最近の日記

この国を憂う

かつて三島由紀夫は憂国の士として、市谷自衛隊本部において隊員に決起を迫るも、怒声の中で拒否され、ついにボディ・ビルで見事に鍛え上げた腹を切った。彼は予言していた:「このまま行くと極東にほかに何もない空疎な経済大国が残る」と。で、確かにそのとおりになっている。

かつて黒船来航により政治的な引きこもりから暴力的に開国を迫られ、ここで政治的な自尊心を打ち砕かれて、武士道を捨てて西洋文明に追従する猿真似ニッポンが誕生した。ここで政治的アイデンティティを否定され、真の内的自我と外的自我に分裂し、真の自我を抑圧したまま、外的自我は西洋に追い越せとばかり富国強兵に邁進し、ついに日露戦争に勝利し、日清戦争から続くWW2まで戦争に次ぐ戦争にのめり込んでいった。抑圧された真の自我が疼いた結果である。http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing6.html

しかしながら、何の見通しも作戦もないままに、竹やりでB29に立ち向かった結果、原爆を落とされ、ここで軍事大国ニッポンも壊滅した。戦後ニッポンはお仕着せの憲法の下、一路経済拡張路線に走り、バブル時にはボーゲル教授の「ジャパン・アズNo1」で有頂天となり、文字通りに泡踊りをし、これもアメリカの資本にほとんど漁夫の利を渡して、ついに経済もクラッシュした。かくしてニッポンは、<政治的アイデンティティ>、<軍事的アイデンティティ>、<経済的アイデンティティ>の三面を見事に粉砕されたわけである。今のニッポンにははっきり言って何もない!

精神分析の用語に「去勢不安」という単語がある。幼児が「ある人」と「ない人」の存在を発見する時、「ない人」は悪いことをして取られたのだと解釈し、ここで父親との同一視によって取られないように善と悪の価値基準を植え込まれる、これがいわゆる超自我(=良心)であるとフロイトは解く。男は潜在的にこの不安を常に抱えており、これが自分のアイデンティティを否定される時に、男が見せる脆さとなる。

日本の歴史に照らす時、まさにニッポンは去勢に告ぐ、去勢の歴史と言える。今やアメリカに対してはまったくの腑抜け状態。相手の言いなりに、ただ貢がされている始末。かくしてニッポンの借金は2004年3月末時点で703兆1478億円。総額は03年度の国内総生産(GDP)(2次速報値)の1.4倍。生まれたばかりの赤ちゃんも含め国民1人当たり550万円の借金を負った計算だ。加えて合計特殊出生数は1.29。

リバイバルを口先で叫ぶだけのお仕着せクリスチャンたちにはいい加減に目を覚ませよと思いつつ、私もできれば三島みたいに腹を切りたいが、そんな気概もない。今必要なのはエレミヤ的預言者であろう。私自身もどのように祈ってよいかも分からないが、御霊のうめきに委ねるだけである(ローマ8:26)。

人の心の不思議(3)

私のような立場にいると人の心の真実を否応なく見なくてはならない場面に往々にして遭遇する。その度にエレミヤ17:9は真理であることを確認するが、人の心はゆがんだ鏡のようである。

いろいろな面々が私たちの前を通り過ぎていった。不正な金を兄弟姉妹から集め、自分の事業につぎ込み、しかも返済を一切しない旅行会社社長。自分と合わない人に関して「あの人には悪霊がついているから気をつけよ」などの中傷を陰で行い、いろいろな人々に突然絶交状を手紙やFAXで送りつけるご婦人。女子高生と親に隠れて交際をし、それを戒めた私の言葉を呪いの預言として、そのために鬱病になったと訴えるやたらと神学には詳しい中年独身男,etc。

