最近の日記

ネット社会の危うさ

今回の事件でもすでに明らかになったが、ネットの怖さにはもっと意識すべきであろう。すでにリアルの世界と裏返しのネットの世界がパラレルワールド(双対性構造)となって存在している。しかもそのボーダーがすでに曖昧になり、しかもネット上では何が真実で何が偽りか、ほとんど判断する術を持てなくなっている。

しばしばリアルのパーソナリティとヴァーチャルのパーソナリティは相補関係にあるようだ。リアルでは気の小さい人が、ネットでは豪放磊落の人を演じ、疎外されたもの同士が互いに肌の温もりを求め合っている。しかしその温もりを得ることはできない。よって互いのフラストレーションをきわめて幼稚な形で発散するしかないもどかしさにあえいでいる。

これはきわめて危険である。相手の目を見ることなく、自分の感情を吐露したり、自分の何かを主張することはしばしば自分を罠に落とすことになる。今回の事件もリアルとヴァーチャルの境界線を失った果てに起きたと言える。ヴァーチャルの事件をリアルで晴らしてしまったわけである。

もちろん霊的要素がある。だから周りの人々、救急隊員ですら、かなり深刻なPTSD等に罹っている。私も正直言って、かなりのショックがあった。いわんや被害者加害者双方の親と親族関係者のショックは筆舌に尽くしがたい。

日本もすでに霊的な儀式的殺人が起きるフェーズに入ってしまったと言える。これはまだ序章かもしれない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040613-00000106-kyodo-bus_all

104歳の禅僧のことば

NHKで永平寺の主管のドキュメンタリをやっていた。いいですね、永平寺。私も観て来たが、森閑とした山の斜面に伽藍があって、雲水たちが作務をしていた。静岡の臨済寺もいい。夏にはセミで山全体が鳴く。そこの入り口に「脚下照顧」とあった。ちなみに私も家では作務衣でおります。

 * * *

禅師の話:

悟りと言うものを何か日常から離れたこと思うからいかんのじゃ。日常の当たり前のことがすべて禅であり悟りじゃ。スリッパが乱れていたら、スリッパを直すのじゃ。ゴミがあればゴミをひろう。

座禅も息とひとつになることじゃ。その時に妄想は消えて、環境とひとつになる。自分をわすれることや。すべてのことにおいてひとつになることじゃ。それが自然の法に任せて生きるということ。自然はみな時期が来れば花を咲かせ、何の報酬も期待せず、誰からも認められようとかせずにただ法に従って生きるだけじゃ。自然はすばらしい。

わしは永平寺とひとつであり、永平寺は私である。だから永平寺を愛すること、さらには環境を愛することは自分を愛することじゃ。ただ法を行なって、ただ生きること。これが道元禅師の只管只座じゃ。

 * * *

道元はかく言っている:

「仏道をならうとは自己をならうなり。自己をならうとは自己を忘るるなり。自己を忘るるいふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるいふとは、自己の心身、および侘己の心身をして脱落せしむるなり」―要するに自分から意識が離れて法のままに生きること。自分の心身から意識(注意)が離れることを「心身脱落」という。

主は生活の糧を思い煩う人々に、「野の花を見よ」と言われた。いのちの法則を見よと。「自分の魂を自分で救おうとする者はそれを失い、失う者は得る」と。

禅者はもちろん霊的ないのちを持っていないし、現に鈴木大拙は「わしはイエスは覚者と分かるが、聖霊だけは分からん」と言っている。しかし魂の経験として、自分の何かから意識が離れる点は同一である。これはパウロのローマ7章から8章への飛び越しと同じ。

私たちキリスト者は、自己を忘れ、心身脱落して、キリストのいのちの御霊の法則に乗ること。きわめて楽な生き方である。法にませた生き方。このときにはただ当たり前を当たり前に生きるだけ。人からの評価や報酬などはかえってうっとしく感じられる。

しかし心身脱落したクリスチャンはあまり多くはいない。だいたい神学オツムでガチガチで、いのちの法則などは聞いたこともない。多くのニッポンキリスト教徒は"苦しチャン"である。しかしブラザーローレンスも言っている:任せた者には苦も楽も同じだと。藁を一本拾うことにも喜びがある、と・・・。

さあ、自分の教会を大きくして、信徒を増やして一旗挙げたい牧師には、ぜひ永平寺で10年くらい修行をしてもらいと思うのだが・・・。「只管只座」の境地を得て欲しいものだ。

詳細はこちらを:

「意識の扱い方について」
http://www.kingdomfellowship.com/Topics/consciouness.html

特殊合計出生数の脅威

ついに昨年の1.31を割り込んで、今年は1.29です。これで年金の計画もまたご破算。女性が子供を産まないのは、自分の人生を子育てで消耗したくない(=自己実現の追及)、あるいは生みたくても環境が整っていないため。子供を生まなければますます環境は逼迫する一方。

しかしついには自己実現を求めるその本人に帰ることに気がつかないのでしょうか。自分のための人生―これが戦後刷り込まれた価値観です。人のために犠牲になる人生―これは古い時代の価値観であり、一種のカルトとされています。分かりますか、ニッポンの未来に私があまり明るい展望をもてない理由が。「私が、私の、私は・・・」。その中心にあるのはI、I、I!

自分を他の何かのために犠牲として捨てること。「プロジェクトX」が感動的なのは、何かに自分を注ぎ出す姿があるからです。しかしバブルでそれを3Kとあざ笑った。そのツケが今出ています。この徳は少なくとも武士道には生きていました。「武士道とは死ぬことと見つけたり」―『葉隠れ』にこうあります。それは愚かな生き方でしょう。主の十字架はもっとも愚かな事実です。その愚かなことを信じて、愚かに生きる―これがクリスチャンです。

クリスチャンは「生めよ、増えよ」とあるとおり、子沢山は大いなる祝福なのです。大いに子供のために消耗すべきです。大いなる主の恵みが満ちるでしょう。

小6殺人事件(8)

加害少女は喉をかき切った後、被害者の顔を蹴飛ばしているのですね。喉の傷は骨まで見えるもので、顔もつぶれるほどだったようです。また左手の甲の傷も骨が出るほどだったようです。

これは尋常ではありません。力学的にも小6の女児にできる犯行ではありません。何か特別な力が関わったとしか考えられません。

小3の児童がカーテン越しに加害少女と目が会ったそうですが、その目は恐ろしいものであったようです。これは明らかに何かの霊の働きです。

肉の憎悪に対して、霊が油を注ぎ、加害少女は何かの力に動かされるかのように犯したのでしょう。「声」を聞いていることは明らかですね。セキュラーな精神科医は分裂病とするでしょうが。

Dr.ルークのニッポンの未来予想

『文藝春秋』今月号に拉致被害者家族の横田さん達の発言が出ていました。彼らが今回の首相の訪朝に期待したことは大きかったのですね。ある面で幻想が膨らみすぎた感もありますが、小泉氏はずるいです。

どうもすでに取引条件は話がついていたのであって、あのジョンイルさんとの会見はヤラセのようです。そして早めに話を打ち切って、ジェンキンスさんを説得してたわけです(これも無理なことは分かっていてのパフォーマンスです)。結局米と薬品の援助を約束して5名だけを連れて帰ったと。そして被害者家族の罵声をあえて無言で浴びて、国民の感情を自分に有利になる方向へと導いています。

この人はただ口をとんがらして喧嘩するだけでなく、ちゃんと国民の反応を読んでいますね。対して小泉さんを追及しようとした野党の若手はみな自滅しています。「原理主義者」とあだ名される堅物岡田さんも何やら暴露されています。

これにもどうも裏の陰謀があるのではないかと勘ぐってしまいます。彼らが与党に散々批難を浴びせたいい時期に、まさにそのテーマで自分が罠にかかる形で、その人たちのスキャンダルが暴かれていますから。

前に私は今後の政局はポピュリズムと民族主義がキーワードになると書きましたが、その予想通りです(http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/Jews&Japas4.html)。

今後、ニッポンの病理である二相性が顕著に現れて分裂病的状態(急性症状)となるでしょう。かくして感情も鈍磨し、編板化し、無気力と鬱的気分が支配し、意欲をなくしていく陰性症状を呈するようになるでしょう。現に若者の間で働かない者たち(ニート)が63万人(10年前の1.6倍)、フリータ417万、引きこもり100万と推計されています。鬱病も10人に一人です。

これからのニッポンはほんとヤバイ方向へ行きます。生き延びる方法は2つあります:ひとつは前にも言いましたが、20%のエリートを育てること、もうひとつはアメリカの属国となること。多分に後者の可能性が高いでしょう。

すでにニポンの個人金融資産は1300兆あるといっても、6,7割はアメリカに流れ、彼らのクレジット生活の穴を埋めているのです。これらはまず戻ってきません。今回のイラクの債権放棄と同じです。そろそろ気がつくべきですが、石原都知事にもっと声を上げてもらわねば・・・。

そしてこれはニッポンキリスト教も同じ。アメリカと韓国系の危ない霊の流れで搾取されています。

何処へ向かわんくらげ大国ニッポンは?

