最近の日記

人生はトコロテンだ

長男の中学の卒業式があった。彼も無事卒業でき、行き先も決まりと、とりあえず一息です。昨年は長女の高校卒業と大学入学、来年は次女のと・・・。

式の間中、彼の育ついろいろな過程が脳裏に去来していました。中でも、彼は1歳半で川崎病(急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群)に罹ったのですね。これは原因不明の難病でして、免疫系の疾患ですが、手遅れになると心臓の冠動脈に炎症によるコブができて、血液がつまり、心筋梗塞を合併して死に至ることもあります。

開業医は見逃していたのですが、私が気が付き、幸い早い段階でγ-グロブリンの大量投与によって後遺症も残らず完治しました。しかし、一時はもうダメかと思える場面もあったのですが、家内と共に祈ると、主の御手に抱かれた彼の幻が見え、私たちも聖い白いベールで包まるかのように平安で包まれて守られました。今もはっきり覚えていますが、素晴らしかったですね。この時に彼を主にお捧げしたのです。

いつも思うのですが、人生は結局トコロテンです。ベルトコンベアといった方がよいでしょうか。こうやって人生の節目をひとつひとつ経過するうちに、ついにはお墓となるわけで・・・(私の墓は南向きの日当たりの良い斜面です)。クリスチャンにはその先の栄光があるわけですが、地上は寄留者生活です。「芸人は芸をあの世にもってっちまう」が、クリスチャンは地上において経験した主の麗しさ、素晴らしさを持って行き、そのお方に直接まみえることができるわけです。大いなる希望があります。

私も地上での責務を果たしたら、すうっと主の元に召されたいですね。見苦しく長居はしたくありません。夫として、父親として、いろいろな事を通して、もう十分に人生を楽しませていただきましたから。禅の高僧には「もう浮世狂言止めた」と言って自ら食を絶ち、眠るようにきれいに大往生する者もいます。いいですね、「浮世狂言止めた」という台詞。

主と共に刻む時だけが永遠の価値があるのです。

6周年を迎えました

DVDの発売を決定しました。価格などを今調整中です。ただし、英国のDVDはPALフォーマットでして(TVの走査線の数が日本とは異なる)、TVではそのままでは再生できません。フォーマット変換ができるDVDプレヤーが必要です。しかしPC上のDVDドライブではそのままで再生できます。

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このサイトも何時の間にか6年目を迎えました。手慰みから始まったこのサイトですが、えらく巨大になり、マルチメディアへと発展してきましたが、早いものです。

前から言っているとおり、私はパブリックなミニストリーを開始することは人生の計画にはなかったのですね。自分の墓も用意して、自分の人生の設計図を作って、それを着々とこなすことだけを考えておりました。今でも「裸一貫、すべてを投げ打って伝道にいのちをかける」式の"クリスチャン的浪花節"は臭いがきつくてご遠慮です。

ニッポンキリスト教と触れてみて分かったことは、同じ"クリスチャン"と言いながら、同じ信仰を持っているのだろうかと不思議に思う人々もおることでした。何を求めているのか分からない人もけっこうおります。"使徒"や"預言者"になりたがる人や、"霊的超能力"を求めている人、学者先生として大成したい方、数千人の信徒を得たがる御仁に、礼拝堂を3つも4つも献堂することが自慢な先生などなど・・・。

KFCも4年目を迎えますが、私たちはただキリストをエンジョイすることだけを追及しています。その他のややこしいことはできるだけご遠慮しつつ、ただひとつキリストの魅力を極め尽くすこと、これが私のすべての動機です。

主よ、あなたの家の大庭にいる一日は千日にまさります。私はただひとつのことを主に願った、あなたの家にいてあなたの麗しさを尋ね極めることを(詩篇)

http://www.kingdomfellowship.com/Kfc/Worship/worship34.html

この時計は・・・

KFCのサーヴァの時計は原子時計にシンクロしていますので、下のJSPによる時刻はかなり正確です。

(何だ、コレ・・・!?と思われた方のために一言弁明でした。)

Apache+Tomcat

の連携が、やっとのこと成功しました。ささやかな達成感を味わっております。

Unix系はとにかく設定ファイルがややこしく、ネット上を検索した挙句、ようやく決め手をつかみました。これでServletsとJSPが使えます。

「で、けっきょく何ができるんだ!?」と言う声もありますが、要するにサーヴァサイドでJAVAが走るのです。まあこれでいろいろできるようになります。それはお楽しみに。(オンラインバンクや通販などでも使われています。)

