最近の日記

小6殺人事件(2)

これは予想以上に事態は深刻ですね。ネット上でのやり取りが契機となり、殺意を持って、いすに座らせて、おそらく背後から喉をかき切ったようです。普通日本人は喉をかき切るといった方法は取りません。刺すか、女性の場合は闇雲に傷をつけたり、恨みがある場合は顔を狙うとかです。今回はある意味で一撃で死に至らしめているわけで、これは大人でもできることではありません。

多分ネットでの相手の書き込みによって、仲がよかった分、裏切られたという感情で加害者も相当に深く傷ついたのでしょう。この時期の少女は周りから浮くことを恐れ、特定の相手とべったりになり、境界線が不明確になります。自分と他者の分化が不明瞭な状態に戻るわけです。相手と私がある意味で溶け合った形でアイデンティティを確立するわけです。その結合というか、融合が強ければ強いほど、些細なことで裏切りを感じ、それが憎悪に変わるわけです。

しかしこれはよくあることで、なぜ今回のように喉をかき切るといった方法を取ったのか、これは非常に特異的であると言えます。私はおそらく「声」を聞いていると推測しています。今後の事実関係の解明を待ちたいと思います。

小6殺人事件

被害者の傷は深さ10cm、幅10cmだそうです。これだけの傷はそう簡単につくものではありません。動機が何なのか。私の推測ですが、バスジャック事件や池田小学校事件の時と同様に、おそらく加害者は何かの「声」を聞いていると思います。次をご参照下さい:

http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/jiken-byori.html

http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/shonen_byori.html

http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/youngs.html

ネタは尽きまじ

精神保健学の講義で、意味不明の事件が今後多発することを毎年予言しているが、年々そのとおりになってきてしまっている。講義のネタには事欠かない。

今日においては、小6の女子が同級生の首をカッターナイフで切って殺す事件、母親が高2の娘を10箇所刺しまくって自分も自殺を図るという事件、はたまた小5の女子が飛び降り自殺を図った事件、そして父親が21歳の娘に指を切断させた事件。なんだコレは!

どこか狂っている、この世も、そして教界も。ますます当たり前が当たり前でなくなっている状況。私もニッポンキリスト教と接触し始めて驚いたのは、健全な人が少ないこと。当たり前を当たり前にできる人があまりにも少ない・・・、とっとっと。これはもう前にも書きましたね。

北朝鮮から帰国されたお子さんたちは、おそらくこのようなニッポンに適応するのはかなり困難だろう。彼らには「主体思想」という屋台骨があるので、仮に洗脳されているにせよ、秩序を保っている。長幼の序とか、礼儀作法とか。よって現ニッポンの堕した様を知るようになれば、相当に葛藤を覚えるだろう。

クリスチャンの子供たちもおかしくなる子が多いが、親を見るとたいてい、物分りがよく、立派なキリスト教徒の振る舞いができる人である。しかしまともな子の親を見ると、しばしば物分りが悪く、しつけも頑固一徹に張り手も辞さない人が多い。しかるに聖書は何と言っているか:

 箴言3:11―わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。

 箴言13:24―むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。

国の根幹は子供のしつけにある、が、今日真の愛が見失われて、偽りの砂糖まぶしの"愛"が蔓延っている。この甘さは実は親が自分に対して甘いからである。同じように牧師が信徒の顔色を伺い、牧会というサービス業を生業としているからである。ご機嫌取りのメッセージで、うちの信徒は○○人とか称して。

ここでもまた予言しよう:この世でも教界でも、ますます奇奇怪怪の事件が多発するであろう。しかも意味不明性を増し加えたものが・・・。

 * * *

BGMを変えました。Carol Owenの"Jesus I love you"です。

メーリングリスト

がやっと動き出しました。これはメールマガジンではありませんので、ただお待ちくださっても何も届きません^^ぜひ積極的に、ご遠慮なくご参加下さい。

現在は、「霊と魂」についての意見交換がなされております。

泣けますね

彼は本望だったと思います。でも一緒に暮らせなくなるのはさみしい・・・

泣けますね。

日本人襲撃事件@イラク

また邦人の犠牲者が出ました。ブッシュの愚かさのために。6月の主権委譲はほとんど困難でしょう。

しかし今回のお二人は立派です。特に奥様の会見にある種の感動を覚えています。すでに覚悟していた、と。

死に臨んでどこまで潔く逝けるか。これは私の大きなテーマです。よりよく生きるのではなく、よりよく死ぬために生きること。

私は既に墓も用意してありますし、先週のMSGでも話しましたが、今召されても残された家族が路頭に迷うことのない手立ては立ててあります。しかし、パウロのように主の元にいければ幸いですが、まだ地上での責務があるようです。

前に禅僧の大往生のことを書きましたが、生死を越えた彼らの生き方には圧倒されます。「浮世狂言止めた」―格好いいです。

そうそう、私の好きな大石蔵之助も詠んでいます:

 あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 
           浮世の月に 懸かる雲なし
 

Dr.Lukeの一言映画評-The Day After Tomorrow

先週に続き家内とまたマイカル本牧でレイトショーを観てきました。地球環境問題が深刻になり、南極の氷が解けて海流が変わり、氷河期に入ると言うものです。NYに取り残された息子のために、気象学者の父親が命を賭して救助に行く一方で、息子は父を信じ続けると言うアメリカ的人情物語でした(私は実は結構このパタンは好きなのです)。SFXもそれなりに楽しめました。

映画はその時間をアタマをアイドリングできるので、実に快適なアタマ休めになるのですね。また夏(まだ早いですが)の夜は何となく車で横浜の山下公園あたりをドライブするのが好きでして、若者に混じって公園をブラブラするのもいいものです。休みがない最近の息抜きの一コマです。

自己愛の克服か、受容か?

