最近の日記

実体と影-株価と電子運動-(ちょっと訂正)

前に私が株でマンションの頭金を作ったと書いたら、Dr.ルークがそんなこの世的なことをしていたのですか?とレスをいただきました。

やれやれ、私は聖人君子ではございません。株には熱中しましたよ。パソコンで分析ソフトを作ったりとか。おかげで経済政治とこの世をたっぷり勉強しました(笑)。それに前にちょっと書きましたが、アメリカのオフィス・ビル投資にも手を出して、集団訴訟して大勝利したとかね。結局残債160億(訂正)をチャラにして、なお7億5千万の和解金を取りました。8年に渡る戦いでしたが、楽しかったです。今はなき長銀などの前でプラカードをかかげてシュプレヒコールをしたりとか。

ちょっとお話しましょうか。裁判はですね、特に民事は法廷の外で勝負がつきます。私たちの場合、途中で裁判官が変わったのですが、コイツが元修習所の所長とかで偉ぶっていて、被告の大企業の顔色ばかり見るわけ。そこで私は専門のプロファイリングで、彼の弱点がすぐに見抜けましたので、丁重に一筆したためたのですね。これが図星でして、彼は次の期日から最後までわれわれのペース、ヘコヘコとね。おかしかったですよ。私がどんなことを書いたと思います?(あのね、人の前で偉ぶっている人ほど実は弱い人なのです。弱点を突けばコロっと逝きます。)

ところで株価について卒研生にシミュレーションをさせているのですが、今流行のデリバティヴという金融派生商品があるのです。これはブラック・ショールズ方程式という、伊藤型確率微分方程式をいじくって誕生したものなんですが、これをEXCELで解かせるわけです。これで株価が予測できて、変動部分をすべてキャンセルして、確実な投資が可能となるのです。

また同じ原理で、ニュートンの運動方程式にブラウン運動の搖動項を入れると、電子の運動がシミュレートできるのですね。これで確率論的なシュレーディンガーの波動方程式を解かずとも、電子の振る舞いが見えるようになります。株価と電子の運動は思わぬところで結びついているのです。

で、何を言いたいかと言いますと、実は株価も電子の運動も影に過ぎないのです。その実体が何であるのか、実はサイエンスでは分かりません。この世のもの、物理的現象も、精神的現象も、実は影です。サイエンスはモデルを作り現象と数値を比べて、現象を記述することで満足するわけです。HOWには応えてもWHYには答えられません。では真の実体・本質・実質は何か、これはキリストです(汎神論を唱えているんではないですよ)。キリストが扇の要であり、キリストがなければ、すべては影、空の空、虚無、ナンセンス。究極の実在はキリストだけです。

この世はもちろん、昨今の教界でもキリスト抜きになっている風潮を危惧しています。霊的になる、あるいは聖化されるとは、このキリストの人間性を内に形作ることに他なりません。真に人となることなのです。聖霊派によくあるような霊能力を得たり、パフォーマンスをすることではありません。私たちの善行や奉仕なども、実体であるキリストを抜いたら単なる中空の殻です。すべてはキリストにあって、キリストのために創造されたのであり、万物はキリストに帰されるのです。

見かけに欺かれることなく、本質を見抜くこと。今後多くのクリスチャンは欺かれます。サタンの終わりの時代の策は、偽りであり、私たちを欺くことです。立派な神学やミニストリーや預言や伝道法や、センセイたちが現れるでしょう。「肉の欲、目の欲、暮らし向きの誇り」が3つの誘惑のルートです。ここに訴えるものはたいてい偽りです。

主は今どこにおられるか、人の注目しない、誰も気に留めない、みすぼらしい、カッコの悪いところです。大衆が熱狂するものは大抵嘘です。ブッシュの不意打ち的イラク訪問―ハリウッド映画のような演出お見事さん。ミエミエですがね。

(ヒッソリと)実はですね、転換社債と株の空売りを組み合わせますと、株が上がろうが下がろうが絶対に益が出る投資法があるのです(会社がつぶれない限りですが)。これを「逆裁定取引」と言います。これもですね、人々が知らないから有効なんです。みんながこれに飛びついたらダメになりますから。株でも本当に儲けている人はコツコツとね、表には出たがらないものです。

