信仰

"用いられる"クリスチャンたち

私はこれまで社会の病理がキリスト教界に凝縮し(食物連鎖と同じ)、ニッポンキリスト教はリバイバルどころではなく、サバイバルの時代に入ると指摘してきた。もっと言えば、社会からこぼれた精神疾患や人格障害を有する人々が、何でも愛して、受け入れて、赦してのキリスト教界に群がり、混乱と不満を撒き散らすであろうと予測している。彼らのすべての動機は他者に病んだ自己を受け入れさせ、自己のポジションを獲得することだから。彼らは自分の十字架を負うなどの真理はとても理解できないし、否、負うことを願う人は成長するのだが、負うことをたいていは避ける。ネットはその病んだ自己主張のための格好のツールとなり、倒錯現象が起き、それはいずれリアルの世界にも波及する。

しばしばクリスチャンは神の栄光を損なうために敵に用いられることが多いのだ。例えば、メッセージでも触れたが、日本での初めてのエイズ患者は何とクリスチャンだった。また今回も14億円の借金で自己破産した小杉元文部大臣の妻も立派なクリスチャンである。世が神の栄光を傷つけるのは当然であるが、むしろ今日、自称クリスチャンたちが神の栄光を損なうのに大いに用いられている。病識の欠如した病んだ人は特に言える。誤解がないように繰り返すが、精神疾患を持つことが問題なのではなく、本質的問題は本人にその自覚(病識)が欠如していることである。あるいは自分の病理性を認めないこと。これは自称正常な常識人についても同じ。否、むしろ病識を欠如した”正常者”はもっと性質が悪いかもしれない。ニンニクを食べた人は、自己臭には気がつかないが、確実にその食べた物の臭いを発散する。時にはニンニク臭を発散させていることを正当化する。自己の病理を人権問題に刷り替えたりなどして、ホモやレズビアンの牧師が出現する今日である。

聖霊派あたりの調子の良いリバイバルの預言だので踊らされるならば悲劇である。むしろ今後、心ある信仰者は冬の時代に備えるべきであろう。主が言われたとおりに・・・。

人の子が戻る時に、はたして地上に信仰が見られるであろうか。

神の栄光と霊的いのちのフロー

本日も英国Colin Urquhartのメッセージの同時通訳です。時期としてまさにフィットする内容です。テーマは神の栄光に与ること。地的イスラエルと天的イスラエル(=エクレシア)の関係を再確認しており、神のエコノミーの鍵はいのちにあることを確証しております。このいのちの次元の理解と経験がないと、あのややこしい不毛な神学論争に落ちるわけです。

私たちの召しは失っていた神の栄光に与ること。私たちの務めはこのいのちを流し出すこと。ガリラヤ湖のように水が流れ込み、それが流れ出ること。この霊的いのちのフローが滞ると死海と化します。かくしてクリスチャンが煮詰まってしまい、死海のように硫黄の悪臭を放ちます。腐ったクリスチャンは不信仰の者たちより扱い難くなります。塩気を失った者は人に踏みつけにされ、しかも自分がいかなる状態にあるかも分からなくなり、ただ悪臭を放ちます。かくして死海のように自分の中での堂々巡りで妄想と欲求不満だけを膨らませるわけです。

健全ないのちを保つ鍵は自分を脇へ置いて流し出すこと。受けるより、与える方が幸いだ、と主は言われます。そのためにはキリストと共なる死の適用が必要です。

こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。

   * * *  

ある方との会話:あたしはイエス様の声を聞いたからやっているんです!Lukeさんはなんでそれを止めるんですか!それに何で断食なんかするんですか!私は霊でLukeさんが何しているか分かるんですから!!!私:「はあ〜?」(ダイエットはしても断食はしてないのだが・・・汗)

あれ、ここ精神科の入院病棟だったけか・・・。しかし今日ニッポンキリスト教においてもこの手の「声」を聞く人が多いのです。これも自己の中で本人の肉的願望が堂々巡りして、「声」として反響するわけです。このような場合、周囲と必ず摩擦を引き起こします。しかも本人はその「声」を神の声であると信じ込む、というよりは思い込んでいるわけです。彼らの「確信」を覆すことはまず不可能です。かえって彼らから見るとその「声」を認めない私はキリストに対する反逆者となるわけですね。

