最近の日記

スローな生き方IN CHRIST

Mr.Sugarが福島の山小屋でスタンバって下っている。この山小屋は、少年の頃草むらの中に基地を作ってスパイごっこをしたノリがあるのだ。そう万年少年の夢。竹内まりやが歌っている:

I say it's nice to be 50.
I say it's fine to be 60!

いつまでも青春。しかし彼女は50を超えてなお、初々しい。わが青春の一コマだから、いつまでもあのイメージでいて欲しいわけ。

で、アルバム"Denim"に"スロー・ラブ"と言う詩があった。これもイイ(→全詩はこちら)。私が言いたいことがみな書いてある!

他人と比べながら 幸せ量るから
足りているのはいつも 虚しさだけ

君が探してる 大切なものは
Slow love あまりに近くて
見えてないだけなの 青い鳥かもね

Slow love 平凡という名の
プロセスの中に 宝はあるんだ

僕はここにいるよ いつまでもね

聖会だの、油注ぎの器のオッカケだの、個人預言をもらうだの、この業界の時々の教えの風に吹きまわれて・・・君たちはどこをさがしてるのかな?すべてこの詩に"IN CHRIST"のフレーズをつければ、そのまま霊的な歌になるではないか!ある意味で世にあるものはすべてキリストの影とも言えるのだ。

で、件のMr.Sugarも例によって

ま、とにかく ノンビリ気ままに ゆったりと行きましょう。

一休み・・・

アップロードファイル 45KB補講で追われていましたが、今日はゆっくり。午前中はプール&サウナ。体が疲れているときは、軽く動かした方がよいわけ。昼食後、車の整備をして、午後はLOVISAを流しながら、バルコニーで裸になって日光浴。シャワーを浴びて、また風呂に入って、ビールでホッとしてるところであります。しかしどうもまだ夏が中途半端。で、今晩のディナーは、長女がボーナスで奢ってくれるとか、前のはすっぽかされましたが。

やっと夏が来た

5月に入れた休講分の補講がやっと終了。試験の話をしたところ、女子学生が数名来て、「センセェ〜、カセクシスって何ですかぁ〜」。「あのさ、講義で言ったろ、備給のことだよ」。「ええ、備給って、わかんない〜」。

と、この調子だから、こちらも「あのさ、カレシのことを思うと頭から離れなくなるだろ。そのときの心がリピドーがカレシの表象にカセクトした状態だよ」と言うと、「だって、あたし、今、カレシいないもん」。加えて、「あたしって、リピドーが干乾びているかも〜」と。おいおい、それは熟年の台詞なのだが・・・。

と言うわけで、後は試験のみ。しかしようやく夏が来たかな。

 * * *

竹内まりやの人生の扉』(←視聴可)は何度聴いても、実にイイ。田舎の同級会の2次会のカラオケでぜひ歌おうと、ただ今練習中。

人生の扉@Denim

竹内まりや"Denim"がいいですね。特に最後のこの曲『人生の扉』。その中の特に英語のサビ、聴いていてジーンと来ます。

 But I feel it's nice to be 50.
 But I still believe it's worth living.

人生、歳を重ねると、ジワーと面白くかつ味が出るもののようです。ぜひ、クリックして全文をお読み下さい。

カンコクキリスト教のオメデタさ

アフガンに、政府の要請をあえて無視するかのように、派手な真新しいバスで修学旅行並みに入ったカンコクキリスト教徒たち。どうもカプセル化しているのはニッポンキリスト教(注)ばかりではないようだ。文化的背景や地政学的状況を一切省みることなく、自己満足的な団体旅行すると言うオメデタさ。いざ捕まってから、伝道旅行ではない、と懸命に弁明しているようだが、どうも「伝道」と言う価値観が、水戸黄門の印籠となっているのあろう。「伝道」であれば、相手の文化や政治や習俗に対する配慮がすべて欠落するわけだ。やれやれ・・・。

さすがの韓国でも自己責任論が出ているようだが、日本でも同じようなことがあったとき、小泉さんがあきれたように、「ここまで言ってもまだやりますかあ・・・」とうめいた場面を思い出す。キリスト教と言う価値観の体系自体が、一方で十字軍のような残虐をなすと同時に、今回のようなオメデタイ事態を引き起こすわけで、この乖離性がその根本的病理なのかもしれない。

(注)この用語は前にも述べましたが、私のオリジナルではありません。明治学院大の鹿島春平太氏の用語です。氏は「ニッポンキリスト教はその初めから暗闇にあった」と指摘されています。