※ルークさんの専門って何なんだ?という声(笑)
私はなるべく「バカの壁」に囲まれないように、広く浅くでやっています。

世界大戦の予感

と題して、田中宇氏がまたレポートしている。CFRなどの報告書も元に、かなり差し迫った分析である:

http://tanakanews.com/d1127iraq.htm

私も昨年の冬のコースでかなり煮詰まっていることを講義したが、その後すぐにイラク戦が開始された。次はシリアであることも訴えてきたが、かなり切迫感を覚えている。国際ジャーナリストである田中氏もそんな予感を覚えていることにある意味で怖れを覚えている。ケータイ猿化で平和ボケしている場合ではなくなってきた。

アイデンティティと身の置き所

さっき校長の自殺の件を書いたが、この人も物が見えてしまったのだろうと思う。吉田兼好は「徒然に物を書いていると、世の事態が見えてきてしまって、狂ってしまいそうになる」と言っているが、私などもクリスチャンになっていなければどうなっていたことか。現代では庵を結ぶわけにもいかず、できることは永平寺あたりに入ることだろう。道元には憧れていましたからね。あの凛とした空気は身と心が引き締まって背筋もシャンとする。

私の場合、どうしてやっていられるかと言えば、霊と魂の切り分けができているからでしょう。ここでいろいろな病理現象を切り刻んでいると、何の希望もないような気分にもなるが、実は霊に戻る時に、真の自分のアイデンティティを確認し、あらため本当の身の置き所を見出すわけ。自分を取り戻すことができる場所、それは真の至聖所である霊である。心の底からほーっと息がつけ、父の愛がじわーっと迫ってくる。

神の子であり、居場所は霊のうち―ここが開けると物狂おしいこの世(教界も?)でも真の自分を保つことができる。多くの混乱しているクリスチャンは魂の中を果てしなくぐるぐる空回りしている。魂と霊が分離されるならば、ただちに安息に入ることができ、まことの満足も得られるのだが。

ニッポンキリスト教の普通の牧師で、霊と魂の分離などというメッセージをするセンセイはいないし、そもそも何のことか彼らには分からないだろう。いわんやその下にいる信徒をや。弟子は師を越えないとあるとおり。これが教界の果てしないややこしさの理由である。

私と接触するとそれぞれの方がどうも目覚めるので、それまでの生き方に対しても、周囲に対しても、いろいろと白黒をつける必要が出るようである。「うちのセンセイのおっしゃるとおり」であればある意味で自己責任を放棄して楽なのであるが、目が開くと責任と苦しみも背負い込むことになる。バイブルカレッジの受講生の方々もいろいろ自分と周囲に変化が起きてきて戸惑う場合も多いようである。まず霊が開かれるとクリ系の新聞や雑誌を読んでも無意味。またいわゆるキリスト教の慣習や伝統、人の様や評価にも無頓着となる。

なぜなら今この瞬間にいます実質(=ありてある)に触れているからである。かくしてそれぞれが主の前にまず単独者として立って、「あなたはわたしに従いなさい」という主の招きに応ずることがすべてとなる。それは一面孤独の極致であり、人間的な慰めを求める人には耐えられない。しかし実は最も甘美な状態であるのだ!この甘さを経験するならば、目に見えるものは瞬時に意味を失ってしまう。

Jesus, You are so sweet and more than enough!

熱血校長の自殺

「新米校長奮戦記」などの著書もある55歳の校長が自殺したとのこと。以前、日の丸の掲揚で悩んだ校長が自殺したが、今回は何が原因であろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031126-00003036-mai-soci

私の友人の高校の教師や、予備校の先生で高校をやめた方の話を聞くとある意味理解できる部分がある。キーワードは「ナンセンス(無意味さ)」である。

昼間は事務処理に追われ、授業がむしろ息抜きであると田舎の友人の高校教師は言っている。夜中に警察から電話が来たり、子供が行くえ不明だと親が泣きついてきたりと。神経が休まる暇がないらしい。

先にBBSに「存在の耐えられない軽さに耐えかねて」と書いたが、これはキョーイクの現場が一番証明している。積み木の積み方を教えられたとおりに、何度も積んでは崩して、また積んでは崩して・・・このような無意味さというか。(まるで小泉さんと管さんの論戦のようだ・・・・)

ソロモンの嘆き−「空の空、空をつかむがごとし」−である。

アメリカとイスラエルの共通病理−パラノイド−

田中宇さんのレポートにまた面白い記事があった。

イスラエル化するアメリカ軍:
http://tanakanews.com/d1125iraq.htm

イスラエルではヨルダン川西岸に塀を張り巡らせ、パレスティナ側と隔離策を取っている。くねくねと入植地を取り込みつつ、ややこしいリアス式海岸のような塀を張り巡らせている。テロリストの侵入を防ぐためだそうだ。

