独り言

久しぶりの・・・

オトナがじっくり鑑賞できるテレビドラマが始まった。『華麗なる一族』−あの山崎豊子の原作。主人公がキムタクというのがやや・・・であるが、原作がしっかりしているし、ドラマもかなり力が入っていて、かなり楽しめそう。かつての『白い巨塔』や『大地の子』のノリ。音楽までも『大地の子』の雰囲気。と言うわけで、メッセージの更新が遅くなりました。

→2007年01月14日主日
ワーシップ
メッセージ

バラバラ殺人から診える時代の病理

アベニバラバラ・・・と言う歌がかなり昔流行ったとおぼろげに記憶しているが、なんじゃ、これは・・・最近のバラバラ殺人事件。以前から現代は自己の病理の時代と指摘しているが、歯医者の息子も、白百合女子大卒のセレブ様も、医学的には自己愛性人格障害、あるいは古典的用語では情性欠如の精神病質(サイコパス)あたりと診断されるだろう。彼らの価値観は自己がすべて。ここでも何度も何度も書いているが(→たとえばコチラ)、この手の人格障害者にとっての現代は実に力を提供する。ネットではあることないこと、傷ついた自己の鬱憤を晴らすことができる(→粘着の精神病理@A;日本人の病理とITメディア)。かくして仮想的全能感と共に、妄想を膨らませることは前に指摘した(→存在の薄い自己の病理)。

「2ちゃんねる」のような現象が起きるのはまさにこの病理の兆候であるのだが、ここへきてさらにその表出がカゲキになってきているわけ。死体をバラすと・・・。歯医者の息子も妹をバラすやり方を見ると、単に死体の処理をしただけではなく、その作業の間はある種の自己愛の満足を覚えていたのだろう。何もできなくなった対象に対して全能感を覚えたと推測される。白百合女子大卒のセレブにおいても同じ。自分を認めてくれなかった夫が完全に無力となり、彼女は思いのままに自己の全能性を発揮できた。遺体を処理するだけならば、もっと別の捨て方があるし、彼らの捨て方にはある種の自己の力のデモンストレーションの意図を感じる。

かつてイギリスで起きた切り裂きジャック事件のようなケースでは(最近も類似の事件が起きているが)、たとえば女性に対して不能である男が女性を弄ぶひとつの形があのような殺人手法となる。自己の不能によって受ける自己価値の低下を代償的に満たす試みなのだ。これは「2ちゃんねる」あたりでネチネチとネットリンチを行う連中も同じ。彼らは深刻な低い自尊心に縛られているもの。しかしもちろん彼らの覚える全能感は仮想的なものであり、決して実質的に満たされるものではない。

こういった人格障害傾向をもつ人々は、キリスト教界ではきわめて多いが、彼らは実に闇の勢力に用いられる傾向を持つ。精神科病棟でもよくあることだが、患者がアチコチを回っては医師や看護師の悪口や風評を流して回り、病棟の運営に障害が起きる事例がよくある。彼らは実にもっともらしく嘘(彼らにとってはリアルなのだが・・・)を語り出し、被害者を装い、人々の同情を買い、人々をマニュピレートする。

そして昨今、世でもキリスト教界でもこういった人々が目に見える形の事件を起こすフェイズに入ってきたことを最近強く感じている。図らずもこれまで私が予測している通りになってきている、否、私の予想をはるかに越える速度で現実は進んで来ている。テレビでも歯医者の息子の事件については和田氏がしどろもどろでコメントしていたが、彼に深い同情を覚える次第。自己愛の病理と仮想化の病理―これが現代なのだ。

きな臭い2007年

まだ正月モードが抜けず、自力で書く気力が出ませんので、田中宇氏の記事を紹介しておきます:

閉じられるアメリカの核の傘
半年以内に米イラン戦争が始まる?

