* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
同期性。ユングはややオカルトが入っている、自我心理学を打ち立てた精神分析家であるが、彼がシンクロニシティを唱えている。つまり今回のように日米で似た事件が起きることを言うが、どうもメディアから流れる情報を見ると、その病理にも類似性を感じる。米国の場合は妄想の中で恋人を持ち、カメラで女性を撮影し、ストーカーまがいのことをしていたらしい。そして周囲に対する強い憎悪を抱いている。日本でも工事中の穴に車を落として、市に文句を言ったら、金目当てとあしらわれて、憎しみを増幅していたようだ(弁護士の話)。
どちらにも見られるのが、一種の逆恨み的憎悪。憎悪は自我が傷つけられた時生じる感情であるが、自己愛性傾向を帯び、プライドが高いほど、幻想的に肥大化した自我は脆弱であり、容易に傷を受ける。現代はある意味で自己愛の時代と言える。要するにナルチシズムの病理。私たちのような立場では、すでに何度も書いているが、このような憎悪を向けられ、粘着されることがしばしばある。彼らがどうして、どのような恨みをいだくか、こちらには分からないから不気味なのだ。犯罪心理学の福島章先生も女性ストーカーに2年間つきまとわれ、自身がPTSDになったそうだ。
先にも書いたが(@、A、B)、最近の若者(ばかりでもないが)の特徴のひとつが「自分以外はみんな馬鹿」の心理がある。何らの実質を伴わない幻想(妄想)で肥大化した自我が生み出す光景である。他者を貶めて、肥大化した脆弱な自我を守るわけ。今回も共に、この心理が昂じて凶行に及んだような印象を覚える。
アメリカでは銃が容易に入手できるわけだが、日本でもアメリカ化したらもっと凄い光景になるかもしれない。かろうじてそういった自己愛の世界で妄想を膨らませる人々のガスを抜いているのが、2ちゃんねるなどのネット世界なのだ。こういった現象は日本にきわめて特異的な存在であるが、ある意味で社会のバッファー(安全弁)の役割を果たしているかも知れない。いずれにしろ妄想を膨らませ、勝手に恨みを抱く人たちが多いことはマチガイナイ。(ほぼ10年前に書いた論考で予想した通りになってきている。)
・最近の事件の霊的病理
・少年たちの心の闇を探る
・青少年の「怒り」と犯罪
昨日の件、朝にある「仕掛け」をして置きましたら、午後うまくかかってきました。で、一発(と言っても手を出したわけではないですから^^)でコロリ。シュンとして引き下がりましたね。まあ、インテリを気取る連中はけっこうあっけないもの。前にも書きましたが、裁判も法廷外で勝負がつくのです。この裁判官も弱みを突きますと実にコロリでした(→こちら)。
私が最も恐れる相手は、真にへりくだった人です。でもニッポンキリスト教の牧師(特に看板張ってるセンセイ)たちにはほとんどおりませんし、大学にもおりませんね、何故か。多分このような人たちは表には出ません。主の前にあって本当に真実に歩んでいるのです。このような人々には決して挑んではなりません。神が味方しているからです。
2ちゃんねるあたりの壊れた人間の理屈もどうしようもないが、大学の教員の理屈もかなり壊れている。新しい部屋は大部屋を書庫でセパレートしているのだが、隣の奴がタバコを吹かす。健康増進法などもできて、大学は全館禁煙であるお達しが学長名で出ている。
そこでまずは事務を通して苦情を入れてもらったが、彼いわく、「認めません。自分の部屋でタバコ吸うことのどこが悪いか」とのこと。カチンときた私は、直談判。マナー委員もしている手前、全館禁止を告げると「あれは学生用のお達しだろ」とのこと。実は彼の部屋のドア内部にも禁煙マークがあるのだ。「このマークは学生用と教員用と区別があるわけないでしょう」と言うと、「いや、認めません」。
さすがに腹が立ってきたが、ぐっと抑えた声で、「あなたは自分が加害者であることを意識しているのか」と言うと、「じゃあ、ジーゼル車はどうなの?私はくつろぐ時間が欲しいだけだ」と。これで私的には紳士的な対応を放棄。「私にとっては立派なストレスとなり、パソコンもヤニで汚れるでしょう。それが分かりませんか。あなたは大学のルールの違反者だ。しかるべく対応をする」と言い残して彼の部屋をあとに。
