* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
私にとっては、定められた祈りの時間も、その他の時間と変わることはありません。・・・特に祈りの時間が必要だとは願い求めません。それは、どんな重要な仕事をしていても、私の思いが神からそれていくことはなかったからです。
少しでも神の臨在から離れると、神は直ちに彼の魂にそのことを気づかされて、再び戻して下さるのです。それは、彼がしばしば日常の仕事の最中に経験することでした。彼は、こういう内なる声に対して、実に忠実に応答しています。彼は直ちに自分の心を神に向け、このような愛の出会いにふさわしい、愛とやさしさとに満ちた、眼差しと言葉によって答えます。
たとえば、「私の神よ、私はここにおります。私はまったくあなたのものです。」すると愛なる神は、この僅かな言葉に満足され、再び彼の魂の中心に住まわれ、安息なされるのが、彼には本当に感じられるように思われるのです。
自分の中にこのような宝庫があることを発見し、絶えず彼は安息と満足とをもって、喜んでいることがお分かりでしょう。この宝庫を不安を持って捜し求めるのではなく、それは彼の前に開かれており、彼が望むものを自由に取り出せる状態にあるのです。−ブラザー・ローレンス
神は、私たちの魂に苦しみがあるときほど、甘い・・・。
見よ、神の幕屋が人と共にあり、神と人が共に住まう
神は遠く離れている神ではない。私たちの心の叫びとうめきを、私たちの内で共有して下さる神。私たちが泣くときは主も泣かれ、私たちが喜ぶときは、主も喜ばれる。すべてをシェアして下さる神。
<<聞く耳のある者は・・・>>
聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。
・・・その違いと代償はあまりにも大きい。
水は万器に従って形を変える。自分の形を主張しない。
兄弟よ、水のように融けてほしい。
あなたとは30,40台と、人生の大半を分かち合った。
ケンケンガクガクの議論もした、すべてをさらけ出して・・・。
お互いに子供たちが生まれると、彼らも一緒になって。
あの頃の場面のひとつひとつが浮かんでは消える。
私が降りるべき部分があれば、いくらでも私は降りる・・・。
「財前っ・・・」とうめいた里見助教授の心境だ・・・。
前から皆さんに覚えていただいているN兄弟ですが、ようやく情報が入りました。それまで東洋医学の"医者"の処方による水療法をやっていたようですが、衰弱の一途をたどり、結局2週間前に大出血を起こして(危なかったようです)、救急車で某大学病院に搬送され、そのまま入院となりました。予測通りの(最悪の)事態です・・・。
周辺組織への浸潤も進行し、おそらくは遠隔転移もある末期的ステージで、医学的には余命は数ヶ月です。正直申して、何をやっているのだ、という思いも強いですが、ここに及んではただ主が働いて最善をなして下さることを祈るのみです。続けて覚えていただけますと感謝です。
につきまして、ある方からspamですよとお知らせいただきました。はい、そうなんですね。
でもね、ココだけの話、前にMicrosoftの新製品のモニターになると、キックバックをもらえるとか言うチェーン・メールがニッポンキリスト教界に飛び交いました。
で、そこにリストされていた教会は結構有名所ばかり、そして先生たちも、ソウソウたる面々でした(ご芳名はヒ・ミ・ツ^^)。騙す方と騙される方は凸と凹のようにハマルのです。