今年は参院選も控えていますが、世界情勢もひとつの大きなコーナーを曲がりそうな予感。

もうひとつの美国の美しくない話

ブッシュが実に面白い負け惜しみをのたまっています(→記事)。アメリカが敗北したのではなく、相手が成功したのだと!?ブッシュはやはり猿でした(コレかなり楽しめます^^)。こんな人物を聖書預言をよく知っている現代のリーダーだとかってヨイショしていたイスラエル・フリークの某福音テレビの先生などはどう反省されるのか。猿でも反省するが、その反省は所詮猿の反省にしか過ぎないわけで・・・。

"美しい国"の美しくない話

「2ちゃんねる」がらみの話などが続き、そろそろ食傷気味になってきたが、この国の美しくない部分がまた露呈した。大阪大教授の税調会長本間氏が官舎に愛人と同棲の責任を取って辞任。よくやるよなあ〜と、ある意味で感心してしまうが。浪速大学の財前教授のように自分の小遣いからお手当てを捻出して、人に知られないマンションをあてがって・・・と言った話ならまだ理解できるのだが。

でも本間氏は企業減税の推進者であるから、辞めてもらって、どなたか個人税の減税を進めてくれないかな。今の経済を持たすには企業の設備投資頼りではダメ。個人がもっと消費しないとね。大企業を大事にして個人をいじめる制度はいずれ崩壊する。個人にも会計原則を適用して、経費の申告とか減価償却とか金利の経費化をさせてほしいのだ。自立した経済主体として個人を考える必要があろう。

当の安倍さんは銀行からの献金を拒否したそうだが、見え見えで、かえって姑息な印象しか受けない。前に安倍氏の背後は相当に汚いし、彼の周囲の人物もスネに傷持つ者ばかりで、彼は案外もろいかもと指摘したが、果たして来年の選挙まで持つかいな・・・。と言いつつも、小沢さんがいまいち精彩を欠いているし。わがニッポン丸はどこへ向かうのだろうか。周辺国の力学の狭間で、彼方此方と浮遊するクラゲだ。

祝勝利亀田

今回はキッチリ勝ちました。試合運びも冷静で、オトナでした。大したものです。惜しむらくはKO勝利ではなかったこと。しかしけっこう前回はきつかったのでしょう。「おやじが壁になってくれたからな」と言って涙。彼は大口の割りに、根は純情なのです。あのオヤジの方がむしろアブナイわけで(笑)。前回も書きましたが、いいですね、今日、こういった親子鷹。前回「2ちゃんねる」に晒したあなたも見ていましたか。彼は若いけれど、あなたよりよほどリッパです。あなたも何かに打ち込んで一つのことを達成してみなさい。闇でコソコソしなくてよくなりますよ。

人格障害という生き方

北朝鮮はどうもブッシュに対して核保有国であることを認めさせることに成功しそうな気配になってきた。ブッシュも支持率が30%台に低落し、レイムダック化して、何かドラスティックな策を取って歴史に名を残すことを考えている、とある北朝鮮スジの評論家が唱えていた。そこでブッシュは北朝鮮と依然として停戦状態(注)にある現状に対して、終戦を宣言し、国交を正式に結ぶと言うのだ。これはニクソンがベトナム戦争で泥沼化した時に中国と国交を回復した策と同じであると・・・。

(注)朝鮮戦争はまだ終結していない!

うーん、初めこれを聞いた時は?だったが、今となってみるとそのシナリオの実現もあり得るかも。一方で米国はいろいろな裏工作で北を内部崩壊へともたらすことを画策してもいるようだ。キムさんはフランスへの亡命準備も始めているとの情報もあるらしい。さてさて、どっちになるのかは平凡な生活人であるわれわれには分からないが、分かることは妄想性人格障害と診断されているキムさんのしたたかぶりである。

ある意味で状況は彼の思惑通りに進んでいる。これでブッシュが核保有国として彼を認め、北と手を取るならば、拉致問題などはふっとぶし、安倍氏がそれを牽制できるかと言うと、彼自身がすでにレイムダック状態。日本はまた立場を失うだろう。キムさんのしたたかさにはある意味で感心する。

私自身、人格障害者と関わって感じることは、彼らは他人からの受容と認知を切望しつつ、その願いが決して実現しない振る舞いを取ることに長けているのだ。つまり実に絶妙のタイミングで他者に不快感を与え、決して自分を受け入れさせない。心の底では自分を受けれて欲しいと人一倍欲しているのだが、むしろその願望を屈折した形で表現しつつ、決して満たされないように自ら工作している。

