日記

教会の成熟

昨日は御巣鷹特番があちこちであった。実はBBSで紹介したリンク先には事故現場の生々しい写真もある。これを見るとき、人の生のはかなさを覚えると同時に、こういった不条理に対して、教界がほとんど関与し得ていないことを感じる。「私たちの不条理はイエスの究極の不条理で飲み尽される」という理屈は語り得ても、本音を言えば、被害者の方々を受け止め、かつそこでイエスを証しすることはきわめて難しい。彼らに何をどう語るのか・・・。

ところがニッポンキリスト教の中ではそれぞれの教勢を競い、紅貧らに酔っぱらい、弟子訓練だ、幸せを得るセミナーだと忙しいようだが、この世との関わりにおいて、特に8・12のような事態に対して、その苦しみや重荷を共有し、関わることにおいてはほとんど無力、否無関心であるような感じがする。もっと言うと見ようとしていないというか・・・。

ニッポンキリスト教という閉鎖空間でのリバイバル音頭の一人芝居を見させられているようだが、おそらく真のいのちの成熟はこういった世の悲惨との関わりにおいて証明されるのだろう。イエスの十字架は私たちが満たされて、恵まれるためにではなく、むしろ彼らのためにあったはずなのだから・・・。

8・12負い続けるもの

あの御巣鷹の事故から丸20年。あの日のことは昨日のように覚えている。当時長女がようやく8ヶ月で、田舎の諏訪に帰省していた。

夕方、突然NHKで木村キャスターが「そんなこととはどうでもいいから、乗客の氏名を読んで!」と叫び出した。JAL機が行方不明とのことで、一時は不時着したようなニュースも流れたが、結局はダメだった。大脳研究で有名な塚原仲晃氏も乗っていた。

先ほどの再現ドラマによると高浜機長のご家族は世間の非難を一身に浴びた15年を過ごされた。ぶつけどころのない怒りを遺族もどうしようもなかったに違いない。共に被害者なのだ。ヴォイスレコーダーが公開されてようやく和解の時が訪れた。

私もこの事故に関する本をできるだけ集めてきたが、最近出た本でDVDに音声とCGによる再現映像を納めたものがある。ある新聞社の元記者の方が書かれたが、これを見るとその緊迫感がモロに伝わり、特に最後の衝撃音を聞くことは相当に勇気が必要。事故調の文書化された台詞と、DVDの音声は明らかに異なるものがある。

結局事故調の報告に疑念があることを指摘しているが、いったい当局は何を守るために、何を隠しているのだろうか。救助に向かうまでの混乱も疑問。アメリカ軍は場所を特定していたのだ。ここにもアメリカの国益が絡んでいることは間違いない・・・。

高浜機長のご家族と乗客の遺族の皆様の負い続けてきた、そしてこれからも追い続けなくてならないものを思うとき、実はイエスがそれをすでに負って下さっていることを彼らが知ることができるように祈るのみである。

舶来モノはもう十分でしょう?

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トム・クルーズが『ラスト・サムライ』で「ここには教会はないが確かに霊性を感じる」と言い、「日本人は日本に目覚めよ」とメッセージを送っていた。

舶来モノの形だけ真似することはもう十分でしょう。内なるキリストを見出していないから、「白いモノ」や「色物」を追っかけるのです。

学生に日本人の精神病理を説明する時に問うのですが、「モンゴル人がモデルのファッション雑誌を読みますか?」と。同じように、『境界線』をベトナムの学者が書いたら、みなさんありがたがって追っかけますか?

そろそろ地面に足をしっかりつけて、じっくりと生きることを味わうべき時ではないでしょうか?

十字架と境界線

このところ株が好調。窓を開けての12,000円越え。小生もポツポツとゲットしている。外国人の買い越しが多いようだが、やはり小泉流は外国人には受けるのか。

 * * *

kamekameさんが境界線について論じておられたが、霊的な世界にはいくつかの原則がある。これは神の働き方の法則であって、我々はこの法則を変えることはできないし、ただそれに服するのみである。前に重力のことを例にあげたが、「重力は質量の積に比例し、距離の二乗に反比例する」。これを変えることは人間にはできない。ただそれを受け入れて、それに服するのみ。

『境界線』については出版社が送ってくれたので、ざっと目を通したが、その印象は「御言葉を用いた(で飾った)心理学である」、だった。心理学(Psychology)=魂学(Psycheのlogic)。いかにも"Keep your distance"のアメリカらしい。もともと「境界」の概念は精神分析にルーツがあり、別に新しいことではない。特に分裂病の精神病理では「自我境界の曖昧さあるいは消失」として論じられる。日本でも精神病理学者の木村敏が「間の病理」として論じている。その本質は、"I'm OK, You are OK, so everything is OK."である。それは魂を救うことを意図する。