これが大学教員のモラルなのです。話して分かる人間ではないが、良心はそれなりにあるようだ。面と向かって言われたのは初めてなのだろう。相当に動揺もしていた。まあ、これで彼はタバコを吸うたびに私の顔と言葉が頭にチラチラしてリラックスはできないだろう。こう言った連中には理屈ではなく、心理的な作戦を取る必要がある。事務サイドも対応を約束してくれたが、私的にも対応をしよう。どうするかは、ヒ・ミ・ツ^^
昨日は「慣れること」だったが、今日は「馴れること」。先に紹介した元ライブドア取締役の宮内さんの本を一気に読了した。もちろん彼の目から書かれているとは言え、ホリエモンと言うキャラの問題点が次々に暴露されている。単純にして野心家。やや自己愛性人格。典型的な金の亡者である同時に、目立ちたがりにして、遊び好き。
彼は球団買収あたりからマスコミで騒がれ、その快感を覚えてしまったようだ。そしてニッポン放送に敵対的TOBをかけ、フジテレビから和解金をせしめ、同時に個人的にもライブドア株を売って百数十億を手にしてからはもっぱら芸能人などと遊びほうけていたようだ。そしてそのピークが例の衆議院選。当時は本当に総理大臣になると考えていたらしい。
これ以降、ほとんどビジネスに対する意欲を喪失し、この頃から宮内さんがその立場上、実質的にライブドアを指揮らざるを得なくなったとのこと。ところがいざ裁判になったら、ホリエモンサイドはそれを口実に、すべては宮内が独断でなしたことと言う構図をでっち上げたようだ。かくして自身は知らぬ存ぜぬで押し通していることはすでに知られているとおり。宮内さんから見れば、ある意味ババをつかまされたわけ。
彼の拘置所での生活記録もあるが、あそこはやはり相当に堪えるらしい。自分でも反省しているが、結局彼の良心はまずいことをしていると薄々はわかっていたようだ。しかしそれに触れないようにしていたらしい。かくしてホリエモンとその他のスタッフがみな互いに馴れ合ってしまった。これで時価総額7000億の会社が一挙に吹っ飛んだ。
当時、ちょうど再建主義絡みで、新自由主義あるいはリバータリアニズムの話題がここでも展開していたが、その裏事情が詳細に見えた。ホリエモンも自分で言ってたようだが、諸行無常、栄枯盛衰、奢れる者久しからず。人の道に反するとどうなるかを絵に描いたような実話ではある。これ映画化すると面白いかも。
日本社会への警告で宮内さんが、慣れることの恐れに警鐘を発している。確かに90年代以降、あの宮崎勉による事件を始めとして、この手の犯罪が増えているが、私たちはあまり驚かなくなっている。
無感覚。これもひとつの心を守るための自己防衛機制である。今日のメッセージでも語ったが、牧師が覚醒剤に手を出し、女性を投げ落として殺す。しかし、この業界、あまり驚いてはいないようだ。いのちの歩みにとって無感覚は致命的。臭い部屋に長くおれば慣れてしまう。タバコを吸う人も一度ヤニで汚染された肺の病理標本を見たらよい。
バブル崩壊以降、日本は変わった。ニッポンキリスト教も大いに変質した。お笑いで福音を語るとか、「10分毎に笑いを取る説教をするためのセミナー」とかに2-300人の牧師が集まるのだ。イエスの十字架の福音を笑いのネタにすると・・・。慣れてしまうとこれが当たり前になる。人が救われればなんでもよいと。人に媚び、人をおだてる伝道。参加者の動員数で神の祝福を計る教会や聖会。しかし「キリスト教徒になること」と「キリスト者になること」の間には致命的なギャップが存在する。
倒錯が倒錯でなくなることに無感覚になること−今後この世も、ニッポンキリスト教界もこの病状がますます深くなるだろう。対策は−タバコの煙から離れること。すると鼻は元に戻る。騒がしい処を避けること。すると耳も繊細になる。主もしばしば大衆から離れ、ひとり山に篭り、父と交わったのだ。・・・いわんや、私たちを哉。ニッポンキリスト教から離脱するためにアーサー・ホーランドのようになる必要はありません。普段着の普通のオジサン・オバサンのままで退きましょう、父との交わりの中へ。
主の家の大庭にいる一日は千日にまさる。
よく言われる、「この教えは聖書的、あの方法は聖書的・・・」と。しかしこの単語ほど罠になるものはないだろう。山暮らしのM.Sugar氏がチャレンジを与えている。ポイントは「聖書的」にあるのではなく、そのお方なのだ。そのお方を外したものはすべてフェイク。「罪」の意味は「的外れ」とは誰もが知っている。が、その的とはいったい何なわけ?バプテスマの方法、集会のあり方、賛美や奉仕、教会のあり方、それともホーリネス?