これらの方々は結局私たちから離れた後、私どもを、異端だ、カルトだ、と言い広めて回っているが、これもお決まりのパタン。こういった傾向はこの世の組織でも、例えば大学の学長選挙などに伴って怪文書が流れるなどよくあるが、このような話を見聞きするたびに、黒沢明の名作『羅生門』を思い出す。

お体裁の人を気持ちよくするメッセージで、人を"接待する”牧師もいるようであるが、真実に御言葉を語るならば、必ず人の心は霊と魂が切り裂かれ、その真実が暴かれる(ヘブル4:12-15)。一方でいろいろとややこしい神学論争で、これまた互いに異端のレッテルの張り合いをする先生たちもいる。神学的にいかに正しいかろうが、神の取り扱いがない、いのちに触れないメッセージは虚しいし、それは神に仕えるものではなく、人に仕えるものに過ぎない。このようなメッセージで人を集めて何千人教会などを作っても、神の前でいったいどのような意味があろう。

仏教でも救われるとか(私は禅で永遠のいのちが得られるとは言ってないですよ、念のため)、救いにはイエス以外のいろいろな道があるとか、未信者で死んだ人もわずかの善をなしていれば天国に入れるとか、こういった人間中心の教えが表立って目につくようになってきている。このような霊的偽りの状況において、私たちのような立場にあるとつねに、神に仕えるのか、人に仕えるのか、を直接に主から問い掛けられる。神の言葉を預かることの責任である。

人に仕えるのであれば、御霊の油塗りは必ずストップする。自分がどこにいるのかは、内なる油塗りの感覚で分かる。この塗り油にとどまること(1ヨハネ2:27)―ここにクリスチャンのいのちのすべてがかかっている。

電子出版の可能性

NHKの「クローズアップ現代」において活字離れによる出版業界の窮状をレポートしていた。同時に電子メディアによる読書形態が増えているということで、電子出版の可能性を指摘していた。

小生も今出版を考えている本の原稿がほぼできているのであるが、紙メディアでは原価が高くなる上、流通を通すと卸しや書店でサヤを抜かれ、諸経費がかさむ上、在庫管理も大変なので、ずっとペンディングだったが、電子メディアで提供できれば、1冊からでも領布できる。

事実、バイブルカレッジのレクチャー・テープはかなりのご好評をいただき、発送が追いつかないこともしばしばである。また主日のメッセージもこことFTPで公開しているが、これも好評である。さらにセレブレーション全体のテープも同様。真理に対する飢え渇きが強いことが手に取るように分かる。

レクチャーもネット上でオンラインで学ぶことができるように整備したいと思って、中々着手できないできたが、この夏休みに少し手をつけてみようと思っている。そのためには少々設備投資とノウハウの勉強が必要なので、若干ヨッコラサと気合を入れなくてはならない。

さてさて、元々怠け者の小生のこと、どこまでできますか・・・汗

姑息な手段を・・・・

今回合計特殊出生数が1.29となったことが発表されたのは、国会で年金法案が通った後であった。年金法案では1.32で計算されているという。法案を通すために真実を隠蔽するとは・・・

この国はダメですね。こんな姑息なことをして、真実を覆い隠し、泥縄でやりくりせざるを得ないとは。すでに厚生省の予定した数字も毎年底が抜け続けてきた。

この国の病理はすでに可塑性(逆戻り可能)の範囲を超えているのかも知れません。クラゲみたいに波の間に間に漂うだけ。アメリカに頼って生かさず殺さずでかろうじて自転車操業状態。

主の重い御手による取り扱いがまず必要でしょう。クリスチャンたちがアメリカ産の"油注ぎの器"の音頭で踊り、リバイバルの幻想を追っている現状は何とも悲惨で、やり切れないものを感じます。

マジックの魅力

前に「徒然」でも書いたが、私は映画とか口上売りとかマジックなどが大好きである。視覚系が騙されることは実に楽しいというか、夢がある。

「騙される楽しみ」
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing37.html

一般に、精神を受動性(アイドリング)に置くことは霊的には危険であるが、あえて安全な領域では精神の休息を生む。かくして私はマリックさんのファンでもあり、自分でも結婚式の披露宴などで超(?)魔術も披露したりもする。

