* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
昨日は午後、御茶ノ水で会議をした後、前に紹介した20年以上の付き合いのある平尾始氏の個展を見て来ました。場所は原宿。しばらくぶりでしたが、表参道から山手通りに曲がり、ちょっと小道に入るとそこは普通の民家の立ち並ぶところ。その一角にある下はカウンターバーで、その3階にありました。ややあやし気な雰囲気の中で、彼の専門(ホワイトヘッドのプロセス論)である形而上学的哲学を形にした作品でありまして、8時からは彼の講演会。内容は複雑系とカオスに基づいた宇宙論。この複雑系をコンピューターグラフィクスで表現するわけ。彼の美大や早稲田の学生さんたちや女性デザイナーなどが参加。軽く飲みながら和気藹々と話が弾み、ついに帰宅がこの時間。しかし実に刺激的で楽しかったですね。
デザイナーの方は聖書に関心があるとのことで、みことばを語ることもできまして、結構波長が合いました。彼女によると作品を作るときも、作為的なモノはダメで、自分の内側から内発的に湧き出る時、満足な作品になると言っていましたが、これは実に面白い。で、ギリシャ哲学のゴスロリ系の女性と脳と精神の関わりや、トランスに入る方法とか、向精神薬の話にも及び、ややアブナイ雰囲気も・・・。
しかし楽しいひと時でした。次回は私のレクチャーもとの提案もありましたが、大学の講義とはやや違った趣向で、結構楽しいものができそうです。
どうもここで「ローカルチャーチ情報サイト」の公開をアナウンスしてから、2ちゃんねるでの工作が活発になっているようです。そんなに公開されるとまずい情報を私が持っているわけでしょうか(苦笑)。
ご参考までに2ちゃんねるという場でどのような工作手法がなされるか、ちょっと紹介しておきましょう。工作と言うにはあまりにも幼稚なので、私としてはこれらはローカルチャーチのメンバーではないと希望的に思っているのですが。どうも数名、私に粘着したいネズミさんがいるようです。もしこれがローカルチャーチのメンバーによるものでしたら、彼らの病状はかなり悪化していると診るべきでしょう。いずれにしろ倒錯した場ですが、一般常識的にはどう判断されるでしょうか。
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ガラテヤ2:20はきわめて有名であるが、大いなる誤訳のある聖句でもある。ここのギリシャ語の構造は大変にややこしく、よって訳者の主観を入れて訳してしまうのです。
さっそくDr.Kさまが取り上げてくださり、次のように訳されました。これで大いなる解放が訪れるのではないでしょうか?昨今の人間中心の「○○さんの信仰は素晴らしい」と言ったヨイショ的"証し"を聴くたびに私はうんざりしているわけです。私たちは誰の信仰で生きるのでしょうか?
私はキリストと共に十字架に付けられてしまった結果、今私は死んでいる。
だから、もはや私が生きているのではなく、キリストが私の中で生きている。
というのは、今私は肉の中で生きており、私を愛しそして私のために
ご自身を引き渡された神の子の信仰の中で、私は生きている。
となります。「私は死んでいる」ので信仰を持ちたくても持てないのです。死んだ私に代わって、主イエスの信仰(神への従順)が私を生かしているのだ、とパウロは言っているのです。
主イエスの信仰が私(たち)を生かしているのです。言い換えると、主イエスの信仰によって私(たち)は生きているのです。
ちなみに英訳では、分かりにくい訳ですが、YoungのYLTが一番ギリシャ語に近いと思います: with Christ I have been crucified, and live no more do I, and Christ doth live in me; and that which I now live in the flesh--in the faith I live of the Son of God, who did love me and did give himself for me
わが故郷の諏訪を震撼させた放火魔「くまえり」こと平田恵里香容疑者に懲役10年の判決。その時の彼女の言にいわく、「これじゃあ、出るときは32歳。20台は人生をもっとも楽しむ時期なのに、刑務所で過ごすなんて、もう人生終わった・・・」。やれやれ、どこかズレていませんかねぇ。まあ、ホリエモンでも同じ印象を受けましたが、視点が自己にしか置かれていない。これが現代の自己愛性人格による「自己の病理」の典型。
ニッポンキリスト教も同じ。自分が大切にされること−これがすべて。あなたは神のVIPと。しかし主は言われる:
わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の魂(原語)を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために魂を失う者は、それを救うのである。
どなたかがBBSに書かれていたが、主イエスが今日ニッポンキリスト教(ばかりでなく、アメリカのメガチャーチなど)をごらんになったらどう言われるであろうか。多分こう言われるだろう、「キリスト教?それはいったい何なのか?」