ターニングポイント・オヴ・ニッポン

いよいよ選挙まであと1週間。日本の行くえを変える選挙らしいが、関心は高いもの、今ひとつ決め手に欠ける。安倍さんはもう降りてもらった方がよいが、小沢さんの「生活維新」もいただけない。まあ、いわゆるご機嫌伺い的スローガンだろう。ニッポンはもっと強くなるべきで、格差が生じるのは自然の理。聖書にも、持っている者はますます豊かに・・・とある。弱者配慮的国家はイイが、弱者救済的国家は決して立ち行くものではない。

日曜日の午後はセレブのため、録画で観ることにしている番組に「日高義樹のワシントンレポート」がある。今週は横須賀に配備されている米国海軍第七艦隊の取材であった。この番組は実際の船の中や装備を紹介してくれて、ややミリタリーマニアの入っている私的には、艦船の艦橋や戦闘機のコクピットを見るとわくわくするわけ。自衛隊の服装が何となく、ゴジラの防衛隊のノリで、いかにも素人っぽいのだが、米国のそれはピシッと決まって、実に格好がよろしい。

第七艦隊は現在装備が増強され、米海軍の要になりつつあり、北朝鮮と中国の監視に当たっているらしい、海上自衛隊も米軍の一部にすでに実質的にはほとんど組み込まれている。米海軍イージス艦は北のミサイルを探知して、確実に落とせると司令官が自信ありげに話していた。自衛隊も各部署ごとには士気も高く、能力も相当にあるようだが、何しろ憲法9条の呪縛で、動けない。

安倍氏がこれを変えたいとする点は、私も大いに賛成であるが、しかし彼の岸さんの怨念のこもった戦前的な湿っぽい感性でなされることには、やや危険性を感じている。もっとカラっとできないものか。その点では小沢氏の方が理屈が通るのだが、さて、1週間後の今頃大勢はどう判明しているだろうか。ややけっこう楽しみではある。

7月22日メッセージアウトライン
ワーシップ
メッセージ

注:メッセージは刺激が強いですから、つまづきそうな人はご遠慮して下さい^^

PS.昨日のLOVISAは実にイイ。声がハスキーでもあり、ある種の澄み切った透明感がある。JAZZヴォーカルの好きな人にお薦めです。

本日の映画とCDs

午前中はいつもどおりプールとサウナ。午後はランチをチネチッタのイタリアンの「イルピーノ」で。ここはリーズナブルなプライスで、一応のコースを楽しめる。赤ワインと、フレンチパンをオリーブオイルにバルサミコ酢を入れたドリップに浸して食べるとこれが実に美味い。何でも『北の国から』の田中邦衛氏もロケの間これでパンを味わっていたと地井さんが言っていた。スープは冷で、これもトマトの酸っぱさが適度でイケル。パスタも美味いし、デザート&カフェも着く。と言うわけでここは雰囲気も良く、店のスタッフも気持ちよい、お薦めの店です。

アップロードファイル 20KB映画は『ゴーストハウス』。単純なホラー物と思っていたら(確かに怖かったですが・・・)、失われた家族の絆が事件の中で回復すると言うそれなりの内容だった。舞台のノースダコタは実はわが友人のジャンの故郷でもある。彼から話は聞いていたが、これは確かにすごい田舎!

アップロードファイル 11KB帰りにまたCDショップを漁る。見つけたのが6年振りのアルバムだと言う竹内まりやの『Denim』。彼女もわが青春の一コマを構成してくれているが、ある意味人生を共有しているわけ。彼女は大人になっても初々しい声が魅力だ。これで70年代後半にタイムスリップ。

アップロードファイル 33KBもう一枚はジャズの新鋭スウェーデンのLovisaの"THAT GIRL!"。Nora Jonesも同じだが、美形でハスキー・ヴォイス。これが女性ジャズ・ヴォーカリストの絶対条件。日本人では阿川泰子が秀逸。うーん、これも中々気持ちがイイ。しばらく楽しめる。

で、今、いつもはバスケとバイトであまり家にいない次女が、試験期間のため時間ができて(?)、家にいるので、今晩は近くにできたしゃぶしゃぶの店「木曽路」で食事を、というわけで、これからまた出かけて参ります。

カプセルからのエクソダス

山谷少佐が対峙しているクリチャン・トゥデイ問題についても、私のローカルチャーチについても、日本と言う国の特殊性による困難がつねにつきまとう。それはこの国は孤立した島国であるばかりでなく、情報においても孤立している点。情報が直接に入らず、あるいは自ら得ようとせず、加工された操作された情報が満ち溢れている現状。これがカプセル化現象のひとつの重要な兆候。

