最近の日記

発明の対価

青色ダイオードの発明で有名なカリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村教授が、裁判所から提示された和解額8億円に対して怒り心頭の記者会見をした。何でも弁護士も和解しかないと言ったとこのこと(この舛永弁護士は実は私たちもお世話になったことがある。)

中村先生は「日本の司法は腐っている。やる気のある者はアメリカだ!」と檄を飛ばしていた。野球もメジャー、エンジニアもメジャーと。日本には大した者が残らないというわけだ。実は日本はこれまでは社会主義なのである(キリスト教界はその中のまた社会主義社会)。

バブルの頃、金融系は花形産業で、東大の工学部を出たヤツの2割がそっちに行った時代もあった(今頃どうしてる?)。一方製造業は3K(キタナイ、キツイ、キケン)と言われ、年収でも倍の格差が着いた。金融系はただ金を左か右に動かすだけでゲインを得る。新しい価値を何も生み出してはいない。

で、理系の私としては何ともやる気を失ったことがある。メジャーに行く能力はとてもないので、前に書いたとおり、やや「水商売」に関わったわけ。

中村教授の訴えは正論であり、ボールをバットで打つだけの人が年間何億取るのに比して、新しい価値を生み出す人が恵まれないとなると、日本の製造業の将来は暗い。夢がないからだ。メジャーへの流出を食い止める必要があるのは、野球ではなく、むしろ学問と技術の世界だ。

(しかし、ノーベル賞の田中さんの淡白さと、中村教授の脂ぎった様のコントラストは実に面白い。)

センター試験初体験

この土日にウチの大学でもセンター試験を催すことになり、本日打ち合わせ会議がありました。分厚い㊙施行マニュアルに事細かに実施要領手順が書いてあります。先生たちでお互いに顔を見合わせて、おいおい、これ、予行演習しなくて大丈夫かな・・・と不安気。私は幸い予備人員ですので、気楽なのですが、監督する先生たちは大変です。ミスがあればすぐに新聞沙汰ですから(汗)。さてさて、どうなることか。

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昨年は北海道の流氷を見ることができませんでしたので、今年は早めに予約を入れました。後は最小催行人員が満たされればOKです。夏もいいですが、冬の痛いほどの寒さがまたいいのです。冷え切った体を熱い温泉につけるときが至福の瞬間です。

文藝春秋の記事

今月号はなかなか面白いテーマの記事が並んでいる。

中でも例の香田君を斬首処刑したテロリストの証言が不気味。彼いわく、「もし日本政府が一応撤退を考慮するそぶりを見せただけでも結果は異なっていたであろう」と。つまり小泉氏の「テロには屈しない。自衛隊撤退はない」との一言がすべてを決めたと言うわけ。

もちろんゆすぶりもあろうが、著者は中東人との交渉のあり方として、あまりにも短絡的であって、文化の違いを無視し過ぎていると指摘している。現在となってはいかんともし難いが、この記事をご家族が読んだとしたらどのような気持ちになろうか。

また皇室の確執も中々深刻だ。雅子さまの病状もかなり深刻。「適応障害」なんて言うのはお体裁で、実際はかなり重い鬱病。皇太子と秋篠宮の葛藤も深いものがある。

後は地震の記事。これもかなり現実的に迫られる。地震学者の予知手法は統計学的・確率論的なものであり、その精度はあまりにも荒い。私的にはいつも紹介する電離層異常を検出する手法に賭けたい。

それから2005年の日本は、中が消失すると予測されている。つまり学力も、経済力も、いわゆる中流が抜けて、上位と下位に二分化する。これは前にも書いたが、私たちが10年前に予測したこと。若者を見ていると手に取るように分かる。それを分けるのはひとえにそれぞれのモチベーション次第。

長女の成人式

う〜ん、まいりました。晴れ着姿を見て、うるっときてしまいました。わが娘ながら、かなりキレイだ・・・と。

何だか一区切り。歳を取ったことを実感。

スマトラへの祈り3

掲示板でxyzさんが祈ってくださり、感謝いたします。死者の数はまだ増えそうで、20万近くになるようです。

M9.0の地震は東海地震3,4個分のエネルギーを持ちます。ちなみにMが1増えるとエネルギーは32倍、2増えると1000倍になります。プレートの潜り込みがはねかえった断層が1000キロに及ぶそうですから、ある意味で地球の皮が一部はげたようなものです。

日本人でも12歳で両親と弟を亡くした少年の姿が痛ましい。正直言って、こういった場面では本当に自分自身の無力さを覚えますし、主よ、なぜですか・・・とも叫びたくなります。

久しぶりに

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                 夕日に映える富士3

Johnと午前10時から4時間ほど交わりが持てました。この数年間のお互いの歩みを率直に分かち合うことができました。いろいろな面でお互いに共有できる部分が多いので、励ましを受けます。

彼の主張のポイントは「人間的な組織によるのではなく、内なるキリストのいのちだけを互いにシェアすること」に尽きます。彼と奥様AyakoのBLogはこちらを→

 http://www.reality-now.com/

すべてはキリストであることを証してくれています。また写真つきの自己紹介もあります。

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この10日は長女の成人式。きょう家内がその式のための晴れ着を用意しているのを見て、ついにここまで来たかあ〜と、ちょっと何とも言えない複雑な気持ち。早いと言うべきか、ようやくと言うべきか・・・。彼女が生まれた深夜のことを昨日のように思い出しています。彼女が結婚するとか言い出したら、私はどうしたら良いのでしょうか?

