイトの中にありました。いや、驚きますね:

引用... 続きを読む

オウム(アーレフ)と教界の現状

警視庁長官銃撃事件で、元オウム関係者が逮捕された。一体誰が実行犯か不明であるが、何らかの進展があるのだろう。で、ちょっとネットを検索して、元オウム真理教、現アーレフのサイトを覗いてみた(→http://www.aleph.to/)。

いや、実はこれが面白い。内容がきわめて哲学的かつ科学的。上祐氏は早稲田理工学部出身だけあって、よく勉強している。素粒子物理学の観測の問題、つまり人間の意識と観測の関係や、キリスト教のこともよく勉強している。霊的にはやはりニューエイジに入っているが、内容自体は面白い。

対してキリスト教界のサイトはどうか。これが実に貧弱。「貴方には罪があります。イエス様は身代わりに死なれました。あなたは神のVIPです。信じれば天国に行けます。この世でも幸せになれます。」―オワリ。

はっきり言って、自然科学者としての私から見た時に、まったく面白くないし、幼稚である。例えば、進化論を論駁する論理もきわめて幼稚。せめて木村資生氏の中立説を確率微分方程式で説明できるくらいの知識を持っておいて、創造論を説いて欲しい。

あるいは人の実存的状況について、その真実をカフカあるいは村上春樹の「ノルウェイの森」の病理を解き明かせる位の見識を持ってから、人間の虚しさを説いてほしい。

現在の福音伝道の状況を比喩的に言えば、真実を知っている幼稚園生が、偽りを信じ込んでいる東大生に述べ伝えるようなものである。しかもこの幼稚園生はプライドがかなり高く、頭ごなしに「信じろ、信じろ」を連発し、自分は難しい神学をアレコレ知っていると互いに張り合っているから始末が悪い。また禅の修行僧の清々としたあり方に比して、牧師先生たちの脂ぎった様も私は好まない。

さらに最近、チャーチスクールやホームスクールなどが流行であるが(前にここのBBSでも嵐が吹いたが)、これには大いに疑問を呈する。いいですか、ヨセフもモーセもエジプトで当時の最高の学問を身につけ、ダニエルはバビロンで霊的に訓練されたことを忘れるべきではない。パウロもガマリエルの元で薫陶を受けた。

前にCLC洋書部で、夏休みにアメリカから帰省した(多分)牧師の倅が、「○○の訳本ないですか。試験対策なんです」と言っている光景に遭遇して、やれやれと思ったものだ。本人も、彼の牧会に与る者たちも不幸であろう。かくして今後、温室育ちの幼弱にして、ちょっと発育不良(異常)のクリスチャン・ジュニアが出てくることを懸念しているのは私だけであろうか。

真に子供を愛しているならば、教界などに任せることなく、この世で鍛えるべし!

信仰―安息に入ること

ヘブル書に安息に入ることが強調されている。イスラエルが安息の良き地に入り損なったのは、信じなかったからだと明確に書いてある。この神の民のための安息はまだ残されているから、くれぐれも不信仰によって入りそこなうことのないようにとある。

日本がリバイバルしない理由は簡単である。クリスチャンたちが安息していないからだ。洗礼に至るまでは下にも置かずに気を遣ってもらえるが、いったん洗礼を受けるや、伝道に、奉仕に、聖日礼拝厳守に、十一献金に・・・と次々に急かされる。「一億総動員伝道」とか、私は聞くだけでめげてしまう。「何とか運動」などからは私はすっと距離を置く。

かくして大量のクルシチャンと霊的難民が生まれ、教会をさ迷い歩く。アッチに油注がれた器が来るとか、新しい霊の流れだとか、まさに教えの風に吹き回され、ついに絞っても水が一滴もでない雑巾と化す。

はっきりと言いたい:リバイバルの鍵はクリスチャンたちが真に安息することにある。安息し、潤い、みずみずしく、しっとりと、つやつやと、主にある豊かな富を享受することにある。力の抜けたクリスチャン、安らいでいるクリスチャン、心の底からふつふつと喜びのわき上がるクリスチャン―これがリバイバルの鍵。

ウォッチマン・ニーは言っている:私たちが主のために無駄になるとき、ナルドの香油の香りが満ち、未信者は渇きを覚える。これが真の福音である。イエスのために無駄になる祝福よ!

期待と恐れと・・・

曾我さんがいよいよ家族と再会する。これは大変けっこうであるが、どうも選挙前の日程が気に入らない。政府は否定しているが、選挙を考えての感動ストーリーの演出であることはミエミエ。小泉氏はこういったことも利用するのか。

曾我さんは3人の家族を説得できるか、期待と恐れが渦巻いているだろう。「説得を言う言葉を使いたくない」という彼女の言葉に、できれば葛藤を避けたい、家族は理解してくれるだろうという切なさが現れている。しかしもし3人から逆に北で暮らそうと言われたらどうするだろう。ジェンキンス氏にとっては別に日本に来る理由などはない。彼は亡命者である。

曾我さんはけなげに記者会見しているが、彼女を利用する小泉氏には少々義憤を禁じ得ない。この人にはそろそろご退場を願いたいのだが・・・・