しかし今日のセロという人物のマジックはすごかった。皆さんはご覧になりました?マリックさんも真っ青ですね。大掛かりな仕掛けがなく、日常性に密着し、日常性を超える結果を生むほどに驚きが大きくなる。

一方で今日の世界情勢を見ていると、何がフェイクで何がリアルであるのか、分からなくなる。前に紹介した私の元同僚(彼は小室直樹の弟子です)が今度新著を著した。題して『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店刊)。(→http://soejima.to/

要するにアポロ計画はヤラセであって、人類は月面には行っていないというわけ。これはいろいろな説があって、TVやネットでも論じられているが、最近のアメリカの手法を見いているとさもありなんと妙に納得できてしまう。国家が嘘をついたら、それを見抜くことはまず不可能であるし、むしろその嘘を暴こうとする側が精神異常として社会的に抹殺される。これはケネディ暗殺の真実を追った地方検事ギャリソンの運命でもあった。

もしかすると、世界にはとんでもない裏トリックがあるかもしれないと、薄々と感じ始めているDr.ルークである(やれやれ、これで私も立派な陰謀論者のレッテルを貼られるかな・・・・?)でも歴史を偶然であると見るより、意図があると見たほうがはるかに面白いと思うが(少なくとも文部省公認の歴史教科書などはウソで固めているだろうし、どの国であれ自国の「公式歴史」などは脚色に満ちているであろう)。

「神のご計画と陰謀論」
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing32.html

オブジェクションズ

昨日も少し書きましたが、昨今ワケの分からない事が多発しているようです。

1.オリックスと近鉄の合併:
これって不思議な現象ですね。経営上の必要性があるのでしょうが、こんなことをして球団として成り立つのでしょうか?解せません。ファンは置いてきぼりです。

2.年金の無駄遣い:
厚生官僚の天下り先を確保するために、年金源資から巨額の金をグリーンピアとか箱物だけの施設に流用し、経営が成り立たず、野ざらし状態とのこと。

ニッポンの病理は制度の問題ではなく、心の問題であり、人の道から外れているためです。年金にしても、経営センスの欠如した官も官ですが、国民も相互扶助は当たり前であり、自分がもらえないから払わないという理屈は、こじつけに過ぎません。国に対する甘えであり、昨日のおかしな面々の心性と変わるところはありません。

やはりこの世でも自分の後始末ができないオトナコドモが増えているようです。当事者意識が欠如していますね。この国の将来は相当にキモチの悪い状態になりそうです。

何か変ですが・・・?

イラクで人質となった3名のうちのひとりが国に損害賠償の訴訟を起こしたらしい。自分たちが人質になったのは、国が自衛隊を送ったからだと、よって損害賠償せよと。まあ、額が少ないことから見て、国に対するあてつけでしょうが、どこか変ではないでしょうか?

私のところでも、自分で問題を起こしておいて、それは私からのマインドコントロールを受けていたためであると騒ぐ御仁もいましたが、おいおい、私のところに来る前からすでにおかしかったのでしょう、と言いたいですね。

この世でも教界でも、この手の人種が最近は増えているようです。自己愛性パーソナリティ、さらには境界性パーソナリティです。自分の後始末ができない人々。いつまでもママに保護してもらう必要がある人々。精神科の臨床場面でも、病歴の長い患者になるとドクターを"診断"するツワモノも出ます。

どうも社会から浮いてしまう人がキリスト教界の中で群れる傾向があります。同じ病理を持っている人々はある種の共鳴現象を起こし、かくして病的要塞が次々に構築されています。病んだ状態が"正常"な世界―キリスト教界。自己が空疎なゆえに自己を主張し続けないとアイデンティティの希薄さのゆえに消え入りそうな人々。

