最近の日記

Dr.ルークに会ってみると

私は書いた物で判断すると、重々しく何やらエラソウなイメージがあるらしいですが、会って見るとライトな感覚で、イメージとずいぶん異なるらしい。昨年暮れにもそう言われました。

インターネットで検索してみると、本もやたらと難しいとかで、そんな悲鳴を上げている人もいるそうですが、ビデオは分かり易いと好評です。

パウロは言っております:

人は言う、「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」。

彼も書き物のイメージと本人が相当に違っていたようですが、私の話は楽しいです^ ^。ここのメッセージを聞いていただければ明らかですが、笑いが絶えず起きています。油塗りがあることはエンジョイがあることです。しかし真理はズバリ語っております。

というわけで、バイブル・カレッジのテープは一般にお分けして好評をいただいており注文が途切れないのですが、これまで一部の方々にだけお分けしていたセレブレーションのテープ(2時間)の領布も開始しました。

メッセージ部分だけではなく、セレブレーションの流れが分かります。最近は私のMSGは1時間に収め(昔は2時間しゃべっていましたが)、全体の1/3程度なんですね。実は2/3が大切なのです。

内村鑑三と武士道

そう言えば内村鑑三も武士道を言っていましたね。彼も儀式と伝統で形骸化した西洋経由のキリスト教をかなり痛烈に批判していました。

実は私も内村鑑三とは少し関係があるのです。私が指導を受けた先生がかつての東大精神医学教室の内村裕之教授(鑑三氏の子息)の弟子でして、私も孫の子になるのですね。

軽井沢に内村鑑三記念館があるのですが、彼の気性の激しさは相当だったようです。下宿で隣人が酒盛りをしていると、大きな額に「酒を飲まずに国を憂えよ」とかいう台詞(「断酒憂国」だったかな?正確なのは忘れました)を大書して贈りつけたとか。逸話は事欠きません。彼の本を読むと私などの毒舌は可愛いものです、ハイ。

私たちの「花」とは?

それは私の才能の開花でもなく、私のハッピーな人生でもなく、私の教会の拡大でもなく、私たちの内なるキリスト御自身です。

2コリント3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます(※)。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

ローマ8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。

ガラテヤ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで(※)、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。

※メタモルフォーシス:昆虫が成長段階に応じて形態を変え、ついには美しい蝶になるプロセス

主のサムライとは

昨日の日記に早速、典型的ニッポンキリスト教徒から御質問をいただきました。「サムライ」とは右翼的ではないか、と。やれやれ、この方の論では聖書そのものが右翼ですね(笑)

聖書には何とあるか見てみましょうか:

Uテモテ2:4 兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。

Tコリント9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。

Tテモテ1:18 私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。

Tテモテ6:12 信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。

Uテモテ4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

ヘブル10:32 あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。

ヘブル11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。

現在の「あなたは神のVIP、世界でオンリーワン、ただひとつだけの花、その花をきれいに咲かせましょう」といった「マショマロ福音」はヒューマニズムに過ぎません。こんな台詞はこの世の代表であるSMAPに歌わせておけばよろしい。

まことの福音に応答するには覚悟を要求されます。つまり「あなたは主イエスのために死ねますか?」と。クリスチャンの美的感覚は「散り様」にこそあります。私たちの「花」は私の「死」の上に咲くのです。

あなたがたは死に至るまで忠実であれ(黙示録2:10)−イエス・キリスト

Dr.ルークの一言映画評−ザ・ラスト・サムライ

家内といっしょに観て来ました。意外でしたね、ハリウッドがこのような映画を撮るとは。

セットや時代考証などもしっかりしていましたし、古い世界の象徴である武士道に生きる勝元と、新しい時代の波に乗り遅れないように小器用に生きる官僚の葛藤をよく描いていました。トム・クルーズはその武士道の霊性に触れて、かつてのインディアン虐殺の良心の呵責から癒されていく。