まず、カレッジのテープは現在注文が殺到し、処理が遅れています。お待ちいただいている方々にはご了承をおねがいします。

 *  *  *

コフートという精神分析学者がいる(いた)。彼は、フロイトが克服すべき病理として指摘した自己愛(ナルシシズム)をむしろ積極的に受け入れて、互いの自己愛を認め合うことを提唱している。これは日本的に言えば、互いの甘えを積極的に認め合って、受容していこうと言うことになる。

現代のアメリカでは結構流行している考え方である。競争社会では自分の身の置き所がなくなるように感じてアイデンティティ・クライシスに落ちる人が多いからであろう。ちなみに日本の企業もいわゆるリストラで合理化を図るアメリカタイプの企業よりは、終身雇用を守る企業の方が業績が回復していると言う。私はニッポンの社会はアングロサクソン的な弱肉強食は耐えられないであろうと考えているが、その実証でもある。

日本はかつは藩(殿様)が人生の面倒を見てくれて、粗相がなければ生涯が保証された。明治維新以降は天皇であったり、企業がその役割りを果たし、高度成長期も一生を企業にあずけるサラリーマンによって成し遂げられた。ここに企業がある意味で人生の"母親"の役割を果たしており、甘えが潤滑油となっていたわけである。

90年代に入りバブル崩壊と共に、過酷なリストラにより人生の糧ばかりか、自分を否定されて自殺者が年間3万人を超えている。一方で目的を見失ったフリーターが417万、ニートだったかな、要するに親に寄生している者が63万人(10年前の1.6倍)、引きこもりが100万人、失業者数370万人。これがニッポンの現状だ。効率だけを追求し、人の価値を金で計ってきたその結果である。

現在真の意味で個人の価値を回復する必要があるし、良い意味での自己愛を認める必要もある。主は「自分を愛するように人を愛せよ」と言われた。自分を愛することができない人は、実は他人を愛することができない。しかし、だからと言って、現在のニッポンキリスト教におけるオンリーワン的流行は偽りである。なぜか・・・。

そこに十字架がないからである。主はまた言われた、「自分を否み、自分の十字架を負ってわたしに従え。自分の魂を救おうとする者はそれを失い、失う者は得る」と。これをメッセージする人が今日ほとんどいない。むしろそのようなことを語ればただちにカルトのレッテルを貼られる。

しかし、真理は自分を救う者は自分の魂を失った者であり、自分を愛する者は自分を否んだ者である。真理はしばしばこのような逆説に満ちている。そしてこの逆説を解くのが十字架である。十字架を経ずして、自己愛の受容を唱えるから、現在の教界の様を生んでいる。今、真に必要なのは、総ての不条理を解く十字架の経験の回復である。

あと2週間・・・

休みがないぞ・・・、6月10日まで。

今日の「いい旅」観ていたら、そろそろまた温泉に行きたくなってきた・・・。
温泉をニンジンとしてぶら下げて、さあ、走れ!

と、気合を入れております。

 あなたがたは霊が燃えていても、体が弱いのである。

しかし

 御霊は私たちの死ぬべき体にもいのちを与えてくださる

のです。

他人任せからの卒業

今回帰国された拉致被害者の子供さんたちは、上から「日本に行って親に会って来い」と命令されてきたという。驚きますね、ここまで自分の意志を持たせられていないとは!?

彼らはこれから日本に永住するかどうかも不明であるとのこと。彼らの「わが国」は北なのである。どのように自分の意志に目覚めさせるか、相当の時間とテクが必要である。そして最後は愛情。北には愛はない。これが最後の砦でしょう。

しかしですね、あまり人事でもありません。ニッポンキリスト教徒と話していると、○○先生はこう言った、○○という本にはこう書いてある・・・等など。私はつい「あなたはどうなの!」と声を荒げたくなる。

私の元に来られる方には私は必ず意地悪な(?)質問をする:「あなたは私に何を期待しているのですか。私が何を語り、何をすればあなたの心は満足するのですか」と。で、しばしばそれが分かっていない人がほとんどである。最近の学生も何が分かっていないか分からないで質問に来る者が多い。

自分で考えている者は、自分の問題が明確に把握できている。実は自分の問題が明確化すれば、問題は80%解けている。クリスチャン生活は絶えず問題を抱え、それを通して主と関わり持つことが大切。