加えて他者を巧妙にマニュピレートする演技も巧み。泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・と。また挑発も巧みである。かくして他者が自分の反応で振り回されることにおいてアイデンティティを確認し、ある種のサディスティックな快感を覚えているのだ。しかし実際には自分をさらに傷つけることであり、マゾヒズム的行為である。つまり彼らは他者の不快感をかき立て、自分を傷つけるほどに自己同一性を確認することができるわけだ。この他人の不快感をかき立てる業は実に巧みである。

かくして自分はまた裏切られ、他者は自分を認めないのだ、周囲は敵なのだと言った確信だけを強めている。自分の内なる憎悪や敵意を他者に見ること-これを投影と言うが-によって、周りが悪であると思えば思うほど、自分は清く正しく美しく、悲劇のヒーロー/ヒロインになれるのだ。こうして周囲は仮想敵だらけとなる。これをパラノイドと言うが、昂じると被害妄想、被迫害妄想へと発展する。すなわち自己内世界においてのみ究極の自虐的自作自演を延々と繰り返す生き方、これが人格障害である。屈折した自己愛のあり方、あるいは実質の欠如した歪んだ自己の肥大化。同時にネガティヴなエネルギーを蓄積していく。

しかしこのような人格障害者が実効的な核を持つとなると、これはまた相が転換する。核によって他者をマニュピレートし得るわけで、果たしてレイムダック・ブッシュがそれに対して以前のように抗することができるかどうか。キムさんは「自国が崩壊する時は地球をぶっ壊す」とのたまっているそうだが、蓄積されたネガティヴなエネルギーがどのような形で暴発するか、これはかなりコワイ。

いずれにしろ人の良いニッポンにとっては頭越しに「何か」が起きるわけだが、それに対してわが国はなす術、切るべきカードがないのだ!ある意味で病識の欠如した人格障害者は最強の存在と言える。

温泉までT-10Days

粘着の精神病理(2)

先に粘着の精神病理について少々触れたが、私も最近では当事者として、ややネットストーキングを受けているようですので、もう少し論じてみたいと思います。

例の「CT対山谷さんのスレ」で次のようなカキコをいただいております。あまり気味の良いものではありませんが、興味深いのでご紹介しましょう。

699 :暇人:2006/12/15(金) 21:24:18 ID:TdQiqrF6
>>684
挑発するなら唐沢さんがよい 穴だらけ しかも単立。
山谷さんは、季語になるほど認知されている伝統コスプレ教派よ
しかも本人は水準クリアの英才。周囲からも期待されている。
ちと穴がないので 感情的に中傷しても 誰も相手にせんよ
唐沢さんはマンガにできるキャラだから お薦め

何ゆえに私にこれほどに関心をお持ちくださるのは不明ですが、私の言動の「何か」がこの方の「ある部分」に触れ、彼の肉の疼きを惹起してしまったようですね。

こういった場合、ある種の共通する要素を持っていることが多いのです。いわゆる牧師先生が大学教師の私に粘着することはまずありません。私は真っ赤な偽牧師ですし、別に神学の専門家でもありません。業界を異にするからです。まあ、ヨハネ文書がグノーシスを相手にしている位はかろうじて知ってはおりますが。多分この方はアカデミズム関係かその周辺業界の人でありましょう。私よりも年長の方でしょうか?一般社会常識もあり、聖書と神学の知識も持たれ、文章も書かれ、ギリシャ語などの語学にも長け、それなりにアカデミックな訓練も受けておられるようです。彼の意図は私が挑発に乗ればイジル対象として絶好のカモとなるわけですし、乗らないで冷静を装えば私がカルト思考ができるからだとなるわけで、どっちにしても彼の思惑通りなわけです。頭のよろしい方なのでしょう。「2ちゃんねる」でもとぼけた味を醸しつつ、実に冷静に仕切っておられるようです。