実に病識を欠いている人は、お釈迦様ではないですが、度し難し(扱いに困る)。大体は分裂病まではいかなくても、分裂病型乃至分裂病質人格障害あるいは妄想性のそれでしょう。問題はこの手の人がかえって「霊的」に見えてしまうわけで、「主は・・・と言われます」式の自称預言者などが蔓延っているわけです。

あなたがたは聞く事柄によくよく注意しなさい。

実際、今日、キリスト教界の闇は深いのです。

生きること

I兄弟の本格的治療が癌センターで開始された。必ず帰って来いよ。

主の招き

イエスの元に資産持ちの若者が来て言った。

「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

この時イエスはどのような気持ちでこの若者の背中を見つめていたことだろうか。この若者の悲しみは自己憐憫に過ぎないが、イエスの悲しみは愛による。

私たちもしばしば同じである。主の新しい招きに対して、私たちの思いは訴える、「まだ求められるのだろうか。自分はもう十分やっている。そんなことできるだろうか。いや、自分には無理だ。これ以上要求されるならば、もうついて行けない・・・」と。新しいチャレンジがあるごとに、その人の心が露にされるのだ。何を信じ、何に頼っているかが・・・。知的な者は理屈で自分を正当化するだろう。感情の人は怒り出すだろう。あるいは落ち込むかも知れない。いずれにせよ、自分において富んだ者は去っていく。しかし貧しい者はますます自分の無力を告白し、主のみに頼り、主の真実を味わう機会とするだろう。私も去っていく人を一切引き止めることはしない。

チャレンジ

今日のメッセージは英国のコリン・アーカートのメッセージの同時通訳でした。現在神の建てられる宮とはエルサレムにある石の神殿ではなく、使徒と預言者の土台の上に置かれた霊の神殿、つまり生ける石として神の住まいのために組み合わされた私たちであることを説いています。かくしていわゆる国家としてのイスラエルに入れ込む教えは誤りであることを指摘し、「イスラエルのために祈れ」とは、まさにそこに現れたキリストの体なる兄弟姉妹、つまり生ける神の神殿のために祈ることを語っています。

ですからDr.Lukeもついにイスラエル・フリークになったと誤解されないように、ここで予防注射を打っておきます。人は自分の心の歪みに従って、人の言葉を理解する傾向がありますから。地的イスラエル(経綸的選びの民)と天的イスラエル(エクレシア=教会:本質的選びの民)についてはこちらをご参照いただきたい。

このメッセージの最も本質的ポイントは、自分が神の家における祭司であることの自覚を得ること。単に自分の祝福や問題解決や励ましを求めて集会するのであれば、これは本末転倒。そこにある中心は自己。そういったメッセージをして下さる先生はこの業界にいくらでもいる。私たちは神に仕え、祭司として自分を裂いて犠牲の供え物を捧げているかどうか、まことの霊の奉仕に与っているどうかが問われるわけ。と言うわけで、また厳しいことを語り、チャレンジを置きましたから、出席者が減るかも知れません(笑)

私は真っ赤な偽牧師であり、キリスト教ビジネスに携わる者ではありません。来年はもしかするとKFCは店仕舞いということもあるわけで、それはひとえに私たちが自分を裂いて、神の召しに応じることができるかどうかにかかっているのです。そろそろ忠臣蔵の時期でありますが、昼行灯と揶揄された大石内蔵助も当初300人いた家臣たちを、志のない者はあえて去らせ、絞り込んでついに四十七士としたわけ。ギデオンの物語にも通じる逸話であり、烏合の衆では大事はならない。KFCではもしかすると一人もいなくなるかも知れませんが・・・汗。

かくして来年のスローガンは「自分を注ぎ出す」こと。どこまで主の召しに応えることができるでありましょうか?メッセージ冒頭でも触れたウォッチマン・ニーの黙想のための言葉を紹介しておきます。

 ガリラヤの少年が主の元にパンを持ってきたとき、イエスはそれをどうされたでしょうか?主はそれを裂かれたのです。神はご自身に捧げられるものをすべて裂かれるお方です。神は得られたものを裂かれ、それを祝福され、人々の必要を満たすためにそれを用いられるのです。あなたの経験や私の経験もそうではなかったでしょうか?あなたは自分を主に捧げます。するとすべての事柄が悪い方向へと向かい、あなたは主の方法に何か誤りがあると考える誘惑に駆られたことでしょう。そのような頑なな態度は砕かれる必要があるのです。
 そう、それは真理ですが、何のためでしょうか?それはあなたがこの世へとあまりにも向かい過ぎているので、主へと十分に向かっていないためなのです。これが多くのクリスチャンにとっての悲劇です。私たちは神に用いられることを願うことでしょう。であるならば、毎日毎日、自分自身を主にお捧げすることです。神の方法の粗探しをするのではなく、神の御手の下に賛美と期待をもって服するのです

