* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
土曜日の仕事は今日でおしまい。朝から4時までと。帰り道、四谷の裏道をブラブラしていると、何と三代目鯛焼き屋があるではないか。風情のある店構えに、何とも香ばしい香が・・・。甘い物には目がない私は、誘惑に勝てない。つい一匹(個じゃなくて、匹なんだそうだ)、128円。あんこが実に豊富。自販機で濃い生茶を買って、大通りを歩きながら、ハフハフと(熱いのだ)。餡の甘さとお茶の渋みが実にいいハーモニー。小市民Dr.Lukeとしてはささやかなシアワセを覚える瞬間。
四谷はまあ、カトリックのメッカでもあり、目の前にははしか騒動の発祥地上智大学と、右手にはドン・ボスコ社。ドン・ボスコ社を鯛焼きをほふりながら覗いたが、やはりマリア像がいっぱいあると、ややびびる次第。私はマリア崇拝なのか、マリア崇敬なのか、あるいはマリア贖罪なのか、といったどうのこう神学論議はご遠慮したいが、精神分析的にはエディプス葛藤に対する母性の介入による一つの回避の方法だろうなとか考えてしまうのだ。カトの皆さんに怒られるかな?でも、ブラザー・ローレンスやマダム・ギヨンは愛読書ですよ。
で、帰宅してバルコニーにデッキチェアを新調したので、横たわってしばし太陽光を浴びる。空が広い・・・。そして筋トレ。大胸筋と大腿筋、上腕を中心に。筋肉がパンプアップする(腫れ上がること)感覚が何とも言えず快感。次にプールとサウナ。いつもどおり、キンキンのサウナで汗を搾り、冷たい水でしめる。これがまた実に快感。疲れたときにはゴロゴロするよりは、むしろ体を使った方がよい。
最後は真澄。今日は純米吟醸あらばしり。先週の辛口生一本はさわやかで、キレがいいが、あらばしりはやや甘口で濃厚芳醇。料理もそれにまけない濃い目が合う。あんこ物も好きで、ポン酒もイイと。まあ、私は音楽もそうだが、雑食だ。かくして映画を観ていないので、やや禁断症状が出ているが、来週はいける^^
しかし1週間が経つのが早い・・・。
花の金曜日。午後はしばしの自分の時間が取れるわけで・・・。いつものiTunesからのJazzが軽快です。
それにしても、CTのやっていることと言っていることが、一層支離滅裂になってきていますね。山谷さんに和解を申し込んでいる一方、CTのサイトではクリスチャン新聞の根田氏に対しても法的措置を取ると威嚇しています。またあの不気味なSola Blogはそのまま。名前が「ただ恵みのみ」と言うわけですが、その内容との乖離性がすごいわけで。このBlogは高柳社長自らのものですが、このようなものを堂々と出してしまう神経がすでに・・・ではあります。ニンニクの臭いに満ちた場所にいる人は、その臭いを発散させているのですが、本人はその臭いに気がつかないのです。
・Christian Today紙での声明文
・Sola Gratia Blog(高柳氏のBlog)
・山谷氏のBlogでの和解申し入れ
しかしこのようなメディアに対して無防備に露出する人々も後を絶たないようです。自らを売り込みたい人と、CTの思惑がうまく合致することによって、この手のメディアは成り立つわけです。まさに蛇の道は蛇。彼らの霊的識別力の欠如はいかんともし難いものがありますが、これがある意味、ニッポンキリスト教の現実でありましょう。
ローカルチャーチでは非常に面白い病理的現象が起きております。まさにカプセル化の病理の典型的症例ですね。詳細は情報サイトの中のこちらを。
ここにも現メンバーの方々が来られており(監視員や工作員もいるようですが・・・笑)、中には離脱した方もいるのですが、コントロールされた情報によるのではなく、ぜひ目を開いて、自ら読み、調べ、考え、真実と対峙してもらえたらと考えています。
まあ、クリスチャン・トゥデイもそうですが、ローカルチャーチも、自分たちの正しさを声高に叫べば叫ぶほどに、その行為によって、自分たちの本性を現してしまうわけです。言葉はいくらでも繕えますが、行動はできませんね。この乖離性が彼らの病理そのものですから。
と言っても彼らには理解できないでしょう。分かっていたら、一千万を要求して調停などしないでしょう。まさに墓穴を掘るとはことのことです。裁判に出たら、まあ、それでジ・エンド。その意味ではローカルチャーチの方がまだオトナかも知れません、一部を除いては。