で、私的に興味が湧くのが、このようなお顔とは裏腹に立派な社会的立場とご家庭も持たれ、奥様とお子様もいっらしゃるであろうし、どのようなお顔でご家族に対しておられるのかとか、想像が膨らむわけですね。一方で「2ちゃんねる」に打ち込みつつ。つまり私の「穴」と「カルト性」をご指摘されるほどの資質をお持ちの方が、何ゆえに「2ちゃんねる」なる場に潜っておられるのか、と言う点ですね。その教養と才能を堂々と学界やキリスト教界に問われればよろしいかと愚考するわけです。それこそ社会とキリスト教界の大いなる損失ではないでしょうか?それが「2ちゃんねる」なぞの匿名の闇で他人を中傷し、またお仲間を貶めているのは何ゆえ?と思うわけなのです。いや、すでに立派な業績をお持ちで、手慰みで時間をつぶしておられるのかも知れません。それも早朝から深夜まで・・・。

ここに現代のニッポンの病理、すなわち自己の病理を診ることができるわけです。先に紹介した「自分以外は馬鹿」とする若者の増加、仮想的全能感で仮想的満足に陥る若者―これらはナルシシズムのひとつの形ですが―・・・ばかりではなくオジサンが増えているわけですが、この根底にあるのは行き所を喪失した精神エネルギーの空転現象です。『武士の一分』にしても、先週の『硫黄島からの手紙』にしても、死を決意して自分を「何か」のために注ぎ出すことがテーマなのですが、これが今のニッポンには喪失しているわけ。真の充実感と満足感は自分を忘れて、自分を注ぎ出すことにあるわけです。それが学問であれ、仕事であれ、家族であれ、恋人であれ、キリストであれ、ポイントは自己を離れることにあります。

しかし「2ちゃんねる」あたりの面々の生態を診ていると、根底に何か解消されていない葛藤、あるいは消し去り得ない挫折感、それに伴う絶望的空虚感を感知するのですね。かくして自己の中に閉じ篭り、満たされない感覚を屈折した形で延々とネット相手にぶつけ、ぶつけるほどにフラストレーションだけが昂じて、それを自分でも持て余している感じ。実は鏡に向かったサルを演じているのです。だから自分でも「所詮は2ちゃんよ」と、自分がいかに虚しいことをしているかと、心のどこかでは分かっているのです。根底にある自虐的攻撃性を他者に投影しているわけです。まさにニートやフリータ、さらに引き篭もりが400万と推計される現代のニッポンの病理の象徴と言えるわけです。それは膨大なエネルギーの不毛な空転現象。

もっとも虚しい生き方は自己のために生きること。対して真の充実感と満足感を味わえるのは自分を「何か」に注ぎ出すこと。もちろんその「何か」が何なのかが大切なわけですが。私たちにとってその命をかける「何か」とはキリストなわけですが、これとても立派なカルト思考なのでありましょう。「何、マジレスしてんの?」と・・・。やはり山田洋二は時代を描く名監督ですね。

温泉までT-12Days

ベースボールも・・・

アメリカの一部に組み込まれそうですね。以前から言っているとおり、日本はアメリカに、政治的去勢、軍事的去勢、そして経済的去勢をされたわけですが、娯楽もそうかな。日本球界はアメリカへの人材バンクとなりそうな予感。

しかしマツザカの台詞はカッコよかった:

ぼくは夢と言う言葉は好きではない。夢は見ることはできても実現するものではないから。ぼくは子供の頃から信じてきたから、今ココにいる。

と。

さあ、教育基本法改悪と防衛庁の省への格上げで、ニッポン丸の行くえは・・・?