例えば→http://www.kingdomfellowship.com/examples/jsp/plugin/plugin.jsp

pluginのインストールが始まりますので、急ぎの方はクリックしないでね。

世間のヒステリックな冷たい風

浅田さんの件は会長の自殺で、会長の告発はなくなったようであるが、社長の息子さんは刑事告発されるようだ。ご両親の自殺と、会社の破綻と、刑事告発と・・・。やり切れませんね。

まずは感染経路の解明など、淡々と客観的な事実の積み重ねをすべだろう。そして浅田さんに不手際か意図的な誤魔化しがあったとしても、元は雪印の怠慢による不祥事とは性質が異なるのだから、せめて民事で処理できないものか。現状は少々酷ではないか?

近所の人も「死んで解決する問題とちがう」とか言っていたが、まだ人への感染が出たわけでもなく、卵も肉も熱を通せば問題ないのだから、消費者側がもっと冷静になればまだ対策は十分に間に合う。ちょっと集団ヒステリー的症状を呈しているようだ。こちらの方がもっと恐い。

関東大震災の時に朝鮮人が井戸に毒を入れたとかの風評で集団虐殺が起きたが、ニッポン人の心理はまったく変わっていないようだ。まことの犠牲の供え物を知らない人々は自家製のスケープゴートを求める。

それにしても野鳥やカラスによる感染拡大とは!エリヤには食べ物を運ぶために神に用いられたが、今回は誰に用いられるのか。まあカラスに責任はないわけだが。

痛ましいことです

浅田さんと奥さんの自殺はなんとも痛ましい限りである。私には見えていたが、周りの人がもっと気遣ってやることはできなかったのか。従業員は「信じられない」とか言っているようであるが、その愚鈍さにあきれる。

また会見の場で若い記者たちが正義のペンを振りかざして、もっともらしい(つまらない)質問で責め立てているを見ると、ほんとに腹が立つ。お前はいったい何者だよ!・・・と。カメラやペンをもたせると普段気の小さな、物も言えないような輩に限って、偉そうに正義感ぶるものである。

浅田さんの処置には確かに問題があったことは事実である。今回のような未経験の事態では情状酌量の余地も十分ある。彼らは老獪な政治家ではない。もっともらしいフリをする記者諸氏よ、カメラとペンを向けて追求すべき対象は他にもっとあるだろう。もっともらしい偽善はやめよ。

人の心を忘れて、すべてがうわっ滑りで、時々の風に流されるニッポンの浅薄さの犠牲者とも言える。

フリーター417万人の衝撃

「NHKスペシャル」の内容はちょっと背筋が寒くなりました。フリーター417万人、そのうち60万人が30台。大学生も10人に3,4人が就職しません。(ちなみに「引き篭もり」100万人と推計されています。)とりあえず日雇いで食っていく、自分の本当にやりたいことを探すと称して(彼らは思いが空回りしています)、ブラブラして、専門的手技も身につけずに、あっと言う間に30台。ここまで来るとすでに時は遅しです。

今の人材派遣の会社はなんだか昔の「女工哀史」の世界を彷彿とします。青森で若者を雇い、関東に派遣して、その上前をはねると言う仕組みです。人がすでに労働の価値観を忘れ、とりあえず「しのぎ」をするだけの形になっているわけです。時間と労力を金に換算するだけのこと。実質的に人身売買です。2050年にはいわゆる正社員とフリーターが1:1になるという予測。人生設計も立てられず、将来への希望もなく、その日暮し。

ニッポンは今おそろしい所に来ていますよ。私たちは20歳前後の若者を20年にわたって定点観測してきていますが、彼らを見ると10年後、20年後が見えるのです。そして恐いことに、私が10年前に予測したとおりの事態になっています。今私には10年後のシナリオができていますが、とてもとてもここには書けません。自分でも恐いです。

しかしゲストがひとりは経済同友会で経営者側、一人は連合で労組側、微妙な緊迫感が伝わってきましたね、彼らのコメントを聞いていますと。NHKですから節操を保っていましたが。

