日記

私の内なる財前五郎

田宮二郎版『白い巨塔』は全部を録画しているほどのファンである私ですが、昨日のメッセージでも語ったが、私の内には財前五郎がいるからなんですね。

ついに財前に致命傷を与える佐々木さんが登場し、「自分はこんなとこで検査など受ける時間なんかない!」と駄々をこねるわけ。この様を見て、財前は「私はあなたを診療する義務もないのだから、自分できめなさい。」と一蹴する。

実はこの台詞は、「あなたは私に何を期待して電話してきたのですか」と言う問いかけと共に、私もよく用いている。私はいわゆる悩んでいる人、苦しんでいる人がすねたり、甘えの満たしを求めたり、ダダをこねたりする場合、まず相手にしない。私には彼らのご機嫌をよくするためになだめる時間はない。

私の内には確かに財前五郎が住んでいる。まずは自分の利益のみを考え、他人を蹴落としても上に行きたいというエゴの塊。ヤコブそのものである。財前は里見のあり方に対して、「里見は偽善だよ。ああいったヤツが本当に存在しては困るのだ」とささやくが、私も同じように感じている。人の本質は徹底して罪であることを私は前提として人間関係を得る。よって「愛の手で世界を結ぼう」と言ったきわめて臭いニッポンキリスト教的台詞には辟易する次第。これはまず嘘。

こう書くとある種の人々は「Dr.ルークは愛の欠如した、心の貧しい者で、憐れみを覚える」と言われることはすでに何度も経験した。そしてその通りである。しかし罪は赦されたので、今度は罪を犯さないようにガムバッテ、善人として生きようと努めるクリスチャンの多いこと多いこと。かくして真実な人はクルシ(苦し)チャンとなるが、取り繕いをし続けることができる人は、リッパなキリスト教徒として、良き社会人として、良き日本人としてニッポンキリスト教の中でそれなりの地位を占める。

世の中、否、教界にあっても、どこに真実があり、何がハリボテでであるか。いずれ主の前に立つときに明らかになる。今のニッポンキリスト教では真に十字架がなくてもやっていける「優等生クリ」が多すぎますね。かくして、一定のパタンにはまり、一定の活動と発言をソツなくこなすだけのコスプレ集団と化してしまうわけ。ハッキリ言って、今の教界のあり方は相当に気味が悪いですよ、そう感じませんか?

No Way Out!

イラクで殺された奥氏はすでに以前より自分がテロのターゲットになっていることを知っていたとのこと。しかし今更逃げることはできない、と大学時代の友人にメールしていたようです。同年代の奥氏の心中、察するに余りがあります。

No Way To Run.

私たちもいずれそのような瞬間を迎えるでしょう。主につくか、世につくか、白黒を明確に問われる瞬間が。この世に未練を残せば、主からの報酬を受け損ないます。

 自分で自分の魂のいのちを救おうとする者はそれを失 い、失う者はそれを得て永遠のいのちに至るであろ う。

バイブルカレッジ終了

無事12回の長丁場を乗り越えました。聖書の鳥瞰図を提示し、聖書の名所・旧跡を巡ったわけですが、中心的フレームは「いのちの路線」と「善悪を知る知識の路線」です。

神の贖いとは単に罪人の罪を赦すのみでなく(=罰金は払ったが点数が残った状態)、さらに義とし(=点数までまっさらにされた状態)、さらに「いのちの路線」へと回復すること。回復された栄光の人間性を下さることにあります。

聖書66巻は2千年に渡り40人の人々によって書かれたそうだが、ひとつのシナリオが貫徹しています。開かれれば開かれるほど驚くべきことです。

9月以降、大学、予備校、バイブルカレッジ、セレブレーションとまったく休みがなかったが、これでしばらく週2日の休みが取れるようになった。30,31日の伊豆の温泉をニンジンとしてぶらさげて、さあ、走れ、あと一息だ。

  * * *

小泉氏はこれでどちらに行くことになっても、アウトですね。煮え切らない態度でアメリカの顔色を伺っている間に、墓穴を掘ってしまいました。前にこれからのキーワードは「ポピュリズムと民族主義」と書きましたが(http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/Jews&Japas4.html)、この上に乗っかった政権に過ぎません。もし自衛隊員の犠牲者が出れば、日本は自己憐憫的被害者感情により、一挙に民族主義的に閉じ篭る可能性が高いです。鎖国はできませんが、ギクシャクするでしょうね。甘えを根底に抱えている人の病理と同じです。