しかるに霊的な神の法則は、「自分の魂を救おうとする者はそれを失い、失う者はそれを得る」(ルカ9:22,23)である。十字架は「死と復活の法則」の適用である。いにしえのモーセにせよ、ヨセフにせよ、いかに境界線の逸脱によって魂に苦しみを得たことか。しかしそれが神の働き方であり、死を通してのみ復活のいのちが働く。

まあ、日本人的な甘えの病理でややこしくなっている人間関係の理解には役に立つとは思うが、霊的な法則には即してはいない。御言葉に立ち、かつ霊的法則をわきまえ、かつ魂と霊の分離(=これも境界線?)を少しでも知っていれば、何もお祭り騒ぎをすることではない。

次から次へと新しいものが吹き込んでくる昨今、神の言葉は明らかにこう言っている:「初めから聞いていたことに堅く留まりなさい」、「教えの風に吹き回されることなく、騙し事の哲学に欺かれることのないように」と。我々の霊的歩みにおいて知らなくならないことはさほど多くはない。そして私がしつこくMSGで語ることは、「教えではなく、パースン(お方)」。この意味でkamekameさんの2番目のレスにはまったくアーメンである。

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ふぅ〜、ジョッギングした後の冷えたビールが実に旨い!霊も、魂も、体も健康であること、これに勝る幸いはない。

怨念の政治

小泉氏の支持率61%、内閣の支持率46%だそうだ。ポピュリズム嗜好を刺激された大衆は、迫力ある(というか、鬼気迫る)パフォーマンスに実に弱い。反対勢力は「造反組」とレッテルを貼られ(何となく中国の文革や北朝鮮を連想させるが・・・)、すっかり悪者扱い。いわゆる勧善懲悪ドラマと同じ構成。このあたりはブッシュと共通する。対するオッボチャマ民主党は小泉氏の迫力に押され、どうもその存在自体が薄い。

あの目つきはどうもフツウではないと感じていたら、午前の番組で小泉氏のルーツがあの「角福抗争」に由来していることを解説していた。要するに中曽根氏の"裏切り"で福田氏が角さんに負けた因縁の一件。小泉氏は福田氏を抱いて号泣したそうだ。前の中曽根氏に対する態度も、対する今回の参議院の中曽根Jr.の動きもなるほど、その因縁と分かる。「派閥をぶっ壊す」はここにある。また小泉氏が郵政大臣だった時に官僚から受けた仕打ちに対する因縁も篭る。

衆議院を当て付け的に解散し、造反組をあくまでも冷遇する小泉氏のやり方は確かにdue processかも知れないが、コワイものを感じさせる。怨念はコワイ。私なども意図せざるして人の恨みを買う経験があるが、その憎悪をぶつけられ、その心の闇の病理を目の当たりにすると、実にぞっとするほどに怖さを覚える。これがクリスチャンと称する人であるならば、いわんや小泉氏をや、である。

これまでの派閥政治を壊すはよし。が、その動機とエネルギーの源が憎悪と因縁にあるならば、これは将来に禍根を残す。これはブッシュとフセインの因縁によるイラク問題も同じ。どこに落とし所を想定しているのか?

今年の夏は確かに暑いが、クーラーが要らなくなるほどに寒々したものを覚えているのは私だけであろうか。

愛と境界線

ネットで知り合った札幌はすすき野で牧会をしているfisherさんの日記を紹介する:
http://geocities.yahoo.co.jp/dr/view?member=hopefisherman

"Hope of Japan"と言うサイトを運営されている。つねに、ややこしい理屈ではなく、素朴な彼の心の内を証ししておられる。上の日記で彼は

神様の愛に通じる犠牲愛、極端な愛です。牧会をすると境界線が見えてきます。確かに境界線を保つのは大切な教えかも知れませんが、イエス様は神と人という、最も大きな境界線を飛び越えてきた方であることを知ることは大切だと思います。愛することには、犠牲があるのです。犠牲のない愛は、厳しいかも知れませんが神の愛ではないのかも知れません。傷つくまで愛する、はマザーテレサの言葉でもありました。

と述べている。

こう言うと一部の人に怒られるかもしれませんが、私は自分に言っていることをお断りした上で、あえて言おうと思う。「境界線」は十字架ではなく、イエスに対しペテロが「ご自愛下さい」と助言した霊から出ていると感じる。それはむしろ自分を助け、自分を救うもの、つまり十字架に対立している。人が喜ぶことはしばしば神の喜ばないことである。

私も先にN兄弟に対して「一線を引いた」が、これは撤回したいと彼の日記を読んで感じた。愚かな者、うなじの強い者に対して、徹底的に付き合って下さるのが、インマヌエルなる主イエスである。

fisherさん、感謝です。

「愛」による政治?

