* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
長女が手塚治虫の『火の鳥』の「輪廻編」を読んで、こわかったと言っていた。永遠に生きるなんてことは恐ろしいわけ。アダムが罪を犯して後、神は永遠のいのちの木への道を封鎖されたが、もし罪を犯したまま神から離れて永遠に生きるなんてことは実に恐るべきこと。いのちの木への封鎖はイエスが来たときに解除されたが、これは神の憐れみである。
で、本日は朝青龍に土がついたが、力士がよく「一日一日です・・・」と言う。この気分は今のわたしにはよく分かる。あと5週間休みなし、と考えると途方もない感じがしてしまうわけ(大げさだよ、との声もありますが^^)。このような場面ではとにかく目前を生きるだけ。
「後ろを省みることなく、前を慮らず」と言う禅語があるが、わたしたちは過去に生きるのでもなく、未来に生きるのでもない。神は時間と空間を越える方であるが、モーセに啓示されたその名は「ある」であって、それは常に現在形。永遠の現在の方。心を病んでいる人は現在にとどまれない人。今ここに生きることができない。
もちろんわたしたちには主の再臨と言う希望があるが、しかしそれは希望。対して信仰はつねに現在形。絶えずこの現在にとどまり、今に生きる姿勢を取らないと、わたしたちは過去の泥沼や未来への不確実さで現在の生き方が麻痺してしまう。かくして力士の「一日、一日です」はわたしたちの言葉でもある。
・だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
・今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。