Dr.ルークの処方箋

昨日の日記で、医局と教会の共通問題に対して、どうしたら解放されるのか、とのご質問をいただきました。回答は簡単です:

 キリストご自身を楽しみ、満足する事

これだけです。

いのちの成長のためには満足が必要です。乳児に道徳や倫理を教えても無意味です。彼らは乳をたっぷり飲んで、満足して、すやすやと眠ること。ニッポンキリスト教はこの飲んで食べて満ち足りることを飛ばして、いきなりオトナのクリスチャンとして"貧しく、清く、正しく”振る舞い(pretention)、伝道だ、奉仕だ、献金だ、礼拝出席厳守だとお尻を叩かれるわけ。主が5千人を養ったとき、彼らは食べて満足したのです。しかも12のカゴにくずがいっぱいになりました。これがイエスのriches(豊かさ)です。

満腹している人、満足している人は、あまり人のことは気になりません。ニッポンキリスト教のどこで誰が何をしているとか、アメリカで"大預言"があったとか、自分と主の関係に何ら意味がありません。主は今わが内にいます方、この方はすべてを持っておられる方、この方だけにフォーカスするのです。自分の功績や実績ではありません。

うちにいますキリストを見出すこと−これが欠落しています。ある聖霊派の人に「イエスの魅力に触れましょう」と語ると、「イエスの魅力とは何ですか」と聞き返されて、言葉に詰まったことがあります。聖霊さま追求の人はイエスと聖霊を切り離しているため。イエスと御霊はひとつです。このイエスの魅力に捕らえられ、イエスを食べて満足せよ、これが神の語りかけです。

 うちにいますキリスト−栄光の望み!

医局と教会

今日の「白い巨塔」の東教授は凄かったですね。去るべき者が自分の育てた者に追われることの嫉妬と屈辱感を石坂さんは熱演していました。人の上に立ちたがる人の精神病理はパラノイドです。サウルの病理ですね。

やっぱり医局と教会はきわめてよく似ています。主任牧師が教授、副牧師が助教授。しばしば副牧師のメッセージの方が信徒の評判がよくなると、主任牧師は心穏やかではなくなるわけです。ある大きな教会でもこうして主任牧師の嫉妬を買って、何人もの有能な方々が追い出されているようですから(汗)。

何々系列とか―これをジッツと言いますが、今の医局は人材派遣業になっているのですね。北海道大学の名義貸しも問題になっていますが。それと領収書の不要な裏金です。教会も同じ。アイツは俺の弟子だとか、自分は○○センセイから按手や個人預言を受けているとか・・・。これが勲章になるんですね。

医局と教会―きわめてニッポン的な、あまりにニッポン的な・・・

ふぅ〜、終わったぁ〜

今日でS台での授業は終わり。高校生に9時まで教えるのは年々きつくなっているなあ。

昨日の日記に同感というメールをいただいて、少々ホッとしている。この手のことを書くと、キリスト教原理主義者からは「反ユダヤ的陰謀論者」とレッテルを貼られるからだ。

彼らは自分たちの聖書解釈を絶対的フレームとして、それを通してしか事実を見ない。よって自然な感情がどこか損なわれているという印象を否めない。血を見れば心が痛む(私も痛みますよ)、人の死にはうめきを覚える。

エレミヤなどの預言者は多分にこの感受性が鋭く、豊かであったのだろう。神の感受性とひとつになった感受性である。神は朴念仁を用いることはない。繊細な霊的感受性を養う必要がある。

最近の課題は、人間性を享受することとすでに書いたが、当たり前を当たり前にとも言える。ニッポンキリスト教で混乱し、悩んでいる方々の話を聞くとここがはずれて、霊能力者を求めたり、学者やカウンセラーを頼る傾向がある。

夢見さんがBBSで書かれたとおり、キリストの御座で私たちはきわめて個人的に裁かれる(滅びへの裁きではない)のである。これによって受ける報いが査定される。再度繰り返すと、主は「あなたはどうだったか」と言われる。私たちはどう答えるべきであろうか?ただ主にお会いできることを喜ぶことができるであろうか?