アップロードファイル 111KBいよいよ政局が動き出した。前にクリスチャンに政治など任せることはできないと書いた。ニッポンキリスト教的「愛」に基づいた政治などは、共産主義と変わりはない。聖書的社会主義の窮屈な窒息した社会にできるに違いない。それこそビョウキの人を大量に産み出す聖書カルトである。

政治も経済も自己利益の対立のダイナミクスによって動く。「国民のため」などというスローガンは表向き。今後のニッポンを占うに、二極分化がキーワードとなる。上位と下位にキレイに分離する。現に97年にIMFが入った韓国はそうなっている。儒教の国が勝者と敗者に別れた。カンコクキリスト教は真理からずれ、ご利益信仰と化している。中国も貧富の差はますます開いている。

そしてこれは聖書の真理なのだ:持っている者は益々豊かに、持っていない者は持っている物までも取り上げられる。これを均そうとするニッポンキリスト教的「理想の愛の国」−相当に気味の悪い国になる。想像してみよ、あなたの教会の牧師が聖書を片手に「カミっさまはあ〜、郵政民営化に反対しておられます〜。愛と平和、そして自由と平等〜、貧富の格差のない、みんなが楽しく仲良く暮らせるニッポンを作りましょう〜」と、政治をしている様を・・・汗。

今後の政局を見るポイントは、どうなると誰が得し、こうなると誰が損をするか、そしてその「誰」と「誰」は誰なのか。面白い展開となることは確かである。

同級会2

名残が尽きず、男女有志数名でM君宅を訪ねる。彼とは97年に会って以来。当時彼は某大学のコンピュータシステムを立ち上げる際、酒だけで生きていたため、下宿でぶっ倒れ、そのまま地元の病院に担ぎ込まれた経歴を持つ。理系的な天才肌で、私が数学に目覚めたのは彼の影響。

病院では「アル中性飢餓状態」と診断された(こんな病名あるのか?)。ところがこれが誤診で、実はすい臓をやられていて、糖尿病状態。歯が抜け、ガリガリにやせ、寿町のオッチャン状態。でもかろうじて生きている!で、みんなで近くのウナギ屋のうな重で元気をつける。

かくして今年のタイムスリップは終わり。ひとり行方知れずがいるが、まだ逝った者はいない。優等生からゴタ小僧(諏訪の方言で、悪ガキの意味)が実によくブレンドされたクラス。職業も教師から芸術家からトラック運転手まで実に多彩。3人の孫を持つヤツもいる。今後も共に生き抜こう同期の桜。実に楽しかった、下中3の1同級会。

同級会

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              下諏訪中学3年1部の面々

飛騨から白川郷を目指すもあと30キロの地点で道が崩れておりアウト。遠回りでは100キロ以上で時間的に無理と判断。世界遺産の合掌造りを見たかたったがチャンスを残しておく。そこで帰途、飛騨大鍾乳洞による。ココは元海底だったところで、地形が隆起し、珊瑚などの石灰岩に穴が開いたもの。全長800m。中は天然冷蔵庫。自然は最高のアーチストであると実感。

 * * *

夜は中学の同級会。毎年やっているのだが、私は四年ぶり。パッと見ると誰かが分からないが、よ〜く見てみると、なるほどと、アノ時代に戻れる。50歳を前に、それぞれイロイロな境遇の変化や人生の波にもまれている。ちょっと前とは違った印象。

で、2次会、3次会と続き、また明日M君を訪ねつつ4次会と・・・。

上高地&飛騨

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               穂高連邦を望む大正池

カミさんと長女とお袋とで飛騨へ。途中上高地に寄る。ここは環境保全のため、マイカーは入れない。往復ひとり2,000円のタクシーかバス。何と言うか森が深い。穂高連峰や焼岳と絶妙のバランスのある風景。

夜は飛騨の温泉かけ流し民宿。ひとり9,000円であるが、これが中々GOOD。特に飛騨牛ステーキと地酒の冷生酒が絶妙で実に旨い。露天温泉は山を見ながら3回も入った。若い頃は海派だったが、このところ山に目覚めてきている。歳だ・・・。