彼らには十字架の適用が要るのですが、教会はそれができないままに、○○カウンセリングだ、何とかヒーリングだにおちている有様。受け入れて、慰めあっての世界。十字架のキレがないままに、ぐずぐず、グチグチの繰り返し。まさに魂の粘着性の証明。いやはや、今回復される真理は徹底した霊と魂を切り分ける十字架の真理とそのパワーである。サッパリ系、サラサラ系のクリスチャンでありたいものだ。

ヨン様と聖書預言

韓国のイケメンスターがモテモテらしい。「冬のソナタ」とかメロドラマを筆頭に韓国映画がヒットしている。NHKでチラっと観たが、なんともこそばゆいというか、日本の昭和30年40年代のよろめきドラマみたいな、ある意味で幼稚な話である。

が、このイケメンスターたちには、実は、日本のタレントが失っているある種のけなげさというか、純朴さがある。人は自分が失ったもの、自分が持っていないものを、いわゆるスターたちに投影して、そのスターの活躍を見ることにより、自分をそこに重ねて、自分のフラストレーションをカタルシスする。ニッポンが失ったある種のけなげさや純朴さを韓国ドラマが提供しているのであろう。

これはちょうど聖書預言の一見矛盾のないきれいな解釈を大事にし、イスラエルを純化してしまう病理と同じである。韓国イケメンスターときれいな聖書預言解釈信奉者の間には同じ匂いを感じることができる。

リーマン予想が解けた!?

150年前に提出されていたリーマン予想が解けたということで、アメリカの数学者が世界の数学者に検証を求めているとのこと。リーマン予想とは「ゼータ関数の零点の実部はx=1/2上に分布する」というもの。コンピュータの実験では確かにそのようであるが、証明はなされていなかった。もしこれが本当ならばスゴイ。もちろん私には分からないので、専門家の検証を待ちたいが、夢がある。かつて四色問題はコンピュータのしらみつぶしで解けた。数年前のフェルマーの予想も日本の夭逝の天才谷山と志村の定理を用いて解けた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BA%88%E6%83%B3

私の数学との関わりは、実は脳の機能との関係においてである。数学の真理は一体どこにあるのか。脳のニューロンのネットワークとシナプスにおける結合係数の分布にあるとすれば、数学は人の経験の中で作られるものとなる。しかし例えばフィールズ賞を受賞した数学者小平邦彦氏は、数学の発見とはすでにあるものを彫刻のように掘り出していくものであると言っている。つまり数学とは先験的に存在するものを見出す作業であると。とすると数学的真理はすでに脳の中に組み込まれていることになる。数学は一種の言語であるが、もしこれが人間の経験則から構成されるとすれば、どうして世界を数学で記述できるのか分からなくなる。自然界は数学で書かれている。

ヨハネは「はじめに言(ロゴス)があった」と言っている。数学もひとつのロゴスであり、神によって人の知性の中に書き込まれており、だから自然を記述できる、と私は信じている。わたしたち凡人の頭の中にも書き込まれているのである。ただそれが現れないだけである(あるいは記述する術を持たないと言うべきか)。

同じように、神によって律法も私たちの心の中に書き込まれている。新約はこの内なるまことの律法―いのちの御霊の法則―に従うことであり、これは心身脱落すれば、私たち凡人も享受することができる。すなわち内なるキリストに生き出ていただくこと、これは数学の発見と同じ。すでにあるものを形にしていく、つまり実体化することである。これが信仰である(ヘブル11:1)。

内なるキリストを見出すことは、おそらく数学の定理を見出すことよりもはるかに喜びに満ち、栄光である!