 * * *

唐沢財前は評価が分かれているようである。前のを知っている人々には不評、若い人々には好評だそうだ。私は頭を切り替えて、まったく新しいドラマとして見ている。さて、始まるぞ・・・。

太平洋戦争開戦の真実

今日のNHKの「その時、歴史が動いた」において、日本がパールハーバーに奇襲攻撃をかける前の外交戦について、新しく発見された資料に基づいて分析されていた。

これによると、アメリカは対日石油輸出を止めたが、日本は東郷大使の妥協案として、南方から手を引くことと中国戦には干渉しないこと、そして石油を売ることを条件とする案をハルに提出していた。

ハルも日本の暗号を解読してその内容を知っていたが、ほぼそれと同じ案を出していた、が、それを知った中国の蒋介石はアメリカが中国を見捨てるとして、イギリスのチャーチルに圧力を加えて、ハルがその案を提出することを阻止した。

驚いたのは、当時日本もアメリカや中国の暗号を解読しており、ハルの妥協案を東郷は知っており、それを表に出せば戦争を回避できることを期待していた。しかしイギリスと中国の裏工作により、ハルはそれを破棄し、いわゆるハルノートを提出した。

かくして開戦の火蓋が期って落とされたわけである。東郷はハルの回答に失望落胆し、もう仕事に対する熱を失ったと書いている。

また今月の「文藝春秋」によると、野村大使が宣戦布告の知らせをハルに提出するのが、パールハーバー攻撃より遅くなったことについて、野村大使らがある外務官僚の葬儀に出席しており、その牧師のメッセージが長くなり、間に合わなかったとレポートしている。

つまりパールハーバーは卑怯な奇襲ではなかったわけである。ルーズベルトはパールハーバー作戦も知っており、ハワイには太平洋艦隊の主要艦船は配備されていたものの、空母が一隻も配置されておらず、かえって「リメンバー・パールハーバー」でアメリカ国内の世論を戦争の方向へとまとめたという説もある。

今回のイラク戦においても、かつてのクルド人に対する姿勢においても、アメリカのご都合主義、シカケにより敵国攻撃の世論を固めて軍事力に物言わすというパタンがつねにあるような気がしてならない。それに対してハッキリと物の言えぬニッポンが何ともやり切れないと思うのは私だけであろうか?

帝国になり切れない米国

また田中氏が興味深い分析をしています:
http://tanakanews.com/d1202empire.htm

米国と言う病理―自覚がないままに相当に深く侵されているようです。

千鳥足ニッポン

米国に去勢され、自らの中心を持たぬ国−千鳥足ニッポン。デリバティブの動きも千鳥足のファクターがある:w(t)を標準ウイナー過程として、dt間の価格x(t)の変動分は

 dx(t)=b(t)dt+s(t)dw(t)

と書ける。このトレンド:b(t)=μx(t)、ボラテリティ:s(t)=σx(t)としたとき、幾何オルンスタイン・ウーレンベック過程という。このσが大きいほど、不確定要因が大きくなる。これに伊藤のレンマを組み合わせて、ノーベル経済学賞を取ったブラック・ショールズ方程式が導かれる。この公式には一切の不確定要因が消えている!

日本の動きを定式化するならば、トレンドは米国と相互相関係数1、ボラティリティはきわめて大きい(=ふらふらする)。小泉氏よ、国民に説明をするとか言い出したそうだが、何を説明するのかね、キミは。すでにクモの巣に絡んでいるでしょうに。わが長野県の田中知事が次のように語っている:

http://www.shinmai.co.jp/news/2003/12/02/003.htm

小生もまったく同感。

彼らにとってはテロではないのだ。いまだに戦争継続中。自分の国にいきなり軍隊を入れられて、民族の誇りと自立を「民主主義」の旗のもとで踏みにじられた彼らはイントルーダー(侵入者)に徹底抗戦しているのである。テロと言うと、何か彼らの問題であるかのような印象であるが、イラク国民はいまだデフコン1である。彼らにとってはアメリカこそテロなのである!

哀悼

2人の外務省職員の死に対して哀悼の意を表します。

きょう身重の奥さんと家族が遺体と面会するために日本を発つ姿を見て、胸が痛んだ。2人はイラクのためにと文字通り命がけで打ち込んでいたようであるが、あちらにはその心は届かない。「ソフトターゲット」なる言葉を聞いて何とも言えない憤りを覚えている。

そもそも民主主義を育てることなどは不可能な地域である。私が4月時点で予想したとおりに(http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing53.html)、否、それ以上の状況になっている。日本もすでに泥沼である。ここで退けば腰抜け、進めばさらなる血の代償。

このような状況に対して、聖書の予言どおりだと、高みから鼻をくくった論評する先生たちもいるようであるが、彼らは預言者の心を忘れている。エリヤの霊、エレミヤの霊をわれわれは持つべきである。そしてもっと苦しみつつ、うめき、神に訴えるべきである。ハバククのように!

