No.152の記事

主イエスとの一体感

また家内と映画を観てきた。題して「タイムライン」。タイムマシンで14世紀に戻った考古学者のアドベンチャー。ちょっとドラえもんの長編冒険編みたいな感じ。

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わが家のマンションは傾斜地にあるため雛壇式で、バルコニー側は10階、玄関側は1階となる。1階側の向かいは県立の大きな公園、三ッ池公園があるが、この時期ここをウォーキングすると、高村光太郎的に「キッパリと冬が来た」と体がピシリと締まる。高村光太郎は「ぼくの前に道はない、ぼくの後に道はできる」と言ったが、私は「ぼくの前に道がある、道であるイエスがおられる」と詠みたい。

ここは大名屋敷的庭園に3つの池があり、水鳥が優雅というか、寒そうに丸まっている様はちょっとわびしさも感じる。春は桜が満開で、お花見が最高であるが、冬枯れの様もまたおかし。ここを手を広げて歩きつつ祈り、また主を思うとき、主との深い一体感に包まれる。臨在が濃厚にされ、心も、また体もなぜかホカっと暖かくなり、涙腺がゆるむ。

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デジカメにはまりそうです。きょうの寒さの中、空には雲ひとつなく、夕日がすばらしかったので、さっそくカシャリと一枚。

題して、「夕日に浮かぶ富士」―
http://www.kingdomfellowship.com/Announce/fuji040123.html