自らのアイデンティティと民族の誇りを守ろうとする生き方は時代の波に必ず逆行する。最後は反逆者として文明の象徴である機関銃に倒される。しかしその勝元の死に臨んで、官軍がみな帽子をとり、顔を地に伏して敬意を表する場面は泣けました。

このような映画を撮れるハリウッドを見直しました。彼らもある種の深いスピリチャアリティを求めているのです。トム・クルーズが「この地は教会はないが深い霊の存在を感じる」とつぶやくわけですが、非常に面白い。むしろ西洋経由の教会には真の意味の霊性はありません。それはキリスト教文化と儀礼であり、霊的リアリティが欠けています。

『葉隠れ』に「武士道とは死ぬことと見つけたり」とあります。「十字架道」も同じです。今日の、互いに神のVIP、「世界にひとつだけの花〜、オンリーワンでいい」式の、自分の能力を啓発して、ハッピーな人生を送るための"砂糖まぶし福音"のような霊性の浅薄なものはもう十分であろう。

私の本には道元の『正法眼蔵』のことばが書いてあるが、ホンネを言って、礼拝出席者数を密かにオペラグラスでカウントしている牧師などより、禅の師家たちの霊性の方があるかに深いことは認めざるを得ない。

 「十字架道とは死ぬことと見つけたり」-Dr.ルーク

クリスチャンたちよ、今こそ立ち上がり、主のサムライとなる時だ!!!

新年のご挨拶を申し上げます

さて、今年はどんな年になりますでしょう。このサイトも早いもので3月で6年目に突入し、KFCも5月で4年目に入ります。また主が新しい霊的地平を開いて下さることを期待します。

私はカレンダーが好きでして、毎年JCBゴールドカードでただでもらえるカレンダーを楽しみにしている。このシリーズは絵柄が芸術的で、一枚一枚めくることが楽しみです。

それと与勇輝(あたえ・ゆうき)という有名な人形作家(ご存知ですか?)がいっらしゃるのですが、実は私の義理の姉夫婦が彼の日常のお世話しているのですね(芸術家はしばしば日常のことが自分ではできないのです。)。それで彼のサイン入りのカレンダーを毎年もらっているのです。

彼の人形は子供達が多いのですが、何と言うか、生きていると言うか、見れば見るほどある種のリアリティがあり、ついジイっと見つめてしまうのですね。何となく郷愁を誘う世界が展開するわけです。こちらに美術館があります。

「河口湖ミューズ館−与勇輝館−」
http://www.musekan.net/default.asp

こうして、また一枚一枚、主の御前での歴史が刻まれて行きます。

これからもこのサイトを御愛顧いただけますように。

God bless !

行く年、来る年

伊豆の戸田温泉でゆっくりコリをほぐしてきました。

2003年も残るところあと7時間。今年1年の主の恵に感謝し、来る1年に主にある希望をいだきましょう。

BGMはFaith03の"More Than Enough"と言う曲です。主御自身だけで満たされる幸いを歌った曲です。車の中でずっと聴いていたのですが、涙が出て来てしまいます。

Thank You, Jesus, You are more than enough for me!

一神教と略奪主義

と題する論文が、今月の「学士会会報」にあった。学士会は旧帝国大学系大学出身者の同窓会みたいなもので、日本を牛耳っているエライ人々の社交サロンであり、小生もいちおう名を連ねている(余談:この学士会の名簿が裏でかなりの高額で取引されているらしい・・・)

内容は読まなくとも、タイトルで分かるとおり、現アメリカのなしている「正義の鉄槌」は、一神教を奉じる、「絶対的利己主義」に毒された独善的善を押し付けるヤカラのしわざであるとする論文である。やれやれ。

これが日本のハイソの人々の間における聖書観のジョーシキである。アメリカの独善的善を奉じる傾向を持つヤカラは実は特殊な信仰形態を持っている人々であることになぜ気がついてくれないのか。この私のサイトを見てくだされば、分かるでしょうが。