イラクの混乱-悪をもって悪に処する愚かさ-

ますます混迷の度を深めているイラクだが、ついに邦人2人が殺された。小泉氏と外務大臣(名前を度忘れした)は相変わらずの発言であるが、もし派遣するならばアルカイダの東京のテロが実現するであろう。この愚かな原理主義に色づいたブッシュの戦争は、元々の出発点が間違っていた。よって正義はこちらにないのだ!ゆえに決して勝利することはできない。悪を持って悪に応じれば決して悪を制覇することはできない。よって日本もこれ以上に関わるならば、さらなる悲劇を招くであろう。

人間性の回復

今、KFCの追及の中心はキリストにあって回復された人間性を享受すること、人間であることを堪能することにある。

聖霊派では霊能力者に、福音派では学者先生に、正統派では社会運動家(?)になりたがるようである。私たち標準派(?)は人間になることである。

人間生活は来る日も来る日も同じような連続。その中で窒息しそうな人は、一体自分の人生とは何なんだ、と疑問の中に沈み込む。

しかし無限なる神はあえてその座に固執せず、卑しいしもべの様を取られた。これが受肉の奥義である。神が人になり30年以上人として生きた。その死と復活により、失われていた人間性を回復し、さらに栄光化して下さった。

今私たちはその人間性を今ここで愉しむことができる。実は神の意図はそのような御自分の御住まいとなる人を得ることであった。黙示録の究極は「神と人が共に住まう」ことにある。これが子羊と花嫁なる新エルサレムの結婚生活である。

ブラザーローレンスは「落ち葉を拾うことの中にも神がいます時、喜びがあふれてくる」と証している。つまらない単調な人間生活の中に共にいます神(インマヌエル)と交わる時、すべては甘美な経験に変えられる。

神の御計画とは宇宙的な結婚の完成である。今このときその前味わいとして、キリストにあって栄光化された人間性を享受してすること―これがクリスチャン生活である。

Again, Jesus, You are so sweet and more than enough!

真の幸せ-人間性を享受する

TVで人類36億年の歴史として脳の特集があった。例のベストセラー「バカの壁」の養老先生も登場して、サバン症候群や文明を拒否しているアマゾンの人たち、さらにウイリアム症候群の人々をレポートしていた。彼らの率直な感情表現と生き方にある種の感動を覚えた。

サバンの人は他の領域では普通ではないが、例えば、235年5月4日は何曜日かに瞬時に答える。ウイリアムの人々も音楽に対する感受性がひじょうに豊かである。アマゾンの人々は明け透けな感情が豊かである。ダウン症の子供もそうであるが、彼らの無防備な自由な感情表現は感動的である。

今の日本は物事を器用にソツなくこなす人が社会に受け入れられ、できない人は排除される。よって感情を抑え、自分を疎外しつつ、窒息寸前でかろうじて生きている。しかし何かを喪失している。自分の生存を自分で担保するために、自分を削り、自分を脇へ追いやっているというこの矛盾。その中でかろうじてケータイで自分を確認し合う様は、水が鼻まで上ってきて窒息しそうな状態でかろうじて息をしているような感じ。

北海道でキャンプした時、TVも電話も時計も見ない一日を送ったことがある。時間の流れがものすごくゆっくりとなり、ひじょうに豊かな時間を過ごせた。多分縄文時代の人々の日常は現代の私たちよりもはるかに豊かなものであったと思う。前頭葉皮質の抑制から解放された状態である。

自分の生存を守ろうとするために何かを得ることにより、実は何か大切なものを失ってしまう。その失ったものを何かのテクニックで得ようとしてもがく。ここにいろいろな商売が繁盛する。しかし実は当たり前が当たり前であることが一番の幸せ。神がイエスにあって人となったこと-これこそ最も偉大な奥義。

キリストが回復してくださったこの人間性を愉しむこと。聖化されるとは前頭葉の抑制から解放された、御霊に服した状態であり、回復された人間性を享受することである。この時脳内にはβ-エンドルフィンなどのホルモンが分泌され、気持ち良くなり、体も健やかに、お肌もつやつやとファウンデーションの乗りもよくなるわけ。もちろん免疫系も活発になるので、ガン細胞もただちに死滅される。御霊はこうして死ぬべき体にもいのちを与えて下さる。