一方ブッシュは次期44兆円の国防費を計上し、小型核爆弾の開発も再開するらしい。相変わらず強気の発言であるが、裏は戦々恐々である。

この二つの困った国の共通項は何か?パラノイドである。いずれも外側に強気を押し出せば出すほど、実は内側の小心さを証明している。弱い犬ほどよく吼えるとあるとおり。

かつてはソ連とアメリカで拮抗する形でパラノイド状態がある程度で収まっていたが、ここへきてヴァーチャルな形で仮想敵国を作り上げ、ドン・キホーテよろしく風車に突進する有様を呈している。

パラノイドの特徴は自分が敵意を持てば持つほど、それを相手に投影し、さらに恐れをいだき、敵意を増幅すると言う悪循環に陥る。チンパンに鏡を見せると、自分の姿に攻撃を仕掛ける、すると鏡の中の自分を見てさらに恐れ、攻撃すると言う、まさにひとり芝居。ブッシュとユダヤ人の狂言芝居に巻き込まれる者たちはかなわない。

猿化ケータイ社会−喪失した当たり前−

先週の金曜日、ひとつの講義の日程を変更した。4日前に学務連絡の掲示板で告知しておいたにもかかわらず、きょう訪れた学生はひとり。他の連中は掲示板を見ていない!

この来た学生もいつもは掲示板を見ていないが、私が教室に顔を見せなかったので、念のため確認したら日程変更に気がついたというわけ。

一方でケータイを肌身はなさず、絶えずカチャカチャやってないと不安になる連中がいる。コミュニケーションのアンバランス。大切な掲示板による情報伝達には無関心で、ケータイではつねに相手とつながっていないと不安になる。

どこかいかれています。ある動物学者は「ケータイを持った猿」と嘲笑してしますが、まさに猿の社会。彼らは絶えずある種の声を出しつつ、相手を確認していないと不安になる習性を持っているそうです。同じです。

と、同様に教界でも、絶えず慰め、励まされ、愛されていないと自分の身を持て余す人々。大切な主イエスとの交わりはどこかへ行って、互いの温もりを確認していないとやっていけない甘えの病理。

何でしょう、この危うさ。当たり前が当たり前でない部分を、当たり前でないところで、失った当たり前を補償しようとしているわけです。悩んでいる人々よ、当たり前を当たり前に行いなさい。「悩んでいるからできない」とは言わないように。主は足なえに向かって「立って歩け!」と言われました。

信仰は行いによって全うされるのです。

ケネディ暗殺の真実2

ニュースステーションによると、当時の副大統領であったリンドン・ジョンソンとその顧問弁護士クラーク氏による陰謀だったとの本が出たそうです。物理的証拠なども提出されており、信憑性はかなり高そうです。

ジョンソンの陰謀説は以前から出ていましたが、やはりという感じですね。裏には石油利権などもからんでおり、現副大統領チェイニー氏と似ています。

みなさん、アメリカを自由と平等の理想国家とする幻想はもう終わっています。私が前から指摘しているとおり、霊的にはメーソン、政治経済的にはユダヤ人によるシカケがあるのです。「ユダヤ人の陰謀」は聖書の言葉です(使徒行伝20:3,19)。

アメリカはある種のカルト国家です。民衆はみなナイーブで、ある意味幻想に酔いつつ欺かれています。感傷的で直情的な親イスラエル・クリスチャンもそろそろ目を覚ますべき時期に来ています。彼らの精神構造はすでに「論考」でも分析しているとおりです。彼らもすでにカルト信者の病理と同じです。

すでにイラクもベトナム化し、ノドを掻き切られる米兵も出ています。イラクの人々のアイデンティティを否定し、自尊心を傷つけた代償は大きいのです。

さあ、小泉氏はここで男になれるでしょうか?引けば腰抜け、進めば血の代償。Be A Man, Mr.Koizumi!

甘えの病理

ニッポンキリスト教の種々の問題はほとんどが甘えの病理で説明できるようだ。私も学生時代に講義を受けた土居健郎先生はクリスチャンであり、ベストセラー「甘えの構造」で有名な精神分析学者である。先生の本に「聖書と甘え」(PHP新書)があるので紹介しておきたい。

精神を病む患者さんで年季が入ってくると、薬の知識や精神療法の知識だけは豊富になる人が多い。そしてあの病院のこの先生はかくかくしかじかと、実によく医療の裏話を知っている。これは教界でも同じ。私の元に来る人で、実によくニッポンキリスト教界の裏や有名どころの先生の裏を知っている者がいる。

