日記

PROUT

バトラ氏のPROUTは教会についても言える。いわゆるメガチャーチの幻惑で眼がくらんだ野心的牧師たちが、その流れを日本に入れるならば、商店街の小さな駄菓子屋的教会は成立しなくなる。すでに韓国では"倒産"する教会が出て、勝ち組みボクシと負け組みボクシとかも出ているとか?ニッポンキリスト教でもデカサによって牧師会での地位と発言力が決まるとか。サル山社会ですな(笑)

「現代の使徒・預言者による宗教改革」とか、肉の欲、目の欲、暮し向きの自慢を煽るにはまさにピッタリのスローガンだ。私は見栄えのしないおっちゃん・おばちゃんによる駄菓子屋教会があちこちに植えられることを願っている。そこで二人または三人がわたしの名によってあつまっているならば、わたしもまたそこにおる、と言う主のきわめて親密な語りかけを聴くことができるだろう。

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秋田の事件は、やはり、でしたね。やりきれない気分です。あのような閉鎖社会においては、人間関係の縺れで自分を見失ってしまうのでしょう。しかしこれからさらに最悪の展開もあり得ます(意味は・・・言いたくない)。これはキリスト教界も同じ。この業界は人を病ませる「何か」が働いています。クリスチャンたちよ、キリスト教界をエクソダスせよ!世にあって生き生きと生きよ!

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村上さんはインサイダーを認めたらしい。LBがらみの取調べで相当に証言があったようだが、金だけで結びついた者たちは互いの利益がなくなれば、さっさとバラバラになるのだ。アメリカ型資本主義の末路や哀れ。

何気な光景

アップロードファイル 86KB アップロードファイル 99KBバルコニーでちょっとくつろいで、これから風呂に入ります。バルコニーからの何気ない光景のショットを撮ってみました。何の変哲もない日常こそがシ・ア・ワ・セなんですね^^いずれ私も盆栽を・・・。

熟睡のコツ

最近は11時には寝ている。遅くとも11時半。12時を過ぎると睡眠の質が変わってしまうので、同じ時間寝ても体調が違う。さらに寝る前に各種ヴィタミン、特にB群とCをタップリ摂って、ホットミルクにグラニュー糖を溶かして飲む。何故かこれが熟睡を誘い、朝の目覚めが爽快感を伴っている。(いや、単に歳のせいだよとの声もあるだろうが・・・)。かくしてこの休みなしの6週間もあと1週間ちょっと。

グラニュー糖ダイエット

ウェイトが順調に減ってきています。空腹感と言うより、飢餓感を克服するのにグラニュー糖がいいことが分かりました。食後に満腹感がないとイライラしてつい甘い物をつまんでおりましたが、グラニュー糖を飲むとこれがピタリと止まります。非常に満足感が得られ、甘い物がまったく不要になります。これは大脳がグルコースを必要とするからなんですね。脳は全エネルギーの20%を消費します。これまで何度かダイエットが途中で失敗したのですが、今回はいける!かつて30台半ばにウエイト62`、ウエスト73aの頃もあったのです。これを目標に・・・。

(写真は恥ずかしいので引っ込めました・・・汗)

iPod

次女がiPodを買ってきて、インストールをしてくれとのこと。iTunesは私も使っているのが、iPodは初めて。実はiPodには因縁があって、チネチッタでルーレットゲームの景品にiPodがあるのだが、これが何度トライしてもダメ。すでに相当の額を投資しているも、取れていないわけ。

で、インストールしたものの、使い方が分からない。散々あれこれいじってようやくiPodに音楽を取り込み、音楽が聞こえるようになった。若い頃は新しい機器のマニュアルを読むのが楽しみだったが、最近はオジサン化しており、目がきついし、読んでも分からん。特にケータイのマニュアルは絶望感しか生まれない。世の中便利になっているのか、不便になっているのか・・・。

在基督的見性発語

午前の講義を終え、昼食を取り、iTunesのジャズを聴きながら、6階の窓から外を眺めつつ、コーヒー片手にゆっくりしております。

救世軍の山谷氏が道元の正法眼蔵についてうれしいコメントを下さった。正法眼蔵を知るクリスチャンはこの業界になかなかおられない。うれしくなったついでに、また一言。

禅には大きく分けて臨済禅曹洞禅がある。方法論的にやや違うのだが、目指すところは同じ。「当たり前は当たり前」。「即心即仏」。「花紅柳緑眼横鼻直」。ちなみに鈴木大拙が鎌倉円覚寺釈宋演の元で得た見性の発語は「肘外に曲がらず」であった。

臨済禅では公案を用いるが、『碧巌録』第三十九則に「雲門花薬欄」という公案がある。

 挙す。僧、雲門に問う、「如何なるか是れ清浄法身」。門曰く、「花薬欄」。

 (注:花薬欄とははばかりの前の植え込みのこと。)

もっとすごい公案になると、

僧問う、「何是仏(仏とは何ぞや)」、曰く「カンシケツ・・・」。

 (注:「カンシケツ」とは「糞かきベラ」のこと。中国にはトレペなどはなかったのだ。)

パウロは言っている:貧に書する道、富に処する道を知り、すべてに満足することを知った―キリストにありて。

今の自分を自分勝手な幻想と比較考量することがすべての不満のルーツ。自分に絶望するならば、キリストにあって足るを知る。まさに「肘外に曲がらず」だ。

早寝早起きはイイ!