前に<カルヴァンvsアルミニウス>の議論が無意味なものであることを指摘した(このBlogの過去ログまたは「ハードコア・セッション」参照)。また今回、ウェスレーの「全き聖化」なるものにある人間性疎外を指摘し、ウェスレーのパーソナリティとその神学が不可分であると述べた。よって神学は「学」足りえないと。これで怒り出す人もいるとは思うが、事実である。
神学は単なる個人的信仰あるいは経験の告白レベルに留めておくべきと思う。無限なる神を人間の言葉の中に固定化する試みなどは恐るべき高ぶりの罪であろう。無限なる神とある種の病理傾向を持つパーソナリティが相互作用して言語化されたものがいわゆる神学に過ぎない。ウェスレー神学はウェスレーの人格(多分、強迫性人格傾向)の反映であって、それ以上のものではない。再建主義にはまる人たちもある種の精神病理傾向を帯びているし、福音派だの聖霊派だの人たちもまた同じ。
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ドイツの若いご夫妻が来てくださいました。かろうじて「ヴィア、ハーヴェン、グテーン・ターゲ、ホイテ」と「アウフビーダー・ゼーエン」と挨拶しましたが、若い頃もっと語学をやっておくべきだったと・・・。
ニュルンベルグ出身だそうです。ニュルンベルグはナチスの決起した都市でもあり、ニュルンベルグ裁判のあった場所でもあります。ドイツ人にとってはある種の重い思いがあるのでしょう。
かつて西ドイツのヴァイツゼッカー大統領は「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」と言う名演説をしました。日本とドイツは同盟を結び、同じような運命を辿りましたが、彼らは真実を直視したわけです。しかし残念ながら日本人はどうも「臭いものには蓋」、いつまでも過去のことを言わず、「水に流せ」の文化です。水に流しても問題は決して解決しないのです。必要なのは真実を直視することにより主の血潮です。
ちなみに今日のサンプロで、アメリカはイランから和解協定を提示されたいたものの、それを水面下で流していたようです。その条件にはイスラエルを認めるともあったようですが、イラクにのめり込んで和解の機会を逸したようです。ライスもその存在を知らないと嘘の証言をしつつ、結局イランを攻めることになるのでしょうか?この国も大きな欺瞞が隠蔽されています。
WOW!!!
emiさんがすごいサイトを発見しました。先に紹介したバーバー婦人の歌もありますし、ウォッチマン・ニーやジェシー・ペンルイスの著作が読めます。念のためウイットネス・リーとの関係を調べてみましたが、彼らはリーはカルトであると判断していますね。よっていわゆるローカルチャーチとは関係ないようですから、安心して読むことができます。これは久しぶりの大きな収穫です!どういった人たちなのか?
・Spiritual Christian Life - Biblocality
入り口です。
このサイトの中の−
・Hiding History About The Local Church Cult
いわゆるウイットネス・リーのローカルチャーチの隠された歴史(リーの右腕として彼らの誇る『回復訳』を訳したJohn Ingallusの89年当時の証言。今私がまとめている内容と重複しています。)
・6 Major Sins of Leeism
リーズムの6つの主要な問題点を指摘しています。
最近車の中でよく聴くのが、ビヨンセの他に何故か石原裕次郎。私の"裕次郎"は『太陽にほえろ』のイメージだが、彼も男盛りで散った。夏目雅子も同じ。役者は散り際次第で、死んでも生きる、結晶化して。山口百恵も死んではないが、散り際が見事だった。南こうせつが、80まで生きるとしても、あと20回しか桜が見られないのだから一回一回しっかりと味わいたいと言っていた。やはり桜はイイ・・・。
風さそふ 花よりもなほ 我はまた
春の名残りを いかにとやせん
そう言えば、ニーも50で幽閉され、散った。神はご自分のトレジャー(尊い存在)をその輝きの頂点で召し、ベールに隠すのだ。
午前中はプールとサウナ。午後は近くの公園の桜吹雪の中をそぞろ歩き、その後、映画。ディカプリオの『ブラッド・ダイヤモンド』。紹介はこちらを。ダイヤが商品価値を保つために、マーケットがコントロールされ、アフリカが搾取されていることを描いた社会派作品。
前にも書いたがディカプリオは『タイタニック』のイメージから見事に脱皮した。ボディもできてきたし、男の体臭がするようになり味が出た。これからが楽しみである。俳優はしばしばハマリ役でかえって可能性を狭めてしまうことがある。『コンバット』のビッグ・モローや、『サタデイナイトフィーヴァー』のジョン・トラボルタなど。トラボルタは『ブロークンアロー』あたりで偏執狂的悪役を演じてうまく抜けたが、低迷の時期が長かった。
内容的には前に紹介した『ダーウィンの悪夢』と重なるテーマであるが、世の中は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」。ダイヤモンドよ永遠に、ということで女性はダイヤに弱いようであるが、実はマーケットは希少価値を維持するために供給がコントロールされ、メディアなどではまさにMC(マインドコントロール)されている。アフリカは依然として搾取され続けている。