・あるチャレンジ by Mr.Sugar
午前中、やや遅めにプールとサウナ。今日は暖かくプールが実に気持ちのイイ季節。午後は昼を取りながら、映画。チネチッタのイタリアンの店だが、何とマスターやウエイトレスの大半がイタリア人。そのせいかかなりノンビリだ。味はもろイタリアン。日本人向けアレンジなし。オリーブオイルの使い方が現地のまま。チネチッタ自身もイタリアンな空間で、なかなか気分もイタリア。映画は『サンシャイン2057』。紹介はこちらを。要するにVFXを駆使したSFだが、シュールで抽象的でよく分からん。「人間は所詮チリなんだ!」と叫ぶのは聖書の影響?自己犠牲がテーマと言えば、言えなくもないが。日本人の真田広之が英語も台詞もそこそこだった。『エイリアン』と『2001年宇宙の旅』を足して2で割ったような・・・。と、あまり評することはない・・・。
で、本日の一冊は、ライブドアの宮内氏の『虚構』。彼は検察のストーリを早々と認めて再出発を図っているが、それに沿った内容。多分自分では書いていない。ゴーストライターの臭いがする文章。彼の目からみたライブドア内部の真実。この手のノンフィクションは相当に好きだが、時代の寵児の栄枯盛衰はけっこう興味がそそられる。彼の逮捕はちょうど私が再建主義の富井さんに絡まれた頃で、アイオーンの話がここでも展開していた時期、懐かしい。キーワードはホリエモン・ワールドと社会の間の齟齬。ノリは学生のサークル活動だが、その病理はある種のカルト的要素がみられるわけ。
* * *ボディビルのマシンが中途だったので、最後まで仕上げる。かなり大げさになったが、使いこなすまでがやや大変か。しかしこのパンプアップした筋肉のハリが何とも言えず、快感。
山谷少佐の元に執拗にまとわりつく韓国クリスチャン・トゥデイ・ジャパン。これ自体、される方からすれば不気味なわけだが。それにしても韓国CTの日本版があるわけで、高柳氏の日本のクリスチャン・トゥデイとどんな関係にあるのか?前者は韓国語だから、韓国の人に日本のキリスト教会を報道しているのだろうか。
それにしても少佐のBlogによると
本日、韓国クリスチャントゥデイ日本支局の徐辰和記者(彼女は宣教師でもある)から、仲介人の太田晴久少佐に対して、「金徐山谷会談」の設定を要望する電話があったとの由。
先方の要望は、金往眞記者、徐辰和記者、山谷、そうして仲介人の太田晴久少佐の四人のみで会談し、録音は一切無し、というセッティングである。
と少佐の元にまたも会談の申し出あったようである。しかしこの人たち、何ゆえにこれほどに「秘密裏の交渉」をしたがるのだろうか?高柳氏らがキレてSola Gratia Blogを立ち上げたのは、少佐の会談テープの公開によるものだろうが、どうしてそれを表に出されたらまずいのだろうか?私などはどんどん表にするタイプだから、ローカルチャーチから粘着されるわけだが(笑)。彼らのこのような姿勢が疑惑を膨らめていることに思い至らないらしい。不思議な人たちではある(自分を相対化できないわけ)。まあ、要するに少佐の口を塞ぎたいだけ。これはローカルチャーチでも同じで、例えば次のような恫喝がなされる(→こちら)。
山谷さんはきっぱりと断られたとのこと。賢明である。彼らの条件を飲んでで物事を進める必要もないし、それで訴訟するならばむしろ少佐にとってはすべてを広く光の下に置くチャンスともなる。この訴訟をちらつかせながら、一方で秘密裏の交渉をする彼らの振る舞いを見れば、彼らの「何か」が十分に現れているわけ。彼らの「言ってること」ではなく「やってること」で判断すべきであり、これはカルトと付き合うときに特に重要。例えばエホバの証人などもギリシャ語までも駆使して、表の論理はきわめて緻密に組み立てられている(議論用のマニュアルがあるのだ)。その土俵の乗せられると相手のペースにはまるわけで、このあたりは彼らは実に巧みだから十分に注意が要る。
