最近の日記

認知的不協和の理論と腰痛の関係

フェスティンガーは中国などの共産圏で行なわれていた洗脳やマインドコントロール(MC)のメカニズムを研究して、この基礎理論を提唱した。

人は自分の魂(知・情・意)や体の要素の間に違和感(不協和)を覚えると、他の部分を変えつつその違和感を最小にするように自らを変える性向がある。カルトや一部の"正統な"教会においてもこれにもとづいたMCが行なわれている。

このようなところで苦しんでいる人と話をすると、ある一定の傾向があることが分かる。つまり彼らは今の自分の状態がおかしいことを、自分の責任に帰している。"油注がれた"エライ先生がある教えをしたが、自分はそれに従えないし、その通りにならないことを、すべて自分の至らなさに帰し、自責感でがんじがらめになっているわけ。

私から見るとそのセンセイの教えのほうがよほどカルトなのに、このことに本人は気がつかない。このような場合にも最初の段階で実は違和感(不協和)を覚えているのである。そのセンセイの教えを聞いたとき、「うん?」という一瞬の閃きとして、違和感を覚えるのであるが、「センセイ>自分」という不等式に従って、自分の違和感を抑圧するのである。こうして後は芋づる式にその教えの体系を吹き込まれていくうちに、最初の違和感は忘れられ、ボンデッジにはまる。

MCに落ちている人をカウンセリングする鍵は、その芋づるの教えの問題点を暴くことではなく(これは労多くして実りがない)、最初の違和感を思い出させてあげること、そして自分のその感覚的判断を信じてよいという確信を与えることにある。こうしてその本人は芋づる式の教えの体系も自ら解くことができる。

今回、私は腰を痛め、あまりにも治りが悪いので、聖霊様に祈ったところ、聖霊様は私の隠れた罪を示され、徹夜断食祈祷によって、すべてを告白して悔い改め、腰痛の霊を追い出して、サタンから解放されて、ようやく癒されました・・・とっとっと―これはよく聖霊派でなされるちょっとコワイ証の典型パタンですが(私にはほとんどMCのためと見えるのだが、怒られそう)―ではなくて、主は教えてくださいました。「くつを変えなさい。」

実は今の靴を買ったとき、最初にちょっと違和感があったのですが、値が張っていたので、いい靴だと思い込むようにして履いていたのですが、体は嘘をつかないのですね。私も見事に認知的不協和の理論により、粗悪な靴をいい靴と思い込まされていました。御霊はあらゆる真理に導いてくだり、解放して下さいます(^^)

物事の裏表

よく自分はだめだ、自分はだめだ、と年がら年中叫んでいる人がいる。実はこのような人の本心はかなりプライドが高くて、自分を認めてくれ、自分を尊重してくれという願望の裏返しに過ぎない。劣等感は優越感の裏返しである。気の長くない私は、このようは人々には、そのとおりだよ、あなたの言っているとおりです、あなたの信じているとおりになるように、ピリオド、と対応する。

人の心の裏表はきわめて面白いものがある。悩んでいる人の表向きの訴えは、私はほとんど信頼しない。本心は人には言わないものである。またしばしば本人自身がそれに気がついていない。その本人の主訴は実はその人の問題の本質ではない。本質は隠されている。これを直視することを避けているから、苦しむのである。直視することから逃げなくなる時、その人は手がかりを得る。

物事には裏表がある。人の心は特に裏表が激しい。黒を黒し、白を白とすれば、何も問題はないのであるが、それができないからヤヤコシイ。ニッポンキリスト教もこの裏表の激しさは相当のようである。白いもの必ずしも白くなく、黒いもの必ずしも黒くないようだ。事の真実がどこにあるか、これを見分けるのは霊である。

1コリント2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。

主イエスも

マルコ2:8 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。

霊の直覚による識別。このためには霊のエキササイズが要る。

 * * *

本日のMSGの配信ですが、パソコンにちょっとした不手際があり、2,3日遅れますので、御了承ください。

皆さんの声

このページを始めてから、皆さんからたくさんレスをいただくようになり、うれしく思っております。双方向性を目指しております。ただ、ネチッこいのは、私はあまり気が長くありませんので、ご遠慮願います^^。