リベラルと言う"信仰者"

今週のメッセージでマリアの処女懐胎を信じない牧師がいると言いましたら、その証拠を見せて欲しいと求められました。あまりこういったことに触れるのは気が進みませんが、例えばこちらこちらをどうぞ。

マリアが身ごもったのは、人間の力をはるかに超えた神の力、聖霊の力によって身ごもったのだと短絡的に信じるのも、どうかと私は思うのです。鵜呑みにしていないかどうか問い直しても良いでしょう。

と言われ、鵜呑みにする信仰、あるいはそう言う読み方を恐れるそうです、この牧師先生は・・・。彼らからすると私たちはファンダメンタル・カルトとなるわけですね。

だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。

確かにこの御言葉は成就しつつあります。繰り返しますが、聖霊派あたりで夢想されている「リバイバル」は幻想に過ぎません。キリスト教界(「教会」と言いたくはない)は今後、御言葉からはずれ、アポスタシ(廃教)の道を辿るのです。

自他のジレンマ

宮内氏が鋭い指摘をされている。いわく、世間の喪失は個人の肥大化を意味し、それは恥を失って獣欲の解放を促し、結局は他者を喪失することにより自己をも失う。これが現在のニッポンの病理。処方箋は肉となった神、イエス・キリストのみであると。キリストとキリスト教は別物であることを知らしめる必要がある。まったくもってアーメンです。

いわゆる牧師はこういった真実を語ることができない。あなたはオンリーワン、高価で尊く、人生マイナスがプラスになり、商売繁盛家内安全・・・と、彼らはキリスト教商売をしているからだ。そういった証しならば○○学会の方がはるかに優れている!ニッポンキリスト教に必要なのは、宮の両替人を追い払ったイエスの鞭である。

人とは何者か?

"What is Man"―オースチン・スパークスの論考ですが、非常に重要であると思います。先のColin Urquhartのメッセージと絡めて理解する必要がありますね。特に今日の偽りと倒錯現象がはびこっているキリスト教界に対する予言的警鐘があります。

あなたは神の宮である

11月19日の英国KFCのColinのメッセージは重要です。神は石の宮ではなく、あなたの霊を至聖所とする、あなたの肉体を神の宮として、人の手によらず、ご自身の手によって建て上げておられます。これは主の再臨ときわめて関係するのです。励まされます。

The message given through Colin Urquhart at Kingdom Faith is very crucial. The Lord has been building not any phsycal temple but a spritual one, i.e. YOU! YOU are the temple of God for which Jesus died and shed His precious blood. God does not want to live in a temple built by man but in THE temple built by His own Hands. Your spirit is the holy of holies and your soul is the holy place and your body is the temple. It is the very point for us to prepare for the second coming of the Messiah.

The same temple by Colin Urquhart

ウイットネス・リー教会の分裂騒動

「主の回復」とか「○○に在る教会」と称するリー教会でこの数年間、否20年近くにわたってくすぶってきた問題が再燃。かつてリーの側近中の側近だったタイタス・チューが検疫された。世界中の長老たちが署名する検疫声明文が公開されると共に、タイタス・チューを糾弾する集会の模様がビデオとオーディオで公開されている。5時間にわたる糾弾集会なので、まだ一部しか聞けてないが、変わっていませんね。このコワイ体質。「神は個人的な罪は赦されるが、教会の行政に関する罪は反逆の罪であり、決して赦されることがない・・・。ひとりの使徒、ひとつの務め、ひとつの教え、ひとつの心、ひとつの実行、ひとつの立場・・・」と。かくしてタイタス・チューと彼の同労者たちは排除されたようです。詳細はこちらのサイトを。

lordsarmy

この中にタイタス・チューを糾弾する集会の日本語通訳の音声ファイルも聞くことができます。やや怖いですが。

アナハイムでの糾弾集会(日本語11月11日2006年)