子供の一言

テレビで交差点の交通事故をレポートしていたが、その中で女の子が、「あそこで友だちにバイバイって言ったら、それがほんとのバイバイになっちゃたの。もうこんな悲しいのは嫌だから、起こして欲しくない」とインタビューに答えていた。何だか泣けてしまいましたね。「ほんとのバイバイ」はせつないです。最近やたらと涙腺がゆるい・・・か。

時効の壁

一人で買い物に出かけた少女がトラックに轢かれて死亡、ひき逃げされた事故の公訴時効が本日0時に成立した(→記事)。私も親として、ビデオ映像を見ているとたまらない気持ちになる。これで法的な責任は免れたのだが、果たしてこの犯人は、今、どんな気持ちなのだろうか?このような場合、割とまじめで気の小さい人であることが多いのだが、この人はどのような内的生活をしているのだろうか?きわめて関心がある。

ネオコンの終焉と神の御手

ブッシュに対しては私はこう述べ、またこう書いた。神の主権を侵したブッシュには神の裁きがあるだろうも言った

今回民主党の勝利の後、ラムズフェルドの更迭、そして今回ボルトンが辞任(→記事)。これでネオコンが総崩れとなったわけ。田中宇氏のレポートでは米国の自滅シナリオの実現だと述べている。ラムズフェルドに至っては、切られる前にイラク政策は失敗であったと白状し、ライスもそれを追認している。かくしてブッシュ猿政権も櫛の歯がこぼれるように着実に崩壊しつつある。

ライブドアや村上ファンドも同じだが、神の義と裁きは確実に実現される。神は侮られる方ではない。すでにすべてに勝利され、あらゆる権威を得られた方イエスは、再建主義のようにモーセ律法を適用せずとも、この地上を確実に治めておられる。邪悪はますます満ち、倒錯者たちも跋扈するだろうが、神の主権に服する者たちがいる限りは、不法の力は制限される(2テサロニケ2:7)。しかしキリスト教界は確実にアポスタシ(廃教)の道をたどるだろう(2テサロニケ2:3)。「クリスチャン」を自称する者たちが落ちるならば、未信者よりも腐敗し、なまじ聖書を知っているため毒を撒き散らす。かくして人間的にはまったく希望を失う時代が来る時、私たちのまことの希望の星が現れる(2テサロニケ2:8)。その前には

終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。

すでにこの状況は展開している。聖書はこう警告する

こういう人々を避けなさい。

あざける者たちは自らの頭に炭火を積んでいる。聖書はまたこうも言っている

悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。・・・神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。・・・だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。

真に神の御前に歩むことができれば幸いだ。

温泉までT-23Days

不気味な者たち

テレビでも報道されていたが、事故死した子供の遺体写真や、海やプールでの水着姿の子供たちの写真を自サイトに掲載していた男が書類送検され、さらに小児ポルノで刑事告発されるようだ(→記事)。

で、その男の仕事が、何と小学校教諭!ペドフィリア(小児性愛)と言う自分の性癖を満たすために小学校教諭になったと言う。実に不気味。

私にとって考えただけで虫唾が走る存在がある。それはこのようなロリコン教師。次にホモの寿司職人の握った寿司を食すること(いるかあ〜?)。そして処女降誕・死と復活・肉において現れた神を信じないゲイやレズビアンの牧師の祝祷を受けること(これはいる)。

倒錯が倒錯と感じられなくなる世界。何とも不気味である。

存在の薄い自己の病理

以前にも書いたが、現代は自己の病理の時代。元々埋没型アイデンティティの日本人は他者の関係性の中でのみ、自己を維持し得る。ここで自己と他者の境界線が曖昧になるわけ。このようなアイデンティティにおいてケータイやネットが入ると、それらをチャネルとしてのみ関係性を確認するようになる。これがニッポン人のケータイ文化。

アップロードファイル 5KB同じ事を『他人を許せないサル-IT世間につながれた現代人-』において正高氏が述べていた。ケータイの技術はフィンランドで開発され、フィンランドが最も普及率が高いらしいが、日本とはまるで違った様相を呈しているとか。そのライフスタイルはケータイ普及前と後ではまったく変わっていない。正高氏はこれは日本人とフィンランド人の精神構造の違いにあると指摘する。このITを通して世間と通じるニッポン人の精神構造として、「自分は特別」、「IT引きこもり」、「自分が損している」といった歪んだ自己意識があると指摘する。ちなみに本書でも日本人はサル的であり、サルに鏡を見せる実験を紹介していたのが面白かった。