スマトラへの祈り2

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                夕日に映える富士2

また犠牲者数が増えた。その数15万。さらに感染症がアウトブレイクすると500万人が感染し、死者も15万とWHOが推計している。

津波サミットは各国の思惑が絡み、支出金額にもその意図がミエミエしている。アメリカは例によって自分のポチを引き連れてコアグループを組織し、被災国がイスラム圏であるために、悪くなったアメリカ観を払拭するチャンスとばかり、自国の寛大さを見せんがために、主導権を握ろうとしている。小泉氏は国連主導で、と口では言っているが、どうもまたポチになりそう。

こんな悲劇を政治利用して欲しくはないと思うが、これも現実離れした理想論か?

スマトラへの祈り

今回のスマトラ沖の津波災害ではついに死者14万人以上。日本人も600名近くが安否不明。英国聖公会の大主教が「こんな災害を神はなぜ許した。神などはいない。」と言ったとか!?しかし神は破壊の神ではなく、滅びの神でもない。愛と憐れみの神である。

ある方からこのような時にはどのように祈るべきかと問われたが、実は私も分からない。被災者の方々に慰めがありますように、という祈りも何かしらじらしく違和感を覚える。ただ内側に覚えるのはある種のうめきのみ。

ローマ8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

 * * *

日本でも昨年の新潟地震を予知した琉球大の木村教授は、関東圏で震度7以上の大地震が、この4-5年の間に起きる確率を40-60%と推定している。スマトラは決して他人事ではない。

聖と俗

先の日記にメールで早速のレスをいただきました。「ルークさんって案外俗っぽいんですね」と。そうですね、私は今のニッポンキリスト教の言う「聖」はちょっとゴメン被りますね。どうもその意味がかなりずれているような・・・。私の言い方では「自分の髪を自分で引っ張って空を飛ぼうとしているようなもの」に見えますね。

ある人がアメリカの油注がれた器とトイレで一緒になって、「ああ、こんな霊的な人もトイレ使うんだ、と感動した」と言っておりましたが、完全にアイドル化(偶像化)しています。聖霊派あたりでは、少々妄想傾向を持つ人の言葉が「預言」と称されているし、この世でまともにやれない人の方がむしろ「霊的」と評されるようです。私の目から診て、現在の日本キリスト教界は相当に病理的ですよ。オタク化しているとも言えますか。

聖とされるとか、霊的になるとは、人になることです。もっとも人らしい人であったのはイエスです。神が人になった―これは奥義です。人として、当たり前を当たり前に、人であることをエンジョイすること。Holiness(聖)とはWholeness(総合的健全性)です。

パウロは言っています:

ローマ14:14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。

さあ、みなさま、ニッポンキリスト教という窮屈な宗教の枠組みから解かれて、普通の人として、いのちなるキリストを思う存分エンジョイしましょう。人であることを楽しむこと。この奥義である偉大な救いを十分に堪能した者が勝利者です!

正月も終わりだ・・・

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                夕日に映える富士山
                (バルコニーから)

私たち大学教員の年間サイクルは、4-7月(前期)、8-9月(夏休み)、10-12月(後期)、1-3月(残務整理+春休み)といった形です。普通のサラリーマンのようにベターっと年間を通じてのスケジュールではありません(これは私にとっては地獄ですね)。要するに3ヵ月ごとのリズムがあるわけです。

これからは試験期間と入試業務、そして卒研生を追い出して、春休みと続きます。今の私の頭にはすでに3月の北海道の流氷ツアーにターゲットが置かれているわけです。で、4月になると8月の北海道のキャンプ(or英国のキャンプ)、10月になると年末の温泉と・・・。こうしてニンジンを鼻先にぶら下げて、さあ、走れ、とやっているわけですね。

このリズムで生きていると、1年が終わるのが実に早い。あっという間に長女は成人式、次女の大学進学と・・・。そろそろ私たちも老後の準備に入らんと・・・と家内と話しているところです。

人民の、人民による、人民のための・・・

先の番組の中で鳥越俊太郎氏が「アメリカ人は個人的に付き合うとナイスガイだが、国家になると怖くなる。自分と異質な存在を許すことができない国家だ。」とコメントしていた。

私的には、ナイスガイが集団になると怖くなるのではなく、アメリカは初めから二重構造だからと考えている。例えば日本に原爆を落としたのはアメリカ人の総意によるものではない。ベトナムもアフガンもイラクもしかり。

