最近の日記

高校入試と内申書

思い起こすに、私の高校受験は悲惨なものでした。中学時代は担任と反りが合わず(何しろ体育と社会の教師でしたから)、内申書などはボロボロ。地方の二流高で、その300人中150番が1年の成績。何もやる気がありませんでしたね。

しかしある事(神の配剤としか言えません)を契機にガゼン燃えたわけです。学歴偏重社会は気に食わなかったのですが、東大をけなすにも外部者がやると「アイツは東大崩れだから」と相手にされないので、中に入って思う存分やってやろうと考えたわけです。

それと東大はとにかく試験の一発勝負で行けるわけ。中学・高校時代にどんなに与太っていようと、その時にできた者は入る。これで人生がすべてブランド・ニュー!ピッカピッカの東大生。この爽快さが魅力でしたね。かくして中学時代の気に食わない担任を下に見下すことができたわけです。

うちの息子も私に似ており、気に入らない教師とはけっこうガチンコして、今回、内申書は少々ボロボロでしたが、内申書によらない試験成績だけで受けることにして、一発でクリアできたわけです。

いやあ、内申書などが一生付きまとったらうっとおしいことはなはだしい。私はこの入試制度はPCのリセットスイッチと同じだと思っております。そうイエス様の十字架も神の前での内申書をすべてリセットしていただけるわけですが。

主の摂理とタイミング

神は現在私たちを火の柱、雲の柱ではなく、摂理によって導いて下さる。長男は一度私立中学受験で失敗しており、勉強には少々トラウマがあったようだ。公立中学に入ってからしばらくは目標をつかみきれない様子だった。

ところが空手を始めて、K-1に入れ込んで、英語がペラペラの元高校教師の角田選手を尊敬するようになった。さらに一昨年にイギリスに行ったときに英語に対する動機付けを得て、それから英語に力を入れるようになると、成績も3から一挙に5に上がり、彼の得意科目となった。

数学と理科はもともとできていたが、勢いで国語も上がり、今回もけっこう高得点を取った模様。社会は私と同じでちょぼちょぼ。結局イギリスで英語に開眼したことが彼の自信を深め、今回の結果に結びついた。

ひとつひとつの些細な出会いと導きに対する小さな一歩の踏み出しは将来への大きなステップである。昨今のヘン(変)テコステ的霊能力を求め、霊能力者になりたがる輩が多い中にあって、小さな日常のひとつひとつの事に忠実でありたいと願う。

まことの霊性とは"超霊的"になることではなく、人間として当たり前を当たり前にして、淡々と忠実に生きることに現れる。聖霊派で霊能力を求める者たちは、イエスの隠された30年の人間生活を黙想すべきであろう。

やれやれと一息

息子が第一志望の県立高校に合格しました。やれやれ・・・。早速ボクシングジム(光ジム:何とか言う有名な世界チャンプがいるそうです)に入会手続きを取るそうです。

昨年は長女が大学受験でハラハラでした。ちなみに来年は次女の大学受験です。彼女はバスケの国体出場をウリにしてスポーツ推薦をねらっています。

これからしばらくはこのような薄氷を踏む思いが続きますね。

まことの十字架-メル・ギブソンの映画の罠-

27日の日記で、メル・ギブソンの映画について「少し楽しみ」と書いたが、これには意図(わけ)がある。

ユダヤ人が、またぞろ差別を受け、迫害を受けるからと騒いでいるようであるが、これは彼らのパラノイドによるとして、クリスチャンがこの手の映画を手放しで歓迎するのもおかしい。

主は言われた「わたしに従いたい者は、自分を否み、自分の十字架を負ってわたしに従え」と。主はすでに十字架を負ってくださっている。今真に必要なのは、わたしたちのひとりひとりの十字架である。

この映画を見て、主の愛を感じて、涙するクリスチャンもいるのだろうか?しかし、しばしば彼らは自分の十字架を避けている。この映画が自分の十字架からの逃避の理由付けとなることを、私はむしろ懸念する。それとも信仰が深まったとか言うのであろうか。ならば、そもそも自分が何を信じているのか問うべきであろう。これを見ようが見まいが、私の信仰には何らのかかわりがない。