お詫び(ApacheとTomcatの連携が・・・汗)

今グループウエアの導入をはかっており、サーヴァをいろいろいじくっておりまして、昨日はうっかりリモートでネットの接続を切ってしまいました(夜はチャペルがロックアウトになるので、復旧できないのです)。アクセスできなかったことをお詫びいたします。

どうしてもApacheとTomcatの連携がうまくいかないのですね。多分環境変数あたりの設定がうまくいっていないようなのですが。Tomcatが走るとServletsとJSPというサーヴァサイドJAVAが使えるようになります。これからも時々(いや、しばしばかな?)サーヴァが落ちると思いますが、落ち着くまでご了承下さいませ。

どなたかUnixに詳しい方がおられましたら、ご教授ください。

自分の言葉を持つこと

オウム事件の特番があった。中でも林郁夫受刑者のマインドコントロールからの解放のプロセスがよく再現されていた。

カルトで"縛り"に会うと、一番の特徴は自分の言葉を顕著に失う。教祖や指導者の言葉の文字通り"オウム返し"となる。この時独特の違和感("平板さ"と言うべきか)を感じさせるようになる。ちょうどガラス張りのケースに入られているように、その人の姿は見えるが、その人に触れることができないように感じられる。一枚ガラスが間に入ってしまう。

正直に言えば、ニッポンキリスト教と触れていて、同じ感覚をつねに覚える。例えば牧師のメッセージである。ほとんどが同じトーンと内容、喋りぶりから言葉使いまでみな同じである。私のMSGでも時に真似をするが、簡単に真似できるほどにある種の同じ臭いを醸している。そしてまた信徒はその受け売りをもっともらしく繰り返すのみ。

この日記を読まれた典型的ニッポンキリスト教徒の方が、「この日記を読むとルークさんという人が見えてしまう」と言って来られた。これには正直驚いた。日記なのだから見えて当たり前である。この人は何を私に期待し、何を求めているのか。パウロの文書にはパウロらしさが、ヨハネの文書にはヨハネらしさが満ちている。

私は超霊的な"霊能力者"や"聖人"にはなりたくないので、あえてこの日記では普段着の言葉を用いている。この手のWebを開き、霊的な事を書いていると、何時の間にか"ルーク像"が勝手に仕立て上げられ、一人歩きを始める。このような時、私はあえてその像を壊す。人がある期待を私に抱くならば、あえてそれには応えない。私はニッポンキリスト教の牧師像とはまったく異なることを意図している。

ニッポンキリスト教では牧師は信徒が期待する役割を演じ、信徒は牧師に求められる役割を演じており、ひとつの人工的な言葉を共有するのみで、互いの実体に触れることができない。共にガラスケースの中に生きている。

私から見て、すでにニッポンキリスト教はほとんど準カルト化している。

なかなか・・・です(汗)

しかし早いですね、すでに3月。今年もほぼ1/4が終わらんとしています。ルーフバルコニーから冬は富士山がきれいに見えるのですが、日の入りがぐっと北よりになってきています。

う〜む、この春休みにわが部屋の整理を徹底的にと思っているのですが、体がなかなかついていきません。特にこの時期は季節の変わり目でホルモン支配が変化しますので、体がだるくなるわけです。収納家具などは整ってきているのですが、これからトランクルームのあの大量の荷物をもってきて・・・と考えただけで、ボーゼン自失として、めげております。

さて、さて、ポツポツと整理を再開しましょうか・・・。そうそう、この休み中に1日人間ドッグにも行ってこないとね(1年おきに受診しています)。部屋のオーバーホールと共に体のオーバーホールも必要です。

いわゆる検診で出る「正常値」はあまり当てになりません。これは集団の統計学的正常値であって、必ずしも個人の正常値とは一致しません。私は自分の献血の血液検査値を20年にわたって観察しているのですが、個人の正常値は個人のデータの経年変化を追跡する必要があるのです。これはうまくデータ処理しますと初期胃がんなども検出できるのです。

ちなみに私は他の項目には異常はないのですが、なぜか中性脂肪が高いのですね。酒は飲みませんし、食事もきわめて質素で少食なのですが、甘い物に目がないためでしょうか。それと肺の換気機能が弱いのです。肺活量は5500ccもあるのですが、いつもこの検査で引っかかります。幼少時、東京の下町で車の整備士をしていたオヤジの仕事柄、排気ガスを吸って育ち、気管支炎をやったせいかもしれません。

