* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
BBSにも少し書きましたが、今回の件はどこか変です。
人質の人たちには、ぜひ費用を自己負担していただく必要があるでしょうね(登山などの遭難では当たり前のことです)。小泉さんの気持ちも良く分かります。一部情報によると、今回ボランティアをしていた女性については、やはりいろいろな精神的な問題があるようです。
正直言いまして、心を病んでいる人たちが、自分の病気を盾にして、人権とか個人の自由とかを主張し出しますと、その他のふつう人々がえらいトバッチリを食らうことがよくあります。彼ら人をマニュピレーションすることに長けています。
これは教会の運営でも言えることでして、神学の知識や哲学などはよく知っていてもジョーシキがなく、変なこだわりをもって自己主張したり、突拍子もないことを言い出したり、行ったりする人が一人いると、周りはしばしば振り回されます。私も何件か経験していますが、私は決して彼らに譲ることはしません。
わたしのところには牧師からも相談が来るのですね。この種の一人によって教会を滅茶苦茶にされ、ご本人も体を壊して入院したケースなどなど。みな欺かれるのです。この人は病気だから、受容して、何でも許して、まあまあ、なあなあ。これが敵に足場を与えます。
彼らには毅然とこう言うべきです:あなたは今までどおりの生き方を通すのであれば、決して癒されないでしょう。私のペースでやることができれば、癒されるでしょう。それができないのならば、どこか他へ行きなさい。自分で選びなさい。
霊的原則はこうです:
それぞれが撒いたものを自分で刈り取る。
つまり自己責任の原則です。主の前に立つとき、主からひとりひとりが、「あなたは・・・」と二人称で問われるのである。病気は理由になりません。
今のニッポン、この世も教界も、当たり前が当たり前でない、どこか変ではないでしょうか?
とりあえず何よりです。
が、無事だったのであえて言いたいですね。真の意味での公共性を学ぶべきでしょう。
あと2人のジャーナリストの行方はどうなっているのでしょう。
イタリア人が殺害されました。彼らは本気ですね。
ジャーナリストやボランティアの方々も、ぜひイラクに行く際にはご自分の動機を探ってみてください。本当にイラクのためでしょうか?それとも業績を上げることや自分探しのためでしょうか?
自分の命を危険にさらすばかりでなく、家族を苦しめ、国家の運営が妨げられることもあるのです。大義名分はどうにでも立つでしょう。が、動機がどこまで純粋でしょうか?
しばしばボランティアや福祉などで活躍される方々は、自分が問題を抱え、その問題を解決するための活動であることが多いのです。これは業界の常識です。
私はあまり人間の善意とか純粋な動機などは信じていません。自己(Self)から解かれることはそれほど簡単なことではないからです。というより、「私の十字架」によるしか、まことの自己の解放はないのです。十字架を経ないものはフェイクです。
この意味で、「パッション」などのメディアが伝道に有効であるとは思っていません。クリスチャンとして騒ぐべきものでもありません。今、問われるのは、前から言っているとおり、"マイ十字架"だからです。
TIME誌今週号に3名の写真が出ていました。日本のTVで放映される場面はごく一部です。同誌には今井君が喉元にナイフを突きつけられ、女性の方が顔を覆っている様子が出ていました。
これは家族には見せられません。知らないほうがいいこともあるのです。
私の知り合いの方のご主人は大学の先生でしたが、反イスラムの本を翻訳したため、喉元をかき切られて殺されました。憎悪の霊がモロに吹き出してきています。
実は私は血がダメなんですね。小さい頃から血を見ると、大声で泣き出す有様。例の「パッション」なんていう映画はとてもとても観ることができないでしょう。
幸い、イエスの血は、霊的領域において、今も流れ、私たちを清めてくださっています。この目に見えない霊的リアリティを大切にしたいのです。あまり「パッション」てな映画を論評するのは私には意味不明であります。
大学では一応私も個室をもらっています。今日の午後のひとコマ。
コン!コン!
