最近の日記

神のご計画とボディビルディング

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BBSではついクリックしてしまった方、やばいページを開けちゃったと、びっくりされた優等生クリスチャンがいっらしゃるかと・・・^^。いささかマニアックな話になっていますが、実はこの二つ、密接な関係があります:

エバはアダムが眠らされている間にそのわき腹の傷から取られた骨から「女に造り上げられ(build up)」ました(創世記2:22)。

教会(教団・教派ではなく、エクレシア)もキリストが眠らされている間、そのわき腹の傷から流れた血と水によって生まれ、今、傷もしみもその類の一切ない乙女として、また神の宮として「建て上げられ(build up)」つつあります(エペソ2:22;5:26,27)。

第一の人アダムにとって、同じいのちを分与されたエバは骨の骨、肉の肉でした。同様に第二の人キリストにとってエクレシアは、ご自身の復活のいのちを分与されたエバなのです。エバもエクレシアも共にbuild upされる存在なのです。

ボディビルディングと神のご計画。キーワードは共に"build up"なのですね。そのためにはセルフコントロールと長期にわたるモチベーションの維持が必要です。そしてM.D.(医師)であるまひるパパさんの言われるとおり、あくまでもナチュラルに。くれぐれも「ベニヒン筋肉増強剤」やワケの分からない「使徒預言者ステロイド」などを用いてはなりません。一時は効果があるかのようですが、神の御言葉以外で造ったものはフェイクであり、結局は精神と身体を滅ぼします。

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昨日は予定が1日ずれまして、チャペル・サーバーのメンテをしておりました。これからJohnと一緒に福島キャンプです。(@7:40am)

さあて、遊ぶぞ!

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今日でセレブレーションはしばらくお休み。私は丸々3週間のお休みをいただきます。みなさまも夏休みを思いっきり楽しんで下さい。

私は夏が好きですね。あすから早速福島のS兄弟の山小屋にキャンプに行き、帰ってから田舎に帰ります。中学の同級会があるので、楽しみにしております。それからログハウスの候補地を散策。そして伊豆の海と温泉と・・・(これがないとやっていけません)。

人はホモ・ルーデンス(遊ぶ者)。人生楽しんだ者が勝ち。エデンの園では、ただ1本の木を除いて、どの木からも取って食べてよかったのです!サタンはこの豊かさから目をそらさせ、ただ1本の木に誘惑したのです。

逆に言えば誘惑から解放される道は、許されているこの無限の豊かさを味わうことです。ルカ15章の兄もブツブツ言った時、父は「私の物はすべてお前のものだ」と言われました。この兄は楽しんでいなかったのです。これがクルシチャンです。

つまらない"dos & don'ts"の「キリスト教」という宗教から解放されましょう。そして父の財産を用いて、生きることをエンジョイしましょう。

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BBSの意見交換、いいですね。こういった率直な交わりができるととてもうれしいです。私はたとえ批判を受けても、互いの間に真実があれば、表面上の意見の相違は問題にはなりません。まあ、私の意見は叩き台になってもらえればいいかなと思っていますが。

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では、真っ黒になってまたお会いしましょう!

夏休み♪

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今日で試験もすべて終わり、800名分の報告書も提出し、ようやく夏休み。講義は実質10月からなので、これからしばらくは自分の時間が取れる。これが大学教員のいいところ。

KFCも7日と14日はお休み。一部には「礼拝を休むとはけしからん」との声もあるが、それは宗教者の訴え。礼拝はどこでもいつでも可能。アノ山でもなく、エルサレムでもない、霊と真理による礼拝。ただし、今年は友人の件もあるので、少し重い部分があるが・・・。

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このところ株が堅調。数銘柄で利が乗っていたので、資金の流動性を高めるために利食い売り。CBも利が乗っているのがあるが、値動きは株よりは穏やかなので、もう少し粘ってみる。

献金で食べている神学オツムでガチガチの実務ができない"聖人"を私はあまり信頼していない。肉に仕えることを知らない者は霊に仕えることもできない。ニッポンキリスト教の"献身"はしばしば逃避。だから教職者に自己愛性人格障害や回避性人格障害が多い。で、超霊的な御仁はしばしば妄想系。

神学校で単位を取って、試験に合格して、牧師先生様の大量生産。この人たちを食べさせるのかと思うので、信徒は献金にブツブツ。牧師先生様も信徒様もどっちもどっち。主が不在の貧しい光景。私は大いに(もとい、ちまちまと)稼ぎ、自由に使う。人生は楽しんだ者が勝ち。

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「ザイン」なる面白い集団が現われた。美女を両サイドに従えたこの男はいったい何者?世界を征服するのだそうだが、私には一部の聖霊派で、天皇をキリスト教徒化して、ニッポンを神の国にしたい人たちとあまり変わらないと感じているが。この種の人々とは関わりになると大変だが、見ている分にはその妄想振りが面白い。

「私」のコントラスト

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「私」という闇
  闇は恐れを、
   恐れは無知を、
    無知は偽りを、
     偽りは迷信を産み、
  そして迷信は滅びへと導く

 私の民は知識がないことによって滅びる

「私」を捨てれば
  光が差し込み、
   光は真理を、
    真理は自由を、
     自由は知恵を産み、
  そして知恵はいのちへと導く

 闇は光に打ち勝たなかった

TOO LATE・・・

IT'S UP TO THE LORD.
PLEASE MERCY ON HIM.