アップロードファイル 550KBダイエットと仕事の連続で体はけっこうキツイが、おかげでウェイトは確実に落ちており、適度な疲労感で早寝するために朝も快調。福島の山小屋のわが兄弟は夜7時には寝て、朝4時には起きる生活だとか。彼はラジオもテレビも新聞すらない生活。もちろんネットなどはまったく。この自然派は私も憧れている。早く引退の時を迎えたいもの。オプス・デイのように体を鞭で打ち叩かないまでも、早寝早起き小食はなかなかイイと実感。

私は禅が好きで、永平寺や臨済寺を訪れたことがあるが、あの修行の生活には憧れがあるわけ。永平寺などは道元の正法眼蔵(私の本では現成公案からの道元の言葉を上げて置いたが)に従った生活をするが、朝4時に起きて、唯座る。これを「只管打座」と言うが、悟りだとか何とかを何も求めないで唯座る。そして作務。食事作法もトイレの入り方、風呂の入り方など、すべてが規則あるいは作法に従った生活。これらは「典座(てんぞ)教訓」・「辧道法(べんどうほう)」「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」など。

ココで精神はある種の緊張を強いられるが、精神の安定のためには、実はこの緊張が必要なのだ。走っている自転車や回っているコマが安定するのと同じ。このとき生死といった二元的世界を越えた生き様が展開する。これは善悪を超えたはからいのない世界だ。道元のこの「生死」などは実に名言と思う。鍵はいのち(もちろん霊のそれではないが)。この生活はどうも修道院の生活とよく似ている。函館のシトー会の生活スケジュールを見て、これは禅寺と同じだと感じた次第。(しかしオプス・デイではほんとうに体を鞭で叩いているのだろうか?)

なお、キリスト者と禅者の異同についてはこちらを。

Dr.Lukeの一言映画評−ダ・ヴィンチ・コード−

カミさんと次女とで中華と紹興酒の夕食を取り、タップリと観ました。ストーリーと謎解きはそれなりい面白い。発想がかなり飛んでいるとは思うが。ダ・ヴィンチが教会(と言うよりは教界)に反抗したにしても、それは所詮当時のカトリック。真理ではありません。偽りが偽りに対して抵抗したわけです。それにしてもマグダラのマリアをイエスの妻かつ聖女にしたてたり、ユダの福音書ではユダを英雄にしたりと・・・。人間のイマジネーションは豊かなものです(笑)

しかしこの小説のメッセージは「すべては何を信じるかだ」と主張しつつ、暗に信仰の無意味さ、特に神が肉体を取ったことを否定したいようだ。まさに

偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。・・・人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

とあるとおりです。

でもね、やはりキリストご自身と真理、あるいは神のロゴスと書かれた御言葉に対する最大の障害(もっと言えば敵)は「キリスト教」と言う人間が作り出した宗教です。ダ・ヴィンチは当時のキリスト教には真理がなく、自然において真理(もちろん物理化学的)があることを見出したわけです。まあ、私も当時であれば、同じこと(=キリスト教への反抗)をしたかもしれません。今もそうなわけでから^^

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しかしダイエットと仕事でかなり疲労感が強かったが、今日はやや十分食べて豊かな気分でした。あと3週間・・・。

メガフェイクの時代

以前に「私たちは巨大なフェイクを見させられているかもしれない」と書きましたが、驚くことに、通りすがりさまのリンク先によると、ダ・ヴィンチ・コードをモロに信じている人が6割とか!?たかが小説でしょう、とはいかないのが現代のようです。古典的には、名優オーソン・ウェルズが火星人来襲のラジオドラマの語りをしたら、人々がマジに信じてしまって、パニックが起きたとかの逸話がありますけどね。

ペンタゴンの件といい、まあ、平和ボケなんでしょうが・・・。リアルとヴァーチャルの境界線が消失しているわけで。最近のマジックもかなり高度になっていて、車のボディに手を突っ込んで中の物を取り出すなんてこともできてしまうくらい。騙されることも楽しみなんですが、程度がありますよね。そもそも911自体が仕組まれていたようです。田中レポをどうぞ。

ちなみに『週間文春』によると、自衛隊員のPCからWinnyで流出したファイルはフロッピーで270枚分。高度の機密事項も流れたようです。中国あたりにとっては垂涎の的だそうです。ああ、平和だなぁ〜。

ペンタゴンに突っ込んだ民間航空機?