前回は89年でしたが、"反逆者"を検疫するのは彼らの常で、10-20年ほどの周期で繰り返されているようです。ちなみにこのロサンゼルスタイムズ紙の記事は77年の検疫事件です。

ロサンゼルスタイムズ紙記事12月11日1978年

【付記】「2ちゃんねる」もカルトも、ポイントは自分が「」になれること。前者では検閲なく自由に判断し何でも言える仮想的全能感によって、リー教会ではもろ「神と人が混ざって人は神になる」(神格は持たないらしいですが・・・笑)わけで、善悪知識の木の実を食べるように誘惑されたあの言葉がそのまま肉を心地よく疼かせるのです。

コリン・アーカートのVideo Blog

アップロードファイル 5KB英国KFCのコリンのVideo Blogを紹介しておきます。彼のEnglishはきわめてBritishでして、クリアですから、容易に理解できると思います。

イエスは40日間、誘惑の山において、人間として神の御心を行う準備をされたことを現地で説明しています。

キングダム社会のキーワード

アップロードファイル 11KB先に紹介したビデオクリップから―

・Obey ―従え:誰に?
・You will be cursed ―呪われる:誰から?
・Apostolic mandate ―使徒の委任:誰の?
・Loyalty―忠誠:誰に?
・Set man robbing God ―神から奪え:誰が?
・No criticism―批判をするな:誰に対する?
・Great anointing―大いなる油注ぎ:誰から?
・Submit―委ねよ:誰へと?

おいおい、聖書の言葉ではないか!?そのとおりです。すでに教界でも当たり前に語られています。が、問題は「」との関係においてでしょうか?

いろいろなKingdom・・・・

・他のKingdom Fellowship
・他のKingdom Fellowship
・他のKingdom Fellowship
・追加のKingdom Fellowship
・他のKingdom Faith

ついでに、いろいろなDr.Lukeな人たち・・・ココ

 * * *

アップロードファイル 19KB昨日の仕込み:ビルダーバーグ倶楽部黙示録のバビロンには2種類がある。ひとつは宗教的バビロン、ひとつは政治的バビロン。共にキーワードは「統一」。キンダムロストとビルダーバーグを結ぶ鎖。そこにはユートピア社会の魅惑的な幻想がある。人間の人間による人間のための理想世界の出現。自分を自分で救う試み。これが善悪を知る知識の木の実を食した人類の究極の渇きなのだ。

さてさて、またまたDr.Lukeは妄想的陰謀論者と言われることでありましょうか?

 * * *

訃報:ミルトン・フリードマン博士死去。サプライサイド・エコノミクスの提唱者(マネタリスト)。80年代のレーガノミクスの基礎理論となった。「神の見えざる手」を協調したが、どうも経済には「人の見えざる手」が入っているようだ。

イエスの御国は今どこに?

ウイットネス・リーについての真実を暴露するサイトをかつて開いていたのですが、所詮コップの中の嵐であってアホらしくなったことと、関係者が高齢になりつつあり哀れさを覚えたこと、そしてgeocitiesのシステム変更があったことを契機に一時閉鎖したわけです。それが何で今ごろ20年も前のことを蒸し返すのかと疑問を持たれる方もいることでしょう。

それは前から指摘しているとおり、最近のキリスト教界の動きにあります。いわゆる「使徒・預言者による宗教改革」とかいったものや、メガチャーチなるなるものが出現している現状に危機感を覚えるわけですね。一都市にあって使徒権を持つ使徒の元に教会がカバリングされて、一教会とされると言った光景、さらに社会システム自体が教会の下に置かれると言った国家像、つまり前に紹介した『キングダム・ロスト』の悪夢の世界が展開しつつあるわけです。あるいはそれを志向する動きがこのところ活発化していることを感じるわけです。しかし神はテッド・ハガードの真実を暴露されたり、その動きに御手を置かれることも感じます。

山谷さんがCTとその背後の関連企業群や活動に危機感を覚えるのも同じ文脈から生じているわけです。表だけ見れば、何をムキになって不毛な批判をしているのだ、足の引っ張り合いで、何も新しいものを生み出さないではないかと言うご批判もあろうとは思いますが。さあ、そこでここで皆さんに問い掛けたいと思います:

1.イエスの国とは今どこにあるのでしょうか?