前にもニッポンキリスト教は閉鎖社会の中の閉鎖社会であると言いました。閉鎖空間では容易に倒錯現象が起こることもすでに何度も指摘しています。最近では2ちゃんねるあたりのサイバー空間も同じです。これを「カプセル化現象」と私は言っています。外部との没交渉により、カプセル内の価値観とプロトコルがすべてとなってしまい、自分が倒錯している事に気がつかない病理です。これが昂じるとパラノイド(被迫害妄想)などを引き起こします。
最近、そのひとつの例として、ローカルチャーチで起きている現象を紹介していますが、実にその病理の典型的な症状を呈している文書をご紹介しましょう。要点は、二千年のキリスト教の歴史において、各時代にひとつだけ神が是とするザ・ミニストリーがあり、現代においてはそれはウイットネス・リーのミニストリーであって、それ以外のミニストリーは神の敵の仕業による、とする内容です。こういった文書をネット上で公開してしまう精神状態をむしろ心配します。
・"ブレンドされた兄弟団"によるタイタスの糾弾理由
昨日のコメントの「日本が壊れている」にご質問をいただきましたが、最近の嬰児を山林やゴミ捨て場に捨てる若者や、赤ちゃんポストに3歳児を捨てる父親などを見ると、その意味がお分かりいただけると思います。堕胎は、正式なもので60万件、闇に葬られるのを入れるとその倍から3倍と見積もられています。
HIV感染も、原因ウイルスや感染様式が不明であった80年代ならいざ知らず、昨今ではそれも明確にされ、何をどうすれば感染が起きるかは、誰もが知っているはずなのですが、先進国では日本だけです、これだけの感染者数増加率を示している国は(→こちらも)。
HIVの問題は、その感染経路がモラルの問題と絡んでいるわけで、ソレを守れば感染は簡単に防止できます。つまり自由意志の要因が実に大きいのです(もちろん血液製剤感染や親子間の垂直感染のことを言っているのではありません)。また離婚してから300日間で生まれた子供の認知の問題にしても、みのもんたも言っておりました、「もうちょっと待てないのかねぇ、作るの・・・」と。
総務省のCMに「元カレの、元カレの、元カレの・・・」と言うコピーがありましたが、これは人間関係を根本から不信と絶望に陥れるこの病の不気味さを表しています。この意味で、この国の根幹が問われているわけです。人の道として、してはならないことをしない。これがHIVの蔓延からこの国を守るすべてなのです。
前から言っていますが、「個」が確立していない社会には「公」もあり得ず、そこに見せかけの自由を導入した結果でしょう。しかし自由には必ず結果が伴いますし、人は撒いた物を刈り取るわけです。このことを真に理解しないとこの国は滅びます。
注意:感染者のケアはまた別の話ですし、15日に死んだアメリカ・キリスト教右派のジェリー・ファルウェルのように、エイズは神の裁きだとは言いませんが。
3限の英語を終えて自室に戻る途中廊下を歩いていると、いきなり「キャー、先生だあ!」と黄色い声が響いた。「何だ?」と思っていると、2年前に教えたクラスの子達がドドドっと押しかけてきた。保育士コースの子達で、明るく、人懐こい連中なのだ。「ハーイ、元気ぃ?単位取ってるかあ?」と声をかけると、「先生、あたしたちぃ、3年になったよぉ」と無邪気に答える。今日、大学1年生は小学13年生なのだ。心の中で「う〜ん、僕は保育士かな?」と思いつつも、まあ、こうして女子学生に囲まれるのも悪くはない。KFCはどちらかと言うと平均年齢が高いのでありますが(Sorry)、大学ではこうして若い連中からみずみずしい感性をもらっているわけです。お陰さまで歳の割りに若くいられるのかも知れないなあ・・・(と勝手に独り言)。
山谷少佐に対して、一千万円の損害賠償金を求めて民事調停を起したCTは、前回少佐に蹴られたものの、再度、調停への呼び出しを行ったようである。これに対して少佐はキッパリと調停を拒否する意思表示をしている。CTもいよいよ裁判に出るしかないところまで追い詰められたが、本件についてはキリスト新聞、クリスチャン新聞、リバイバル新聞がいっせいに記事にする模様。クリスチャン新聞はすでに今週号で報道したようだ。韓国メディアでもすでに本件は報道されており、思いのほか、各方面に影響を与えている。他にも水面下の動きはイロイロあるが、ここでは書けない。さて、CT高柳社長はどう出るでしょう?いや、現代の"キリスト"ことダビデ張氏の意向次第でしょうか?しかし、少佐が指摘されるとおり、どうも彼らは秘密裏に事を処理したいのがホンネのようだ。
午前中横浜のある県立高校訪問。そこで学生が教育実習を受けているため、「教育実習指導」と称する挨拶回り。まあ、高校の先生とイロイロ話すのもそれなりに楽しい。この学校は「総合高校」と称し、要するに従来の普通校と商業/工業校とはまた違ったカリキュラムを組んでいる。何と情報科学や英語以外の語学は解るとしても、料理に、将棋に、釣りに、さらにはゴルフに・・・と。これで単位がもらえるのだ!?驚きましたね。
