2005年06月12日

ニッポンキリスト教界との付き合い方

BBSに関連して−

これはなかなかヤヤコシイことです。私は次のポイントを心がけています:

前提:この業界はきわめて閉鎖的で、特殊にして病的な空間である。人は閉鎖空間に置かれると精神的におかしくなる傾向がある。

@真理は多数決によらないこと。しばしば人が喜んだり、群れるものは肉に仕えるものであり、肉を高揚させるものである。かえって芳しくない評価をいただくことは真理にあることの証明となる。神の方法は主流派によるものではなく、つねに少数派によっている。

A人の証言にはしばしば偽りや誇張がある。よって人の言葉と争わないこと。特に病的な人の言葉はそうです。認知の歪曲と記憶の歪があります。実際この業界の闇は相当に深い。

B人の評価と神の評価は、たいていの場合、反対であること。人は現象を見て判断しますが、主は動機を見て下さいます。よって人の評価を失っても神の評価を獲得することを心がける。

C人の前で何かを失うことは、神の前で何かを得ること。私たちはこの業界で何かを獲得したり、自分の旗を掲げることは求めない方が幸い。

D自分の人生(特に生活の基盤)をこの業界に預けないこと。私たちはこの世の者ではないが、この世にある者である。いにしえのモーセもヨセフもみなエジプトで訓練を受けている。むしろカナンには親の資産を食い潰している愚かな兄たちがいた。エジプトの学問と富を自分で獲得せよ。

Eこの業界はいのちを賭するに値するところではない。私たちがいのちを賭するのはイエスと教会(エクレシア)であって、教界ではない。

F最後に裁く方は主であり、その裁きは真実である。人の裁きは何ら恐れるには足らない。その最後の場面を常に思っていること。

結論:内にいますキリスト−栄光の望み!

潤−主を知ること−

アップロードファイル 122KB

                 ストリーム

わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れ出で、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される。

Commented by 長谷川 彌由紀 Eメール 2005年06月19日(日)20:11

アーメン!!!!!!!
いのちの道を歩み行かせていただきたいものです。
”神様は、私たちの祈りを必要とされている”
”私たちを、日々必要としてくださることを感謝します”と、祈る(?)牧者:牧師を有難く戴いている我が群れ(地方教会)に留まることの困難を覚えつつ、、、、。