国家の意思決定をする者は常に少数者である。彼らの自由な意思決定と行動を疎外しない社会システムが、いわゆる民主主義であり、<自由・平等・博愛>である。彼らは一般大衆のためにその標語を守らんとしているのではなく、自分たちの利益のためである。実際、アフガンもイラクも新政権はアメリカの傀儡政権に過ぎない。去勢されたニッポンの再生産である。

ナイスガイのアメリカ人もナイーブにも泳がされているだけである。実際、ある種の組織の真実を暴いた牧師は100人をレイプした嫌疑で不当逮捕され、しかも監獄で刺されている。アメリカの陰のアンタッチャブルに触れるとかなりヤバイことになる。番組の最後でタケシが「俺は殺されたくないから、アメリカ大好きだ」と冗談を言っていたが、必ずしも冗談ではないのだ。

2005年日本の行方

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                 今日の富士山
                (バルコニーより)

昨日のタケシの特番で、戦後の日本政治がアメリカの思惑の下で暗にコントロールされていたことをレポートしていました。この種のいわゆる「陰謀論」は10年前はアンダーグララウンドカルチャーだったのですが、最近では石原新太郎氏をはじめ、立派に表に出て来ています。

田中角栄は日本政治の悪役中の悪役ですが、実は最も日本のことを考えていた政治家でした。日本の自主自立を志向していたのですが、キッシンジャーからの圧力にも関わらず、その道を邁進した結果、あのピーナツ事件で政治生命を絶たれたわけです。裏にはアメリカのCIAなどによる情報漏洩があったようです。この説は政治評論家の森田氏なども認めるところで、すでにアングラではありません。

その後は85年の竹下氏によるプラザ合意以降、円高誘導によりバブルに入って、90年代に入って日本が経済的にも精神的にも壊れるわけです。首相もみな米国のポチ化し、現在の小泉氏に続くわけです(新米の政権は長期政権となります)。

かくして戦後の日本は、古き日本を否定し(前に政治、経済、軍事面で去勢されたと書きましたが、文化もですね)、アメリカ文化の追従模倣文化であり、ここにも反米勢力を駆逐しようとするアメリカの戦略、つまり3Sがあったとされます。Sport(スポーツ)、Screen(映画)、Sexです。自由と平等のスローガンの下、これらの媒体によって情報を巧妙にコントロールされ、見事にマインドコントロールされてきています。

女性も自分の人生を優先すると言う名目で、子供を生まない。この数年をピークに日本の人口は減少を続け、2100年には4,000万になる推計がされている。人口を減らされることもひとつの戦略。

戦後の日本は地政学的に共産圏を背負った形であったために、自由主義圏の防波堤として安保で守られ、その保護の下でかような様を呈しているわけですが、すでに残る共産圏は中国と北朝鮮のみ。中国はその懐の深さで、政治は社会主義、経済は自由主義と見事に経済的に発展している。

アメリカも日本の頭越しに対中戦略を練っているし、北朝鮮も中国の姿勢次第でどうにでもなる。すると日本の意義はどこにあることになるだろうか?金を貢ぐのもそろそろ限界であろう。今年1年、世界の中の日本がますます見えなくなりそうな予感がしています。

 * * *

しかし私はやはり日本人。温泉と自然に恵まれたこの国を愛していますし、この国に生まれたことを主に感謝します。この時期、バルコニーから望む富士山を見るのが楽しみのひとつです。

シンプルさに生きる

今年でこのサイトも7年目を迎え、KFCも5年目を迎えます。「よくもってるなあ〜」と正直自分でも思っています。何気に始めたので、主のストップと言うか、油塗りがなくなればすぐにたたむつもりでいつもおります。あまり歯を食いしばりたくはないのですね^^

で、今年のテーマは何だろうかと、つらつら思い巡らしていましたが、キーワードは「シンプルネス」です。単純さ。聖書の真理は必ずしも理解が容易ではないかもしれませんが、単純です。

ややこしい神学を知らなくては信仰の歩みができないわけではありません。KFCによく来られる元ホームレスのMさんは、いわゆるLD(学習障害)で、二桁の足し算引き算ができません。しかし彼はイエスを知っています。主の名によって単純に祈ることができます。キリストをエンジョイしています。それで十分です。

聖書のアウトラインは、創世記でいのちの木の実を食べ損ね、その木への道が塞がれた;イエスが道となり、いのちと真理として、私たちの内に生きて下さる;私たちのうちにキリストが成長すると主が花嫁として迎えに来て下さる;新天新地ではいのちだけの世界が展開し、神と人が共に住まう。これが全聖書の啓示です。単純です。

御言葉はちょうど電池に電気が溜まっているように、白黒の文字の中に霊のいのちを運びます。今私たちがなすべきことは単純にモクモクと御言葉を食べること。蚕のように、日々食べること。単純です。そのうち私たちも脱皮します。

 Living in the Simpleness!

新年のご挨拶

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             バルコニーからの富士山
           (クリックすると大きくなります)

2005年、おめでとうございます。今年もヨロシクどうぞ。

掲示板やメールなどで、皆様の声をありがとうございました。この日記も少しはお役に立っているようですので、ポツポツと書き続けましょう。

今日はとりあえず家内と映画を観に出かける予定です。