むしろ私立校は進学率で勝負、つまり偏差値の物指しがすべてなのですが、県立あたりでは危機感からか、生徒集めのためにこういった「工夫」をしているらしい。平成22年までには、臨教審の方針に則り、こういった体制が完備するらしい。
しかし問題はこれが社会のニーズにどう応えるかである。「遊び」を学んで、そういった高校生が社会で役に立つか?と。私はまず基礎科目をキチンとこなせよ、と言いたいところ。分数の計算ができない大学生がいたり、日本語が通じなくなっているわけで、そっちをまずは何とかしなくてはね。
これはニッポンキリスト教界も同じ。変な神学を教えたり、クリスチャンぽい振る舞いを仕込む前に、まずエジプト(世)で生きられるように、キチンと勉強させなさいって。この業界でしか生息できない若者が増える事は恐いです。
と、苦言を呈していたら、何と14歳の高校1年生がゴルフツアーで優勝とか!?タイガー・ウッズをも超える快挙らしい。私は友人のゴルファーに、「穴ぽこに玉を転がして入れて、何が面白いのか知らん」と言って、「あなたっねぇっ、ゴルフは人生ですよっ!!!」と怒られた口なので、よく分からないのですが、やっぱりすごいんでしょうね。人生イロイロ、高校もイロイロ。ついでに教会もイロイロ。で、お昼まで彼の実習を見守り、大学へ。時間がないので、再び、東京湾横断道路を通行。相変わらず車は少ないが、天気がよかったので、中々気分が良かった。しかしどうみても20分程度の道程で3,000円はおかしい。ま、今回は大学の経費だからいいんだけど・・・。帰宅は湾岸を走りましたので、何と東京湾を一周と言うわけ。疲れましたが、風呂上りのビールが旨い!
本日も午前から午後4時まで仕事。5時半ごろ帰宅し、筋トレ、そしてプールとサウナ。疲れた体はサウナでキューっと搾るのが一番よろしい。加えて冷たいプールでまたしめると、これでスッキリ。
で、その後はわが故郷は諏訪の『真澄』ブランドの冷酒「プレミアム辛口生一本」。昨年暮れに箱根で買ってきた檜の"ぐい飲み"で飲ると、これが実に美味。私は下戸であるが(だからエコノミー)、味は判る。いろいろ飲んでいるが、お世辞ではなく、信州の酒は実に美味い!生きててよかった、と思う至福の瞬間。
すでに情報サイトを開いていますが、こちらでも少々。
タイタス・チューは大陸にいる頃からウォッチマン・ニーの親密な同労者だったのですが、五大湖近辺の諸教会の若者をロックミュージックによる賛美で堕落させた上、ただひとつの出版部門(Living Stream Ministry)があるべき「主の回復」で、自らの雑誌を発行し、自らの本の出版をして、「主の回復」の"ブレンドされた兄弟団"に服さず反逆の業をなしたということで検疫されました。
で、そのワーシップには、例えばカルバリーチャペルの「マラナサ」の曲などもあるのですが、そのライブ映像があります。これらをLC側は堕落の集会と断罪しているわけですが・・・。
・ビデオBlog
・オーディオBlog
いかがでしょう。わがKingdom Faithのワーシップなどはどうなってしまうわけでしょうか?同じウォッチマン・ニーから影響を受けていても、えらく異なりますね^^そもそもウォッチマン・ニーが説いた「地方性」は、各地の教会が主の前に自立することでした。ひとりのパパ様も、指導者もなく、理事会などの決議によって動くのでもなく、それぞれの諸地方の教会が自立して、直接に主に対して責任を負うことだったのです。これはJ.N.ダービーのプリマス・ブラザレンでも唱えているところです。ところがLSMと"ブレンドされた兄弟団"に従わないと反逆者として全世界の責任者の連著により、検疫されるわけですね。
最近英国でも教会の地方性を言っていますが、それはキリストの体のある地方における現れのひとつが自分たちであると言う意識です。"ONE OF THEM"です。主の体の表現はきわめて豊かですから、私たちはその中のひとつに過ぎないのです。つまりクリスチャンの交わりはすべて一般名詞のローカルチャーチです。しかし彼らは、ザ・ローカルチャーチと化しているわけです。それはつまりある時代にはひとりの務め人がおり、彼が見た幻が真理の回復であり、ひとつのビジョン、ひとつのミニストリー、ひとつの出版部門、ひとつの心、ひとつの実行によって定義されるわけです。
現在、ウォッチマン・ニーが生きていたら、この事態をどう見るでしょう?