参考までにカルトについてのやや専門的な論文を紹介しておきましょう:
カルトの方法:統制主義
(マインドコントロールの心理学的原理をとてもクリアに解説してあります。)
わが故郷の諏訪マタニティクリニックの根津医師が、子宮のない女性のために、代理出産をするボランティアを募集とのこと(→記事)この先生は以前にも多胎児を間引きする処置で物議をかもした。
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金曜日は午前ひとつの講義だけで、あとはゆっくりできているのだ♪iTuneから流れるジャズを楽しみつつ・・・。
さて、信頼できる筋の情報によると、あの不気味なSola Blogの作者の正体は見込みどおり、クリスチャン・トィデイ社社長の高柳泉氏と関係者であると、彼ら自身が認めた模様。少佐の周辺にストーカー並にウロウロすると同時に、関係各方面にも同様の仕業をしかけているようだ。ここにも工作員が来ているようだが、一般の300名近くの方々にはこれで彼らの本性をお分かりいただけると思います。
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筋トレを開始している。ジョッギングとウォーキングで温めた後、マシンで各部に刺激を与える。とりあえず、デカイ筋肉からと言うことで、70%くらいの負荷で、大胸筋と大腿四頭筋を。筋トレを行うともちろん苦痛が伴うのだが、ストレッチと風呂でよくほぐすと、実に気持ちのイイ疲労感を味わうことができる。刺激を与えた部位が暖かくなるわけ。そして気だるい眠気が襲う。これがまた実に気持ちイイ。明日あたりに痛みが出るが、こもまた気持ちイイ。"No Pain, No Gain"は筋トレでも、霊的成長でも同じ。
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ブッシュがコワイと述べたが、キリスト教(に限らず宗教)の恐さの理由は倒錯現象にある。自分が世間になってしまうこと。言い換えると、自分を"神"とすることであるが、特にキリスト教の場合は、表向きは正義の旗を掲げて、「神の名」をお墨付きとして利用できてしまうので怖い(例えば十字軍など)。
私たちは自分が世界の一部であって、「ワン・オヴ・ゼム」の意識が正常さを保つためには必要。しかしある種の変性意識状態になると、自分が世間になり、自分の価値観が"神"の価値観となる。これが恐い。
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『文藝春秋』今月号のウッドワードのレポによると、イラク戦について、ブッシュは秘密主義を通しつつ、「父」に相談して決めたそうだ。何を隠そう彼の言う「父」とは、パパブッシュではなく、天の父のこと。完全に神がかりです。真の天の父がイラク戦を進めますか?
かくしてここに教会と国家がひとつになることの恐ろしさの証明があるわけ。『キングダム・ロスト』の世界そのもの。キリスト教徒天皇をいただくキリスト教国家ニッポンなどができたら、私は真っ先にどこかに逃げますね。聖霊派(ばかりではないですが)あたりの牧師らが「神の名」によって、政治権力を持ち、経済を運営する社会などはそれは不気味そのものです。それは2ちゃんねる的倒錯の拡大であり、倒錯が一般化すれば、それが"正常"になるのです。まことに恐ろしい世界です。