霊的真理の理解においても言えることだが、御言葉を日本語で考えて理解した時点で、立派なニッポンキリスト教神学ができあがる。これはギリシャ語から御言葉を解き明かして下さっているDr.Kさまも指摘されるところだが、日本語聖書の訳の愚かさには困ったものである。せめて岩波訳のように変な解釈を入れずに、なるべく直訳してもらいたいものだ。日本に福音が入ったのはいつなのか諸説あるらしいが、とにかく日本語の上に営々とニッポンキリスト教を建て上げてきたわけだ。

霊的な歩みをするためには、せめて英語だけでも理解する必要がある。最近のニッポンキリスト教のメディアが出版する外国物はほとんどがいわゆる売れ筋のものばかりであり、御言葉の真理を淡々と説くものがまずない。聞くところによるとウォッチマン・ニーの『キリスト者の標準』は絶版になってしまったそうだ。アンドリュー・マーレーはもう化石だし・・・。学問の分野でも言えるが、こういった古典がない分野は必ず衰退する。

私の目にはニッポンキリスト教の将来が見えている。それは商売する牧師たちと、自分の問題だけを何とかすべくアチコチさ迷う人々の群れ。いずれ消耗して、サバイバルすら危うくなるだろう。何故か、理由は簡単である。物理学を学んだら、ニュートンの運動方程式を<f=mα>と知るであろう。これは法則であり、私たちは絶対的にこれに服する必要がある。しかし今のニッポンキリスト教では、<f=mα^2>だとか、三乗だとか、それぞれに立派なセンセイたちがご自分の説を立てておられる始末。自然科学系の訓練を受けたわれわれから見ると、ニュートン以前なのだ!実に愚かな場面が展開している。

その中で何がほんとで何が嘘かも分からずにアチコチさまよい、あえぎ、窒息して人々が何と多いことか。先生たちの振りまく無意味な教えや情報によってかき回され、強迫観念的に"リバイバル音頭"を踊らされている彼らの惨状を見るとき、せめて自分で英語くらいは学んで、自分で御言葉と対峙して、自分で情報を収集して、世界において主が何をなさっているか、自分で知ることくらいはできないのであろうか?・・・と、要らぬお世話をしたくなってしまうのだ。

ここを覗いている人にもイロイロのタイプがあるようだが、よーく考えてみて下さい。まことの愛とは、<f=mα^2>を信じ込んで、それによって自分の髪を引っ張って空を飛ぼうとしている人に、その誤りを指摘することなのか、何でも愛して許してのニコニコ牧師顔で、「はい、がんばってぇ、神様はあなたを愛しているのですから、あなたの信仰が報われて、いつか必ず空を飛べる日が来るでしょう、それまで主にあってネヴァー・ギヴアップ。あなたの努力は必ず報われますよ、ニコニコ・・・」とやることなのか。

すでにCTやLCばかりが情報遮断されたカプセル化現象に置かれているだけでなく、ニッポンキリスト教自体が閉鎖社会(カプセル)と化しているのだ(→閉鎖社会の共同幻想)。閉鎖集団では必ず倒錯現象が起こる。すでに起きているでしょう、この業界。このコップの中で、千人教会だの牧師となることを夢見、何とか団体の理事長だのにのし上がり、この業界の有名人として名を残したい人々の群れ。やれやれ・・・。何ともな悲喜こもごもの漫画だと思いませんか?

善悪を超えた実験

Mr.Sugarがまた面白い記事を書いて下さっています。長いので、次に飛んで下さい。まさにコレぞクリスチャンの醍醐味!

盲人が盲人を・・・

どうもどなたかが、ローカルチャーチの最高裁決定の記事を早速かの場所にコピペして下さったようでして、次のようなレスがついておりました:

すっげえ論理の飛躍。
これ、カルト性うんぬんの判決じゃなくて
名誉毀損の訴えが認められなかった事案だろ。
この人のブログ、人を軽はずみに精神病扱いしすぎててムカムカする。
気に入らない奴はみんなカルトで精神病?
この唐沢という牧師は
たとえば自分が元信徒に訴えられるようなシチュエーションにでもなったら
どんなこというつもりなんだろうか。
「原告は精神病なんです!」とか言わないでほしいもんだ。
牧師さんだったら
もうちょっと愛のあるブログにしてほしいね。

いかにもニッポンキリスト教徒らしい、何とも微笑ましいレスでありますが、ムカつきながらも、わざわざお越しくださっているんですね^^ただもうちょっと精神医学なりをお勉強して欲しいかと。「みな精神病」などと言っていませんよね。