 私たちの内なるキリスト、栄光の望みである(コロサイ書)

人の心の不思議(2)

和歌山カレー殺人事件の林真須美被告人が口を開き出し、真実が語られるかと思いきや、全面否認とのこと。自分にはカレーに毒を入れる時間はなかったと証言。また一方で例の手鏡の植草元教授も完全無罪を主張。やれやれ。

私はこういう場合、被告人の心の中で何が起きているか、なぜ偽ることが平然とできるのか、さらにその弁護人はどのような心理で仕事を進めているのかと興味を抱く。人の心の不思議である。例の麻原氏の弁護人も完全無罪を主張していたが、彼らの本心はどこにあるのか。

しばしば法廷の事実と、真実は異なる。証拠主義と心証主義による判決であるから、それはやむを得ないとしても、本心を抑圧して、一種の芝居として弁護をするのであろうか?

一方で、精神医学的には、演技性人格障害とか、虚言症とか名づけることはできる。しかし法廷ではその本性は決して明らかにならない。真須美被告人の心は決して露にならないであろう。

現に政治家の石井紘基氏を殺した右翼系の人物の裁判でも、無期懲役が言い渡されたが、裁判官も認めるとおり、裏は明らかにならなかった。石井氏が持っていたカバンは、指を切り取られて中身が奪われていたようだ。それは日本をひっくり返す資料であったと生前語っていたらしい。オウムのときの村山氏の殺害事件も、警察庁長官狙撃事件の裏もみな闇に葬られたままだ。

このニッポンの闇は深い。社会の闇の深さは人の心の闇の深さの反映に過ぎない。人の心の不思議さ・・・。神を知らないほどにその暗さは深くなる。が、神を知っているはずのキリスト教界もかなり深そうではある。

ブッシュの本性

6月9日に紹介した本を読みました。クラーク氏の爆弾証言です。結局ブッシュは、とにかく因縁を見つけてフセインをヤリたかったのです(これは前から指摘しているとおりです)。今回の議会でも報告書が出ていますが、アルカイダによる9・11事件とイラクは何も関係がなかったと述べています。ブッシュの猿芝居ももう化けの皮がはがれています。

それにしてもこのブッシュを神が立てた特別の器だと賞賛してたあの方々は今頃何を考えているのでしょう。アホらしい。さらには、なおも懲りずに、あるアメリカの聖書原理主義のHPでは、大量破壊兵器は発見されているなどの記事が出ています。

この前千年期再臨・前艱難携挙説(ダニエルの最後の7年前の携挙)を取る人たちのステレオタイプな預言解釈によって、彼らは真実が見えなくされているようです。彼等は一種のヴァーチャルリアリティの世界にはまっています。

しかるにこのブッシュに尻尾を振り振りのわが首相は一体何を考えているのか。なしくずしで物事を推し進めようとするこの口達者な独裁者は・・・・。ニッポンはすでに岐路を回ったかもしれませんね。ブッシュ&ジュンの上に神の重い御手が置かれることを祈る。

人の心の不思議―エレミヤ17:9―

私は一応精神医学で医学博士号を取得しているが、では人の心がすべて理解できるかというと、じつはさにあらず。ますます人の心が分からなくなってきたというのが本音(汗)。

特にニッポンキリスト教徒と関わるようになって、ますます。不思議な人、理解できない人がきわめて多い。当たり前が当たり前でない世界。ややこしい神学はよく知っていても、フツウの常識が一切欠如している人。すべてを自分の価値観で判断して、相手の立場を理解することができない人。

そもそも電話で私はだいたい90%は聞き役。何のために私のところに電話してくるのか。私のアドバイスを欲しいなら、聞く姿勢を持ってもらいたい。実際よくなっていく人は、最初は自分のことを分かって、受け入れて、と叫んでいるが、徐々に聴く耳を持つようになる。聞くに早く、語るに遅く、とはまさに真理。