男性諸氏、給料の3か月分!○○ダイヤモンド。覚悟はできているでしょうか?ちなみにわがカミさんはあまり関心がないので、私的には助かっておりますが。
『ブラック・ブック』。ユダヤ人の迫害をテーマにした映画として、『シンドラーのリスト』、『戦場のピアニスト』と続く作品。美しいユダヤ人女性歌手が同胞を救うためにスパイとしてナチスの幹部に取り入るが、本当に愛し合ってしまい、そこから数々の悲劇が展開する。
私たちは悪のナチスに抵抗したいわゆるレジスタンスは正義、といった白黒のフレームで認識する傾向があるが、実はそのレジスタンスにも黒い部分があったと言うわけ。下でルター思想がナチスを生み出したとする説を紹介したが、非カトリックの私たちも、当時のカトリックは悪、ルターこそ正義と言った認識のフレームを植え付けられているのだ。真実に触れるには、一度すべての認識のフレームを壊す必要があるだろう。同じように、主イエスご自身を知るためには「神学」や「キリスト教」のフレームも。
オランダ・ドイツ・イギリス・ベルギーの共同制作だそうで、言語もドイツ語、英語、オランダ語と目まぐるしく変わる。最後に問われるのは、誰が味方で、誰が敵あるいは裏切り者であるのか。ラストにどんでん返しが待っている。米倉涼子主演、松本清張原作の『黒革の手帳』を連想してしまった。ちなみに最近では秘密の手帳を落として人生が終わるのではなく、メモリースティックを落としたりとか、Winnyによるファイル流出で終わるらしいが・・・。
大人の鑑賞に堪えるオトナの作品。お薦めです。
前口上−ええと、本日、私儀の誕生日とのことで、各方面よりお祝いの言葉をいただきまして、恐縮至極であります。どこかで言いましたっけ?とにかく、主にありて感謝申し上げる次第です。(気持ち的にはやや複雑なのですが・・・。)
今、教会史をざっと眺めております。黙示録にも予言的教会歴史が描かれているのですが、時系列の中で起きている教会歴史ですね。まあ、Philip Schaffの著書などを繰るべきなのでしょうが、時間があまりありませんので、あくまでも「ざっと」です。一言で言えば、下で述べたキリストの固定化による互いの異端排除の歴史・・・。これに政治が絡むといわゆる西洋史が構成されるわけ。
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前に映画評として紹介した『亡国のイージス』。映画自体はハズレだったが、そのイージス艦を巡って中国人妻を介して、自衛隊員から多分中国へと高度機密情報が漏れたとのこと(→記事)。先に紹介した外務省のラスプーチンこと佐藤優氏も、外交官が外国に派遣された場合、最も注意すべきは「女」だそうだ。アダムがエバの言葉に乗って禁断の木の実を食べて以降、男は女の甘言に弱いのだ。
しかしこの記事によるとこの犯人の自衛隊員自身はこういった情報に接することはできない立場であり、長期にわたってその権限を持つような人物から流れた可能性を言っている。驚きますね。自衛隊の高官に高度機密情報を流す者がいる!?この国はそもそも内側から腐敗しているわけで、これは幕末を描いた手塚治虫の『陽だまりの樹』を読むとよく分かる。太平の江戸を揺るがした三隻の黒船で目が覚まされた日本は、再び眠りについているのか知らん?次の「黒船」とは果たしてどこの国でしょうか?北朝鮮、それとも中国?北朝鮮からはミサイルが、中国からは黄砂が飛んでくるわけですが・・・。
ちなみに東京都知事候補のドクター・中松氏が、北朝鮮から飛んでくるミサイルをUターンさせる発明をすると演説していたが、この人は実に面白い。日本ではややゲテモノ扱いされているが、欧米ではきわめて評価が高いのだ。均質国家ニッポン。中松氏はこの均質性から外れている。逆に大衆はこの均質性の中に安穏と眠っているわけだが、その中のさらなる均質性社会がニッポンキリスト教である。はみ出すのが怖い。よって牧師も信徒もみんな仲良く金太郎飴。ただしニッポンキリスト教には漏洩したら困る機密情報は何もないのだが・・・。
新学期が始まった。本日は新しい研究室の荷物を確認し、少しづつ整理を開始。ダンボールの山を見ているとやや気が重いが・・・。とりあえずネット環境を整えた。午後は新年度教員会議。延々と4時間・・・眠い。長女が就職先で研修を受けているのだが、やはり一日8時間、延々とおじさんたちのお話を聞かされるらしい。同じく眠気を抑えるのが大変とか。
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「地方教会」(aka.ローカルチャーチ・主の回復・召会・○○に在る教会)に関する情報提供サイトが工事中のままになっているが、古い情報に加え、新しい情報も紹介すべく、そろそろ本格的に立ち上げようと考えている。その中には責任長老による個人書簡をも公開しよう。その内容はかなり不気味なものであるが、ありのままに神と皆さんの前に置こうと思う。日本語での情報サイトは皆無であり、どうも私の役割であるようだ。あまり得な役回りではないのだが・・・。
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しかし早い。すでに2007年も1/4が終わってしまった(汗)