まあ、私の物言いが、ニッポンキリスト教バリバリのある種の人々の気分を害している事は十分に承知なのです。そもそも私はニッポンキリスト教公認の牧師様などではないと、前々から言っているのですけどね。私は精神病理の学徒であります。

で、下の「病識の欠如の問題」の記事にSalt氏がいつもどおりするどい洞察眼で書いております。私もまったく本音は同意ですね。Salt氏もけっこうメンドウな立場に置かれることがあるものと推察、また共感いたします(ちょっと引用を失礼します):

真昼の懐中電灯
 Luke氏が,blogに「病識のない者がビョーキの人と関わる危うさ」について書いておられたが,まさにそのとおりだと思っていると,銀治郎君から「全くだ」というメールが届いた。
 勘とやさしさで外科手術などできないように,心の問題はいっそうややこしい。
・・・
 「霊」という人間の存在や意志決定の核をなす部分について全く無知である者が,心の問題に触れることなど出来るはずもない。
 私は,いろいろな相談を受けざるを得ない立場にはあるが,これは実にしんどいことである。子どものちょっとした悩みにのるだけでも,背景にあるものを考えるとドドッと疲れる。私は教育に関わる問題のごく一部の事柄に関して,ささやかなアドバイスが出来る程度の知識と経験しかないというのが正直なところ。
 最近は私のキャパを越えるしんどい話も多い。そういうのをいくら聞かされても,うんざりするだけで,どうしてあげたいという気持ちもおこらなかったりする。「自業自得」という以外ないからだ。
 部分的に共感や同情は出来ても,それでおしまいである。ビョーキの人には同情は出来ても共感は出来ない。時には,いくら悲惨であっても同情する気持ちがおこらないこともある。
 所詮,他人の問題は私の問題ではない。ビョーキの人には,自分の病状も,原因も見えていないことが多い。
 もし,間違っていればご指摘をいただきたいのだが,「これは,冷淡で愛がない」ということとは違う次元のことだと思っている。
・・・
 サタンは自分の運命に引き込もうと,自分のビョーキのフィールドへと,同調する人々の霊を巻き込んでいるだけなのだ。
 そこへ,小児的万能感を持った正義のセンセイたちが助けにいって,同じ渦に巻き込まれているだけだと感じる。
 
 盲人に盲人の手引きは無理。

 真理の光,真昼の光のもとでは,「私が懐中電灯で照らします」と手を挙げる人は,ただの馬鹿にしか見えない。

私に愛を期待するのは、ちょうどパソコンショップに野菜を買いに行くのと同じであろうかと思うわけです(笑)甘えの構造の典型事例ですが、ニッポンキリスト教の牧師様はこういった人々のお世話をした上がりの献金で食べているわけで、牧師様がおかしくなるのも無理はないものと同情する次第です。

付記:私は信徒対牧師の関係で交わりを持ってはいないのですが、仮に兄弟姉妹から訴えられたら、あえて争いませんね。彼/彼女がお気に済むようにされればよいでしょう。

新改訳聖書はユダヤ人の陰謀!?

とする再建主義の富井さんの説が面白いです(→7月20日の記事)。要するにプレミレ説はクリスチャンを無気力にさせるサタンの策略なのだそうです。

でも同じく7月20日の記事にある「イルミナティのシンボル」と言うYouTubeの映像は面白いです。ご一覧ください。

中国の肉まん事件にしても、私たちが見せられている事はメガフェイクかもしれない、と前から指摘していますが、今の「何でも愛して、許して」の"盆暗スチャン"では容易に騙されるでしょうね。

Open Your Mind - Illuminati Symbolism - It's All Around You!

米最高裁ローカルチャーチの訴えを却下

米国最高裁判所は地方教会よるハーベストハウス社への訴えを棄却

ハーベストハウス社、オレゴン/2007年6月20日

ユージン、オレゴン―2007年6月18日、米国最高裁判所はハーベストハウス社と著者ジョン・アンカバーグおよびジョン・ウェルドンに対するローカルチャーチによる1億3600万ドルの法廷闘争に終止符を打った。ローカルチャーチは対ハーベストハウス訴訟で2006年1月のテキサス法廷に上訴していた。 上訴決定の後に、ローカルチャーチは再度ヒアリングの機会を要求したが、却下された。テキサス最高裁判所も二度訴えを却下した。

ローカルチャーチは、訴因である"The Encyclopedia of Cults and New Religions"によって、(同書の他のすべてのグループと同様に)殺人やレイプや麻薬の密輸入などの犯罪の中傷を受けて名誉を傷つけられたと主張した。テキサス上訴法廷は、「同書の何も[それらの行為]を遂行したとして[ローカル]・チャーチを名指ししたものではない」と判決した。米国最高裁判所の決定はテキサス上訴法廷の判決を是認したものであることを意味する。

