2005年07月04日

God's Presence(4)

アップロードファイル 33KB

                 十和田湖

私は神に至るいろいろな方法や、霊的生活の実践的なことについて書かれている書物をたくさん読みましたが、私の求めていた願い、すなわち、いかにしたら完全に神のものになることができるかということ指導してくれるものはなく、むしろ惑わされてしまうものばかりでした。

そこで私はすべてを得たいために、すべてを放棄するという決心をするに至りました。神にまったく自分を捧げ、神を愛することのゆえに、神に属さないこの世の一切を捨て、この世にあっては、神と私以外の何者もないとして生活を始めました。

時には、神の御前に自分がまるで裁判官の前に立たされた哀れな罪人のように思えました。そしてある時には自分の心の中で、神を私の父、私の神と考えるほどに親しく感じられました。

私はできる限り神を礼拝して、自分の心を神のきよい臨在の中に保ち、自分が神から迷い出た時には、何回でも神のもとに引き返しました。このように訓練することは自分にとっては決してやさしいことではありませんでした。

そして、不本意にも主の御臨在から迷い出ることがあっても思い煩ったり、不安を感じたりしないようにいたしました。どのような忙しい仕事に追われているときも、毎時間、毎分、決められた祈りの時間と同じように、私の心の中に神を覚える思いの妨げとなるものを追い出すようにしました。−ブラザー・ローレンス

手離すこと

6月10日に、若貴問題の解決はどちらか(貴乃花はムリだろう)が大人になって下りるしかないと書いたが、勝氏の見事な肩透かしで幕引きのようだ。彼は弟に花道をつけ、自由でいることを選んだのだろう。そしてこのような場合、モロモロの訴えをした側の歪んだ心の様がむしろ露にされる。