一神教はとかく排他的であり、自分が神につくという信条によって、無意識的利己主義によって毒され、勝手気ままをなす危険な信仰であるというわけであるが、確かにそうでしょうが、一神教を信じる人々の多様性を忘れていませんかね。その「一神教」というカテゴリでひとまとめにするその思考パタン自体が、「一神教的独善的思い込み」と同じなんですがね。

アメリカのしていることで、「一神教はコワイ」という刷り込みが、徐々に、しかし確実に蔓延していることは由々しきことです。

  *  *  *  *

このところテープとCDの注文が殺到して、一日中テープコピー作業で追われました。ご注文をいただいてから少し時間を要しますので、お待ちくださいますようにお願いします。

では、あす、温泉に行ってまいります。帰ってから31日にまた書けるかも知れませんが、取り急ぎ、みなさんも良いお年をお迎え下さい。

God bless the coming New Year!

結婚式が無事終わりました

新横浜グレースホテルのチャペルにて若いお二人の新しい出発の証人として、司式を執り行いました。披露宴では新婦が可愛らしく、初々しいお二人でした。またMr.マルークの超魔術(チョット魔術とも言う)もうまく行きまして、皆様に「ほお〜」と言っていただけました。未信者の方々がいますので、けっこう気を遣いましたね。でも楽しかった。

God bless them!

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やっと新しいCDが入荷しました。今回も油塗りのある曲ばかりです。アップテンポなものから、バラード調、さらには賛美歌調まで、エンジョイできます。二枚組、エンハンストCDですので、PCのCDドライブに入れますと、ビデオ(要Quick Timeプレイヤー)や楽譜・歌詞OHPシートなどがご覧になれます。

定価:3,200円(税別)
※KFMからお買い求めいただけますと、税は不要です。

わが家族のこと

やっと大学が終わった。今年は入試日程のために、年内の講義が例年よりも1週間長かったが、この1週間がえらくこたえた。ふー。

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わが家の子供たちも19,17,15歳となり、それぞれに今年1年を送ったようだ。

長女は管理栄養士を目指して大学とバイトと自動車教習所を回ってけっこう忙しくしている。忙しいことはいいことだ。彼女は一見矢田亜希子(「白い巨塔」の東教授の娘役)みたいな雰囲気で、茶髪・ケータイ・ブランド物を好み、クールな感じがするらしいが、実はかなり男っぽい(うちの娘たちは人形遊びとかままごとをしたことがなかった)。自分でも分かっているらしいが、徹底して利己主義を通している。つまり自分に益になることは打ち込むが、益にならないことは適当に流す。これは私のスタイルでもある。風呂に入りながら本を読んだりと、りっぱなオジンギャルである。

次女は藤田朋子みたいな雰囲気であり、家ではけっこうヒョウキンであるが、外では人との距離を保つタイプのようだ。バスケで有名なために、そこそこ人気があり、多くの友人に慕われているが、本人は人にまとわりつかれるのは好まないらしい。長女は高校の先生とも気楽に話し、けっこうなつくので可愛がられたようだが、次女は先生に対してはサラッと流しているようで、先生が寂しがっている。

長男はクールを装ってカッコをつけているが、実は甘えん坊であり、気が合う先生には遠慮なくうるさくしゃべる方で、可愛がられている。身長も私よりも高く、筋トレでそこそこのボディラインがあり、女の子からプレゼントをもらったりしている。顔はスケートの清水選手とボクシングの畑山を足して2で割ったような感じだ。23日は空手の選手権で準優勝を取った。

私はスポーツではロクな思い出がないのであるが、次女のバスケと長男の空手は意外中の意外。女の子にももてなかったなあ〜。昨年は長女が大学受験、この3月は長男が高校受験、次年度は次女が大学受験と、いやあ〜、荷が重いですよ。まあそれぞれに世との関わり方を学んで欲しいと思っている。クリスチャンの子供たちがおかしくなるケースが多いのは、隔離策的温室培養をしてしまうからだ。世の様を体で学ぶ必要があろう。

かくしてわが家の1年も無事に終わりつつあり、主の恵に感謝するだけであるが、一方で今日自衛隊の先遣隊が出発した。願わくは彼らの家族も悲しみに会うことのないように神の憐れみを祈りたい。神の救いが家族単位であることは感謝なことである。

さて、あすは主にある新しい家庭の誕生の日である。God bless them!