本日は大学からの帰宅途中、いつもは湾岸を走るのだが、逆周りでアクアラインを走ってみた。通行料が倍になるが、たまにはよいものだ。まあ、車がほとんど通行していないが、海ほたるでちょっと一服。が、強風のため、一服できないで早々に退散。それにしても千葉側は相変わらず寂れている。
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愛知県の立てこもり発砲事件で、若干23歳のSATの精鋭隊員が流れ弾を受けて死亡。防弾チョッキの隙間から入った弾が心臓の大動脈を損傷したらしい。9ヶ月の赤ちゃんがいたとのこと。パパは英雄として死んだことをせめても、としたい。
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1歳の子供をバイクのヘルメットの収納ケースに閉じ込めて父はパチンコ、母は買い物。で、子供は死亡。遺体の処理に困り、友人に相談したら、コンクリ詰めにしろとのこと。結局、裸で山中に遺棄。なんじゃ、これは!
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例の母親の首を切断した高校生はマリリン・マンソンの影響を受けていたとのこと(←警告!気味が悪いですから、開く際には注意して下さい。)。右腕を切断して、白のペンキを塗り、植木鉢に"飾って"いたそうだ。これはマンソン流の"ART"である。ある種のフェティズムとも言えるが、すでに人間の尊厳に対する意識はない。彼にとっては、母親の遺体は単なるオブジェと化していたのであろう。
マンソンについてはコロラドの高校での射殺事件の時に私も触れている(→こちらとこちら)。彼はステージ上で聖書を破き捨て、イエスに対する冒涜的行為をあえて行う。彼の撒き散らす霊は人間の尊厳を踏みにじるものにして、きわめて悪魔礼拝的である。
今回の事件は、あのサカキバラの事件とはまたひとつ違った、より深い霊的なフェーズ(相)に入り込んだと思われる。思いのほか、敵の霊による侵食が蔓延しているのだ。問題は、今後、この手の事件が増えること。いや、すでに潜在的にはあるのだが、これが顕在化すること。従来の警察では対応できない犯罪である。
ちなみにマリリン・マンソンの意味は、悪魔教会の会員であったマリリン・モンローとシャロン・テート事件のカルト教祖チャールズ・マンソンから取っている。
・少年たちの心の闇を探る
ココへ来て憲法改正への手筈が整いつつある。しかし『週刊新潮』の今週号によると、教育改革によって、教員の管理体制がさらに厳しくなり、教育現場はさらに荒廃するであろうとの予測があった。これはまさにおっしゃるとおり。教員が壊され、生徒が壊される。前にも書いたが、教員は、本来良心においても、価値観においても、行動においても、高等遊民であるべきなのだ。漱石の『三四郎』に出る旧制高校の教員"偉大なる暗闇"広田先生のように。
前に安倍氏は深いもの(いい意味ではなく)をもち、ネチッコイと書いたが、彼の怨念の深みが、今読んでいる『60年安保と嘘の真実』(保坂正康著)によると、岸氏との関係によってよく理解できる。安倍は岸の亡霊を引きずっている。
岸田秀による内的自己と外的自己の分裂はこちらで紹介しているが、さらに私は、日本は<開国=政治的去勢>、<敗戦=軍事的去勢>、<バブル崩壊=経済的去勢>を対アメリカとの関係によって受けていると考えている。しかし岸はこの第二の去勢を認めたくないのだ。安倍の深層意識には、明らかにこの抑圧された内的自己の怨念と岸の亡霊がある。
Salt氏は多分初等教育の現場からその危機感を感じられるのだろうが、私は精神病理的に診て、安倍氏は危ないと感じる。私と同世代であるが、どうもその精神の内的構造はまったく違っているようだ。憲法改正、私もそれ自体には賛成なのだが、今のタイミングとやり方がどうも危険な匂いがしているのだ。安倍氏の表情も段々と悪くなっていると私は感じている。それは悪人の顔と言うよりは、怨念を内に秘めた人間の表情である。
日本は今、国民が壊れつつある一方で亡霊による国家運営を図ろうとしている人がいるのだ。ライブドアの前の名称のごとく、日本は今、オン・ザ・エッジ状態なのかも知れない。
昨日のテーマと重なる一冊―柳田邦夫著『人の痛みを感じる国家』(新潮社)。新潮社の紹介文をそのまま紹介しよう。
匿名を盾に欲望を無制限に充足し、他者を中傷する人々。麻薬のごときゲームや映像に汚染される子どもたち。「美しい国」とお題目だけ唱え人の痛みを理解しない政治家や役人……日本人の精神はこのまま腐蝕してしまうのか。ケータイ・ネットによる人格の埋没や脳の劣化を防ぐために、見直すべき「心の情景」を説く警世の提言!
