最近の日記

大義なき者には神の公義のバックアップはない

いよいよイラクは泥沼化。しかし親イスラエルの聖書原理主義者たちは懸命にアメリカの行動を正当化しようとしている。

もともと大義がない。よって神のバックアップがない。よって結果は見えている。ブッシュも内部から崩壊する兆候を見せ始め、純情なアメリカ国民も真実に目覚め始めている。

神の統治は公義による。神はもちろん人の愚かさをも用いることができるが、しかしその不義の実はかならず刈り取る。今回の日本人拉致問題はブッシュの心臓部を貫くことになろう。

試される小泉氏

日本人が3人、イラク人によって拘束され、自衛隊が撤退しない場合、殺害するとのことです:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040409-00000061-mai-int

重装備の自衛隊はキャンプ近くに3発の砲弾を打ち込まれ、退避壕の中に引きこもり中。方や丸腰の民間人はいのちがかかっている。このネジレ現象こそニッポンの病理の象徴です。

さあ、小泉さん、自分の頭で考えなさい。各国もそろそろイラクよりの撤退を考えている情勢です。

ブッシュの焦り

ついに禁じ手をやりました。米軍がモスクを攻撃してしまいました。米の焦りでしょう。

今、聖書原理主義者やブッシュの頭には自分の側から見た価値観しかないのです。この価値観にはまらない者はサタンの側であり(よく聖霊派が自分の気に食わない人につけるレッテルですが)、よって暴力的に壊滅することも善となるわけです。

矛盾する存在である人間そのものを見るのではなく、自分の聖書解釈や自分の価値観というフィルターを通していますから、けっして対話は成立しませんし、したがって、彼らの態度は自分の価値観を受け入れるか、さもなくば死を、となります。

これは一部のイスラエルをアンタッチャブル化する聖書原理主義者にも言えることです。彼らの表向きの遜りに対して、隠されたプライドはものすごく高いものがあります。アメリカという国を見ていてきわめて興味深いのは、この「無邪気な邪悪さ」と言えます。

しかし自ら撒いた種は自ら刈り取るでしょう。ブッシュよ、貴殿の刈り取りは近いことをよく心するように。

宣誓証言の行方

ホワイトハウス側のライス補佐官と安全保障担当だったクラーク氏の委員会での宣誓証言の行方は面白いですね。少し注目しておきましょう。

愚か者ブッシュ-剣を取る者は剣で滅びる-

アメリカがサドル師の私兵組織をテロ集団として武力で壊滅させるらしい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040407-00000731-reu-int

ブッシュという小男はどこまで愚かなのか。仮に壊滅させたとしても、栄光の殉教として称えられ、結局イラク内で6割を占める、アメリカの介入を歓迎していたシーア派全体を敵に回すことになる。

ブッシュの短絡思考はホントに「アホ」としか言えない。彼の顔が日光の猿軍団のボスに見えてくる。かくしてスンニ派もシーア派も共に反アメリカとなるであろう。彼らのプライドを打ち壊したら、決して「自由と民主主義」などという旗では収拾がつかなくなる。

ブッシュは安全圏にいてノホホンとしているが、最悪の場合、ブッシュ自身が狙われることだってあり得る。徳を忘れた米国型聖書原理主義者よ、よく心せよ。

病んでいる母性

生後4ヶ月の男児の性器をカミソリで切除する母親、塾にいかない7歳の男児を殺害する母親。病んでいる。私は前に日本の病理は母性の病理であると指摘しているが(http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity6.html)、霊的には"女の霊"のなせるところである。

現代の日本とニッポンキリスト教を分析するキーワードは、@甘えの構造、A女の霊と病理的母性、B中途半端な知性と言える。その本質は自己がすべての価値観の中心。フリーター417万人、引き篭もりは予備軍を入れて100万人、失業者350万人、もちろんダブりはあろうが、これが現在の日本である。

しかし、教会は「あなたは神のVIP」的な砂糖まぶしの"福音"のみ。切れ味のよいメスによって真理を提供していない。すでに塩気を失っている。しかもその病理に気がついてもいない。人に仕えるために神に背を向け、塩気を失った者の運命はいわずもがなである。世によって踏みつけにされるだけ。リバイバル以前に、実は、サバイバルの問題となっている。

息子の高校入学式

がありました。今年は結構倍率が高く、難化していたようですが、よく通ったものです。実はひそかにずっと主に祈っていたのですが、「道は開いておいた」との語りかけがありましたので、中学の担任のもう一段やさしいところをという勧めを拒否して受けたわけです。