それにしても、「やらねば・・・」と思っていることは多々あれど、体がついていかないこのもどかしさ。歳のせいとは思いたくありませんが・・・。

追記

辛口ミニストリーのSaltさんが実に面白い日記を書いています。カルト国家アメリカと無責任アメリカ人、これはニッポンキリスト教の喜ぶ"ヨイショ預言"をする"油注がれた"輩にも言えることです。

seasoned with Salt→
http://app.memorize.ne.jp/diary/24/57910/

アウトブレイク

ついに自衛隊まで出動です。昔映画で「アウトブレイク」というのがありましたが、これを観た後は映画館とか人ごみが恐くなったものです。

鳥インフルエンザが恐いのは人のウイルスとハイブリッドになることです。これで人に感染するとこれまでに免疫がありませんから、数百万、数千万が死に至ることにもなりかねません。

京都では絶望的な声明も出されているようですが、ここはぐっと冷静になる必要があります。浅田さんへの非難と情報の共有を切り分けて対処しないと、今後感染が出ると、エイズやハンセン氏病の差別問題のようにもなりかねません。

私は一部の聖書預言学者のように「地震に、戦争に、飢饉に、疫病と・・・これも聖書の預言どおりですね」と、高みからのもっともらしい批評はしたくありません。あくまでもこの時代の当事者として関わっていきたいと願っています。なぜなら神はこのような人間と共にいます方、インマヌエルなる方であるからです。

追記

マスコミはこのような時、自分たちこそ正義の使者みたいなノリで書き立てるが、今回の浅田さんは追い詰められると自殺の危険もある。社会が少々ヒステリックになっているようだ。

鳥インフルエンザとリバイバル

牛がだめで、鳥までもアウト。肉は当分食べられないと思いきや、Volksではオーストラリア産の牛のステーキを食べることができました。

しかし今回の京都の浅田さんは気の毒としか言えませんね。彼らの落ち度でウイルス感染が起きたわけでもないのですが、事後処理が問われて刑事告発までもと・・・。もっと迅速な対応があればと悔やんでも遅いですが。

このような時人は、「もしかすると・・・」と思っても、「いや、うちに限って・・・」という思考パタンを取るものです。思い込み(presumption)なのです。もし私が当事者であったとしても、そのように考えたかもしれません。前の雪印の時も同じようでしたが、雪印は自分の落ち度に対して処理が悪かったわけで、自業自得。今回とはちょっと異なります。

主は言われました、「得ようとすれば、失う。失えば、得る」と。このような時には「捨てること」が鍵なのです。ニッポンキリスト教もリバイバルを"得よう"として、アメリカ産の"油注ぎの器"を全頭検査もせずに輸入してきていますが(下手すると霊的BSEが蔓延しますよ)、リバイバルの鍵はまず失うことにある事を理解すべきでしょう。

教勢を得ようとか、1000人教会だ、一万人礼拝だと、真理を曲げて、人に媚びる"福音"を語りつつの現状、どうして聖なる御霊が働かれるでしょうか?それに仮に一千万人が救われたとしても、現状では教会が彼らを霊的に養うだけのキャパがとてもありません。躓かせて散らすだけでしょう。主の時ではないのです。

鍵は、得ることではなく、まず失うことです。

 * * *

サーヴァをApacheとADSLに変えてからレスポンスが格段によくなっていますが、今度はServletを走らせるために、Tomcatをインストールしています。つまりサーヴァサイドJavaを実行しようと言うわけ。

これはGroupwareと言いまして、組織のメンバーで情報を共有するためのシステム(情報ファイル・出退勤・出先・スケジュール・名簿・稟議書・決裁書・掲示板など)を構築するためです。こうすることできわめて円滑な組織運営ができ、しかも自立型の行動を取ることができるわけです。

今、すでにFTPサーヴァは立ててあり、これまでの私のMSGや音声ファイルなどを共有できるようになっていますが(一般公開はしていません)、さらにこれを推し進めようと言うわけです。これでどこからでもアクセスすることができ、情報を共有することが可能となります。

ところが例によってUnix系ですから、設定がややこしく、頭を痛めております。しばらく苦しみますね。