ノックの音で出てみると、目がちょっと焦点を結んでいない学生が、「あのね〜、隣の先生はどこ?」と一言。
小生(内心、知るかよ〜、なんだこいつと思いつつ):「私には分かりませんよ。」
学生(ぼお〜としつつ):「だって先生は隣の先生でしょ。どうして知らないんですか?」
小生(内心、これはちょいとヤバイぞ・・・):「あのね、隣でも部屋には壁があるでしょ。だからね、わからないの。」
よく見るとドアに足を入れている。新聞の勧誘だろ、これは。押し出すようにしてドアを閉めて、これで引き下がったと思ったら、またしばらくして、
コン!コン!
学生:「あの〜、ぼく3限か4限に授業があるんだけど、時間が分からないの。何時からはじまるの・・・?」
小生(まずいよコレは、と思いつつ):「あのね、君の時間割は自分で決めるんでしょ。教務課で聞いてね。」
学生:「あ〜、そうなんですかあ〜〜」(幽霊のように去りました)
またしばらくして、ワイワイガヤガヤと学生が廊下を通ったかと思うと、
コン!コン!
小生、「何だよ、またかよ」と思いつつドアを開けると、誰もいない。ちょっと先を見ると女子学生がえらく明るい声で、「すんません〜。間違えちゃったあ〜」。
おいおい、ピンポンダッシュじゃないんだよ。何で人の顔見ないうちに間違えたって分かるの。名札で気がついたのなら、ノックする前によく見ろよ、と。
まあ、こんな調子であります、新年度の開始は・・・。
はあ〜(sigh)
キョウビの大学1年生は、ピッカピッカの小学13年生。
ps.でもね、学生ばかりも責められない。大学の先生にも手鏡を使ってしまう御仁もいますしね。あの有名な先生が・・・と。同業者としてちょっとショックでした。
を車の中でFENで聞いていました。彼は相変わらず、テロ撲滅、自分は正しい、自分は911においても非はない、断固イラクの民主化のために軍事力を行使する、大量破棄兵器はまだ発見されていないが、フセインはアメリカの脅威であった、自分には対テロの明確な戦略がある、6月の主権委譲を成し遂げる・・・の一点張りですね。そして対テロ戦と大統領選にも勝利すると。
真に彼がクリスチャンであるならば、神を畏れる姿勢と言葉が欲しかったと思いますが。前にも紹介しましたが、TIME誌で「私は戦争の大統領である。私はここオーバルオフィスで、戦争を伴う外交戦略を、私の思いにおいて決定する」と宣言しているとおり、「私、私、私」を前面に出しています。しかしどうも彼の顔が猿回しの猿に見えるのです・・・。イエスの高貴さがない。
私は対テロ政策に武力行使をするなと言っているのではありません。が、その行使にあたっても神を畏れる霊によってなしてほしいと。God bless Americaが、神が先にありきではなく、自分の決定がまずありき、になっているわけです。彼を祭り上げる原理主義クリスチャンもブッシュと同じ霊を持っているのでしょう。少々怖いことです。今後の彼のお手並みを拝見したいと思います。
田中宇氏の論考を紹介しておきます:
http://tanakanews.com/e0413iraq.htm
アメリカの戦略はすでに崩壊していますし、主権委譲も困難でしょう。どうやって落とし前をつけるつもりか、愚かなブッシュよ。
このようなブッシュを礼賛していたあの原理主義クリスチャンたちは、今頃は何を考えているのでしょうか?偉い先生たちもおられましたがね。
聖書を単なる白黒の文字としてお勉強するとどうもおかしな論理がまかり通るようになり、人として当たり前の感受性を喪失するようです。
かなり深刻になってきました。相手の目論見が分かりませんから、手の打ちようがありません。神経戦ですね。
多くの人々が人命優先で、自衛隊を撤退すれば問題解決すると主張しているようですが、本当にそのように信じているのでしょうか?もしそう信じてるならば、愚かです。信じてないのなら、偽善です。私も小泉さんにはいろいろ意見したいことはありますが、すでに派遣した以上、"この事件ゆえに"撤退はできないことです。家族のお気持ちは察して余りありますが、できれば、彼ら3人を止めてほしかったとも思っております。
ニッポン人の面白いことは、自分に降りかかるまではあまり騒がず(これまでにイラク関係でどれほどの人が死んでいると思います?)、自分に降りかかると大騒ぎ。例の浅田農産の時も、"自分が"インフルエンザにかかる危険性がある時には人を自殺にまで追い詰めた人々が、終息宣言が出されて、しかもタダで卵を配布するとなると行列を作る有様。もっとも怖いのはメディアや世論がそれ一色になること。一種の集団ヒステリーですね。
もし3人の人命尊重を盾に自衛隊撤退を訴えるならば、もっと多くの人々のために(前に象徴的写真を紹介しましたね)、なぜうめくことをしないのでしょうか?安全な卵をタダでもらえるとなると我先に行列・・・言葉もありません。
マザーテレサは日本は経済的に豊かだが、心の最貧国だと言ったとか、言わないとか。しかしこの言葉も抵抗なく納得できてしまう昨今です。
解放が遅れています。それとも元々ゆすぶりだったのでしょうか?