刺身が食べたい

きょうはまた休みが取れ、ゆっくりできました・・・と言いたいところですが、何やかやで追われておりました。あす1日の講義で大学は終わり、あさっての結婚式と主日のセレブレーションで仕事納めです。

目の前に温泉がチラチラとして来まして、あと一歩だ・・・と歯を食いしばっております(笑)刺身の美味いのを食べたいぞ。刺身と言えば、昔九州に仕事で出張した時、福岡空港で寿司屋に入ったのですね。すると時価の大トロがあるので、それを2カンと寿司一人前頼んだわけです。

大トロもあっさりと食べて、いざ勘定をしてもらうと、「五千円になります〜」とのこと。「えっ!」と一瞬頭が真っ白になりまして、頭の中で計算機がフル回転、「寿司一人前は1500円だから・・・ええ!・・・大トロ2カンで3500円!?」しかしここで取り乱してはみっともないので、落ち着き払ったフリをして、大枚の五千円を払って店を出た次第。冷や汗でした。しかし3500円の大トロの味が、記憶がブラックアウトしており(トラウマだ、PTSDだ)、どうしても思い出せないのです。

教訓:時価物はコワイ・・・

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アーミテージ国防長官が、「日本は国連との関係よりも米国との関係の方が重要であり、国連は二の次である」と堂々と言い出しましたね。イギリスに継ぐ重要な同盟国であるとも。どうも子ども扱いされていると感じるのは私だけでしょうかね。結局イラクへの拠出金も日本がダントツです。あと借金も棒引きにしろとも。

アメリカとニッポンの腐れ縁は、貢いでも貢いでも一人前に扱われない女と、他に本命がいるのに貢させることを目的に彼女をおだてる男の関係に似ていると感じているのですが。小泉さん、昨日中曽根氏が「もっときちんとしたビジョンを立てないと、人気はある時に急速に落ちるぞ」と"預言"していましたよ。
 
三島由紀夫ばりに、小弟もこの国の行く末を憂います。

ニュースの裏

今回、TBSのニュースの50年の歴史の特番をやっていた。ある時期に新聞のラジオ欄からテレビ欄に比重が移ったことを聞いてとても面白いと感じた。

人の感覚器でもっとも発達しているのが視覚野である。これは後頭部にあるが、目の網膜に写った光景を神経系での信号処理(まだよく分かっていない)により、視神経を通して、視覚野で統合される。

ところが最も欺かれるのも視覚である。私たちは自分が見ている物がリアリティと思うと大きな間違いで、すでに目玉において信号処理している段階で、ある種の歪が入っている。

例えば幻覚があるが、これは統合失調症の方ばかりでなく、実は私(一応正常と思っていますが^^)も見ることができる。シュルツの自律訓練法という一種の自己催眠のテクがあるが、私はこれで自由に変性意識状態に入ることができる。この時自律性除反応という筋肉の不随運動(ケイレン)などが起きてくるが、視覚野にはきれいな何色もの模様による幻覚の世界が展開する。また脳には電気刺激などによっても諸々の感覚を起こすことができるが、これはリアリティではない。

私たちがニュースに接する場合も実はその内容はすでに相当に歪曲されている。よくあるのはイスラエル側とパレスティナ側の情報合戦である。共に相当に歪曲された情報を意図的に流し合っている。コップに水が半分入った状態を、ある人は「まだ半分もある」とし、ある人は「もう半分しかない」とする。これで事実に対して色がつく。