Aさん:(昨日の医局と教界の類似について)うちの教会では主任牧師よりか、大奥が・・・。

※ニッポンの家庭と同じようで・・・(笑)。

Bさん:腰痛の養生の仕方を細かく・・・

※先輩、ありがとうございました。

Cさん:本当の福音が分かってきました。ルークさんも負けないでください(昨日の日記への励まし)。

※ええ、私は風がアゲンストになるとかえって燃えます。

Dさん:最近の教えの風がおかしいことがますます分かって来ました。鍵はキリストにとどまること、キリストのうちに生きること。神の教えは単純なんですが、人がアレコレ複雑にするようです。

※おっしゃるとおりです。罪とは見当ハズレの意味です。

ネットはいろいろ問題がありますが、主によって用いていただくこともできるのですね。このHPも一応マルチメディアになってきています。あと少しでもっと回線を早いものにしますので、レスポンスも軽くなると思います。お待ち下さい。

BGM、洒落ていますでしょう。スイング・ジャズです。もちろん主を賛美する曲ですよ。ペットはドリカムのバックのラウルです。

怖くなってきました

『白い巨塔』です。里見も鵜飼医学部長に、原告側証人に立つならば日本では研究ができなくなるかも・・・と暗に脅されるわけですが、この場面は実は医学部だけではありません。

教界でも立派にこの手の話があるわけでして。実は私などもある教会の裏の真実を一部で明らかにしたところ、相手の代理人弁護士から訴えるぞ、との通告書を送られたこともあるのです。まあ、もともと公にするつもりはなかったのですが、通告書まで送られては沈黙するわけにもいかず、行きがかり上その通告書も含めてすべてオープンにしてますがね。他にもけっこう有名な偉い"聖霊に満たされた"センセイからコワイ電話をいただいたりとか・・・(これは内々の話ですから、あまり表立てる必要もありませんが)

ある大きな教会で、有能な副牧師も主任牧師の逆鱗に触れて追放・・・といった事件は事欠きません。コワイですよ。医局も教界も。前から言っておりますが、このふたつ、実に良く似ています。

<主任牧師→副牧師→役員婦人会→信徒代表会→末端信徒>

これは

<主任教授→助教授→看護婦長→医局長→末端医局員>

とパラレルです。

特にですね、医局ではナースステーションを丸く治めること、教会では婦人会を・・・なんです(まあ大奥ですね)、物事を波立てないコツは、ですね。やれやれ・・・。特に組織化されるほどにその傾向を強めます。ある教会では牧師に面会する前に、Aさん→Bさん→・・・→牧師というルートをたどらないとならないそうですね。A,Bさん辺りが婦人会なんです。

また医局にはジッツという勢力範囲がありまして、○○大学系列や系列病院が重要なんですね。教会も○○センセイ系列とかありまして、ある地区で聖会を開くには地元の有力なセンセイに挨拶しとかないと後が大変と。系列外の人が無断でシマに入るとエライことになるようです。

ニッポンキリスト教の深部を知るある方が言っておりました、「今○○のカルト化が騒がれているけれど、こうやって表に問題が出るだけ、まだまともな証拠。一番問題なのは見かけがキレイで何も問題が顕在化しない教会ね、むしろ・・・」と。「う〜ん、なるほど〜」と思わずことばに窮してしまいました。

CD:More Than Enoughの直販

少数だけ直販用を確保しましたので、オーダーフォームからお早めにお申し込み下さい。

腰痛の-峠も越えて-歳並みに

と一句詠みましたが、無理はいけませんね。

うかつに30台のつもりでストレッチしてしまいました。この道の大先輩に(^^)湿布の貼り方など、養生の仕方を御指導いただきましてありがとうございました。

本日は大学にて試験監督を3時間連続で、少々腰にハリがきましたが、何とかでした。

しかし日記は朝つけとくと楽ですね・・・。

 *  *  *

CD"More Than Enough"が届きました。今回は直販する余裕がなさそうです。ことば社流通センター経由で流しますので、ライフセンターなどの店頭でお買い求め下さいm(_ _)m