ハーベストハウスと著者たちは本件の問題点の鍵となる点について共同の声明文を発表した。

「テキサス上訴法廷は決定に達する際において、十分に確立された法律を適切に本件の事実に対して適用した」と、ハーベストハウス社と著者たちの代理人シエルビイ・シャープは述べた。 ローカルチャーチによって取られた立場は、話し言葉にせよ、記事にせよ、それらに対する完全に主観的な判断基準を構成するものであり、、それはすべてのメディアコミュニケーションに対する脅威となるだろう」。

「私たちはクリスチャンとしての立場から'愛を持って真実を語る'べく本を書いた」と、著者のアンカーバーグとウェルダンは語った。「過去の6年間がいかに消し去られたとしても、私たちはローカルチャーチのメンバーのためにを祈り、彼らを顧み続ける。私たちは、彼らが霊的に識別力を得て、彼らの指導者の教えと聖書の教えを見分けることができるように励ますものである」。

「私たちは言葉で言い尽くせないほどに感謝する」と、ハーベストハウス社社長のボブ・ホーキンズ・Jrは語った。「本件の意味と重要性を理解してくれた個人や、諸組織、また諸機関、さらに私たちを支援し、法的助言、激励、特にこの長く厳しい戦いのための祈りを下さったことのゆえに感謝する。そしてこれらにまさって何よりも神とその真実のゆえに感謝を捧げる次第である」。

【解説】
この決定の理由で分かることは、すでにローカルチャーチにおいてはカプセル化現象が進行しており、閉鎖社会の中で通常の価値判断とまったく異なるプロトコルで動くために、このような現象が現れる。彼らの論理が社会において容認され得ないことが証明されたわけ。まさにウイットネス・リーの遺産であるパラノイド傾向が、フォリア・ドゥ、フォリア・トロア・・・と伝染拡大している証左であろう。しかしこの賠償金の額が異常であるが、これも彼らの異常性の証明と言える。

クリスチャン・トゥデイの件でも山谷少佐が同様に威嚇を受けているわけだが、彼らがそのような行為をすればするほどに、自らの閉鎖空間での価値観を露にし、その病理性を証明しているわけ。まあ、2ちゃんねるあたりの住人からは支持されるようだが、倒錯空間と一般社会でのコントラストが明らかになるだけだ。これはローカルチャーチ支持者たちも同様であるわけだが。彼らのあり方は、この最高裁決定理由にあるとおり、メディアのあり方、さらに一般社会へのある種の挑戦とも言える。

お詫びとお知らせ

このところオンラインカレッジに入室ができない状態があったようです。ウイルス攻撃を受けてからサーバーが不調でして、現在は原因究明の上、復旧しております。お詫びして、お知らせ致します。

本日のトピック2題

日本におけるユング派の先駆者である河合隼雄先生が死去(→記事)。氏はユング派の分析家であるが、元々の出身は京大理学部数学科。30歳を超えてからスイスのチューリッヒのユング研究所に留学。分析家の資格を取得された。私の東大医学部出身の知人が河合先生の教育分析を受けておられた。

病んだ人々と関わることはコチラも相当のストレスと傷を受ける事を意味する。彼らのネガティブな破壊的パワーをまともに受けるならば(注)、コチラも決して無傷ではいられない。この意味で心の病を持った人々との関わりは大きなリスクを背負うことを意味する。そこで日本では精神科医はほとんど薬に逃げてしまうわけ。分析家は必ずしも医師ではないので、薬に頼れない分、危険性が高いのだ。

(注)特に病識の欠如した、自分のおかしさに気がついていない人々。最近では人格障害の人が増えている。自分の問題を認識できている人はこの限りではない。

ニッポンキリスト教界でも、さかんにカウンセリングをしますとか気軽に喧伝する牧師だの、カウセンセラーだのがいるが、彼らは自分が"何"を扱っているのか知らないのだ。これらはいわゆる生業にする仕事では決してない。しかし人が変化し成長するのを見ることができるのは大いなる祝福でもある。

 * * *

あのトッチャン坊やの村上氏が地裁で2年の実刑判決。日経紙によると判決を受けた際、顔面蒼白だったそうだ。前に紹介した元特捜検事の田中森一氏も相当にビビッたようだから、エリートを自負する村上氏は無理もない。彼については当初からこう書いておいたが、神は確実に世の権威を用いてご自身の義を実現される。神は決して侮られる方ではない。(→参照)。