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まずはこちらを見てください。今回アメリカが公表したペンタゴンに突っ込んだ何かの映像です(Video2の24秒時点の右下に注目!)。ほんの一瞬白い細長いものが右から飛んできますが、皆さん、これが民間航空機でしょうか?どう見てもミサイルかなにかにしか見えませんが。考えてください。この監視カメラが1秒に数コマだったとして、これだけ早く飛んでいる民間航空機が、地面に何の痕跡も残さず、超低空でほぼ地面に平行に飛んで、ペンタゴンに消えてしまうのです!?ここの写真を見てください。さらにこちらこちらこちらもどうぞ。どう見てもおかしいと思いません?どこか変だよ、アメリカよ。一方でこんなコンピューターシミュレーションもありますが。元サイトはこちら

(上の写真はシミュレーションです。ビデオと比べて下さい。)

本日の講義

精神保健学の講義で、昨年同様、「アバタもえくぼ」が分からない。さらに「三つ子の魂、百までも」が、また分からない。さらにエディプス葛藤の例として『巨人の星』の一徹と飛雄馬の関係を説明しても、まったく知らない。しかし最近では亀田三兄弟がいるので、ありがたいわけ。

またカインコンプレックスの説明でカインとアベルの物語を語るとき、「カインは嫉妬でアベルを・・・」と「嫉妬」のアクセントを「−ツ_」としたら、女子学生が「センセ〜、それ発音が違うよぉ〜。しっと(_ツ−)だよ!」と黄色い声を上げた。私は語尾を下げるのだが、彼らは語尾を上げる。「え!?じゃあさ、君たち、嫉妬心はどう言うの?」と聞くと、これは私と同じ。そこで「変だよ、心が付くときと付かないときで変わっちゃうのは・・・」と言うと、学生たちが「え〜っ、変なのは、センセイだよぉ〜。だっておかしいもんっ!」と合唱を始めた。「ヤバっ・・・汗」と内心で思いつつ、「はい、はい、分かったよ。確かに君たちは彼氏も−__じゃなくて、_−−だもんね」と言うと、これでみなさま一応納得。彼らとはガチンコしてはならないのだ・・・。かくして私もこの時間は彼らのアクセントで発音したが、なんとも違和感が・・・。

ちなみにわが田舎の諏訪では、「藤森」を「----」、「小口」を「---」と同じ強位で発音する。ところが東京では前者は「_−__」、後者は「−__」となる。これがなんとも違和感があるわけ。言葉はけっこう人のアイデンティティの根幹に関わるわけ。「言葉は人」とか「言霊」とか言われるとおりです。かくしていつもながらワイワイガヤガヤとうるさいながら、楽しい講義を二つこなしてきました(ふぅ〜っ)。

サラリーマンの悲哀

本日は御茶ノ水で仕事なのですが、京浜東北線が信号機故障でストップ。京浜急行に振り替え輸送となったものの、これがまあ立錐の余地もない混み具合。電車はのろのろ・・・。かくして品川まで1時間30分ほどかかり、御茶ノ水まで何と2時間!電車の中はサウナ状態で、もう途中で泣きたくなりましたね。で、2コマ講義して、東海道線で横浜までバック。午後4コマ・・・。ただでさえ休みがないのに、きつかった・・・。

これが丸の内に通ういわゆる会社員の日々かと・・・嗚呼。これを延々と定年まで続けるわけで・・・。かく言う私も立派なサラリーマンですが、出勤時間は自由(フレックス)。通勤は車ですから、冷暖房・オーディオ・ビデオ・テレビ・ラジオ完備の書斎の延長の様なもの。大学では個室があるわけで、文句は言えません。かくして本日はヘトヘトです・・・。

一日一日・・・

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長女が手塚治虫の『火の鳥』の「輪廻編」を読んで、こわかったと言っていた。永遠に生きるなんてことは恐ろしいわけ。アダムが罪を犯して後、神は永遠のいのちの木への道を封鎖されたが、もし罪を犯したまま神から離れて永遠に生きるなんてことは実に恐るべきこと。いのちの木への封鎖はイエスが来たときに解除されたが、これは神の憐れみである。

で、本日は朝青龍に土がついたが、力士がよく「一日一日です・・・」と言う。この気分は今のわたしにはよく分かる。あと5週間休みなし、と考えると途方もない感じがしてしまうわけ(大げさだよ、との声もありますが^^)。このような場面ではとにかく目前を生きるだけ。

「後ろを省みることなく、前を慮らず」と言う禅語があるが、わたしたちは過去に生きるのでもなく、未来に生きるのでもない。神は時間と空間を越える方であるが、モーセに啓示されたその名は「ある」であって、それは常に現在形永遠の現在の方。心を病んでいる人は現在にとどまれない人。今ここに生きることができない。

もちろんわたしたちには主の再臨と言う希望があるが、しかしそれは希望。対して信仰はつねに現在形。絶えずこの現在にとどまり、今に生きる姿勢を取らないと、わたしたちは過去の泥沼や未来への不確実さで現在の生き方が麻痺してしまう。かくして力士の「一日、一日です」はわたしたちの言葉でもある。

・だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
・今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。

仕事の疲れは

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エスカップで・・・うっすらと富士山が・・・