同氏は科学的見方に自信を持っておられ、ある時乗り合わせた飛行機のトラブルに見舞われて、冷静な分析をなし得て、パニックに陥ることもなかったことを誇っておられた。
ところが強迫神経症で苦しむ25歳のご子息が自殺を図り、脳死状態に陥るに至って、その慢心を打ち砕かれたと証している。その際、臓器提供をされたのが、『犠牲(サクリファイス)』としてまとめられている。
それ以後の柳田氏の著作は、それまでが機械的な無機的対象を扱っていたのに対して、脆い人間を見つめる目が深くなっていったと感じる。その他、『壊れる日本人―ケータイ依存症への決別』などもまさに現代の病理をするどく抉っている。人間の最後の関心は人間なのだ。
東京都の世帯収入の統計によると、500万未満の世帯が過半数を超えたとのこと(→記事)。一方で億単位を手にする人たちも極少数いるわけだが、この円グラフが今の日本の真実を語っている。
先に紹介した『フラット化する世界』の指摘するとおり、社会はネットと言う誰もが勝手にモノを言える手段を得て、便利になるどころか、実は下へ下へとフラット化している。例えば都立高の地盤沈下の歴史を見れば分かる。ゆとりの教育ですでに教育現場はボロボロ。
その中で非埋没的意識を持っていた者は上昇できる。かくして格差が生まれる。問題はそれが水平的に広がるだけではなく、垂直的に伝えられること。好条件を得ている家庭の子息はまたそれを受け継ぎ、好条件を獲得するが、一度フラット化されるとそこから這い上がるのはほとんど困難となる。
安倍さんの語る「再出発」などは実は絵に描いた餅。かくしてフラット化された人々は妬みとつぶやきに終始するが、社会の健全性にとって庶民の妬みがもっとも危険。その大きな一つの兆候が「2ちゃんねる」みたいものが蔓延ること。かようなものが力を持つに至る日本の将来は、結局自分の首を絞めるだけであろう。これは庶民の妬みに迎合したマスコミがバブルを悪として騒ぎ立て、政府もそれを真に受けて、総量規制によってバブルをつぶした後、90年代がどうなったかを振り返れば分かる。
養老先生と禅師が、「まことの自由は不自由の中にある。個の確立していない日本では今の"自由"はむしろ個を失わせる。個がなければ公もあり得ない」と指摘するとおり。このような国を維持する道は、ずっと以前に書いてBBSにアラシが入ったが、あえて繰り返そう:20%のエリートを作り、彼らを業績に応じて厚遇すること。そしてそれを獲得するチャンスを残しておくこと。昔の旧制高校のような存在である。しかし不幸なことには、80%が20%を引き下げてフラット化するのが現在の日本。
元々個のない国に、格好だけ"自由"と"個の教育"なる幻想を持ち込んでしまったことにより、真の自由と社会までも消え行こうとしている。これによって言葉からして共有し得なくなり、個のない"個"は自閉性を高め、その妄想を膨らませる。それをまたネット上で共有する。そのような中から今回の頭部切断、さらに腕も切断していたようだが、こういった事件が増える。
昔、大宅荘一がいみじくも指摘した―『一億総白痴』と。そして三島も予言した、「いずれ極東に中身の空疎な経済大国ができる」と。Dr.Lukeとしてはこう言いたい―『一億低フラット妄想化社会』と。