初めは私もものめずらしく聞いていたが、そのうちに面白いことに気がついた。このようにあちこちを放浪しているジプシークリスチャンの場合、その深層心理に裏切られた甘えが潜んでいることが多い。つまり彼らは教会や先生に対して、自らの甘えの満足を求めているのである。

そこでこのような人の場合、その人の甘えの要求に沿わない場合、容易に次の放浪に出るわけである。そしてこのような人物はあちこちでこのような裏話をするわけであるが、自分の歪んだ目で見た"事実"を話すわけで、その話は信頼できない。真にイエスのみに焦点付けられている人は、そもそも他人に期待することがない。言葉の多弁さと信頼性は互いにトレードオフ(反比例)である。

私のところにもかなり多くの人が出入りしたが、Dr.ルークに躓く者は結構多い(苦笑)。私はニッポンキリスト教の牧師のようにニコニコ(しかし目が笑っていないが)、何でも受け入れますよ、といった対応はしない。ある時期は相手に合わせるが、その間はやたらとベタベタしくるが、相手の甘えが見えた段階では、まずそれを受けることはしない。むしろ彼らの期待と反対に応ずる。なぜなら彼らは自分の甘えを満たすために、人をマニュピレーションすることに長けている。よってそれに一度乗ると、何度でもそのパタンを繰り返す。実に巧妙にして狡猾である。しかも悩んでいることを免罪符にしている。

要するに大人になり切れなず、しかしオツムだけは大きくした者が多い。彼らは知識だけは実によく持っている(耳年増クリスチャン)。しかし自分の内的葛藤は処理できず、周りの人々を巻き込みながら、果てしない泥沼でもがいている。最も深くにある病理は満たされていない甘えである。これは土居先生が日本人の根本病理として提示されたが、ニッポンキリスト教界はまさにその実証例(病理標本)に事欠くことがない。

エレミヤの苦悩

今日また3人の人々がバプテスマされた。ハレルヤ!彼らの歩みが祝されますように。

真理を語ると必ず何がしかのレスを受ける。この世からはもちろんであるが、教界からも、である。人は真理を嫌う。なぜならば、自分が切り裂かれるからである。自分が築き上げてきたもの、自分の才能、自分の能力、自分の実績などなど、これらがすべて無に帰することになるからである。

エレミヤは叫んでいる、自分が言葉を発するとトラブルばかりが頻発する。私が生まれた日は呪われよ!

真の預言者の道である。大衆からは決して受け入れられない。孤独な道、しかし心のうちに神の言葉が燃えて、それを解放さないではいられない。この苦しさに与ることが預言者の宿命である。

目覚めたら、必ず逆風を受ける。お体裁のキリスト教徒のパタンにはまっていれば、何もない。目覚めたら、語らないではおれない。人はそれを嫌う。主は、今、問うています:

 あなたは誰につくのか、十字架の覚悟ができているか?

売られたケンカ-その結末

塾から帰ってきた息子いわく、「アイツ、ショボくなってた」と。ガンつけようとしたら、目をそらしてしまったようです。

息子も唇を3針縫う傷で多量に出血しながらも3発入れたそうですから、相手も相当にこたえた模様。彼の中学はちょいとそっち系で有名で、彼もケンカで鳴らしていたようですが、かえってこういう輩は一度やられるとめげるものです。

私はいつも彼に言っております、"Be A Man!"−主がヨブに語った言葉ですね。

サタンもですね、私たちが権威を行使しないでビビっていると頭に乗るのです。英国のColinが「私たちがサタンをrebukeしなければ、誰がする」と。ハチマキ締めての「霊の戦い」ではなく、rebukeしてやりましょう。

ヤラセの構図

再建主義の富井先生の日記に興味深いことが書いてあった。前艱難携挙説の「レフトビハインド」が5,500万部売れたとのこと※。しかもブッシュもその愛読者であり、自分が預言の成就に貢献していると意識している節があるとのこと。

ttp://www.path.ne.jp/~robcorp/bbs/wwwboard.cgi
(直リンは避けます)

ヤラセですね。ある相場の読みに長けている相場師が、特定の株が上がると予言したとき、それにチョウチンをつける形で株価も上がるわけです。このようにしてできた相場を仕手株相場と言います(私もかつてバブル時代に株をやって、マンションの頭金を作りました)。

すでにヴァーチャルな世界(=ある種の予言解釈)が、それを信じ込んだ人々によって現実化されるという病理現象が起きています。ある面でオウムの犯罪の構図と相似(フラクタル)です。規模が世界的になっていますが。聖書ではなく、聖書の"ある解釈"が世界の悲劇を生み出しているわけです。東京も狙われているようですが。

