* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
アフガンに、政府の要請をあえて無視するかのように、派手な真新しいバスで修学旅行並みに入ったカンコクキリスト教徒たち。どうもカプセル化しているのはニッポンキリスト教(注)ばかりではないようだ。文化的背景や地政学的状況を一切省みることなく、自己満足的な団体旅行すると言うオメデタさ。いざ捕まってから、伝道旅行ではない、と懸命に弁明しているようだが、どうも「伝道」と言う価値観が、水戸黄門の印籠となっているのあろう。「伝道」であれば、相手の文化や政治や習俗に対する配慮がすべて欠落するわけだ。やれやれ・・・。
さすがの韓国でも自己責任論が出ているようだが、日本でも同じようなことがあったとき、小泉さんがあきれたように、「ここまで言ってもまだやりますかあ・・・」とうめいた場面を思い出す。キリスト教と言う価値観の体系自体が、一方で十字軍のような残虐をなすと同時に、今回のようなオメデタイ事態を引き起こすわけで、この乖離性がその根本的病理なのかもしれない。
(注)この用語は前にも述べましたが、私のオリジナルではありません。明治学院大の鹿島春平太氏の用語です。氏は「ニッポンキリスト教はその初めから暗闇にあった」と指摘されています。
どこの宣教団でしょうね。
この時期に常軌を逸した行動。
殉教覚悟ですか。
でなければ命知らずの馬鹿者です。
小生は彼らの背後に統一やCIAあたりが暗躍してはいないか疑っています。
馬鹿でも主にある兄弟姉妹ですから無事を祈るものですが・・・
パラグアイの誘拐事件と同じ臭いがするのは気のせいでしょうか。
ついにひとり殺害されてしまいました(→http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/afghanistan/)。こういった場合、何とも言えないやりきれなさを感じることを禁じ得ません。
真に相手を考えた愛のある伝道であれば、せめてチャイナ・インランド・ミッションのハドソン・テーラーのように、弁髪にして、現地の人の習俗・生活を共有すると言ったことから始めるべきでしょうね。
彼らは政府の警告を無視した不従順を責められるべきです。教団の責任の所在も明らかにしなければなりません。
人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。 マルコ 8:36
犠牲になったのは42歳の牧師だそうです。
一粒の麦。
残された羊たちの解放を祈るのみ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/korea/70751/
尖鋭化のつけです。