徒然なるままに日記など書きおりせば、物ぐるおしけれ、とならむ。

いよよ背骨なきくらげ大国ニッポンの本領発揮されん。価値基準なかりせば、フワフワと吹く風に吹きまわされ、波のまにまに漂うが如し。ブッシュのポチと化しおりて・・・。

ニッポンキリスト教も同じ。次々に"油注ぎの器"をおっかけんとて、新しき霊の流れ、教えの風に吹きまわされており。いい加減いずこに(=キリスト)に、しかと根を張れよ、と言わんこと難し。

9・11の真実

についての暴露証言本が邦訳されました。

元米国テロ対策大統領特別補佐官リチャード・クラーク氏による

 『爆弾証言−すべての敵に向かって−』徳間書店

 「ブッシュ政権は9・11攻撃を知っていた!
  ブッシュの戦争は対テロ戦争ではなく、
  テロ促進戦争なのだ」−クラーク氏

早速ネットで注文しました。

ついに自衛隊も多国籍軍化!?

この「ブッシュのポチ」と呼ばれる男はどこまで尻尾を振るつもりか。仕事もいろいろ、会社もいろいろ、総理もいろいろ・・・と。口をとんがらして「わたしにぃ〜、なんでぇ〜、謝罪するぅ〜、必要があるんですかぁ〜ツ」式に、口先八丁でなし崩しですね。

エライ総理を国民は選んでしまったものです。あの野中氏が政治生命を賭してはずそうとした"独裁者"の先行きが危ぶまれます。

ちなみに私は自衛隊の存在や活動を否定しているのでありません。憲法を変えて、正式に軍隊として、しかるべき手順を経て進めるべきだと思うわけです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040609-00000003-yom-pol

小6殺人事件(7)

捜査関係者の言葉です(Yahooニュースより):

 「供述をいくら聞いても、トラブルの程度と犯行の重大性が結びつかない」
 県警幹部はしきりに首をかしげる。30年以上、事件を見てきた中で「一番の謎」と言い切る。「幼い容姿、話しぶりから考えても、あんな残虐なことがなぜできるのか……」
 4月以降、女児は「同級生に仲間外れにされた」と両親に訴えた。そのころからホームページへの書き込み内容が荒れ始める。
 中学生同士が殺し合う小説「バトル・ロワイアル」をなぞった「自作小説」のほか、日記欄には「うぜークラス」「下品な愚民」と書くなど内容が過激になっていった。
 事件後に面会した付添人弁護士は「心中には、大人には理解できない複雑な世界が潜んでいるようだ。再発防止のためにも、内面を知る必要がある」と話す。

 * * *

私が予想したとおり、霊的要因が深く関わっていることが徐々に明らかになっています。私は大学の講義で、「『太陽にほえろ』式の古典的刑事は役に立たなくなる」と学生に話しています。根性と足で稼ぐタイプはすでに時代からずれているのです。時代は精神病理と、願わくは霊的病理を理解する刑事が必要となっています。

私はおそらくこの女児はある種の霊の憑依の下で実行したと推測します。もっと言えば、霊が実行させた。だから彼女には現実感が喪失しています。これだけ冷静に、また冷酷に人の喉をかき切ることはフツウではできません。ある種の処刑あるいは儀式のような感じがします。現在も落ち着き払っているとのことで、精神鑑定もなされるそうですが、多分に鑑別が困難でしょう。

精神病理的に言えば、サディズムを帯びた行為障害あるいは精神分裂病質あたりになろうかと思います。あるいは解離性障害(多重人格傾向)でしょう。しかし霊的な要因は無視されますから、真実に迫ることはできません。ある種の状況に追い込まれた時、彼女を通してその霊の人格が現れると思います。

いずれにしろ、私の予想の程度を超えて事態が進展していることに戦慄を覚えます。

オカルトや魔術の影響についてはこちらを-:
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/harrypotter.html

国会闘争と教界闘争

困ったものですね。会社もいろいろ、仕事もいろいろ、人生いろいろ・・・。ブッシュのポチと呼ばれる小泉氏の正体はいったい何なのでしょうか?しかしこの手でやれば、何でもありになりますね。ニッポン丸はいったいどこへ向かうのでしょう。

一方でニッポンキリスト教はこの世の後追いで、カウンセリングに、オンリーワンに、恵まれることの追求に、金歯金粉に、油注ぎの器のオッカケにと・・・。閉鎖社会の中で互いの足を引っ張り合いながら、自己満足と自己憐憫に落ちています。病んでいる人の方が当たり前かのような状況。