苦しい〜

と言っても、私の腰痛ではありません。古賀氏です。自分を自分で追い込んでますね、この人は。あの辻元氏といい、古賀氏と言い、クリンなイメージの裏を見事に突かれました。誰なんでしょう、この種の告発をする人々は。世の怖さを感じます。

それにしてもペパダインなんて大学はこれまでまったく知りませんでしたが、つい「卒業」に○をつけたばかりに・・・。アメリカのガッコウを出るとカッコウ(箔)がつく、そろそろねえ〜。

前にCLCの洋書部で本を探していると、若い神学生が必死の形相で店員に問いかけていました、「今夏休みで日本に帰っているんだけど、○○という本の訳本ないですかあ〜。試験の対策しなくちゃあならないんですぅ〜」。

この学生、多分親が牧師なんでしょう。二世牧師として立派に講壇に立つためにはアメリカの神学校を出なくては、と。ところがとてもとても学力と霊性が・・・。哀れなものです。この人も、将来彼の"牧会"に与る人々も。

何を求めるのか?

「地の塩ミニストリー」のSaltさんが面白いことを書いていた(彼の書き物はいつも実に面白いですが)。牛どん屋に牛肉がなくなることは、教会からキリストがなくなることと同じだと。またアメリカ産の"霊的肉"はよほど要注意であると。

いや、言えていますよ。アメリカ産の聖霊様現象を求める人たちは何を求めているんでしょうね。不思議な人たちです。霊的BSEにかからないことをお勧めしますが。私たちが食べるのは純粋にただイエスのみです。ペンテ・カリスマで傷ついて道を見失っていた若い姉妹が、イエスの愛に目覚めた証を下さり、ついジーンとしております。彼女が明確に「私はイエス様を信じます」と宣言してくれて、私も大いに励まされました。

You are more than enough, Jesus!

ところでこのMore Than EnoughのCDの到着が遅れています。きょう来たメールによりますと、住所が間違っているとかで、配達不能になっているとか。あれあれ。前には届いているのですがね・・・。というわけで、いましばらくお待ち下さい。

  *  *  *  *

腰のお見舞いのメールをいただきましてありがとうございました。きょうは1日、抗炎症剤を飲み、腰にテーピングをして、休んでおりました。いや、しかし上を向いたまま動けないの切ないものですね。パウロは「地上の幕屋の中でうめいている」と言っていますが、私も早く脱ぎたいものです。

ちょっと参った・・・

以前ストレッチの際、首スジをひねって肉離れを起こしてしんどかったのですが、今度は腰をやってしまいました(汗)。こうやって椅子に座るのがキツイこと。高校の時椎間板ヘルニアをやったのですが、もともと腰が弱いのですね。次女もバスケ選手で、私よりも背が高いのですが、しばしば腰に来ています。家系か・・・。

どうも知らず知らずのうちに、気持ちと体の実情との間にけっこう大きなギャップが生まれているようです。気持ちはまだ学生気分なのですが・・・、これ以上は言いたくないです(苦笑)

希望は:―

 外なる人は日々古びても、内なる人は日々新たにされる(コリント書)

では寝ます。ナイナイ。

神の強制?-真の福音-

BBSでも触れていますが、とても重要な論点なので、採録します:

人には自由意志があるが、人がイエスを信じなければ裁かれるのであれば、実質的には神に服従するしかないわけで、自由意志は形だけになるのではないか、という議論があります。

イエスは「信じない者はすでに裁かれている」(ヨハネ3:18)と言われました。"すでに"裁かれている、のです。私たちは自分の意志によらず、親を選んだわけでもなく、誕生させられたわけですが、その時点ですでに裁かれていたわけです。理由は単にアダムの系列に生まれたからです。私は何をする前にすでに有罪判決を受けていたのです。親が負債を抱えているために、子もその負債をいやおうなく負わされるわけです。何という不条理!!!