私が聖書は神学書ではなく、霊精神身体医学書であると言う所以はここにある。

実体と影-株価と電子運動-(ちょっと訂正)

前に私が株でマンションの頭金を作ったと書いたら、Dr.ルークがそんなこの世的なことをしていたのですか?とレスをいただきました。

やれやれ、私は聖人君子ではございません。株には熱中しましたよ。パソコンで分析ソフトを作ったりとか。おかげで経済政治とこの世をたっぷり勉強しました(笑)。それに前にちょっと書きましたが、アメリカのオフィス・ビル投資にも手を出して、集団訴訟して大勝利したとかね。結局残債160億(訂正)をチャラにして、なお7億5千万の和解金を取りました。8年に渡る戦いでしたが、楽しかったです。今はなき長銀などの前でプラカードをかかげてシュプレヒコールをしたりとか。

ちょっとお話しましょうか。裁判はですね、特に民事は法廷の外で勝負がつきます。私たちの場合、途中で裁判官が変わったのですが、コイツが元修習所の所長とかで偉ぶっていて、被告の大企業の顔色ばかり見るわけ。そこで私は専門のプロファイリングで、彼の弱点がすぐに見抜けましたので、丁重に一筆したためたのですね。これが図星でして、彼は次の期日から最後までわれわれのペース、ヘコヘコとね。おかしかったですよ。私がどんなことを書いたと思います?(あのね、人の前で偉ぶっている人ほど実は弱い人なのです。弱点を突けばコロっと逝きます。)

ところで株価について卒研生にシミュレーションをさせているのですが、今流行のデリバティヴという金融派生商品があるのです。これはブラック・ショールズ方程式という、伊藤型確率微分方程式をいじくって誕生したものなんですが、これをEXCELで解かせるわけです。これで株価が予測できて、変動部分をすべてキャンセルして、確実な投資が可能となるのです。

また同じ原理で、ニュートンの運動方程式にブラウン運動の搖動項を入れると、電子の運動がシミュレートできるのですね。これで確率論的なシュレーディンガーの波動方程式を解かずとも、電子の振る舞いが見えるようになります。株価と電子の運動は思わぬところで結びついているのです。

で、何を言いたいかと言いますと、実は株価も電子の運動も影に過ぎないのです。その実体が何であるのか、実はサイエンスでは分かりません。この世のもの、物理的現象も、精神的現象も、実は影です。サイエンスはモデルを作り現象と数値を比べて、現象を記述することで満足するわけです。HOWには応えてもWHYには答えられません。では真の実体・本質・実質は何か、これはキリストです(汎神論を唱えているんではないですよ)。キリストが扇の要であり、キリストがなければ、すべては影、空の空、虚無、ナンセンス。究極の実在はキリストだけです。

この世はもちろん、昨今の教界でもキリスト抜きになっている風潮を危惧しています。霊的になる、あるいは聖化されるとは、このキリストの人間性を内に形作ることに他なりません。真に人となることなのです。聖霊派によくあるような霊能力を得たり、パフォーマンスをすることではありません。私たちの善行や奉仕なども、実体であるキリストを抜いたら単なる中空の殻です。すべてはキリストにあって、キリストのために創造されたのであり、万物はキリストに帰されるのです。

見かけに欺かれることなく、本質を見抜くこと。今後多くのクリスチャンは欺かれます。サタンの終わりの時代の策は、偽りであり、私たちを欺くことです。立派な神学やミニストリーや預言や伝道法や、センセイたちが現れるでしょう。「肉の欲、目の欲、暮らし向きの誇り」が3つの誘惑のルートです。ここに訴えるものはたいてい偽りです。

主は今どこにおられるか、人の注目しない、誰も気に留めない、みすぼらしい、カッコの悪いところです。大衆が熱狂するものは大抵嘘です。ブッシュの不意打ち的イラク訪問―ハリウッド映画のような演出お見事さん。ミエミエですがね。

(ヒッソリと)実はですね、転換社債と株の空売りを組み合わせますと、株が上がろうが下がろうが絶対に益が出る投資法があるのです(会社がつぶれない限りですが)。これを「逆裁定取引」と言います。これもですね、人々が知らないから有効なんです。みんながこれに飛びついたらダメになりますから。株でも本当に儲けている人はコツコツとね、表には出たがらないものです。

※ルークさんの専門って何なんだ?という声(笑)
私はなるべく「バカの壁」に囲まれないように、広く浅くでやっています。