そろそろ始まった・・・

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今午前11時。12時間近くのオペ。最後は体力と気力の問題となる。

近頃いかがわしきもの

光合堀菌に加えて−

・サラ金のCM

 忘れないで〜、お金よりも大切なものがある〜
 忘れないで〜、あなたよりも大切なものはない〜

・でも、キリスト教界も

 大切な君、あなたは愛されている、神のVIP〜

何だか、同じだ・・・「愛は地球を救う」と。十字架のない「愛」こそは、ヒューマニズム菌による汚染。

あと一歩・・・

大学の地震被害は若干あった。私の居室もやや散乱していた。で、今日は期末試験。今週一杯試験週間で、それが終われば夏休み、と。

私の講義は結構人気があって、800名ほどが受講している。予備校ならば人気講師として1コマ(90分)で5万〜10万円。年俸で3,000万は稼げる(まあ、チョーク・ホストですね)。大学はというと、給料なので、残念。いずれ大学も生き残りをかけて、予備校方式に変わると予想しているが。

で、試験はマークシートでコンピューターで採点している。が、最後の報告書作りはコツコツと手作業。ここでミスがちょこっと起きるわけ。このあたりがニッポンのシステムの面白いところ。何故か全体の整合性がないのだ。郵政問題も解散風の脅しが通るかどうか。民間化してシステムとしてどう向上するのか、イマイチ不明。小泉氏のライフワークと言われるとそれまでだが。

 * * *

「光合堀菌」なる得体の知れぬモノが注目を集めている。ガンをも治すのだそうだ。しかも「薬学博士」のお墨付き。しかし笑ってはいけない。キリスト教界もさほど変わりない。ベニヒン菌や、現代の預言者使徒菌がウヨウヨ蔓延している。ニッポンの「大リバイバル音頭」だそうだが、いい加減目を覚ましてね。盆踊り音頭の方がはるかに無邪気で無害。騙される者と騙す者、どちらも同じ菌を育てる培地を有しているわけ。踊らされて、お金を貢いで、平和なんですね、ニッポンは。

 * * *

ダイエットが順調(67キロ)。今日は朝と昼とで700キロカロリー。夕方近くの三ッ池公園をジョッギング。帰って風呂にザブンとつかり、キンキンに冷えたビールが実にしみる。リバウンドを避けるために、筋力トレーニングを再開しようか。筋トレマシーンを新調することを検討。なにしろ息子に負けてますから・・・。

すべては主の御手に

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S兄とK大学病院に彼を訪ねた。正直、彼の姿を見るのが怖かった。二人で地下駐車場で祈った。

カーテンの向うには、かつて60年代オールディーズを気取った長髪でファッショナブルな彼の姿はなく、痩せて目だけギロギロしたおじさんがいた。覚悟はしていたが、「これでは道で会っても分からない・・・」。

すると彼の方から、私の目を覗き込むように、「唐沢兄弟、待っていましたよ」と手を伸ばしてくれた。痩せて血管の浮き出た彼の手を取り、しばらくそのままだった。そしてうつむいた彼がポツリと言った、「参りましたよ。こんなになっちゃって。家で治したかったんだけど、家族に迷惑かけているのがつらいよ。僕は無収入だから、子供たちにも働かせているし、先は見えないし・・・」。

そして私をまじまじと見て、「兄弟はこうなるって分かってたの?」と聞くので、躊躇しつつ、「ええ」と答えると、彼の顔に自嘲気味の笑みが浮かんだ。私は、そうかプライドの高い彼は自分が入院することは家族の手前できなかったんだと感じ、「何でもっと早く・・・」と大声で言いたかったが、グッと飲み込んだ。

思えば私はいつも彼のなす事毎に異議を唱え、しかもそれが私の警鐘どおりになっていたので、彼にとっては私はメンツを潰し、足を引っ張るだけのうっとおしい存在だったのだ。そして今回もそうなってしまった。病室の外を見つめて、「僕の心はあの空のようだよ」と言った彼の言葉が耳に残った。