主は言われた、「見ないで信じる者は幸いである」。この手の目に見えるものは罠になる。主の十字架の意味がわかった"つもり"になる危険性である。今の私たちに必要なのは目に見えない霊的リアリティであり、それは永遠のものである。

まあ、この手のトピには私はいつもながら距離を置きつつ、冷ややかにという姿勢を取ることにしている。よって「少し(a little)」なのである。

強迫傾向-ねばならないシンドローム-

日本人の精神病理の本質である。「かくあるべし」、「ねばならない」という強迫傾向。ひどくなると強迫観念や強迫行為にいたるが、ニッポンキリスト教の病理の本質でもある。

私のメッセージの中に映画の話や、温泉の話題、さらにはカラオケまでが出てくると、なにやら不思議に思う人々がおられるらしい。中には霊的に汚れるから、テレビ、映画も見ない、新聞も読まないと。カラオケなどは論外のようである。やれやれ・・・。

聖書が明確に禁じていることは4つ:不品行、偶像礼拝、生血を飲むこと、絞め殺したものを食べること。あとは「私たちにはすべてが許されているが、すべてが益になるわけではない」の判断基準に従って、それぞれ主の前で決めればよろしい。主と私の関係を損なうものは排除すべきであろう。

アダムとエバには1本の木を除いて、すべての木の実を食べることが許されていた。神の創造でもともと汚れているものはない。神は私たちを楽しませてくださる方である。汚れている感じる人には汚れるのであり、それは良心が弱いためである。実は強迫傾向はこの良心の過敏さによる病理である。潔癖、真面目、几帳面、勤勉と書くと良いことのように見えるが、融通が利かない、頑固、完全癖、ケチ・・・となるとうっとおしい。

自由の享受を損ねているのは、組織や規則ではなく、それぞれのうちにあるこの病理である。オウムなどのカルトはこの病理を巧みに利用している。良心の不安な人は何かに縛られることにより良心の安心を得ようとする。カルトの教祖(あるいはマニュピレートのうまい牧師など)はこの深層心理をうまくつかみ、信徒をコントロールする。こうして互いに役割分担を果たし合うようになる。実は相互の病理的依存関係にすぎない。

まことの自由は自己からの解放、すなわち十字架にある。それは最大の賜物であるキリストの死と復活につながれて、キリストご自身をエンジョイすることによる。

麻原氏の運命-霊的真空-

死刑判決・・・。不思議な人物である。こんな男にどうして若者があれほど群がるのだろう?判決は一応の区切りにはなるが、犠牲者にとってはまだまだ続く果てしない虚しい旅である。

95年当時、Time誌が、日本の霊的真空に吸い寄せられて、あの事件が起きたと論じていたが、この真空はますます深刻さを増している。

転じて教会は真理の柱であるにもかかわらず、実は真理を教えていない。提供しているのはあいも変わらず「あなたは神のVIP、神はあなたを愛している、世界でひとつだけの花、オンリーワンでいい」という砂糖まぶしの"福音"。

これでオウムにかかわらる若者を説得し得るであろうか?すでにキリスト教界の浅薄さは見抜かれている。タケシのような人物によれば、ボクシたちなんぞは切り刻まれてしまうであろう。

真の福音とは何か。究極には自己かキリストか。イエスかノーか、それ以外は悪から出るとあるとおり。実はオウムなどにはまる連中には魂と霊を切り分けるハードコアな福音が必要なのである。

 * * *

メル・ギブソンのキリストの受難を描いた映画で死者が出たとか!?言葉もすべて当時のローカルな言葉を用いているらしい。日本では5月公開とのこと、少し楽しみである。

『白い巨塔』の行方

今回のヴァージョンはずいぶんと原作をアレンジしていますね。控訴審の証人に正木東都大教授ではなく、東前浪速大教授自らが立つとは驚きです。

しかしですね、医学界と教界は似ています。教界の実情を知れば知るほど、本当によく似ています。東佐枝子が「医師はもともと患者さんを助けたくって医師になったはずですのに、いつのまにか高ぶりと自分の実績を上げることが第一になってしまい、真実が語れなくなっているのですね」とはそのまま適用できます、教界のセンセイ方にも。