サタンはクリスチャンが自分の癒しだ、解放だ、ハッピーライフの追求だに陥ることをほくそえんでいることに気がつかないのでしょうか。いい加減目を覚ましませんか。

ちなみにこんな調査結果もあります:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040607-00000001-vgb-sci

小6殺人事件(6)

加害女児の詩です:

 影、漆黒の才が闇を満たしていようと構わない・・・
 ・・・苦渋、絶望、苦しみが私を支配する・・・
 神様はいるのですか・・・助けて下さい・・・

霊的な何かに完全に囚われ、かつ自らを明け渡しています。同時にそこからの救いを求める呻き。

間違いなく「声」を聴いていますね。頭と心の乖離、さらに霊的な「声」による圧迫。神戸殺人事件の「16歳」という詩と共通します。彼も実存的な暗闇を書いており、自分の中に悪魔がいると言っていました。共通する要因があります。

そろそろ霊的なことに"正しく"目覚めないと、ニッポン社会もニッポンキリスト教も(社会派はもちろんですが、聖霊派も聖書にきちんと基づいて、ですね。迷信は排除すべきです。)

小6殺人事件(5)

加害少女のご両親に対するケアあるいは保護が必要です。最悪の場合、自殺の可能性もあります。

被害者の父親も、今回の場合は、自分の気持ちをどこにぶつければよいのか、きわめて厳しい精神状態が続くでしょう。

夢であればよいのに・・・。

小6殺人事件(4)

チャペルのサーバがハッカーさんのアタックを受け、異常になっていました。ログを見ると頻繁に攻撃しているのですね。何が面白いのでしょうか?一応、ルータとファイアウォールを二重にして防御しているのですが。

 * * *

佐世保事件はネットがかなり大きなウエイトを占めていることは事実であるが、ネットが悪いわけではない。ネットは人の心の病理を拡大する。ネットに入れ込むと問題を起こすのではなく、問題があるからネットに入れ込むの方が多いだろう。彼女の掲示板に「苦汁、絶望、苦しみが私を支配する。それでも最後は起きあがるのもいいと思う」と書かれていたようだ。私など小6の頃は遊びほうけていたものだが。

リアルの人間関係が豊かであれば、あえてネットで刹那の慰めを求める必要もない。クリ系BBSでも、掲示板でのやり取りがマジになっている人がいることが怖い。相手が誰であるのか分からないまま、自分の本心を吐露したり、慰めや励ましを求めたりと、彼らの心はほとんどヴァーチャルとリアルが混同している。

しばしばネットに入れ込む人々は心の問題を抱えている。これは本人に会って一目見れば、特に目を見れば、その本質は露になる。主も人の目は心の窓であると言っているが、ネットでは目が見えない。相手の異常性が分からないまま、文字情報で判断することになる。きわめて危険であることは明白である。

今回の少女もどうも元々サディズム傾向を持っているようである。前に駐車場から男児を性器に傷をつけ裸で投げ落とした中学生の事件があったが、それと同類の匂いを覚える。被害女児が加害女児をネットで中傷して、それに対する反応で事件を起こしたというのは単なる言い訳に過ぎない。人は自分を正当化するためにはどのような歪曲の証言でもなす。ネットが彼女の病理を拡大したことは間違いないが。

今回の殺害の仕方の何か映画の一場面であるような感じといい、加害女児の「被害者に会って謝りたい」という言葉に、彼女の現実感覚の欠如を覚え、ある種の不気味さを覚えるが、皆さんはいかがであろう。

小6殺人事件(3)

この少女は被害者をいすに座らせて、タオルで目隠ししようとしたができず、手で目隠しして、背後から首を切ったようです。この殺害法は私の予想通りです。

しかも、さらには、加害少女は中学生が互いに殺し合うという残虐な映画「バトルロワイヤル」や、ホラー系の本などを好んでいたようです。今回の殺し方もおそらくこれらの本や映画の場面を真似ています。彼女はヴァーチャルとリアルがほとんど混同している変性意識状態で行為に及んだのでしょう。そして何度も言いますが、ある種の「声」を聞いているでょう。「殺せ」とか「やれ」などの。精神病理と霊的病理が錯綜している事件です。

しかしこういった映画や小説が氾濫している昨今の様はきわめて悪いですね。幼い彼らの脳裏には鮮明にその場面が焼きつきます。あとは肉的憎悪と霊的な「声」がトリガーとなって行為に至るわけです。模倣犯が出ないことを願います。

新情報:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040603-00001078-mai-soci