しかし神はご自分の罪の無い御子に私たちの罪を負わせ、さらに御子を罪とさえされ、その肉体において罪を処罰されました。御子が死んだ時、アダムにある私も死に、御子が復活した時、私もキリストの系列に生まれ直したのです。この罪の無い御子が他人の罪のために死ぬという究極の不条理が私たちの不条理をキャンセルするのです。かくして私たちはこの死と復活―十字架―という逃れ口から脱出できるのです。

スタローンの『デイライト』という映画に、水中に閉じ込められた彼らが、十字架の根元にあった穴から脱出するという場面がありますが、きわめて聖書的(!)です。アダムに生まれたから不条理を負ったのであれば、そのアダムの系列に死んで、キリストの系列に生まれ直せば、すべての負債はクリアにされる、さらにはキリストのプラスの資産が私のものとなる―これが神の恵みによる救いです。私のわざによらず罪人とされたのですが、十字架を経ることにより、私のわざによらず義人とされるのです!ポイントは「生まれ」の問題です。

鍵は自分がすでに判決を受け、刑の執行を待っている罪人であることを知ること、これは御霊の働きによります。御霊が来る時、罪と、義と、裁きについて、この世の誤りを正すのです。

多くのクリスチャンが自分のわざに頼ってガムバッテ、結果クルシチャンになっています。彼らはこの誕生の系列の問題を見ていないからです。誕生の系列を見るためには死と復活を見る必要があります。そこで私は単なる「あなたはオンリーワン」的"福音"を明確に批判しています。それは神の救いの根幹を無にするからです。このような"福音"がはびこっていることも世の終わりの兆候です。

一方では、大リバイバルの預言だ、新しい霊の流れだ、しるし不思議だ、金歯金粉だ、バタバタ倒れるだ、使徒・預言者の回復だ、教会の新しい霊的次元が開かれるだ、天国でパウロに会ってきただ・・・などの「聖霊様現象」を求めるだけの浅薄な傾向が見られます。聖書は何と言っていますか、「あなたがたは初めから聞いていたところにとどまれ」です!イロハのイに戻ることです。原点に戻ることです。座標軸の原点にはx軸とy軸のクロス(十字架)があり、そこには"0"が書かれています。私は0である、これが真の福音のスタートなのです。

主イエスとの一体感

また家内と映画を観てきた。題して「タイムライン」。タイムマシンで14世紀に戻った考古学者のアドベンチャー。ちょっとドラえもんの長編冒険編みたいな感じ。

  *  *  *  *

わが家のマンションは傾斜地にあるため雛壇式で、バルコニー側は10階、玄関側は1階となる。1階側の向かいは県立の大きな公園、三ッ池公園があるが、この時期ここをウォーキングすると、高村光太郎的に「キッパリと冬が来た」と体がピシリと締まる。高村光太郎は「ぼくの前に道はない、ぼくの後に道はできる」と言ったが、私は「ぼくの前に道がある、道であるイエスがおられる」と詠みたい。

ここは大名屋敷的庭園に3つの池があり、水鳥が優雅というか、寒そうに丸まっている様はちょっとわびしさも感じる。春は桜が満開で、お花見が最高であるが、冬枯れの様もまたおかし。ここを手を広げて歩きつつ祈り、また主を思うとき、主との深い一体感に包まれる。臨在が濃厚にされ、心も、また体もなぜかホカっと暖かくなり、涙腺がゆるむ。

  *  *  *  *

デジカメにはまりそうです。きょうの寒さの中、空には雲ひとつなく、夕日がすばらしかったので、さっそくカシャリと一枚。

題して、「夕日に浮かぶ富士」―
http://www.kingdomfellowship.com/Announce/fuji040123.html

まことの権威とは?