すでに<現実のヴァーチャル化>がひっくり返って、<ヴァーチャルの現実化>のフェーズに入ってきてしまっているようです。マイケル・ジャクソンも同じですね。ポイントは人々が何を共有しているかが問われます。多数により共有される事が現実化しますから。

※私の弟は翻訳家なのですが、彼が食えない頃、主に憐れみを祈りますと、与えられた本が「ウォーリーを探せ!」でした(ご存知の方も多いでしょう)。これは日本でも1,200万部売れました!(印税で約6億!)主は私たちの祈り求めるところをはるかに超えてかなえて下さる方です。

マイケル・ジャクソンの病理

彼がパラフィリア(性嗜好異常)の一種である少年性愛者であることはそのスジでは以前より指摘されていた。ネバーランドなるオドロオドロシイ場所に少年と過ごしているらしいが、彼は大人や女性は信じることができない、ただ信じられるのは子供たちとして、子供の人権や保護のメッセージの発信し、活動もしていたようである。が、今回の逮捕はその表の顔と裏腹に彼の病理が暴かれてしまった。

成人男性でも成人女性と関係を持つ事のできない"純情な"人物が、少女を相手にする場合がある。成人女性に対する時に自分の真実に触れられる恐れを覚えるのである。先日も書いたが、今日、このような人物がしばしば教育界にいることが不気味である。あの詫間氏による小学生惨殺事件の後、学校は一応外部者に対する警戒は強めたようであるが、実は内部にすでにそのスジの人物が教師として侵入している。

福祉やボランティアなどの場面でも、しばしば裏で性的(に限らないが)虐待がされていることは業界ではよく知られた事実である。なぜならこの領域ではしばしばスタッフ自身が問題を抱え、その問題を福祉・ボランティア活動により代償的に補償するためのものであることが多いからである。

「自由・平等・博愛」なる旗印は偽りであると知るべきである。神を排除したこの世の真実は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」である。平和主義者や博愛主義者がしばしば最も過酷な攻撃者となることは、十字軍が証明している。

らっきょの皮むき

ある集団がカルト化しているかどうか、簡単に判別するリトマス試験的方法がある。そこのリーダーや信条を批判することである。この時のメンバーの反応を見ることにより、カルト度を測定することができる。つまりメンバーがその教祖や信条にアイデンティティを置いている程度と、反論の度合いは正比例する。

私がよく「聖霊派」を批判すると、しばしばお叱りの声をいただくが、その人が「聖霊派」にアイデンティティを置いている証明となる。私は現在英国のコリン・アーカートの影響の下にいるが、彼が批判されても私が反論する必要はない。私のアイデンティティは彼の上にないからである。

「ニッポンキリスト教」という言い方を嫌う御仁もおられ、私の発言を何かの挑発と受け取るようであるが、その人のアイデンティティの置き所が証明されている。キリストと御言葉がアイデンティティの置き所である時、○○派に対する批判も、××センセイに対する批判も、「It's none of my buisiness(あっしとは関わりのねえ事でござんす)」となるはずである。しかし現在の霊的状況はSaltさんもご指摘のとおり、オーディコロンが必要である。

自分というらっきょの皮むきをして何が残るか、反省猿の二郎君に調べてもらうべきである。

売られたケンカ

昨晩、息子が塾の帰り、他校の悪ガキに因縁をつけられ、顔面を殴られた。不意打ちを食らった彼は一瞬足に来て、クラッとしたらしいが、直ちに応戦し相手は半べそをかいて戦意喪失。彼は口の中を切り、数針縫った。X線では骨折などは観察されなかった。

ケンカのコツはイジイジとやり続けるのではなく、最小限の攻撃で相手の戦意を奪うことである。BBSなどでよくある議論の応酬に継ぐ応酬は疲れるだけである。議論のコツは相手の口を一言でふさぐこと。

サタンは何かと因縁をつけてチョッカイを出して来るが、実はわれわれを恐れている。聖霊派の「霊の戦い」はすでに見当ハズレの「戦い」をしている。聖書をもって神社の周りを「悪霊退散!」と回ったりとか。実にアホらしいし、まさにアニミズム的でありそれ自体がニッポン的。

サタンに処する道も、イエスの十字架であり、「サタンよ、出て行け〜」という私たちの勇ましい声やパフォーマンスではない。すでに彼は敗者である。この永遠の事実を突きつけてやる時、彼は半べそで戦意を喪失する。私たちは空を打つ健闘をすることなく、相手の急所を一撃することにより、良い戦いを戦い抜く必要がある。