入学式などに出て思うことは、周りの父兄が、まあ、見事にオジサン(少ないが)・オバサンであることですね^^幼稚園頃はみなさん初々しいパパ・ママだったのですが、今や相当にトウが立っているというか、貫禄があるというか・・・。人生はトコロテンだと前に書きましたが、自らの歳を否定できなくなります。

それと公立中学は、まあ、玉石混交というか、色とりどりというか、様々の生徒がいるわけですが、高校では相当にフルイにかけられているので、何となく空気が違うわけです。髪もほとんど黒、黒、黒・・・。今や黒は新鮮であると同時に、ちょっと重苦しくも感じますから、慣れは不思議なものです。NHKの女性アナの髪などは重すぎますからね。女の子などもどちらかというと、ドン臭い感じ。つい私の高校時代を思い出していました。

その中でうちのはちょっと与太り系の雰囲気があります(汗)。髪は元々が茶髪なのですが、それにさらに茶を入れていまして、今回はその上に黒を塗ってという、何ともな状況なのですね。中学1年の時にも2年生二人組みに絡まれて、相手の腹にケリを入れて退散させたことがあり、高校でもこの4月、5月で番を取ると張り切っております。いやはや・・・。

しかし、彼は弱い者にはむしろ味方してやるほうでした。クラスで相手にされないヤツとか、からかわれる子をかばっていましたね。それと決して自分からは手を出さないことを言ってあり、これを堅く守っています。最近では身長は私を抜き、筋肉もかなりつき、フットワークも軽く、パンチもかなりパワーが入っています。普通の子供では相手になりません。来年はプロテストを受けるそうです。

かつてはこんなんでしたが・・・
http://www.kingdomfellowship.com/Cg/Kids.jpg

イスラエルの病理

足の立たないヤシンを3発のミサイルを打ち込んで殺す彼らはパラノイドの重症患者です。イスラエル(アブラハムの子孫の意味での)が神の言葉とメシアを地上にもたらすために経綸的に選ばれて用いられたことは事実ですが、それと現在のイスラエルがなしている行為の正常性とは別の話です。ほとんど病気です。

私が前に予想したとおり(→「論考集」)、ますます重症化しています。神の心は、イスラエルであれ、異邦人であれ、すべての人が救いにもたらされることを願っておられるのです(2ペテロ3:9)。すでにイスラエルの病理がすでにアメリカに感染していますから、今後、ますます躁鬱病患者のようにアップダウンが烈しくなるでしょう。その行動は衝動的にして、意味不明のものとなります。クリスチャンも不用意にイスラエルに関わるならば、その病理性の感染を受けるでしょう。

うめきを分かち合う

本日は、わが誕生日ではないか。う〜ん・・・。早いものです。これ以上は語りません^^。

 * * *

アメリカはクラークさんの内部告発などで、ブッシュ政権を揺るがしているようですし、イラクではアメリカ市民が殺されたり、アメリカ兵とシーア派民衆の間での銃撃戦とか・・・、流血の惨事がますます酷くなっています。

リバイバル新聞に出たブッシュ礼賛のイスラエル・フリークたちは現在どのように感じているのでしょうか?有名なTV伝道の先生もブッシュを褒めちぎっていたようですが。愚かなものです。私はあえて彼らの論調に控え目に抗議しました。「神意は測り難いところにある」と。

このリンク先の写真はイラク戦の象徴となったものです。心してご覧下さい。神のうめきと涙を共有できますか?

http://www.kingdomfellowship.com/Cg/manandgirl.jpg

真理と霊による礼拝

本日のメッセージは大脳生理学と霊との関係を説明しました。実際にはパワーポイントで映像を用いながら説明しています。音声では「ここが」「あそこが」とか言っておりますが、映像がないのでよく分からなくてすみません。

このWEBでは私のメッセージ部のみですが、ライブ録音テープでは2時間のセレブレーション全体が収録されています。いわゆる「聖霊派」よりもはるかにぎやかです^^。真理をかなり理屈っぽく学んだ後は、霊を解放して、主をエンジョイしています。

 今、父は、真理と霊による礼拝者を求めておられる。

真理と霊、霊と真理、このバランスが鍵です。

超能力は?

さっそく先ほどの日記に「ルークさんは超自然的な事を否定するのか」とのお尋ねをいただきました。答えは、まったく逆です。だからあえて警鐘を鳴らしています。

この超自然的能力については私の著書でも触れていますし、ニー、ペンバー、ペンルイス、スパークスなどによって論じられ、さらには鈴木大拙とフロムの共著『禅と精神分析』などで分析されています。

これは、「パラサイコロジー」と呼ばれる領域ですが、これは堕落前のアダムの有していた魂のパワーが、堕落によって潜在化したものと説明できます。アダムの能力は例えば、すべての動物に名をつけたことで推測できるでしょう?