現代的アレンジで唐沢版『白い巨塔』、けっこうよくなってきました。俳優が軽い分、設定などのヒネリがそれぞれに効いており、原作にないスパイスで味を引き締めています。

世の中、すべからく平板化されてきており、東大教授と言っても昔のような威厳はありません、が、それでも医学部だけはそれなりの雰囲気が残っています。しかし最近ではボロが次々に暴かれてきており、最後の"権威の牙城"も崩れ落ちんとしていますね。

(医者にかかるときには二股かけましょう、キレイに言えば、セコンドオピニオンを求めることです。)

対して教界では牧師先生族が懸命に自らの"権威"を主張し、「神に油注がれた牧師に逆らうと聖霊に逆らう罪で、赦されない」とか・・・。こんなことを口走るセンセイからさっさと離れましょう。自らの口で自らの霊的権威の欠如を告白しております。と言っても、牧師の"権威"などはとっくに地に落ちていますが。

クリスチャンは「自分は単なる平信徒」といった価値観に縛られてはなりません。神の前に等しく、みな祭司、預言者、油塗られた者なのです。権威の源は主イエスのみです。主に服すれば服するほど、安息が増し加わり、同時に権威を帯びるでしょう。権威の兆候は平安と安息です。

ニッポンキリスト教がリバイバルするためには、私は体質改善などという漢方処方ではなく、ラディカルな御霊による諸刃の剣である御言葉を用いた外科的オペが要ると思っています。しかし、メディアにはあまり期待できそうもありません。信者一人ひとりにかかっています。

中には牧師の権威の回復がリバイバルの鍵だとのたもう御仁もいるようですが、まあ、言わせておけばよろしい。まず一人ひとりが神のみ前にまず自立すること、これがリバイバルの第一歩です。今ある教会のカルト化が問題となっていますが、実はニッポンキリスト教全体が準カルト化しています。すでに既成の枠組みの中ではできませんね。・・・覚悟が必要です。

この世の子は・・・

光の子よりも賢いと聖書に書いてある。われわれがもしわれわれ自身で、この世の勢力とガチンコ勝負するならば簡単に負けるだろう。私たちの勝利は「キリストにあって(In Christ)」のみ保証される。

民主党の古賀氏が学歴詐称疑惑で渡米して自ら事実関係を調べると言う。しかし飛行場における彼の目がすべてを語っていた。先にも書いたが、アメリカで勉強して「箔」をつけるというオツムの構造で墓穴を掘ることになった。気の毒と言うか、愚かというか。

渡米などするまでもなく、自分が一番良く知っているであろうに。私などはいまだに単位が取れずに留年することが決定して真っ青になる夢でうなされるくらいである。目が覚めて、ああ、夢だった、そうだ僕は卒業したんだ、と安心するのである。

で、実は本件発覚の裏にはもちろんあの人がいる。山拓さん、あなたでしょ。暴いたのは!女性スキャンダルで選挙は惨敗でしたが。古賀氏よりははるかに世慣れている人である、この御仁は。

私がこの世の情報を仕入れるWebに論壇がある(リンクは避ける)。これは泣く子も黙る総会屋さんのページであるが、以前(97年)内部告発として拓銀融資のライベックスが3月に不渡りを出し拓銀は危ないとの予告があり、それが的中し、追って7月には拓銀が破綻したほどに、アブナくも正確な裏情報が集まる。

前に書いた裁判でここが私たちをバックアップしてくれたこともあって、折にふれて覗いているが、生き馬の目を抜くこの世のあり様が手に取るように分かるのである(うちの大学もしばしば話題となっているが・・・やれやれ)。クリスチャンはこの世から隔離されると容易にカルト化する。世に染まらず、しかし世と関わるバランスが大切。主も「あなたがたは世にあるが、世のものではない」と言っている。

軍隊に守られる自衛隊

って、不思議な光景ですね。オランダ軍の兵士はどんな気持ちで自衛隊を守っているのでしょう?

日本はどこかすでに偽り事の上に成り立っています。分析的には強迫反復なんですが。それにしても犠牲者が出ないことと、テロが起きないことを願います。