しばらくの沈黙の後、遠くを見つめるように、彼が言った、「昔、まだ子供たちが小さかった頃、ワイワイ楽しくやっていた頃が一番純粋だったかなあ」と。私も「そうだね。あの頃は僕たちも若かったし、ケンケンガクガクやって楽しかった。兄弟、またケンケンガクガクやろう」と言うと、彼はうつむいて、「もういいよ・・・」と答えた。かつての負けず嫌いの彼の勢いを思うとき、悲しかった。

3人で祈りつつ、病室を後にした。私たちは彼のもっと深い部分に触れたかったという気持ちも残ったが、私たちもギリギリだった。やることはやれたとS兄と確認し合うことができた。今、主からの重荷は下ろせたと感じている。後はすべて主の御手にお委ねするのみ。

これまで祈りに覚えて下さった皆さんに感謝いたします。オペは26日予定です。12時間以上かかるようです。

わがたましいよ、主をほめたたえよ。主がよくして下さったことを何一つ忘れるな。主はあなたのいのちを穴から贖い出し、あなたの一生をよいもので満たされる。

刈り取り

肉に撒く者は肉から滅びを刈り取り、霊に撒く者は霊から永遠のいのちを刈り取る。

これは厳粛な真理。BBSで重力の法則の例を出したが、霊的法則がある(例の「4つの法則」ではない!)。どんなに「信仰」があろうが、「愛」があろうが、重力の法則は変わらない。信仰と思い込みは違う。この真理の前にただ服するのみ。これが信仰であり、信仰のない愛は幻想に過ぎず、愛のない信仰はむなしい。大切なのは愛を通して働く信仰。

神は無秩序の神ではないゆえに、秩序(=法則)に従って物事を成就される。表面的な言葉や道理はあまり信用できないことはニッポンキリスト教界を見ていれば容易に分かる。そして自分が何をどう信じているのかは、時間と共に実が証明する。それが平安な義の実かどうか・・・。

「誰かに恨まれていたら捧げ物を置いて、まず和解せよ」との御言葉に従って、私は互いの交わりのためにはいくらでも頭は下げる。しかし私がいくら頭を下げても、問題の解決にはならない。これはあなた自身の問題なのだ、ここまで問題を先送りにしてしまった。真に自分を下ろして目覚めて欲しい、わが兄弟よ。

ニッポンも崖っぷち

ポピュリズムに乗ったこういった手法がまかり通るとすれば、ニッポンの今後は暗い。もしかするとすでにコーナーを廻ってしまったかも・・・。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050719-00000023-san-pol

崖っぷち

彼もギリギリだが、私も問われている−完全に手を離せるかどうか。どうしてここまでと、自分ながらに思うが、内なる方がこだわっておられる以上、私は解放されない。合格発表を見に出かける気分だ。

Lord, I am mere your bond servant. Let Your Will be done.

BBSの交わり感謝です

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ひさしぶりにまったりとした時間を過ごしました。クーラー漬けは体に悪いので、裸になってバルコニーで日光浴を2時間ほど。太陽光線を浴びると、汗だくだくで何ともいえない心地良いけだるさが残り、脱力できる。アラン・ドロンの名作"Plein Soleil"のラストシーンのけだるさを気取って・・・。

夜は家族でカルビ焼き。日ごろダイエットで飢餓感をつのらせているので、こういった機会には欠食児童のように食べています。で、実に満足でした。まずい病院食を努力して食べている友人に思いを馳せつつ、日常の当たり前が当たり前にできることこそ幸せと感じます。

 * * *

BBSではそれぞれに率直な交わりと証しをいただき、とても感謝ですね。確かにPeterさんの言われるとおり、主が語れ、と言われたことを単純に語り、反応はお任せできれば、それこそが主の僕なんでしょう。

しかしここにどうしても自分が入ってくるので、ややこしくなるわけです(自分に言っているのです)。まあ、あのエリヤですらつぶやいたり、逃亡したりしましたから・・・。実際、今週彼の病床を訪ねることになっているのですが、コンフロンテーションすべきなのか、お体裁で逃げるのか、どこまで何を語るべきか、少なからず気をもんでいます。

kamekameさんの言われる<教会=人格的交わり>はまったくアーメンでして、互いの間での<共有>が鍵になるかと感じています。もちろん究極はキリストのいのちの共有ですが、生身の私たちですから、主の言われるとおり、「泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ」ことが単純にできたら、それで十分なんでしょうね。

それとまひるパパさんの言われるとおり、BBSでは意見はそれぞれでも御霊にある交わりができていることは感謝ですね。意見のすり合わせはあえてせずとも、任せておければお互いに楽です。間違いなく共有できるのは、主は素晴らしいという部分。これがずれるとちょっと・・・ですが。

歳取ったせいで、ケータイは使えないし、何によらずマニュアルを読むのが苦痛になっていますし(若い頃はワクワクしたものですが)、神学とかのややこしいことはちと苦しいです。御言葉を単純に読むだけかな、私は・・・。

God's Presence(10)

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御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。