ニッポンキリスト教界という魑魅魍魎の跋扈するわけの分からない世界があるかと思えば、世にも三菱自動車というこれまたわけの分からない会社もある。なんと20年にわたってリコール隠しを続けていたと言う。しかもその隠蔽のためのマニュアルまでもあったとか!役人が監査に来たら、まず丁重に接待せよとあるそうだ。やれやれ、お役人も舐められたものである。かくしてすでに多くの犠牲者が出てしまった。わたしはこれまで15年間フォードを乗り継いでいるが、一時は三菱のディアマンテやパジェロを考えたこともあったのだ・・・。

一体、この国はどこまで腐っているのか。まさに、見かけは堂々としていても中が腐っている江戸幕府末期を描いた手塚治虫の漫画『陽だまりの木』の世界そのままである。私は、主よ、この国にリバイバルを、とは祈らない。主よ、まず洗練の御業を、しかるべき裁きをこの国とニッポンキリスト教界に・・・とうめきをもって祈る。

小6殺人事件(9)

精神鑑定の必要性があると言うことで、専門家による鑑定がなされるようだ。しかし出る結論は決まっている:サディズムを伴う分裂病的精神病質(サイコパス傾向)、行為障害、解離性障害(多重人格傾向)、あるいは小児精神病のいずれかであろう。というより、アメリカ精神医学会の診断マニュアルDSM-IVの基準から見て、これ以外にはあまり考えられない。

しかしこれで仮に診断名が確定したからといって、問題が解けるかというと、残念ながらそうは言えない。霊的要因の分析が欠如しているし、失われたものは帰ってこない。また対策が今後立てられるかと言っても、残念ながら難しい。要するに鑑定は法的あるいは行政的な判断に益するのみである。

ある方からDr.ルークは今回の殺人は霊的要因による儀式的殺人であると言っているが、詳しく聞かせて欲しいと求められた。正直に申し上げて、これはまだ直感的判断の段階に過ぎない。理論的裏づけはまだこれからである。外国にはすでにこれらの殺人様式のファイルが蓄積されているが、日本にはまだほとんどないためである。

外国では悪魔礼拝者たちは、現に悪魔に供するために殺人を行うし、しばしばセクシャルな要素が絡んでいる。今回は女児同士であるが、しばしばこの年頃の女児はリピドーの潜伏期を過ぎ、性器期に入る前段階として、未分化かつ幼稚な同性愛傾向を帯びることがある。

いずれにしろ今後の情報の開示を待ちたいが、少なくとも昨今の青少年による殺人は単なる「人殺し」ではなく、深い霊的要因が絡んでいるいることは間違いない。

サーヴァの不調から十字架へ

朝8時40分頃からサーヴァがダウンしていたようです。チャペルに行ってみると、ウイルススキャンソフトがフリーズしているのですね。同時にHDDに異常がありました。どうもメールサーヴァを立ててから、ウイルス感知が頻繁になり、その影響かのようですが、原因が特定できていません。

しかし、何が面白くてウイルスを作るのだろうか。やっぱり自分の腕試しのため?実は競馬や株式投資などの魅力は金を得ることももちろんですが、自分のヨミが当たることが快感なのですね。「私のやり方・方法」が当たることに喜びを見出します。つまり自分の魂を喜ばすこと。これがいわゆるフリークに陥る理由です。

実は投資手法には(逆)裁定取引と言う手法があり、株が上がろうが、下がろうが、ゲインを得ることができるのです。ところがそれではあまり面白くないのです!?お分かりでしょうか。人にはそれほどに魂に対する愛着的粘着力があります。

十字架はこの粘着を断ち切るわけです。よって魂には喜ばしくありません。今日、イエスの名による以外の救いの道があると言ったり、すべての人が救われていると主張する人は、まさに神に仕えるのではなく、自分に仕えているのです。

それは十字架を拒むもの―自分を守り、自分を主張すること。イエスに対して、ご自愛下さいとペテロをとおして囁いたサタンの誘惑です。しかし彼等は必ずその偽りの実を刈り取るでしょう。