山の香り

     何なのでしょう、この香り。
     腹の深くに吸い込むほどに人の心を癒し、
     時間の流れを遅くする。
     たった1日居ただけなのに、
     あたかも1週間もいたような濃密な時間。
     普段私たちは当たり前に都会に生きているが、
     その時間の密度と山の密度ははるかに違う。
     都会は情報量は多くとも、あまりにも無意味な時間。
     取り残されないように必死で生きている人々の群れ。
     この世も教界も同じこと。
     もう十分だな、彼らと共に生きることは・・・。

山小屋はいい

アップロードファイル 69KBう〜ん、夏の山小屋はまた実にいい。福島の山の中でやや湿度が高いが、風がそよぐと実に気持ちがいい。夜は星空がすごい(やや雲があったが・・・)。

お互いにこれまで来し方を振り返りつつ、じっくりと交わった。それぞれの人生に主の真実な御手が関わっていることがよく分かる。

私は普段はひとりの兄弟になれずにいるが、S兄弟との交わりでは単なるひとりの兄弟になれる。救われた23年前に戻れるのだ。これが実にありがたい。

昨日の夜のBBQもなかなかよかった。山での焼き肉と生ビールはまた格別に旨い!私自身のログハウスの夢もまた膨らんだ。

明日からまた田舎や飛騨の温泉を巡りますので、ここはしばらく空白となります。では、Enjoy Christ!

神のご計画とボディビルディング

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BBSではついクリックしてしまった方、やばいページを開けちゃったと、びっくりされた優等生クリスチャンがいっらしゃるかと・・・^^。いささかマニアックな話になっていますが、実はこの二つ、密接な関係があります:

エバはアダムが眠らされている間にそのわき腹の傷から取られた骨から「女に造り上げられ(build up)」ました(創世記2:22)。

教会(教団・教派ではなく、エクレシア)もキリストが眠らされている間、そのわき腹の傷から流れた血と水によって生まれ、今、傷もしみもその類の一切ない乙女として、また神の宮として「建て上げられ(build up)」つつあります(エペソ2:22;5:26,27)。

第一の人アダムにとって、同じいのちを分与されたエバは骨の骨、肉の肉でした。同様に第二の人キリストにとってエクレシアは、ご自身の復活のいのちを分与されたエバなのです。エバもエクレシアも共にbuild upされる存在なのです。

ボディビルディングと神のご計画。キーワードは共に"build up"なのですね。そのためにはセルフコントロールと長期にわたるモチベーションの維持が必要です。そしてM.D.(医師)であるまひるパパさんの言われるとおり、あくまでもナチュラルに。くれぐれも「ベニヒン筋肉増強剤」やワケの分からない「使徒預言者ステロイド」などを用いてはなりません。一時は効果があるかのようですが、神の御言葉以外で造ったものはフェイクであり、結局は精神と身体を滅ぼします。

 * * *

昨日は予定が1日ずれまして、チャペル・サーバーのメンテをしておりました。これからJohnと一緒に福島キャンプです。(@7:40am)

さあて、遊ぶぞ!

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今日でセレブレーションはしばらくお休み。私は丸々3週間のお休みをいただきます。みなさまも夏休みを思いっきり楽しんで下さい。

私は夏が好きですね。あすから早速福島のS兄弟の山小屋にキャンプに行き、帰ってから田舎に帰ります。中学の同級会があるので、楽しみにしております。それからログハウスの候補地を散策。そして伊豆の海と温泉と・・・(これがないとやっていけません)。

人はホモ・ルーデンス(遊ぶ者)。人生楽しんだ者が勝ち。エデンの園では、ただ1本の木を除いて、どの木からも取って食べてよかったのです!サタンはこの豊かさから目をそらさせ、ただ1本の木に誘惑したのです。

逆に言えば誘惑から解放される道は、許されているこの無限の豊かさを味わうことです。ルカ15章の兄もブツブツ言った時、父は「私の物はすべてお前のものだ」と言われました。この兄は楽しんでいなかったのです。これがクルシチャンです。

つまらない"dos & don'ts"の「キリスト教」という宗教から解放されましょう。そして父の財産を用いて、生きることをエンジョイしましょう。

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BBSの意見交換、いいですね。こういった率直な交わりができるととてもうれしいです。私はたとえ批判を受けても、互いの間に真実があれば、表面上の意見の相違は問題にはなりません。まあ、私の意見は叩き台になってもらえればいいかなと思っていますが。

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では、真っ黒になってまたお会いしましょう!