アップロードファイル 2KBまた『他人を見下す若者たち-自分以外はバカの時代-』において、速水氏は「仮想的有能感」がキーワードであるとし、それは「他者軽視感」と比例すると指摘する。実際、「2ちゃんねる」あたりに書き込みする者ほど、根拠のない「全能感」を抱いていると言う調査報告をしている。現代の若者(ばかりではないのがヤバイのだが・・・)のパーソナリティのディメンジョンとして、「仮想的有能感(他者軽視感)」のx軸と「自尊感情」のy軸を取って、4つの象限に分類する場合、

アップロードファイル 8KB@x>0、y>0の象限は「全能型」であり、自己の能力を過信して、他者に対する優越感を覚えるタイプ。

Ax<0、y>0の象限は「自尊型」で、他者の存在を認めつつ、正当な自尊心を持つタイプ、

Bx<0、y<0の象限は「萎縮型」で、自尊心欠如にして、他者につぶされそうに感じるタイプ、

Cx>0,y<0の象限は「仮想型」で、正常な自尊心を持ち得ず、しかし他者を貶めることで自分を確認するタイプ、

となる。

元々自他の分化がない乳児では泣けばミルクをもらえると言う「ナルチシズム的全能感」の満ちた仮想的世界に生きている(これを「1次過程」と言う)。成長するにつれ、人間はこのような全能感を喪失し、他者との区別の中で自分を確立していく(「2次過程」)。つまり「全能感」は幼児性の特質であり、成長とは何が可能で何が不可能かの見極めをなすこと、つまり「全能感」の喪失と言える。しかし「2ちゃんねる」あたりのキャラを観察していると、このCの象限に属する者が多いと感じられる。

彼らは知性はほどほど高いが、情緒が未熟と言うか、何か傷ついている部分を感じるのだ。この実現されなかった自己を、現在の自我に統合することができず、疎外したままでいる。この疎外された自己が疼く何らかの刺激を受けると、昨日述べた粘着が始まり、他者を貶めることで仮想的満足を得つつ仮想的全能感を味わう。しかも本人も自分のしている事が虚しいことを知っているのだが、止めることはできないか、あえてしない。加えて疎外された自己は、ある意味で「被害者」なので、その自己の主張はすべて正当化され、良心の痛みを覚えない。これがために罵詈雑言何でもありの無法地帯の様相を呈する。

しかしその批判の内容は他者との正常な関係性においてではなく、その本人の中における空回り的葛藤に起因する。すなわち客観的にはその対象が言ってもいないのに、自分の中で疎外された自己から生じる「内容」に対して憤り、批判を加え、貶める。つまり昨日指摘したように、他者を貶めているようだが、実は鏡に映った自分を相手にしているだけの自作自演となる。よって双方向の対話は成立しないし、まともな発言に対しては「イタイ発言」と無視し、結局は「言った者勝ち」の様相となる。

彼らの精神病理的特徴は、自分に甘く他人に厳しく、努力せず成果を求め、すぐにいらつきキレる、無気力と欝に陥り易く、謝ることをしない、とまとめられる。このような自我構造は現代の特徴であり、ITにつながれることによって、仮想的共同体において、集合無意識的に共有される。実際、特殊用語を用いつつ「2ちゃねらー」と称する一種の仲間意識を生み出す。すべてをおちゃらかす管理人ひろゆき氏なる人物の病理が、ITを媒体として広く仮想空間で共有されているのだ。

かくしてこの現象の根底にあるのはきわめて存在感の薄く、強迫的に「何か」を騒ぎ立てていないと消えてしまう様な自我なのだ。内面の空虚さに比例して、表現は過激になり、他者を貶めることによって補償的に仮想的全能感を持つようになる。人は自己像に従って他者をも扱うもの。何とも虚しく、あまりにも虚しい時代の病理ではある。なお、大脳生理学的にはこちらをどうぞ。

というわけで、良心が麻痺した者が跋扈する「2ちゃんねる」なるものが蔓延るならば日本は滅びの道を歩むと感じられる方は、こちらをぜひバックアップしてあげて下さい。貴重な情報が満載のBlogです。大規模な組織的攻撃も受けるようですね。

2ちゃんねるから子供たちを守ろう

温泉までT-28Days