今でもニッポンキリスト教界には関わりたくないというのが、私のホンネです。今回の関口弁護士のように、私も引きこもっていましたから。理想はブラザー・ローレンス的生き方なんですね。昔は禅寺の永平寺あたりに、今ならば修道院に入るのもいいなあと思っています。

実は今回のセミナーに出席された方から、ブラザー・ローレンスの本をいただきました。彼の『敬虔な生涯』は実は彼の本の抜粋であるそうで、今回のは全部を納めているそうです。今からじっくりと味わいたいと思います。最近の本はどれも雑音で煩く感じられ、ローレンスのような静かな深い霊性のものはありません。至聖所に深く入る至福の経験です。

岩清水C.C.でのセミナー

3日にわたったセミナーが無事終わりました。楽しかったですね。全部で2時間×8回で、長丁場でしたが、エンジョイできました。最後はディスコになりました。

家に帰ると、サーヴァが落ちていると電話をいただいたとのことで、あわててチャペルに行って、確認してきました。ダイナミック・ネイム・サーヴァがおかしかったようです。3日間死んでおりましたが、3日目に復活しました。

とりあえずきょうはここまで。あすのカレッジの準備などがありますので。

"ある種の同じ霊”の正体

についてご質問をいただいた。

私が感知するこの霊の特性は、@制覇的:力で相手をねじ伏せる、A表向きの強い正義感、理知的、論理的:彼らの根拠や主張は一見聖書的にしてスジが通るが、違和感を覚える、B白黒的:自分につくか、つかないか、これを直ちに問い、つかない者は敵と漫画的に勧善懲悪趣味。C女性的:理性的なそぶりの裏にはネチッコイ情念や怨念(因縁)がこもるため、コワサを禁じ得ない。

先にアメリカとカリスマ運動に、と書いたが、イスラエルに盲目的に入れ込む人々にも同じ霊を感知することができる。名前は不明。前に私はニッポンには「女の霊」が働いていると指摘したが、これと通じる何かの霊である。

http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Ron/identity6.html

今日のヒット数

最近1日あたりのヒットがけっこう行きますが、本日は今290ヒットです。これは記録ですね。あと18分で300は無理かな・・・。このサイトを立ち上げた時には、カチカチと100位までは自分で数字をあげていましたが(経歴詐称疑惑発覚!)

まだ未完の部分がたくさんありますが、少しづつ整備していきたいと思います。回線とサーヴァソフトを変えてから、ずいぶんとサクサクと行きますので、気持ちがいいです。セレブレーションやカレッジのビデオ配信も射程に入ってきました。

  *  *  *

今日の財前五郎は恐かったですね。佐々木さんと似ている患者さんに良心がうずき、鎖骨下静脈を誤って切ってしまうとは(汗)。アレンジをずいぶんと変えていて、別の作品として観る事ができます。財前の最後は原作どおりなのだろうか、ちょっと気になります。

しかし東大の外科でも心臓のオペの際に、死亡した患者の家族が訴えているのですが、証拠として、「やばいよ、ほじっちゃったよ。血が出てきたよ・・・」とかやっているビデオが公開されました。私の友人にも誤診で患者さんを死なせたのがいるのですね。一方的に彼を責めることも酷なのです。なかなか難しい問題ではあります。

ブッシュの霊

今週のTime誌にあったブッシュの言葉です。

"I am a war President. I make decisions here in the Oval Office in foreign-policy matters with war on my mind."

「私は戦争大統領である。私はここオーヴァル・オフィス(執務室)で戦争を伴う外交判断を、私の思いにおいて決定している。」

彼のうちに働いている霊は、果たして聖霊でしょうか?ブッシュにはすでに神を畏れる霊はない。サタンは「私は高きところに昇ろう、私は自分の御座を設けよう、私は崇められる・・・」として反逆しました。「私は・・・しよう」−これが敵の霊の本質である。

ペンサコラの有名な牧師が自分たちの批判者に対して「おまえに警告する。批判を止めないと90日以内に聖霊がおまえを打ち倒す」と大胆な"預言"をして、そのとおりにならず、謝罪したというケースもあるそうだが、聖霊はそもそもそのような言葉を発する方だろうか?