今回カダフィがアメリカに降参し、他のテロ支援国にもアメリカに従うことを示唆したようだが、どうもカダフィとの交渉はすでに数年前からなされていたようである。しかしあえてこの時期に発表することにはどうもアメリカの意図がある。イラク戦の泥沼化を誤魔化すためである。日本に入る情報はまず真実を反映していないと考えた方が良い。この国では第1次情報を得ることはまず不可能である。特にクリスチャン・メディアはまだまだ幼稚である。情報をどのように処理し、判断をするか、神の言葉には鳩のように素直であり、世の言葉には蛇のように聡くあることが要求されている。

民主的方法による独裁

久々にdutyから解放されて、ゆっくりしております。これを書いたら熱い風呂に入る予定。その後は、ぼお〜っとするつもりです。

BBSにkawaさんがリンクして下さった歴史の高校の先生のサイトは面白いですね。中でも

「民主的方法によるナチス独裁への道」
http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub311.htm

は一読の価値があります。

現在、「自由と平等」に旗印の下、市場経済と民主主義が絶対善であるかのような錯覚を大衆はいだいています。これが大義となり、これが水戸黄門の印籠となっています。政治家も盛んに「国民のため」と叫びますが、ウソであることは明らかです。「民主主義」なるものは他の手法に比してとりあえず実害が少なく見えるシステムに他なりません。

小泉とブッシュと、彼らのキャラを診て分かることは、短絡的であること。物事を彼らの物差しで白黒切り分け、きわめて短絡な行動をする。「ポピュリズム」と「民族主義」がキーワードになると前に書きましたが、まさにその具現者です、このお2人は。小泉氏の国会答弁などは、小学校のクラス会での発言と同じ。口をとんがらかして「そんなこと言ったって、今はアメリカと同盟することが一番大切なんですよ!」と。浅薄な人物である。

すでに「民主主義による独裁」が行なわれていることに気付きませんか。民主主義システムを動かすコツは、大衆を取り込むこと、それには金です。ブッシュもすでに民主党の全部の候補の資金量をひとりで集めているそうです。騙されてはなりません。「自由・平等・博愛」なるスローガンでマインドコントロールされているのですね、現代社会は。そのようなものは幻想に過ぎません。真理は「神主主義」にあります。

民主主義−絵に描いた餅。実は愚衆政治に他なりません。日本もまたまた危ない方向に入ってしまったようです。大衆を誘導することはきわめて容易です。サタンによるマインドコントロールの手法はきわめて巧妙になっています。

カウボーイ・ブッシュ

かの悪名高きカダフィ大佐が大量破壊兵器の開発を放棄、さらに査察を受け入れると言い出した。80年代にはよく聞いた名前であったが、まだ健在でいらっしゃったようだ。

これでブッシュはフセイン拘束とカダフィの敗北宣言で、TVでもホクホク顔である。どうもこの男は自分が小男であることをさらけ出すパーソナリティのようだ。完全にカウボーイ・スピリットに酔っている。ブッシュは聖書預言の重要なキャラを演じている節もあるようだ。今アメリカではトム・クルーズの「ザ・ラスト・サムライ」が大ヒットのようであるが、大衆も政治家も何かに酔いたいのだろう。

ブッシュは次期選挙でも大勢優位だそうだが、この小男カウボーイによってかき回された世界は、今後10年、20年と後遺症を引きずることであろう。しかし艱難前携挙(最後の7年の前の携挙)を信じている人々にとっては、自分はすでに地上にいないのだから関係ないわけで、むしろこの混乱は主の再臨を早めるというわけである。主が来るからすべての仕事をやめて、シャワーを浴びて、白い着物を着て、屋根に上っていた人々もいたようであるが、どこかおかしいよな。

私も15年前にマンションを買った時、「もうすぐ主が来るのに、マンションなんか買ってどうするの?」と言われて唖然としたことがあったが、教会が大艱難を経ないという説はちょいと虫がよすぎる。むしろ教会は今後大いなる苦しみに入るであろう。成熟するためである。