2.イエスはイスラエルをローマから物理的に解放し、社会システムを変革してその御国を地上に打ち立てられましたか?

3.イエスは「地上の王冠」をかぶられましたか?イエスのかぶられた王冠は何で作られていましたか?

4.私たちはイエスの花嫁です。花婿と花嫁は同じ運命をたどるべきではないでしょうか?

これらの質問にぜひご自分で解答して見て下さい。これが分かれば、私たちがなぜ地上に置かれているのか、私たちの歩みはどうあるべきか、自然と解けることと思います。

「主の回復」の方への回答

驚きました。「主の回復」の方からメールをいただきました。やっぱり来ておられるのですね・・・。あるいは監視されているかな?

・・・ただ、リー兄弟は多くの兄弟たちに不当に持ち上げられて気の毒でした。私は彼の膨大なメッセージを全部聞いたわけではないですが、自分が高い者だとか、完全な者だとか言っているのを聞いたことはありません。(→1)

息子さんの不品行にはどんなに苦しみ悲しんだことか、と思います。私達は不品行をせずに生きて来られたとすれば、それは主の大きな憐れみの故なのです。子供の不品行によって、私達はそれを知らされ「ああ、主よ、私は罪に過ぎません」と主の前に跪く他なく、そして主の御血の計り知れない尊さを知るのです。(→2)

人は多くの過ちを犯すものです。そして頭から足の先まで罪です。ただキリストだけが尊く、神はキリスト・イエスだけを受けられます。(→3)

痛みを覚えるとおっしゃってもいますが、よく理解できます。しかし逆にこの文面から彼らの中でのウイットネス・リーの占めている場所が理解できます。

1.残念ながら、周りも持ち上げましたが、彼も持ち上げられたかったのです。文字と実際が違い過ぎるわけです。表の顔と裏の顔はまったく異なるわけです。昨日アップしたオフレコでのメッセージの内容から明らかでしょう。さらに自分に忠誠を誓わせるために、全世界の長老たちに署名をさせますか、普通であれば?これ、私もコピーを持っていますが。まあ、これらが捏造であれば別ですが。リー氏にはそもそも精神病理学的問題がありますね。

2.投影がありますね。リーの理想像を作ってしまっています。事実は息子の不品行(と言うよりはレイプ)については残念ながらそうではなかったのです。第一に複数の女性が被害を受けており、それをリーに訴えても彼は対処しませんでした。かえってそれを指摘する長老たちを排除したのです(被害者と関係者の証言もいずれ公開します)。真にへりくだった人の対応ではありません。あなたがたが誇る「回復訳」を訳したジョン・インガルスの記録を見れば、リーの隠れた振る舞いが明らかです。かくして今残っている人々はみなリーのイエスマンのみです。その中でもまた「主の回復」の問題点を指摘するタイタス・チューが最近"検疫"されたわけです。

3.おっしゃるとおりです。リーがすべてを聖書に従って適切に対処していたら・・・と私も思います。ダビデのように。

この方のお気持ちはよく分かりますが、残念ながら自己弁護があります。リーを擁護しつつ、実は自分を擁護している自己欺瞞。これは客観的に見れば明らかなのですが、その中に飲み込まれていると理解できない。私があなたがたを攻撃していると写ることは知っておりますし、福音書房のH氏夫妻のことばもたまわっております。

私は皆さんを攻撃する意図もありませんし、兄弟姉妹として慕い、愛しております。ウイットネス・リー抜きのただキリストにある交わりができればと願っています。だから真実を知って欲しいと願います。

神は各時代に唯一の務めとただひとりの使徒・預言者を持たれ、現代ではウイットネス・リーの見た「回復の啓示」に従うことのみが神に従う道であり、そこから落ちたら神に見捨てられるといった恐れから解放されて欲しいのです。リーに逆らったら裁かれて癌になるとか、事故に会うとかの恐れから解かれて欲しいのです。何しろY氏自らこれで精神を病んでしまったのですから(Y氏の言動の記録も後ほど公開します)。真理は、リーを介さなくとも神とその御旨を知ることができるのです。

神と人の忠保者はただ人なるキリストひとりである。

リーが言うように、神のことばを語ることができるのはただリーだけであるのか、神はもっと豊かな体の肢体をお持ちであり、もっと豊かにいのちを流し、もっと広い世界があることを知っていただきたいと願うものです。

憐れみと恵みがありますように。