No.625の記事

聖と俗

先の日記にメールで早速のレスをいただきました。「ルークさんって案外俗っぽいんですね」と。そうですね、私は今のニッポンキリスト教の言う「聖」はちょっとゴメン被りますね。どうもその意味がかなりずれているような・・・。私の言い方では「自分の髪を自分で引っ張って空を飛ぼうとしているようなもの」に見えますね。

ある人がアメリカの油注がれた器とトイレで一緒になって、「ああ、こんな霊的な人もトイレ使うんだ、と感動した」と言っておりましたが、完全にアイドル化(偶像化)しています。聖霊派あたりでは、少々妄想傾向を持つ人の言葉が「預言」と称されているし、この世でまともにやれない人の方がむしろ「霊的」と評されるようです。私の目から診て、現在の日本キリスト教界は相当に病理的ですよ。オタク化しているとも言えますか。

聖とされるとか、霊的になるとは、人になることです。もっとも人らしい人であったのはイエスです。神が人になった―これは奥義です。人として、当たり前を当たり前に、人であることをエンジョイすること。Holiness(聖)とはWholeness(総合的健全性)です。

パウロは言っています:

ローマ14:14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。

さあ、みなさま、ニッポンキリスト教という窮屈な宗教の枠組みから解かれて、普通の人として、いのちなるキリストを思う存分エンジョイしましょう。人であることを楽しむこと。この奥義である偉大な救いを十分に堪能した者が勝利者です!

Commented by Salt 2005年01月05日(水)20:03

あけまして、おめでとうございます。

Holiness is wholeness. 名言ですね。

私は、未だにバランスが悪い人間なので、幼い子どもの成長に関わる仕事で、内なるキリストが、日々バランス修正をしてくださっています。

パッションよりもMr.インクレディブルを面白がる俗っぽさを持ち合わせていたいです。

私たちはからくも競り勝つのではなく、圧倒的勝利者なんだから、もっともっとその勝利感を味わい、楽しみたいですね。

とてつもなく、悲しい出来事もありますが、私はただ主の最善を信じるだけです。