これが現れたのが超能力です。ソ連ではかつて軍事目的で研究されていましたし、FBIの超能力捜査官などもおります。そしてこのような能力を啓発し、あなたも"神(god)"になれると囁くのがニューエイジです。これは人の魂にとってはきわめて魅力があります。「目の欲」を刺激するのです。

しかし上記の聖徒たちが警告するように、これは十字架の道と正反対です。十字架は魂と霊を切り分け、魂(の力であって、機能ではない)を死に渡す道です。その意味で十字架の道は魅力がないのです!人の目にアピールしません。不恰好で、惨めに見える道です。しかし内面は栄光です。20年の幽閉の末、トラクターの上でボロのように召されたウォッチマン・ニーの与った栄光はどれほどのものでしょう!

よろしいか、聖霊派諸氏よ。十字架につけられたキリストのみを語り、誇るところはただ十字架―これがクリスチャンです。単なるふつうのおじさんおばさんとして、普通の人間生活の責任を果たし、普通に生きること。そこに共におられる神が私たちのインマヌエルなのです。十字架により、人であることの祝福と栄光が回復される必要があるのです。

クリスチャンって何者?

どうも聖霊派系の逸話というか、伝説というかを聞いていると、霊能力者まがいの人が、次々に現れ、彼らこそ素晴らしい人であるらしい。私から診ると幻聴か幻覚ではないの(怒らない下さいね)?と思えなくもないのですが(笑)。私も異言で祈りますし、神の声も聞きますし、幻も見ているのですが、「どこか違う」という印象がぬぐえません。

あるホームレス伝道で有名な女性牧師は、突如姿を消したかと思ったら、まったく別の所に現れたりとか(現代のピリポだよ)、はたまた空中を飛ぶようにして移動していたりとか(ドラえもんの話ではありません)・・・・ウ〜ムです(汗)。ちなみにこの話は麻原さんも愛読した学研の雑誌『ムー』に出ていました。

かと思うと、あるアルゼンチンの有名なリバイバリストが祈ると手のない人の手がニョキニョキ生えてきたとか(再生医学ではEB細胞から臓器を作ることもできますが)。アナコンダさんではなく(これはヘビの名前だ)、アナコンディアさんでしたか・・・?これもウ〜ム。

かと思うと神の声を次々に聴くためにのノートを取るのでいそがしく、とりなしをすべきメッセンジャーの話を聞く暇もないとりなしの賜物がある女性の話とか・・・???あるいは、そろそろアメリカの西海岸が火の海になる幻を見ている預言者とか・・・???

しばしばこういった霊能力を誇る人々の家庭や人生には健やかさがない。人間として普通ではなく、少なからず病んでいる。当たり前が当たり前でない。しかしそれが逆に"霊的であること"のひとつの"勲章"になる。私が聖霊派に感じるのは、「あなたの知らない世界」、「何かおどろおどろしい世界」、少なからず恐さを感じますし、情念の世界というか、何かジメッとした感じを覚えるのです。

聖霊派系の雑誌とか新聞から立ち上る独特の"臭い"があります。ニンニクの臭いの立ちこめる部屋にいると鼻が馬鹿になります。本人は分かりません。しかし外の新鮮な空気を吸っていると、すぐに分かります。これは理屈ではありません。だから聖霊派の教理や聖書解釈が正しいとか間違っているとか言う以前に、その臭いが鼻につくのですね。

もう一度言います:霊的になる、聖化されるとは、人になることです。それはあまりにも普通のこと過ぎて、聖霊派の方々の関心はほとんど引かないでしょう。しかし人であることは、それだけで祝されているのです。健やかさ、健全さ、爽やかさ、単純さ、明朗さ、明るさ、平安と安息、伸びやかさ、解放感、満足感、リラックス、自然体・・・。人間であることをエンジョイするのです。

聖霊はイエスのパースンを私たちのうちに造り込む方であり、イエスの聖を実体化してくださる方です。

●Uテモテ4:3−というのは、人々が<健全な教え>に耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め・・・

●テトス1:9−教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。それは<健全な教え>をもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。

●テトス2:1−しかし、あなたは<健全な教え>にふさわしいことを話しなさい。

そしてヨハネはこう祈っている:

●3ヨハネ1:2―愛する者よ。あなたが、たましいに<幸い>を得ているようにすべての点でも<幸い>を得、また<健康>であるように祈ります。

バイブルカレッジ前半終了

前半の12回のコースが修了しました。今回のコースは単なる聖書の学びではなく、御言葉を通して主と向き合い、また自分の心を見つめる作業と課題があり、毎週のプロジェクトとレポートでは皆さん苦しまれたようです。

ミニストリーの本質はいわゆる超能力的賜物によるのではなく、いのちの務め、つまり私たちの自らのいのちの熟成が必要なのです。いのちの成熟のためには苦しみが必要です。自分と対峙し、神と対峙するときに、ショートカット(近道)はありません。苦しむ必要があります。

心を病み、問題をかこつ人の場合、必ず心のどこかに取り繕いや偽りがあります。エレミヤ書に「心はよろずのものよりも病んでいて癒しがたい」とあるとおりです。フェイクを建てようとしているわけです。専門用語では自己防衛機制と言いますが。このフェイクが暴かれ、崩される過程は苦しみがともないます。

この玉ねぎの皮むきの過程には鼻を突く臭いと涙がありますが、これを経なければ、内にあるキリストのいのちが現れません。聖霊派の"油注ぎ"と賜物志向はこの痛みの過程を避けています。クリスチャンが偽善と受け取られるのは、何層もの見かけの皮が張り巡らされているからです。こうして派手なパフォーマンスの"追っかけ"と化します。

真のいのちはある意味で赤剥けの状態において現れます。

空を打つ拳闘をしない

きょうはトランクルームから4箱戻せた。壁の書庫はほぼ飽和状態。あとはリビングにもうひとつ書庫を備えて、残りも何とかなるか。しかしよく貯めたものだ。前に一度ダンボール10箱ほど捨てたのになあ・・・と溜息。

  *  *  *

息子がボクシング・ジムに通うようになったが、けっこうスジがいいらしく、すでにシャドーではなく、ヘッドギアをつけてスパーリングをやっているらしい。このジムには世界チャンプもいるので、けっこう彼のモデルとなっているようだ。

パウロの書簡はローマ書のように学術論文的なものから、牧会を指示した具体的書簡まで実にレンジが広いが、しばしばローマ兵の装具や、コロセアムで行なわれていた当時の拳闘を見て、それを用いて真理を解いている。そして私の好きな彼の言葉に「空を打つ拳闘はしない」がある。

ニッポンキリスト教の多くの人がどうも体を壊したり、家庭を崩壊させるほどに強迫的な"奉仕"をしているようだが、その実はあまりにも貧弱である。一般に何事によらず、達人は法則をつかみ、急所をつくことがうまい。力はほとんど不要であり、法則に則って、ポイントをつけば、か弱い女性でも大男を倒せる。

しかも達人の動きには無駄がない。ガチャガチャした動きは下手の証拠。ほとんど音もなく、風のように一瞬でケリをつける。かつての日本では、剣道、茶道、華道などの"道"において、この無駄のない動きを追求した。ここに禅が入り、「剣禅一如」と言われるとおり、禅が求める自由に流れる心が鍵であることが分かった。柳生但馬守も「活人剣」において、「およそ心の病は、心が留まることによる」と喝破している。

どうもニッポンキリスト教と触れている感じるのは、騒がしい掛け声と大そうなデモンストレーションだけで、この爽やかに流れる心がほとんど感じられない。ガチャガチャ、ガシャガシャ・・・あっちに油注ぎのある○○師、こっちには癒しの賜物をもつ○○師・・・と。そのようなものを求める以前に、自分の心を見つめる必要がないか?多くの悩めるクリスチャンと接している感じるのは、彼らの魂がきわめて粘着であること、そして自分の心に対する洞察がほとんど欠如していること。

達人の動きは静かであり、爽やかであり、流れるようであり、心がどこにも留まらず、自由に解放されている自然体である。私たちクリスチャンはさらに爽やかなキリストの香が立ち込めれば、これこそ急所をついている。無駄な労力を消耗しない、しかし主に対してはナルドの香油を無駄に注ぐこと。

聖霊派諸氏が血眼になって求める"注ぎを受ける"のではなく、注ぎ出すことである。御霊のいのちの流れは私たちの腹の底から川々となって流れ出ると主は言われるのに、なぜか聖霊派では反対である。その心の動機が急所を外しているのである。自分の心を明け渡し、空を打つ拳闘をしていないかどうか、御霊によってその動機を探ってもらう必要があるのではないか。

私たちはすでにキリストにあってすべてを得ているのである!