ブッシュにも、カリスマ運動にも、今般の「ぶっ壊す」という人々にも、ある種の同じ霊が働いているように感じる。

見通しは立ったか・・・?

私の部屋は何とか見通しが立ってきました。壁一面の本棚を設置して、本をすべてそこに押し込むことにしました。今トランクルームを借りて、そこにダンボール箱で30箱ほど収めてあるのですが、ひとつひとつ元に戻していきます。全部整理がつくまでにはまだまだかかりそうですが。しかし、けっこう広くなったものだ。今までは床の上にモノを置いて、床が見えなかったのですが。

ついでにリビングも掃除していたときのこと。うちのリビングは天井がけっこう高いのですが、よく見ると指の跡が点々といくつもついているでないか。なんだこれ???天井に人の指跡???

前にイギリスで幽霊が出て、これが監視カメラに映っていたらしいのですが、いよいよわが家にもか・・・と思って家内を呼んで、訝しがっていると、わが次女(バスケの国体に出たことは前に書きましたが)が、「あ、それ、ノンノ(自分のこと)がジャンプした時の!」と・・・。やれやれ、どうでもいいけどリビングでジャンプするなよな!

TVで銀座のドキュメントをやっておりました。すごい世界ですね。120万の酒とかをジャンジャン空けてました。一方で食べ物を求めてさ迷い歩くホームレスのおっちゃん一人。私も前にホームレスのおっちゃんたちと一緒にいましたが(実に楽しかった2年間でした)、彼らの話では銀座の1丁目から4丁目まで歩くだけで、高級料理店のゴミの中から、たいそうな料理の残りにあずかったそうです。

彼らいわく:「ルークさん、昆布しめの寿司飯食ったことあります?」と。私:「なんじゃそれ?」。聞いたこともなかったですが、何でも美味いものだそうです。かくしてホームレスのおっちゃんも糖尿病だ、痛風だになったそうです・・・が、それもバブル時代の話。今は食料にありつくのが大変だそうです。

日経夕刊によると、日本の成長率が年率換算で7%だそうです。構造改革の見通しは立ったと、竹中さんは自慢気でしたが、実感はいまだに冬景色です。自己破産者数は記録更新中。中高年の自殺者が3万5千人。さてさて、この国はいったいどこへ・・・?

 * * *

CD:Faith03は1月のランキングで3位になっていますね。はちこさんによると出荷数だそうですが、これって同時に「売れている」と解釈していいのかしらん?

ことば社のページ
http://www.wlpm.or.jp/event/rank01/ka03.htm

お知らせ

バイブル・カレッジのレジメを公開してくださいとのご要望がありますが、今のコースは英国のコースの教材を翻訳しつつ進めています(この翻訳がひとつの目的なのですね)。そこで著作権の関係で公開ができませんので、ご了承下さい。

7月までに翻訳が終わりますが、その後出版するかどうか検討します。Colin Urquhartの主要な著作はほとんど翻訳が完了していますが、これまで出版してくれるところがないわかったわけです(3社に打診しましたが)。いよいよ私たちでの出版も検討していきます。

どうしてこんなに・・・

モノが多いのでしょう。今サーヴァーをチャペルに移転したので、書斎の整理をしているのですが、出るわ、出るわ。9月にかなりのモノを捨てたのに、なぜに???特に本の山がどうしても掃けない。

人は何時の間にかこうやってモノを蓄え込むのですね。自分にあってリッチになるわけです。ある落語家の死に際して同僚の方が語っていました:「芸人はあの世に芸を持ってっちまうからなあ〜」と。名言ですね。この後、「金持ちは富をこの世に残しつつ」と下の句ができます。

解放され自由な生き方の鍵は、自分において貧しいことです。持たない者は幸いです。この時キリストにあって豊かなものとなります。生活をなるべくシンプルにすること、キリスト以外のモノ(物質的に限りません。特に聖書の知識や実績などはプライドを建てるものです)を捨てること。軽く、単純に、白を白、黒を黒とする生き方です。