あるいは何かの条件をつきつけてくるのでしょうか?人の良い日本人には読めなくなりました。神経戦の様相を呈するかもしれません。
がでてきた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040411-00000003-yom-int
イスラム教内部の批判もあり、結局犯人たちも自分たちの大義が立たないことが分かったようだ。イスラムの教師に戒められてのことのようであるが、多分犯人たちは幼い者たちであろう。この態度は対して、アメリカは焦りつつ、すでに大義がないことは明白なのに、かろうじて「自由と民主主義」を旗印に、力でねじ伏せようとしている。この大いなる矛盾。
しかし先に書きましたが、私は今回の件で小泉氏を評価したいと思う。もちろんアメリカの顔色を見て、自衛隊を派遣したこと自体は問題があるが、今回は決して引けない場面であった。それに対して、小泉氏はこれまでの政府と異なり、毅然として拒否の姿勢を当初より打ち出した。彼は「腹をくくった」。
主は言われた、「自分の魂を救おうとすれば、失う。失えば、救う。何かを得ようとすれば、失い、失えば、得る」と。先の鶏のウイルス感染で、両親が自殺し、自分は逮捕された社長も、同情する余地は多々あるが、前に書いたように、自らで守ろうとして、自ら失ってしまったのである。もし小泉氏が、どのような結果になろうとも、すべての責任を負うことを覚悟して、家族との面会を拒否したのであれば、これは大いに評価できる。確かに小泉氏はこれまでのニッポン型の政治家とは異なっているようだ。
勝利と自由への鍵は手放すことにある。
しばらく沈黙したいと思います。
本人たちは何らかの覚悟というか、予感を抱きながら、現地入りしたようですが、現在の憔悴した家族の気持ちを思うときに、何も語ることができなくなります。
今回の拉致についてはソフトターゲットを狙った卑劣な行為であるとの論調がある。確かにそのとおり。しかしこれは私たちの目から見たことに過ぎない。彼らから見れば、自分の家に土足で踏み込まれ、一般市民を殺されている。繰り返すが、こちら側に大義がない!
今回もし3人の命を優先して自衛隊を撤退させれば、ニッポンは甘いとして(すでにそう思われているが)、今後アメリカとの関係に揺さぶりをかけるために、ニッポンがテロの対象となる(実行しなくても脅せば動くとして)。3人を見殺しにするならば、小泉政権は終わる。いずれにしろニッポンにはすでにチェックメイトがかけられている。
しかしニッポンは自衛隊を派遣していながら、自国民を救出することはできず、アメリカに救出を依頼するという。言葉がありません。自衛隊の本来の任務は日本国民の命と財産を守ること。確かに特殊部隊もなければ、訓練も積んでいない。3発の脅しで退避壕にもぐる有様。自衛隊員も手足を縛れたまま何もできず、気の毒。今後自衛隊員で心を病む者が増えるであろう。
これが外的自我と内的自我に引き裂かれた分裂病国家の証明だ。
この手の話が出ると必ずニッポンキリスト教徒は「みんなでひとつになって祈りましょう」とやりだすが、あえて私は彼らの解放を祈りましょうとは言わない。
彼らが、もし真にイラクのことを考えて現地に行っているのであれば、死をも覚悟の上でのはずだからだ。安っぽいヒューマニズムで行ったのであれば、すでに判断ミスを犯している。
本件は小泉氏やブッシュが試されると同時に、イラクに関わるひとりひとりが試されることであるからだ。
陶器師である神はある者を尊い目的のために、ある者を卑しい目的のために造られた。見よ、神の峻厳を!