問題のない人の顔は締りのないダラケタ顔になる。今、刑事の特集番組をやっているが、彼らの顔は実に苦みばしったキリっとしたイイ顔である。「あなたは神のVIP」とか「そのままのあなたがオンリーワン」といった砂糖まぶしの顔ではない。綿飴クリスチャンは止めにしよう。

問題と苦難は私たちに必要なのである。素祭には砂糖や蜂蜜は禁止、むしろ塩で味付けをする。主は「あなたは私に従え」と言われた。それは苦味と塩によって引き立つ甘さに満ちた一対一の関係である。御言葉は口に甘く、腹に苦いのである(黙示録10:9)。

岩波の聖書を推薦します

昨日のMSGでもお勧めしましたが、これはイイです。リベラルの人の訳ですが、原語に正確に訳されており、変な意訳を入れていません。

例えば、聖霊理解について本質的なヨハネ7:39「霊はまだ"なかった"」。神の霊は父、子と区別され永遠にいますが、なぜここには「なかった」とあるのか。「注がれていなかった」は意訳であり、これから聖霊派の間違った聖霊理解が生まれる。解答はこちらに:

http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity11-3.html

また聖霊派が強迫観念のように油注ぎを求めたり、預言だなんだに狂騒する理由は、1ヨハネ2:27の間違った訳のため。ここは「注ぎの油」ではなく、「塗油」である。私たちの内なるいのちとしています御霊の油塗りにとどまるとき、ベニー・ヒンなどは自分と何らの関わりもない。詳しくは:

http://www.kingdomfellowship.com/Topics/Anointing.html

私はいつも言っているが、日本語で真理を考えるならば罠に落ちる。かくして、ニッポン語世界における閉鎖的な論理空間で、ニッポンキリスト教神学ができる。これはヴァーチャルリアリティである。これによって束縛されている人々がいかに多いことか。一人ひとりがせめて英訳あるいはインタリニアを参照しつつ、自ら真理を吟味し獲得する姿勢を得て欲しい、あなた任せにせずに。

ベレヤ人になりましょう。

案の定です

昨晩は「トロイ」をレイトショーで観て来ました。単純でスカッとカタルシスのできる作品でした。ブラピが見事にマッチョになっていましたが、最近サボっていた私も、ちょっと気合を入れて筋トレを再開しようかと、モチベーションをもらいましいた^^

 *  *  *

キムさんはやはり頭がいいですね。ジェンキンスさんの意向を尊重するという形で彼とお子さんは帰国せず、不明の10名については調査するということで、とりあえず5名だけを返し、その見返りとして食料と医療援助を約束させています。

被害者家族会は案の定、内部が分裂気味。その不満を目一杯小泉さんにぶつけています。結局、まさに人質の運命を盾に、日本からいただくものをいただこうとする策です。家族会の皆様にはここはぐっと堪えて、自重していただきたい。そうでないとキムさんペースにはまるだけです。

子供さんたちはこれからが大変です。カルトのMCのDeprogramingの過程を経る必要があるからだ。これについては次を参照:

http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity12.html

今日の出来事

精神保健学の講義が終わると、学生が近寄って来た。何かの質問かと思っていたら、彼が一言、「あのぅ〜、これが落ちてました」。見ると、なんと、小生の給与明細書。一瞬動揺しつつも、悟られないように、「あれ、どこに落ちていたの?」と小生。「エレベーターの中です。」・・・。やれやれ。袋の上から透けて見えなかったろうな、と一抹の不安を覚えつつも、「ありがとう」・・・冷や汗でした。

 * * *

皇太子は帰国早々長官と面会する予定とのこと。キャリアと人格の否定発言はかなり深刻な尾を引きそう。雅子様もこれでますます立場が不安定になるでしょうに。

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あすの小泉氏はどこまでできるか。期待と不安が入り混じります。

北朝鮮との交渉―敵の策は?

いよいよ小泉氏の訪朝が間近に迫った。多分山崎さんたちの"下ごしらえ"でそれなりの成果はあるだろう、が、今回の問題は拉致被害者会の中が必ずしも一枚岩ではないこと。特に今回の成果で帰る人々の家族と、いぜんとして行方も分からない人の家族との間で葛藤を抱えている。金さんはここを巧みに突いてくる可能性がある。

実はこういった活動の場合の弱点がこの内部からの軋みである。前に書いた私たちの裁判闘争は8年に及んだが、勝利し得た鍵は、それぞれの利害関係は異なり、必ずしもベクトルが同じ向きではなかったが、最後まで一枚岩であれたため。これは実に見事であった。

ひるがえってニッポンキリスト教はどうであろう。主は「あなたがたがひとつであるように。それによって世が御父と御子を知るためである」と祈ってくださった(ヨハネ17章)。リバイバルの鍵は実は金歯金粉でもなく、悪霊追い出しでもなく、大リバイバルの"大預言"でもなく、"油注がれた器"の活躍にもよらない。クリスチャンがひとつであることによる。

敵の策略はお分かりであろう、金さんと同じ手を使っているのである。目先のものを追っかけることにより、内部からこのひとつを壊し、ここから私たちを逸脱させることである。

「私たちは敵の策略に対して無知であってはならない」

とあるとおりである。